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ファンタジーが舞台の短編小説

かみの子がかみ殺しになった訳

作者: Aska




 この世界では、十二歳になった子どもに神様からの洗礼を受けるしきたりがある。この儀式は世界中で当たり前とされ、どんなに辺境に住んでいる人たちでも、遥々旅をしてまで街の神殿に来るほどだ。貴族や王族なら、派手に宣伝をするぐらい大切な洗礼とされていた。それには、ちゃんとした理由がある。


 この神様からの洗礼は、決して様式美なだけではなかったからだ。神様は本当に存在し、そして本当に祝福を与えて下さる。神より賜る特別な力が、十二歳の子どもにもうけられるのだ。と言っても、そんな大層な力が得られる訳じゃない。


 私の両親がもらった力は、『身体が丈夫になる加護』と『裁縫が上手になる加護』みたいな可愛らしいものである。それでもあるのとないのとでは、ある方がいいに決まっている。将来の職業を決めるためや、お金を得るための即戦力として使えるため、貧しい人たちも一発逆転を狙うために神殿に訪れた。



 そんな世界で、私は十二歳を先日迎えることとなった。私の家はそこそこの田舎だが、決して生活が困窮しているわけでもない、普通の一般家庭である。そこで育った私も、当然普通の村娘として育った。十二歳の子どもを集めて、村のみんなで祝福を受けに行こうとのんびり考えるぐらいには、平和な村であったのだ。


 この時の私は、すごく胸を躍らせていただろう。周りもうずうずした様子を隠していなかった。向かいに住んでいる幼馴染は、「村を守れる人間になりたいから、それに使える加護が欲しい」と笑い、友達の女の子は、「お花が好きだから、お花の加護がいいなぁ」と微笑んでいた。その人物の欲しい加護が与えられる訳では決してないが、その人物に向いている加護は与えられるらしい。私も、「家族の手伝いをしたいから、お父さんやお母さんのように職に就けそうな加護が欲しいかな」と楽しそうに語ったと思う。



 そうして大人たちに連れられて、街に着いた私たちは早速教会へと足を踏み入れた。祝福が終わったら、街で買い物をして、荷物運びをする使命がある。洗礼は司祭様から神様への言葉をもらったら終わりなので、それほど時間はかからない。三十分ぐらいの列を終え、ついに私たちの番になった。


「き、緊張したぁ。でも、加護はちゃんともらえてよかったよ」

「見た目は変わっていないけど、わかるものなの?」

「うん、司祭様から詳細は教えてもらえるけど、なんとなく能力はわかる感じ。俺は『視力が良くなる加護』をもらったから、弓でも練習してみようかなって思っている」

「地味に便利な加護ね」


 加護には、彼のような常時その効果が現れるものが多い。だが中には、能動的に発動する加護も存在するらしい。才能開花や変動効果がある常時型とは違い、普通の人には決して使えない不思議な力が使える能動型。数が少ない故に、能動型の加護持ちは能力によっては崇められる時もあるそうだ。


 昔なら、聖女様と呼ばれる『あらゆる傷を癒す加護』を持った人や、『雷を操る加護』を得た英雄もいた。そんなお伽噺のような昔話を、村のおばあちゃんによく聞かせてもらったものだ。もちろんこういう力は本当に稀なことなので、私にとって能動型の加護は伝説級の存在である。


「ほら、次はフランの番だろ。早く行かないと」

「あっ、いけない。ありがとう、キーヤ」


 幼馴染に言われ、慌てて私は司祭様の前に行き、祈りをささげた。司祭様は四十代ぐらいの優しそうなおじさんで、何人も子どもを見ていたからか疲れが見える。汗で頭皮がテカッているが、私で最後なので頑張ってもらいたいものである。


 そして、祈りながら思った。私も他の男の子たちのように、すごい加護が欲しいと思ったことがない、と言えば嘘になる。昔話を聞いて育った子どもにとって、凄い加護をもらって歴史に残るような偉業を! なんてものは、憧れの一種だったからだ。恥ずかしいから口には出さなかったけど、私ももしかしたら…、という夢を見たことがある。


 だけど、本心でそんな力が欲しかったのか、と思えばそんなことはなかっただろう。それを痛いほどに痛感したのは、全てが変わってしまった後だった。司祭様の洗礼の言葉を聞きながら、祈りをささげた瞬間――身体の奥から今までにない熱い奔流を私は感じた。



「あっ! ……えっ?」


 その熱は一瞬だったが、次に目を開けた時には私の世界は変わっていた。温かい光が私に降り注ぎ、自分の周りにキラキラと星のような輝きが浮かんでいる。他の人の時にはなかった光景に、私は驚きに目を見開いた。もしかして、加護を受け取る時に自分にだけ見えるのかと思ったが、周りの反応がそれを覆す。


 目を見開き自分を見つめる村のみんなと周りの人々、そして大きく口を開けて固まる司祭様。この反応を見れば、いかに私のキラキラが特異な現象なのかがわかる。私自身も何が起こったのか、さっぱりわからなかった。とにかく説明が欲しくて、私は司祭様に慌てて声をかけた。


「あ、あの。この光はなんなのですか? 私は加護をもらえたんですよね」

「……そうだね。どうやら君は、特別な加護を神様より受け賜ったようです。それにしても、この力は――」


 難しそうに悩ましげな司祭様の顔つきから、私は冷や汗が滲んだ。洗礼をした司祭様には、私が受け取った加護についての詳細がわかる。だから特別な加護をもらったという言葉に、私は喜びよりも、不安が強かった。司祭様の目が、先ほどまでの優しいおじさんから、何か別のものを見る目に変わったことに。


「取り乱してすまない。その、君の力はどうやら能動系の力らしい。身体の奥から、何か感じなかったかな」

「はい、熱い何かを感じました。……司祭様、私は一体、どんな力を得たのですか?」


 正直に言えば、聞くのは怖かった。だけど、知らないままでいることはできない。勇気を振り絞って聞いた私に返ってきた言葉は、あまりにも私自身の手におえない代物であった。


