そろそろ俺もインターンとかしなきゃだめかなあと思いながらチャリンコを飛ばしていた初ゼミ飲みの帰り道、原宿の駅前でサークルの後輩にたまたまばったり出くわした。
下心をパンツの中に隠して夜の代々木公園を並んで歩いているうちに酒の回りの遅い俺はぐでんぐでんになっていて、それでも全然平気なふりで調子に乗って女の子の荷物まで持ってあげてた。韓流スターか俺は。
最近サークル内でできた新しいカップルの話とか先月のスノボ合宿のときに雪の中で花火した思い出話とか来週の新入生勧誘花見バーベキューの話とか新学期に履修する講義の話やなんかで盛り上がって、どうせだから今日はもう俺んちでオールしちゃおうよと大声で言った瞬間、冬枯れた公園のベンチで熱燗すすって泣きべそかいてるオヤジみたいなリクルーターと目が合った。
「あ」
お互いがお互いを認識し合うと、彼女は食い倒れ人形とかいっこく堂とかみたいに呆然としたままカクっと下顎を下げ、俺は隠れる場所を探して左右に目を走らせた。
「先輩の彼女さんですかぁ?」
空気の読める可愛い可愛い後輩が首をかしげ、黒目がちな大きな目をパチパチとしばたいた。俺は胸がきゅんとする。なんてきれいにマスカラを塗る子なんだ君は。
それに比べて目の前の俺の彼女ときたら、就職試験の面接のためとはいえ、とりあえず引っつめました的な髪に、とりあえず描きました的な眉毛、とりあえず塗りました的なアイメイクにとりあえず着けました的なグロス、しかも泣きまくりの酔いまくりだから不細工なことこの上ない。十二月から毎日のように着ているリクルートスーツもだいぶくたびれてきていた。
「え、お、おうん」
うなずいたものの、はっきり言って二個上の俺の彼女は人様に紹介できるような女でわない。
俺はとっ散らかした自分の部屋を不意打ちで見られたような気分だった。
それでも無視して通り過ぎるわけにもいかず、恐る恐る、俺は彼女に訊ねた。右手は自然と後輩のカバンを背中に隠してる。
「何やってんの、アナタ」
もしかしたら、それは彼女のセリフだったのかもしれない。
けれど彼女は泣き腫らした目で俺を見上げ、それから「ん!」と言って人差し指でNHKホールの屋根をさす。
俺は額を押さえた。
よりによってNHKかよ!大手にも程があんだろうがよ!
「ちょっとおねいさん」
就職内定が取れないとか言って一ヶ月も二ヶ月も俺のことを放っておきながら相変わらずの大手志向ですか、しかもマスコミ志望なんて聞いてないですが、この前は食品会社が良いって言ってて日本ハムとかサッポロ一番とかブルボンとか黄桜とかの会社説明会に行ってませんでしたかああああ!
言いたいことは山ほどあったけど後輩の前でぶち切れるわけにもいかず、俺は目の前の惨状を処理することから始めた。
「就職活動に行き詰って自暴自棄になんのも分かりますけどもねえ、こぉんなとこで股ぁ開いて座って、酔っ払ってちゃ駄目でしょうが年頃の若い娘が」
ところが、できるだけ穏便に済まそうとしている俺の神経を逆なでするかのように、彼女は両脚をばたばたさせながら顔を膨らませた。小学生かおまえは。
「若くないもん。あたし、もう枯れ果ててるもん」
自分で言うな。自覚があるなら努力しろ。めんどくせえ。
彼女のはちゃめちゃぶりに怯みもせず、完璧な後輩は俺の背中から自分の荷物をそっと受け取り、さりげなく俺と距離を置いた。
「先輩、あたしはこれで帰りますから。彼女さん、失礼します」
ぴょこんと頭を下げ、愛くるしい後輩は踵を返して駆け出した。
「あーあー、逃げられたー。やらせてくれる子に逃げられたー」
適当な節をつけて歌う彼女は俺以上に酔ってる。
俺は数週間ぶりに会った彼女を見下し、その小さな手から熱燗のカップを奪いとった。
俺の彼女は俺より二つ年上で、でも去年、なんでアイルランド?イギリスじゃないの?しかも何故このタイミングで?と方々から言われながら語学留学して留年したから学年は一つしか違わない。
大学に入りたての頃に合コンした他大学の女の子の友達の友達で、お茶の水女子大学なんてとこに通ってるからどんなお嬢様だろう、うっしっしっしと思って付き合い始めたらこんな女だった。大学の名前に惑わされてはいけない。
「やっぱ、面接でアイリッシュダンス踊ったのがまずかったかなああ」
ぼろいベンチの背もたれと彼女の体の間に滑り込み、紺色のリクルートスーツを後ろから跨ぐみたいに俺は彼女にしがみついて座った。
春の夜はまだ寒いから、彼女の背中は温かかった。
「へえ、アイリッシュダンス?」
適当に相槌を打ちながら、俺は彼女の胸をもむ。
スーツの上から触ってもあんまり楽しくないんだけど、ここで服の中に手を突っ込むわけにもいかない。公園にはまだちらほら人影が見えていた。
