とある夏の日の話だ。
少年はその日、いつもより用事で帰りが遅くなった。だから彼はいつも通りの道ではなく、近道を使うつもりでいた。
手には紙袋一つ。
彼は急いでいた。彼女とデートの約束をしていたから。
近道である裏路地に入ったときのことだ。
急ぎ足で帰路を行く彼はふと視線を感じて立ち止まった。
気になって辺りを見回すと黒猫が一匹、こちらを見つめて動かないでいた。
別に彼は猫の好きそうな物を持っているわけでも好かれるような体質でもない。
猫は相変わらず一点を見つめていた。
まるで彼の姿など眼中にないと言わんばかりに。
よくよく考えると自分を見ているわけではないようだ。
ではこの黒猫は何に視線を注いでいるのだろうか?
疑問に思った彼は猫の視線を辿った。
「……何も無いよなぁ」
視界には袋小路。もちろんそこには何も無かった。
――俺は一体何を期待しているんだ。
彼はさっさと行くことにした。
最後に猫を見やる。猫が動く様子は無い。いや、急に猫は毛を逆立て彼――ではなくその向こう側を威嚇し始めた。
何事かと彼は振り返った。
振り返って、しまった……。
「なっ……!」
彼はそれ以上何も言うことができず、突然現れた何本もの白い腕に体のあちこちを掴まれ何処かへと引きずり込まれた。
彼が消えた場所は丁度猫が見ていた所だった。
――彼は、壁の中に消えた。
彼の意識が途絶えたのは一瞬だった。
気がつけば、先程と同じ所に立っていた。
唯一の違いは黒猫がいなくなっていたこと。
「何だったんだ、今の……」
彼はそう呟き、時間が無いことを思い出した。
「しまった!」
彼は走り出した。
――おかしいな。
どれだけ走っても景色は変わらなかった。
本来ならとっくに待ち合わせの場所に着いているはずなのに。
道を間違えた?
いいやと頭を振って否定する。なにせ真っ直ぐ進むだけでいいのだから。
彼は再び走ってみた。
タッタッタッタッタタッタッ――
「……?」
気のせいだろうか? 彼は不思議に思った。今、足音が増えた気がしたからだ。
タッタッタタッタッタッタタッタッ――
「――!」
聞こえた。よりはっきりと。それはまるで彼の後をついて来ているようだった。
彼は足を止めた。すると、それにあわせて他の足音も止まる――訳はなかった。
背筋に冷たいものが走った。
振り向いてはいけない。そんな気がした。
しかし、後ろが気になって仕方が無い。
そうだ。きっとこの辺りを縄張りにしている不良に違いない。彼はそう自分に言い聞かせ て、恐る恐る振り向いた。
『ばーか』
その時。何者か――女の子の声が聞こえた気がした。
振り返った先。彼に向かって走ってくる首の無い人。
人? 違う、死体だ。
死体が走る速度を上げる。同時に首から血柱が立ち上った。
全身が総毛立った。
「あたまぁ……おまえのあだまよごぜぇ……」
死体の腹にバックリと開いた巨大な口が言葉を発した。
「うわぁぁぁぁ。くっ、食われる?!」
彼はそれを見てようやく走る速度を上げた。
一直線だったはずの道になぜか右に通路があった。冷静な思考力を失った彼は何も気にせずにそちらに向かった。
『きゃはははっ』
またも女の子の声。しかも今度は笑っていた。
「えっ……?」
彼は体制を崩し、地に転がった。何かで足を滑らせたようだった。
びちゃり、と服が濡れた。
彼は目に映るものに愕然となった。
自分が倒れ伏しているのは、赤い水たまりだった。赤い水は上から流れていた。
嫌な想像が頭をよぎった。
すぐ隣には建設途中で廃棄されたビルの入り口。階段がのぞいていた。
よせばいいのに彼はその赤い水が何であるかを調べに、登れる所まで行ってみることにした。
というよりも、曲がった先が袋小路だったので、後ろから追ってくる首無し死体から逃れられそうな場所がそこしかなかったのだ。
「うっ……」
彼は後悔した。
完成している三階まで上り、階段と部屋を隔てる扉を開いた途端、凄まじい腐臭がした。彼は盛大に吐いた。
そして、一番目にしたくない物を見た。
堆く積み上げられた死体。
あの赤い水はやはり血だった。
死体の山の麓には穴が開いていて、そこから今度は壁に開けられた穴まで中の空洞を流れ、壁を伝って下まで流れ落ちていたということだ。
「おつかれさまでーす♪」
いつ現れたのか、そこには少女がいた。
ひらひらとフリルが沢山ついた黒いドレス姿。所謂ゴシックロリータの衣装だろうか? を身に纏った彼女は口の端をニィと吊り上げた、歪な笑顔を彼に向けていた。
それは狂喜の笑みだった。
「あーあ、つまんないなぁ。お兄さん。ちゃんとあの子に食べられてあげなきゃだめじゃない」
背筋が凍りついた。
――こいつは本気で言っている。
彼は確信していた。
「ま、こっち側に来た時点であなたの人生は終わったようなものだけどね。ようこそ、世界の裏側、その一部へ。……あ、これってなんだか冥途の土産みたいね♪」
彼はもはや抵抗することを諦めていた。
彼が聞いているのかいないのかなんて、全くお構い無しに話す少女に前に立たれてから、体が金縛りにあったかの様に動かせなかった。
「さてお兄さん。そろそろお別れしましょう♪」
少女は膝立ちになると、彼の首筋に噛み付いた。
「うぐっ!」
少女は彼を咀嚼していった。
「ぎ、ぎゃ、が、ああああ!」
クチャクチャクチャクチャクチャ――
ゆっくりと、焦らすように、なぶるように。
「が……び……だずげ…………で?! ぎぃぃぃぃ!」
クチュクチュクチュクチュクチュ――
彼が上げる悲鳴を聞きながら、彼が骨になるまでずっと、少女の食事は続いた……。
「やっばー。つい勢いで全部食べちゃった。太るかなぁ……? まぁいっか。久しぶりの新鮮な人肉だったし。きゃはっ。ごちそーさま♪」
血染めの少女は笑っていた。
彼の痕跡である骨は、山の一部と化した。
「さて、また誰か釣れないかなー♪」
そして少女は、上機嫌でどこかに消えていった……。
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