「君の力は、文字通り『かみの力の加護』だよ。私もこんな加護があることを、初めて知った」

「神の力……、嘘、そんな大それた力なんて」


 司祭様の言葉に私も、そして周りも絶句した。茫然とする私に、司祭様は何かを決心したような顔つきになる。未だに信じられない私に向けて、彼は緊張を孕んだ声で告げた。


「私は司祭として、自分の管轄で起こった事象を確認する必要がある。君のその力を、試しに私に使ってもらえないだろうか」

「そんな、私自身どういう力なのかわからないのに」

「大丈夫、私は君の力を知っている。そして、それを実際に確認したい。私に向けて、身体の奥に感じる力を放つように念じてみるんだ」


 優しい声音で、だけどどこか血走った目で見る司祭様に、恐怖はあった。だけど、私自身が自分の力を知らない訳にはいかない。震える手を胸の前で握り込みながら、私は先ほどの熱を司祭様に向けて念じる。すると、私の身体からまたあの時の美しい光が生まれ、司祭様の身体を包み込んだ。


 そして数秒後、光が消えた先で私たちが見たものは、信じられない光景だった。誰もが言葉を失い、彼に起こった変化に驚愕を表した。本来ならあり得るはずがない現象が、そこにはあったのだから。光を受けた司祭様は、大粒の涙を流しながら、自身の変化に歓喜の声をあげていた。


「あぁ……、少しずつ消えていく希望にもう諦めるしかないと思いながら、心のどこかでずっと惨めに縋って捨てられなかった願い。それがまさか、本当に叶うだなんて。……あなた様こそ、我が救世主。本物の『かみの子』ですッ!」


 彼の魂からの叫びが、神殿を大きく揺らした。年端のいかない少女に向かって感涙するおじさんという構図に、私の頬は完全に引きつった。


 司祭様の顔には、先ほどまでの疲れが全て吹き飛んでいる。むしろ、どこか若々しくなった気もする。いや、実際に若く見える様になっていた。私の力が年齢を若返らせるとか、容姿を良くするという能力なら、色々なものにまだ納得できる。しかし、私の力はそうではない。


 先ほどまで脂汗が滲んでいた彼の頭皮は、今そこにはなかった。荒れ果てた荒野だった地に、大草原の息吹が巻き起こっていたのだ。テカテカの効果音が、フサフサに変わる大変貌。これこそが、私の力。これこそが、『かみの力の加護』の能力。


 私は、静かに天を仰いだ。神様は私に、そしてこの世界に何を求めているのか、丸一日、いや二日ぐらい問いただしたい。確かにすごい能力に夢を見た。目の前の司祭様と、周りの男性たちからの羨望の目に、女の子の憧れであった伝説の聖女様のような扱いのようにも感じる。需要は確実にあるだろうから、お金にも困らなさそうだ。


 ――だけど、これはないだろう。



「『髪の力の加護』って何よッ!? 『髪の子』とかふざけないでよォォーー!!」


 思わず泣いてしまった私は、決して悪くないと思う。




******




 私が世界と神様への理不尽を叫んでから、私の生活は一変した。加護をもらった私は村に帰ったけど、今までのような生活はできなかった。村に帰った私を待っていたのは、中年男性陣の列。いつでも頼れる味方だったお父さんや、ちょっと憧れていた村のお兄さんも列に加わっていて、泣きたくなった。


 自棄で全員フサフサにしてやったが、列に加わっていた村長(七十歳)が「フランはかみ様の使いだったのか…」と、泣きながら言われて、それから村で祭り上げられた。はっきり言って、全く嬉しくなかった。訳がわからなかった。


 加護を受け取ったその日から、異様に男性陣が優しくなり、同年代の女子からは避けられるようになった。友達の女の子から「フランちゃんは、私たちとは住む世界が違うんだね…」と言われたけど、私は切に彼女たちと同じ世界に永住したかった。男の人に囲まれているけど、一日に三十回以上髪の話になる生活なんて私は望んでいない。



 そんな私の思いは置いてけぼりに、私の加護の噂はどんどん広がっていった。こんなどこにでもある田舎の村に、多くの人々が訪ねてきたのだ。隣の村の男性陣が列をなし、その更に隣の村の男性陣が列をなし、遂には街一つ分の男性陣が列をなし、とその人数は増えていく一方だった。


 それに村長は、頭の天辺と一緒に行動も若返ったのか、商売根性丸出しで村興しをした。それに便乗する周りと、それについていけない私。半年ぐらい経つ頃には、お忍びで貴族の方や、王族なんて人まで私の下に訪れだしたのだから、もう笑うしかない。何度か誘拐されそうな時もあったが、どっかの大貴族や王族なんかが、私兵を投入してまで私を救ってくれた。もうなんか色々諦めてきた。


 目まぐるしく変わった私の生活。確かに、私の村は裕福になり、みんなは笑顔に包まれた。私だって、おいしいものをたくさん食べられるし、可愛い服も好きなだけ着れるし、周りからはお姫様のように扱われた。私の力で、感涙しながら「ありがとう」と言われるほどの善行をし、多くの人々を幸せにしている。だけど、私の心が晴れることはなかった。


 ……私は、わがままなのだろうか。こんな棚ぼたのような能力で幸せを掴むのは、やっぱり悪い気がしてきてしまう。でも、誰も不幸にはしていないし、むしろ感謝されている。フサフサにすることで誰かの迷惑にもなっていない。様々な男性に囲まれ、権力者の繋がりができ、裕福な暮らしを受け取れる。それの何が不満だと言うのか。そんなことは、私もわかっている。受け入れて、さっさと認めた方が楽なこともわかっているのだ。



 だけどやっぱり、――『髪の子』だなんて言われて、それで崇められる自分がなんか間違っている気がして仕方がないッ! そんなに髪は大切なのかっ!? 貧富関係なく世界中の男共がプライドを捨てて列をなすぐらい、髪の問題って平等なんですかッ!? 十二歳で男性に対する憧れを木端微塵にされた、私の心からの叫びであった。


 自分は若いし健康だし、女はあんまり禿ないから、男性陣の気持ちがよくわからない。だから、こんな力で崇められる自分が、ものすごく居た堪れなく感じたのだ。親しかった友人たちに遠巻きにされ、村では祭り上げられ、誰も私自身を見てくれなくなった。居心地の悪さと同時に、十二歳になるまでの平和で楽しかった日々が、全て塗りつぶされそうなのが嫌だった。