「知らないの?タイタニックでデカプリオが踊ってたじゃん」
一年間語学留学しておきながらディカプリオと言えないオバチャンみたいな彼女は就活用の黒いパンプスの裏をたかたかと鳴らし、さりげないしぐさで俺の両手を自分の胸からはがす。
ここ二ヶ月間、彼女はずっと生理中だ。もちろん本当に生理なわけはなく、それは明らかに俺んちに来たくないがためのいいわけで、俺たちの間では熟年夫婦ばりのセックスレスが続いている。
俺はぜんぜん傷ついてないフリでアナタそりゃまずいでしょと言いつつ彼女の肩にあごをのせた。
今日もやらせてくれないのかと思うと彼女も彼女の話も何だかどうでも良くなって、間もなく俺はすさまじい眠気に襲われた。やばいな、飲みすぎたなこれ。
会社説明会で社員にこんなこと言われたとかエントリーシートでこんなこと書かされたとか面接でこんな失敗したとか、彼女がそんな話をするのを遠くで聞きながら、数十秒、もしかしたら数十分、俺はまどろんだ。
はっとして目を開けると彼女は平然と俺を顧みた。
「帰ろっか」
浮気の現場に出くわしたこととか、話の途中で居眠りしてしまったこととか、彼女は俺の都合の悪いことを決して口に出さない。
ベッドの下に隠したエロ本を掃除のついでにきちんと本棚に並べてくれるハハオヤのごとく、俺の部屋で浮気の痕跡を見つけても彼女は黙っている。それどころか汚れたシーツを洗い、ゴミ箱のティッシュを捨て、一度は、浮気三昧で底を突きそうなゴムを買い足してくれたこともあった。その時はさすがにやる気が失せたけど。
それが彼女の陰険な嫌味なのかどうかは分からないが、友達に言ったらおまえの彼女は変だと言われた。俺もそう思う。正直、後ろ暗くてやりにくいのだ。
「ねえ、別れた方がいいよ」
しばらく黙りこくっていた彼女は公園の出口で突然そう言って顔を上げた。
五部咲きの桜の老木の下で、彼女のリクルートスーツが可憐に一回転する。
「そうしようよ」
俺を見上げた彼女の目が涙できらきら光ってた。
彼女がいつもよりきれいに見えるのは、公園の外灯が遠いからに違いない。
「なんで」
俺は気まずい気持ちだとか、わけの分からない彼女へのストレスだとか、そんなもんは全部忘れ去ってた。
「この分だと、あたし、夏までかかるかもしれないもん」
「んなの今さらじゃん」
「君には留学中も迷惑かけたしさ」
「だから今さらなんでしょ、アナタの迷惑なんて」
俺は彼女の両腕をつかんで自分の方へ引き寄せた。
酔っ払ってるから二人ともよれよれで、植え込みの中に尻もちをついた俺の上に彼女がなだれ込む。
彼女は逃げるように身をよじって立ち上がろうとするけどあんまり本気っぽくなくて、俺はすぐに彼女を捕まえた。
もしかして俺のこと試してんのかな。
「俺、ちゃんと待ってるよ。アナタが留学してる間、一年待った男ですよ、俺は」
「それは他にも彼女がいたからでしょ。今だってそうなんでしょ」
それ、言われるとどうしようもないんですけど。
「あたしだって、何にも知らないわけじゃないし、何にも思ってないわけじゃないし、君の浮気にもほとほと愛想がつきたんだもん。そんな風に待たれるくらいなら、別れたほうがましだもん」
別れたほうがましだと言って鼻水たらして泣きながら、彼女は俺の首をぎゅっと抱いた。
つかみどころがなくて、俺が何やっても黙ってて、もしかして俺に執着とか関心とかないのかもしれないと疑ってた彼女が、俺への文句を初めて口にした。
良かった、この人、ほんとに俺のこと好きでやんの。
ああ良かった。
「うち行こ」
俺が耳元で言うと、彼女は本気で跳んで逃げた。蛙か。
「だめだめ。今日生理だし」
「うそつけ。てかもう通じねえですよそれ」
立ち上がってジーパンの土を払い、俺は彼女ににじり寄る。
彼女は顔の前で両手を交差させ、やけに必死な顔をする。
「だって願懸けしてるんだもん。就活終わるまで男断ちするの」
そういうことだったんですか、願懸けですか、男断ちですか、てか自分の内定獲得のために俺に多大な我慢を強いるとは何事ですかああああ!
いろいろ滅茶苦茶たくさん言いたいことはあったけど、俺はその前にやりたいことを済ませることにした。
「俺じゃなくて酒を断て」
そう言ってむりやり交わした二ヶ月ぶりのキスは、どっか照れくさくて日本酒の味がして、すっかり大人しくなってた彼女が反撃に出たのはその数秒後。
「いてえ!」
俺の額に頭突きをかまし、彼女は颯爽と公園を後にする。
「牛丼たべよ、大盛り、つゆだく。それか山頭火のとろ肉ラーメン」
ほんとに、どこのオヤジだおまえ。
俺はポケットの中の小銭とアパートの鍵を手でこすりあわせながら彼女に追いつき、リクルートスーツのおしりに股間を押しつけた。
「ドミノピザかピザーラかピザハットならおごってやらないこともないですが?」 |