 ……だからだろうか、私があの誘いに乗ったのは。



「『髪の子』であるフラン様に、ぜひ私たちの神殿に来ていただきたいのです。貴女様の力は、もはや一個人や村で終えられるものではなく、国で管理した方が混乱も少なくなると思われます。この村への仕送りもきちんと行わせていただきますので、いかがでしょうか」

「……そうですね、わかりました」


 わざわざこんな田舎の村に、大きな神殿のお偉いさんが村娘一人を勧誘しに来るとは。髪をフサフサに出来ることで、まさか国家レベルを動かし、そして世間すらも混乱させていたとは。髪よ、なんて罪深いんだ。どれだけ根深いんだ、髪だけに。


 あの時から一年経った私に待っていたのは、大神殿で『かみの巫女』にならないかという打診だった。それでいいのか、神殿。君たちの大好きな『神』じゃなくて、どこにでもありふれた『髪』なんだぞ。そう心の中でツッコミながら、私はこの提案を受け入れた。大神殿ともなれば、今までの非ではないほどの人が来るだろう。そして村への仕送りは、私の巫女業の内のいくらかを渡してくれるそうなので、さらに村は潤う。


「大丈夫なのか、フラン。無理していないか?」

「平気に決まっているでしょ。それより、キーヤも頑張りなさいよ。なんたって私は、一番の出世頭なんだから!」


 明るく笑って、私はみんなに挨拶をしていった。正直に言えば、私は今の村から離れられるのならどこでもよかった。心配してくれる幼馴染のキーヤの言葉を、結局将来の禿が嫌だから私に優しくしてくれているのだ、と捻くれてしまうぐらいに荒んでいたから。そんな風にしか見られない自分が、心底嫌だったから。



 そうして、新天地へと向かった私は、たくさんの人に奇跡を起こしていった。今までお忍びだったお偉いさんたちが、巫女様と堂々と会いに来ることも増えた。この世界の男性の髪はフサフサに溢れ、髪の貧困差という社会問題にまで発展したのだ。もうこの世界、本気で訳が分からない。


 『髪の子』として名を馳せる私には、多くの婚姻が舞い込んできた。貴族に王族、中には他国のものまである。その婚姻のどれもが禿の遺伝が根強い家系だったが、私がいれば一気に解決する。私の力で毛根をフサフサに生き返らせるけど、抜けていけばまた毛根はご臨終になる。お金持ちほど、定期的に私の力を頼る傾向があるため、妻にして傍に置きたいのだろう。


 一度フサフサを味わった禿たちが、同じ絶望をまた受け入れることなどできない。「君はまるで麻薬のようだね」って甘い言葉で口説かれたことはあったが、「絶対それ褒め言葉じゃねぇだろォ!」とグーパンしたくなった気持ちを抑える日々。私を守ってくれるカッコいい騎士たちも、知的な神官たちも、権力のある雲の上の人たちも、多種多様なイケメンたちも、……結局みんな禿るのだ。禿に慈悲なんてない。人が死ぬのと同等の定めこそが、禿なのだ。みんなどうせ禿ちまう。


 だから、みんな私に甘い。そんな神が決めた禿の定めを覆せる、唯一の存在だから。同性の女の子から、煙たがられるのも理解できる。私もぶっちゃけ理解できない世界だ。ここに来て、同性の知り合いも確かにできたが、それも夫や家族や恋人の禿をなんとかしてくれてありがとう、とか禿の父親の圧力で、とか――結局根本は禿だ。


 私には、もう禿としか繋がりを作ることはできないのだろうか。必要なのはフランという人間ではなく、『髪の子』の能力だけなのか。髪さえ生えればいいのか。私は、髪以下なのか。そんな悩みを誰にも打ち明けることができず、ただ心に蓋をして黙々と作業を繰り返すだけだった日々。贅沢な暮らしも、イケメンに囲まれることも、周りから崇められる日々も、何も私の心に響くことはなかった。




******




 そんな思いが爆発したのが、『髪の子』となって四年が経った日のことだった。婚姻なんてする気が起きなくて、適当に理由を付けて躱し続けていた私のところに一人の男性が訪れた。その人はこの国の第三王子で、私の婚約者候補に入っていた人物である。


 権力者との面会は、今までにも何回かあった。だから私は今回もいつものように受け入れ、適当に話をして帰ってもらおうと考えていた。彼もある意味で、不憫な人だと私は思う。彼の父親がフサフサ中毒なために、あまり王位に関係がない第三王子を私に宛がうことで、王家に組み込もうとしているのだ。そこに彼の意思はない。禿に翻弄される者同士、と私の中で勝手に同士扱いをしていた。


 ――だけどそんな考えは、本当に私の独りよがりだった。



「ま、待ってください! いきなり押し倒すなんて、何を考えているのですか!?」

「はぁ? 何を考えているのかは、そっちだろう。婚姻も決めずにふらふらして、たくさんの男をはべらせて、良いご身分だよな。いい加減、君に弄ばれるのはうんざりなんだよ」

「そ、そんなこと…。私はそんなつもりではっ!」

「だったら、さっさと決めてくれないかな。好きでもない女を口説く、俺の身にもなってみろ。しかも相手は、加護以外ただの村娘だぞ。たかが加護だけの女に、王位継承権が低いとはいえ俺の将来を勝手に決められるなんて、……ふざけんなッ!」


 手はあげられなかったが、彼の怒声は私の涙腺を崩壊させた。今の現状に甘えていたのは事実。ただ逃げて、流されていただけなのも事実だ。加護だけの女だということも、自分が一番よくわかっている。だから、彼の怒りもわからなくはなかった。父王の命令で晴らせない鬱憤を、数年間彼は溜めていたのだ。むしろこうして本心を打ち明けてくれた方が、私も楽ではあった。


 だけど、私にだって言い分はある。彼の気持ちもわかるけど、私だって好きでこんな風になりたかった訳じゃない。ずっと鬱憤が溜まっていたのは、彼だけじゃないから。私だって、好きな人と恋愛をしたい。髪以外の話だってしたい。私を見てくれる人が欲しい。自分が被害者だなんて言わないけど、それでも加害者のように責められることだけは納得できなかった。


「二、三年は待ったんだ。もう待たされるのはごめんだ。今ここで、俺の妻になると誓え。王家の繋がりさえできれば父も満足だろうから、愛人なら勝手に作ればいい。今まで通り、贅沢な暮らしもさせてやる。ただし君に求めているのは、その髪を生やす加護だけだから、俺や王家に口出しだけはするなよ」

「……――るな」

「……は?」


 小さく漏れた私の言葉に、彼は怪訝そうな顔をする。私は今の自分が、加護だけしかないとわかっている。髪をフサフサにするしか、能がない人間だとわかっている。そんなこと、他人に言われるまでもなく、ずっと……ずっと前からわかっていた。


 だから、贅沢な暮らしができても、決して傲慢に振るわないようにした。わがままだって言わない様に気を付けて、常に色んな人の顔色を窺った。せめて嫌われないように、髪に惑わされず私自身を見てくれる人が現れてくれるように、そんな思いで過ごしてきたのだ。


 だけどそんな小さな私の努力は、周りには伝わっていなかった。彼の言葉から、結局私自身を見てくれる人間なんていない、と思い知らされた。自分の思いに蓋をし続けた、私も悪かっただろう。だけど、本当に私だけが悪かったのか。


 こんな力なんて、いらなかった。こんな力に頼る周りが、許せなかった。どうして私だけが、我慢しなくちゃいけない。禿を救うのが、私の使命なの? 禿のために、私は結婚をするの? 禿を救う力があるのに使わなかったら、私は悪者になるの? そんな一生は、ごめんだった。私がいないと成立しない髪なんて、滅んでしまえばいいのよ。みんなみんな、禿ちまえばいいんだッ!


「ふざけるなは、こっちのセリフよォォッーー!!」


 私の叫びと同時に、見慣れた光が辺りを包み込んだ。それに目が眩んだ相手の隙をつき、私は彼の下から抜け出す。もう何もかもが、私の中ではどうでもよくなっていた。私は完全にキレて、自棄になっていた。今の私の中で渦巻く思いは、ただ一つだけ。


 この世から、髪なんて滅べばいいのだ。この世界のみんなが禿になれば、みんな幸せになれる。醜い髪の争いなんて起こらない。そのための力が、皮肉なことに最初から私にはあったのだから。



「……ッ、ここから逃げられると思っているのか」

「えぇ、簡単に逃げられるわ。貴方からも、この神殿からも、この国からも」

「何を言って」

「ふふ、気づいていないのね。貴方はもう、私に敗北したのよ」

「何を訳のわからないことを――」


 そう言って立ち上がった彼の頭から、バサリッと音を立てて大量にアレが落ちた。その音と落ちたものに、最初はわからなさそうだった彼は、次に自分の足元に広がっているものを見て絶句した。そして、言葉にならない悲鳴をあげ、自身の頭に手をやる。さらに、私の部屋に備え付けられている鏡に映った自分を恐る恐る見て、現実を受け入れたかのように全身を震わせた。


「あ、あっ……」

「私も今まで気づかなかったけど、私の加護は『髪を生やす加護』じゃない。最初の司祭様の印象が強すぎてそう思い込んでいたけど、私の加護の本当の名前は『髪の力の加護』。つまり、毛根を生やすだけじゃなくて、毛根を死滅させることだって思いのままだったってことよ」


 あまりの衝撃にガクリと膝を折り、髪散らかした、失礼――禿散らかした王子はその場に突っ伏した。先ほどまでの騒ぎで人が入ってきたが、誰もが王子の惨状に言葉を無くす。私はそれを気にすることなく、テキパキと荷物をまとめ、扉に向かって堂々と歩いた。


「お、お待ちください。ここを通す訳には――」

「ここで私を気持ち良く通すか、ここで己の髪と永久にさよならして頭の風通しを気持ち良くするか、どっちか選ばせてあげます」


 騎士はさすがの身のこなしで、直立不動で私を通してくれた。その後も私に近づく男も女も全員、『禿』の力で屈服させた。女性なんて、私の言葉を聞いたと同時に全力疾走して逃げ出す。私の行動に冗談だろう、と近づいた男は全員、最初の被害者と同じ末路を辿っていった。


 こうして私は、三年間過ごした神殿を抜け、十六年間過ごした国を抜けた。『髪の子』が、『髪殺し』となったことが、瞬く間にこの世界に広がっていったのであった。




******




 そんな風に啖呵を切って、逃げ出した私だったが、時間が経つにつれて「やっちまったー!」と頭を抱えたのは言うまでもない。それでも、もう一度あの暮らしに戻りたいかと聞かれれば、首を横に振るしかない。あそこには私の意志なんてなかった。あそこでの私は、ただの髪生え製造者なだけだった。もう禿のために自分を殺し、尽くしたくなんてなかった。


 最初はあの時の思いのままに、本当に世界から髪を無くしてやろうか、とも思った。だけど本当にそんなことをすれば、人々を『禿』にするしか対抗手段がない私は当然負ける。禿とは無縁の一般人を、私怨に巻き込むのはおかしいってこともわかる。それに国家反逆罪とかをつけられたら、たまったもんじゃない。私は加護以外、普通の村娘なのだ。


 鬱憤は確かに積もっていたけど、私もそれだけの恩恵をちゃんともらっていた。贅沢な暮らしができていたのは、間違いなく髪のおかげなのだ。それを決して忘れてはいけない。だから、私の中の怒りも抑えることができた。



 村への仕送りはなくなるだろうけど、私はもう十分に恩を返したと思う。まだ十六歳だけど、もう男を見たくなかった。他人と関わりたくなかった。というか、他人の髪を見たくなかった。私の中にある、他人の髪に対する憎悪は消えていないから。もう昔のように、無邪気に禿と接することはできない。この四年間で、私は完全にスレてしまった。


 自分の髪を死滅させるのは、さすがに一乙女としての誇りがある。それでも、短く切って自分からは見えない様にした。それからは、一人で静かに暮らそうと思う。禿とか髪とか関係がない世界で、ひっそりと過ごすのが、自分にとっても周りにとっても幸せだろう。自分は一生分の贅沢をもう堪能したのだから、不満なんてない。


 お偉いさんたちとよく話をしていた私は、国からちょっと外れたところに、もう使われていない居城があることを知っていた。そこまでなんとかたどり着いた私は、ホッと息を吐く。ここまで来る間に通った村で、「毛根死すべし!」という髪殺しの声を抑えつけながら、今まで稼いだ金品と物を交換してきた。そこで手に入れた馬から、日用品や保存食や穀物、その種などをゆっくり降ろしておいた。


 さぁ、ここからが私の再出発だ。この場所こそが、私の世界となるのだ。この小さな世界には、髪も神もいない。大変だろうし、苦労の連続だろうけど、それでも私の心は晴れやかだった。




 そんな生活を始めて、一ヶ月。最初は城の掃除や畑作りに悪戦苦闘した。人一人が生活できるような居住作りは、なかなか難航したけど、それでもだいぶマシになっただろう。これでも十二歳までは、畑仕事やお裁縫、様々な村の手伝いをしてきたのだ。神様の加護なんかよりも、この経験の方がよっぽど私を助けてくれた。


 馬や遊びに来る小動物たちとだけ触れ合う日々に、寂しさがなかったとは言えない。それでも、『髪の子』として崇められていた毎日より、ずっと充実している。久しぶりに血豆ができたり、筋肉痛になったりしたけど、それが楽しかった。あの時の王子の言うとおり、私は根っからの村娘だったのだろう。


 ……だから正直、こんな事態は全く望んでいなかった。神殿を離れ、故郷を離れ、一人暮らしに安心していたが、やはりと言うかなんと言うか、禿(世界)は私を諦めてなんていなかった。私の痕跡を辿り、他人が私の領域に姿を現すのは、そう遠くないことだったのであろう。


「髪の子様! どうかお戻りください、貴女様を待っている方々が大勢いらっしゃるのですッ!」

「私は髪の子なんて、名前じゃありません! 城の中に入ろうとしたら、髪殺しを発動しますからねッ!」


 だが、私は負けるつもりはなかった。降伏勧告を告げてくる神殿の使者に、私は籠城する決意をする。私にとって加護は厄介なものではあるが、私が持つ唯一の武器なのだ。この一ヶ月間、負のエネルギーによって開花した私の髪殺しの能力は、対軍の毛根を死滅できるだけの力を得ていた。この城のテラスから見渡せる範囲なら、遠距離毛根攻撃もできる。まさに『髪殺し』の名に相応しい能力だっただろう。



 それからはまさに、この世界の歴史書やお伽噺で語られるような戦いの幕開けとなった。髪殺しと髪の使徒たちによる髪の聖戦。己の思いと信念、そして執念の全てを賭けた――髪のための戦い。自分のために、そして周りのために、全てを捨てる覚悟までしてこの一ヶ月を過ごしてきた私には、もう無くすものなんてない。今まで言えなかった本音や、髪の逆鱗を容赦なく彼らへと向けて、私は徹底抗戦を行った。


 私の髪に対する憎悪は、まさに毛根だけに根深い。髪不信に陥っている私が、何故髪を救わないといけないのか。謙虚に救い続けたって、髪の争いは一生無くなることがない。それだったら、何もかもが禿になれば、誰も争わずに済む。


 髪は差別を世界に生む。禿こそが平等な世界を作る。髪で戦争が起きるぐらいなら、やはり禿こそがこの世界の救いなんじゃないのか。そんな風に私の持つ負の感情は、少しずつ蓄積されていった。


 最初の頃の彼らは、『髪の巫女』である私を説得しようと、何度も語りかけてきた。貴族や神官や王族、今まで関わってきた人たちや多くの民衆が、私の力が必要なのだと声をあげる。無理な結婚はさせない、自由な時間をもっと作るなど、待遇の改善も言ってきた。だけど私は、絶対に首を縦には振らなかった。


 次には実力行使で来たけど、それだって私は決して諦めることはなかった。寝ている隙に侵入しようとしてきた相手には、奥義『毛刈りバリアー』を城に張って防いだ。遠距離から城を壊してしまえばと大砲を持ってきた相手には、秘技『毛刈りブレイカー』でさらに飛距離を伸ばして粉砕した。


 終盤では、物理的にも精神的にも潔く輝く、スキンヘッド集団が投入された。これにはさすがの私も、膝を折りかけてしまった。髪の魔力に惑わされず、己を偽ることがない誇り高き勇者たち。そんな私に救いの手を伸ばしてくれたのは、村のおばあちゃんから聞いた昔話だった。


 あの話で聞いた聖女様や英雄様には、本来の加護とは少し違う――派生型の加護の力を使ったことで、危機を乗り越えたことがあったことを思い出した。傷を癒す力が、病魔を倒す力へ。雷を操る力が、風や雨を起こす力へ。毛根とは一般的には髪のことを指すが、皮膚の内部にある毛全般のことを指す場合だってある。人間が持つ毛は、髪だけではない。ならば、私の力だって……。


 そうして発動された、秘奥義『毛根死すべし! 慈悲は無い!』によって、髪の聖戦は終わった。私はこの城から出ることなく、向かって来る者以外には決して髪殺しを発動しないことを彼らに誓ったのだ。世界に髪殺しの猛威は振るわないから、もう私のことは放っておいてほしい。それを認めてくれたら、この戦いで失われた貴方たちの全ての毛根をちゃんと元に戻します。



 そんな私の提案に、彼らは力なく頷いた。『髪の誓約書』と呼ばれる約束を交わし、こうして私の周りから髪は消えていった。時々フサフサを夢見る冒険者が城に訪れたが、髪殺しの力の前に全員去っていく。私の噂が広がり出し、田舎の小さな村にも響き渡るようになった頃には、誰も訪れることのない古い城の主となっていた。少し前に訪れた冒険者から、『髪殺しの魔女』と呼ばれた時には、もう苦笑するしかない。


 私は自分から、『髪の子』という地位も名誉も人脈も将来も全て捨てた。そして自ら『髪殺し』となり、人々の希望を裏切り、期待も何もかも捨てて一人になった。傍から見たら、ものすごい転落人生なのかもしれない。だけど、あそこにずっといたって、私はきっと幸せになれなかった。じゃあ今が幸せなのかと聞かれたら嗤うしかないけど、それでも安らぎはある。


 私が神様から受け賜った加護は、たぶん私を幸せにはしてくれなかった。だけど、たくさんの人を幸せにすることはできたと思う。私が生まれ育った村は、村興しをして大きくなって、みんな裕福な暮らしができるようになった。神殿や国だって、私の力で多くの収入を得ることができただろう。髪の子として頑張った四年間で、たくさんの人に夢を与えられたはずだ。きっとみんな、幸せになれたと思う。


 むしろ私が幸せに思えないのは、自分の所為なのかもしれない。『髪の子』である自分を受け入れて、裕福に暮らし続けることを認めて過ごしていれば、幸せだったんじゃないだろうか。第三王子の提案に肯定して、王族の一員となってお姫様になっていた方がよかったのではないか。こんな風に髪を呪うことなく、笑顔で祝福できるようになっていた方が楽だったんじゃないのか。


 そうすれば、私は幸せになれていたのだろうか。



「私って、やっぱり…、わがままだったのかなぁ……」


 ポツリッ、と私の足元に滴が落ちた。私の視界はすぐにぼやけていき、瞳から溢れる涙が止めどなく頬を伝う。誰もいない古い城の屋上で、私は一人声を押し殺して泣いた。


 地位なんてなくても、お金なんてなくても、敬意なんてなくても、よかった。私はただ、私を――フランという一人の人間として見てくれる人が欲しかった。私が国を抜け出した時だって、結局みんな私じゃなくて、『髪の子』を引き留めようとしていた。私の意志なんて、全然聞いてくれなかったのだから。


 フラン様なんて呼ばれることが嫌だった。どんどん私の名前が呼ばれなくなっていくことが怖かった。誰も私の名前を呼んでくれなくなっていったことが、どうしようもなく寂しかった。『私=髪』ということが、どうしても認められなかった。凄い力なんて関係なく、私だけを見てくれる人が一人だけでもいいからいて欲しい。髪殺しとなってしまっても、ずっと捨てられなかった私の思い。


 ――そんな私の願いは、ただのわがままで傲慢なことだったのかな…。






「――フランッ!」

「……えっ」


 人里から離れているため、鳥の囀りや木々の揺れる音と、私の嗚咽ぐらいしか聞こえるはずがない場所で、誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。それに驚いて引いてしまった涙の痕を袖口で拭き、私は声が聞こえた気がした方へ歩き、テラスから下を覗きこんだ。


 するとそこには、城の外に人が一人立っているのが見えた。体格から、おそらく男性で若い方だと思う。遠目からだが、旅慣れた服装と弓を背負っているのが見えるので冒険者だろうか。辺りを見回しても、他に人は見当たらない。もし髪殺しの魔女を退治しようと来たのなら、弓なんて物騒なものは警戒しないといけない。


 上から見渡している私とは違い、彼は下から見上げないといけないため、頭を低くしていれば私が覗いているのはばれないだろう。先ほどの私を呼ぶ声は気になったが、もし城に入って来ようとしたら、『毛刈りブレイカー』を叩き込んでやろうと私は身構えた。


「……あれ? おーい! もしかして今、城の屋上にいるのかっーー!」

「って、なんでわかるのよ!」


 つもりだったが、あっさり私の居場所がばれてしまっていた。慌てて隠れようとしたが、青年は弓を構える素振りを見せず、真っ直ぐ私に向かって手を振ってくる。どれだけ視力がいいんだ。そして、なんでこんなに私に対して友好的な態度なのだろう。実は伏兵が隠れていて、油断した私を……とかないだろうか。


「ねぇ、貴方本当に一人なの!」

「えっ、うん! 一人だけどっ!」

「……じゃあ、今から貴方以外の周辺に毛刈りの雨を降らせるわよ! 本当にいないのなら、問題はないはずよねっ!?」


 今までの経験から隠れている冒険者は、こう言えば慌てて出てくるのだ。しかし、いくら待っても一向に姿を現さない伏兵に、まさか本当に『髪殺しの魔女』なんて呼ばれている私の下に、この青年は一人で来たのかと目を見開いた。


「えっと、あとどれぐらい待っていたらいいかな!」

「……はぁ、もうやらないからいいわよっ!」


 どうもこの青年、調子が狂う。普通毛刈りの雨を降らせるなんて言われて、律義に待つだろうか。彼の周辺に行うと確かに言ったが、本当に私がそうしてくれるのかなんてわからない。悪名高い私の言葉を信じて、しかも本当に一人で来て、よくわからないけど友好的そうで。彼はここに何しに来たんだろう?


 眉を顰めるが、相手はどうやら私を待ってくれているらしい。話し合いで解決できるのなら、私だってそれに越したことはない。だから私は下げていた頭を上げ、青年と同じように真っ直ぐに相手を見据えながら、声を張り上げた。



「それで、わざわざ私に何の用よ!?」

「フランに会いに来たに決まっているだろ! フランのことを聞いてびっくりしたし、心配に思わない訳がないじゃないかッ!」

「なんで、私のこと…」


 先ほど耳に届いた私を呼ぶ声は、やはり幻聴なんかじゃなかった。思わず漏れてしまった声と同時に、私の思考は今まで会ってきた人たちと記憶を照らし合わせていく。しかし、いくら探しても彼のような顧客はいなかった。何よりここまで親しげに私の名前を呼ぶ人なんて、それこそ村の人たち以外には……。


 そこまで考えて、ようやく私は彼が誰なのかに気づいた。遠目からでもどこか見覚えのある顔と、聞き覚えのある声。遠く離れた私をすぐに見つけられたことも、弓を背負っていることも、私に対して友好的な態度も、全てが一本に繋がった。


「……キーヤ?」


 そこにいたのは、三年前に神殿へ私が行くまで、ずっと一緒に育ってきた幼馴染の少年だった。十二歳のあの日まで、いつも一緒に遊んだり、畑の農作業を手伝ったり、くだらないことで笑いあえた私の一番の友達。村を守れる人間になりたいって言っていて、最後のお別れをする日まで、ずっと私を心配してくれていた人。私は息を呑み、カチリッ、と小さく自分の歯が鳴った。



「神殿でのこととか、この城で起こったこととか、交わされた契約のこととか、ずっとフランと話がしたかったんだ! だから村を出て、ここまで俺は――」

「帰って…」

「……フラン?」

「帰って、帰ってよ、キーヤッ! わざわざこんなところにまで来て、裏切り者の私を罵りにでも来たの!? それとも、国や神殿に頼まれて、私を説得でもしに来た訳っ!?」

「なっ、そんなこと言いに来る訳がないだろッ!」


 私の言葉に、彼は目を見開きながら、すぐさまそれに反論を返してくる。だけど、私の心はぐちゃぐちゃなまでに掻き乱れていた。確かに、キーヤにまた会えた嬉しさはある。だけどそれ以上に強いのは、己の惨めさと情けなさと、恐怖という思いだけだった。あれだけ村のみんなに期待されていたのに、私は全てを投げ出して逃げてしまった。私が勝手にいなくなった所為で、村への援助金だってなくなってしまった。


 その事実を、村の人に直接責められるのが嫌だった。村のみんなから、『髪の子』に戻って欲しいと嘆願されたくなかった。どうして『髪殺し』なんてなったんだ、と失望を口に出されるのが怖かった。それも、幼馴染のキーヤに。あの村で一番仲が良かった、大切な友達だった彼に。心配してくれる彼の言葉を、信じたいけど信じることができない、自分の弱さと向き合うことが心底苦しかった。


 このままだと、私はキーヤを傷つけてしまう。酷いことだって言ってしまう。彼の本心がわからなかったからこそ、村での遠い記憶を私は綺麗な思い出として終わらせることができた。だけどここで、今までもらった彼の優しさが、やっぱり将来の禿をフサフサに出来る私のご機嫌取りなだけだった、という言葉を私は聞きたくなかった。


「村のみんなも、フランのことを心配していたっ! 俺だって、フランが無理をしていそうだってわかっていたのに、あの時止めることができなかったことをずっと後悔していたっ。だからフランが神殿に帰りたくないのなら、俺は強制なんて絶対にしない!」

「もう、お願いだから……帰ってよ! そんな慰めの言葉も、優しい嘘だって私はいらないからっ!」

「嘘……?」

「どうせキーヤだって、将来自分の髪が無くなるのが怖くて、私に優しくしてくれていただけでしょ! 私を慰めるのだって、印象が良い方がフサフサになりやすいって考えていたからじゃないの!? 私はもうそんな、薄っぺらい髪同然の関係なんて欲しくない! それだったら潔く髪を無くして、スキンヘッドのように何もかも堂々とさらけ出すように、誰とも関わらずに生きた方がずっとマシよっ!!」


 テラスの塀の上で拳を握り込み、私は思いのたけを言い放った。言ってしまった。私の大切だった思い出さえも、全部無くなってしまったのだ。また歪みだした視界から、手の甲に滴が落ちる。これ以上キーヤを見ていられなくて、視線を足元へ向ける。お願いだから、せめて私が泣きやむまでに、そのまま帰ってくれていることを祈った。



「……そっか、フランはずっとそんな風に一人で苦しんでいたんだな」


 次に彼が私にかけた言葉は、温かい声音だった。決して大きくはなかったキーヤの声は、私のところまで真っ直ぐに届く。先ほどまでは、お互いに叫び合わないと聞こえなかったはずの相手の声。思わず上げた視界に映ったのは、先ほどよりも距離を詰めて、城へと向かってくる幼馴染だった。


「なんで、こっちに来るの? この城には結界が張ってあるのよ。私の秘奥義の力でできた壁に触れたら、キーヤの毛根はっ!」

「確かに俺だって、禿になるのはちょっと怖い。だけど俺の家系は禿が多いから、どうせ俺もいつか禿る。全身脱毛も少し怖いけど、今まで通り狩りだってできるだろうし、見た目は変わるけど俺自身は何も変わらないさ。だったらそんなものよりも、俺が一番怖くて嫌なのは、……このままフランを一人ぼっちの世界で泣かせ続けることだよ」


 そうしてキーヤは、城の入り口の結界の手前まで来てしまった。このままあと数歩進めば、彼は私の秘奥義をその身に受けることになる。それに私は、必死に叫んだ。何を言いたいのかもまとまらない思考で、このまま進もうとする彼を止める様に声を荒げた。



「待って、辞めてキーヤ! 確かに私たちは友達だけど、だからって私の所為でそこまで貴方にしてもらう理由は――」

「あるさ、俺には。三年前に君と別れる前に、いやもっと早く、フランに伝えておけばよかった。君が髪の子になってしまっても、本当はもっと色々話したかった。いつものように遊びたかった。一緒にくだらないことで笑い合いたかった。……俺が欲しいものは、昔も今もこれからも髪なんかじゃない」


 どこか気恥ずかしそうに、だけど真摯に私へと向けられる、彼からの一つひとつの言葉。自分の瞳から零れている涙が、先ほどまで流れていた涙とは、流れる理由が違うことを私はわかっていた。


 崇められていた時も、裕福に暮らしていた時も、地位を手に入れた時も、人に囲まれていた時も、決して感じることのなかった嬉しさが、私の中に生まれていた。ただ純粋に嬉しくて、涙が止まらなかった。


「……昔っから意地っ張りで、強気なところもある癖に、誰よりも周りのことを考えすぎて自滅しちゃってさ。怒ったら怖いし、しかも涙もろいのに、それでもずっと強がって頑張るからいつも冷や冷やしていた。ちょっとめんどくさいって思ったことも、時々あったかもしれない」

「……泣いている女の子に酷いわね」

「うん、だけど、それがフランだろ? 村のみんなのために自分から手伝いをしたり、他の子がやりたがらないことを我慢してやったり、それでもいつも一生懸命に頑張ってさ。そういうところは昔っから、全然変わっていない」


 私の後ろから聞こえてきた声に、真っ赤な目を手で擦りながら振り返った。結界を超え、城の中へ堂々と足を踏み入れ、ここまで来たキーヤはおかしそうに笑っていた。大切な幼馴染だった彼への私の気持ちが、どんどん温かいものへと変わっていく。


 今まで私に声をかけてくれた人に比べて、彼はどこにでもいる普通の青年で、地位やお金だってない。性格だって優しいけど、今みたいにどこか意地悪で、私をお姫様扱いなんて絶対にしない。だけど、私がずっと欲しかったものをくれたのは、目の前の彼だけだった。今の彼は、他の誰よりもカッコよく私に見えた。



「俺はどこにでもいる普通の男だし、ちょっと弓ができるぐらいしか自慢できることはないけど、それでもこれだけはちゃんと胸を張って言いたい。今までフランが見てきた男に比べて、俺は頼りないかもしれない。だけど、君を一人で泣かせることだけは、絶対にさせないって約束する。だから、……フランのこれからを、俺と一緒に生きてはくれないか」


 ……私の人生は、かみによってきっと狂ってしまった。失ったものはたくさんあったけど、でも手に入れたものだってたくさんあったはずなんだ。過去を嘆き続けたって、髪を恨み続けたって、何も変わることなんてない。私は今の私をちゃんと受け入れて、前に進まなくちゃいけない。そうじゃなきゃ、『フラン』という私も、『髪の子』の私も、『髪殺し』の私も、全てを受け入れてくれたキーヤに顔向けなんてできない。


 また目尻に溜まりだした涙を、今度は流れる前にそっと拭き取る。せっかくの彼への思いを、泣き顔なんかで情けなく見せたくない。今だけは意地なんて張らず、自分の素直な気持ちを伝えたいから。


 だから私は、力強く前を見据えながら、笑顔で彼へと返事を返した。




******




「えー! ねぇ、おばあちゃん。髪の子様はなんて、返事をしたのっ!?」

「これは一人の女の名誉として、教えてあげられないわね。だけど、相手の彼の顔は、それは真っ赤になっていたみたいよ」


 おかしそうに笑う私の言葉に、子どもたちは少し不平を言いながらも、そのまま座っていく。ここに集まっているのは、まだ十二歳になっていないぐらいの子どもたちだ。こんなおばあちゃんな私の昔話に、彼らは目を輝かして聞いてくれた。


「その後二人は、どうなったの?」

「その後、古いお城で二人は数年ぐらい暮らしたわ。それからまた国の人が来たんだけど、なんとその時に来たのが、あの第三王子でね。……あの時の謝罪と一緒に、髪についての意識改革の手伝いをして欲しいって頼まれたの」


 最初は驚いたけど、第三王子は本当に変わった。理不尽に髪を失ったショックを自ら乗り越え、髪によって翻弄された世界で、本当の髪の大切さを伝える運動を始めたのだ。訪れた彼に、髪を元に戻そうかと尋ねたけど、彼は笑みを浮かべながら首を横に振った。このおかげで、自分は変われたからと。


 人が生きているのと同じように、髪だって生きている。だから死は悲しく、寂しいものだけど、そんな儚さがあるからこそ人は強くなれるのだ。大切にしようと、慈しむ心が生まれるのだ。ありのままの自分で生きることは、とても勇気がいること。笑われることや、馬鹿にされることだってあるかもしれない。恥ずかしくて、隠したくなるかもしれない。


 みんながみんな、強くなれる訳じゃないけど、それでも決して自分を卑下することなんてない。王子の頼みに始めは恐怖もあったし、すごく悩んだ。だけど、髪の力の加護を持つ者だからこそ、力になれることはある。一人じゃ無理でも、隣を一緒に歩いてくれる人がいるのなら、勇気を持って歩いていけるはずだと思った。


「それからまた数年して、髪の子は神殿に戻ったわ。だけど今度は、ただ髪を生やすためじゃない。髪に悩む人たちに語りかけ、話を聞き、周りに支えられながら一緒に考えることにしたの。理解されない時もあったけど、理解を示してくれる人もいた。『髪の子』や『髪殺し』ではなく、『再生と破壊の巫女』だなんて、大げさな名前で呼ばれることもあったわ。なかなか恥ずかしかった……みたいだけどね」

「うわぁー!」

「髪の力の加護という大きな力をもらった訳は、未だにわからないわ。……彼女がやってきた道が、本当に正しいことなのかなんて、それこそ神のみぞ知ること。それでも、どんな力を持ったのだとしても、決して自分を見失わずに、後悔しない道をみんなは選んでちょうだい。あと最後に、髪はちゃんと大切にしなさいね」

「はーい! 髪がなくなっても、俺も昔の国王様のようにカッコよくなる!」

「あら、それを聞いたら、彼も喜びそうね」


 きっと本人が一番驚いたであろう地位に就き、真っ直ぐに国を導いた古い友人を思って、私は微笑んだ。



「……フラン、やっぱりここにいたのか。もう寒くなってきたし、帰らないか」

「あっ、キーヤ。うん、それじゃあみんな。風邪をひかない様に、早く家に帰りなさいね」

「わかったよ、おばあちゃん。お話聞かせてくれて、ありがとう!」


 楽しそうに笑う子どもたちに見送られながら、私は迎えに来てくれた彼の下へと歩く。最近少し足が悪くなった所為で、ゆっくりにしか歩けない私を、彼は急かすことなく待っていてくれた。彼の頭の上は相変わらず寒そうだったけど、お互いに皺になった手を握り込むことで、心に沁み込むような温かさを感じられた。


 そうして私たちは、今日あったことを話しながら笑って帰路についた。



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[良い点] 壮大なスケールのコメディでしたw [気になる点] 髪を無くした第3王子は理不尽でもなく自業自得かと。 髪生やすためだけに侍ってる人達にときめく訳がないし、何より急に襲われるとか恐怖以外のな…
[良い点] 素晴らしい話でした。 [気になる点] かみの力で髪型は変えられないのかな? 変えれたら女性も列をなしてたかも。 攻撃は多彩にハゲしくなったかな。 [一言] 遠距『離毛根』攻撃と読んでしまい…
[一言] まさか髪で感動して泣くとは思いませんでした……。幼馴染みがイケメンすぎて笑 面白かったです!これからも頑張って下さいね(*・ω・人・ω・) 応援してます♪
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