最終話 後編
(神谷視点)
「……外に、出ちゃったわねえ?」
グラウンドを見渡しながら、山下さんがそう言った。
私、遠藤さん、柳崎さん、山下さんの4人は、あの化け物から必死に逃げている内にいつの間にかグラウンドに出てきてしまっていた。
いつの間にか夜になっていたらしく、少し暗い。
「で? これからどうするんだい? このまま帰るって訳にも行かないだろう?」
「そうですね。まだ中には数人残っていますし、佐藤君の居場所だって分かっていませんから……」
そう言いながら、私は学校の方を見る。
恐らく、校内には私達以外の人達がまだ残っている。
松伏さんに、丑満時さん。新見先生。霊界堂先生。後藤君。
――それに、いるかどうかは分からないけれど、多分、佐藤君も。
何とかしてあの化け物をどうにかしなければ、全員は助からない。正直、私達だけ助かっても、意味はない。……でも、どうすれば。
ふと、私の服の裾が軽く引っ張られている感覚がした。感覚がした方を向くと、柳崎さんが私の方をじっと見ている。
「……どうかしましたか、柳崎さん?」
私がそう聞くと、柳崎さんはグラウンドを見渡し、再び私の方を見て言った。
「……ここ」
「ん?」
「……ここに、あいつ、連れてくることが出来れば」
柳崎さんの話の途中で、山下さんが「ああ!」と口を開いた。
「確かに、ここであいつをおびき出す事ができればなんとかなるかもしれないわね! ここグラウンドだから広いし、学校に大きな被害が出ない!」
「……問題は、それを誰がするかだが」
遠藤さんがそう言った後、再びその場にいた全員が黙り込んだ。
が、暫くして柳崎さんの携帯が鳴った。メールだろうか。柳崎さんは自分の携帯を確認すると、そのまま固まった。
「どうかしたのかい?」
遠藤さんがそう聞くと、柳崎さんは黙って携帯の画面を私達に見せた。
それはメール画面。しかも、相手は松伏さんからだった。
『佐藤光輝を発見した。今2人で謎の部屋にいる。奴がいる。身動きが取れない』
「佐藤君、いたんですか!?」
驚いたように私がそう言うと、柳崎さんはコクッと頷いた。
その後、柳崎さんは携帯を再び自分に向けると、メールの返信をして携帯をしまった。
「……今、2人にここに奴を連れてくるようにと返した。これで、奴は、ここに来ると思う」
「あの2人を囮にするっていうのか!?」
「……全員、助かる為」
柳崎さんは何処か力強くそう言った。その様子に、私達は何も返せなかった。
……無事に、ここまで来てくれるといいのだけれど。
私はそう願いながら、再び学校の方を見つめた。
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(松伏視点)
「……ハァ!?」
柳崎からの返信に、私は思わず小声でそう言った。
佐藤が、不思議そうに私の方を見る。
「どうしたんだよ一体?」
「……あいつを、グラウンドに連れて来いと」
「ハァ!? 俺達囮扱いかよ!?」
柳崎からの返信内容を佐藤に伝えると、佐藤は小声でそう言った。
「つーかどうやってグラウンドに連れてきゃいいんだよ? あの『蛇神様』結構でけえからこっちは出口塞がれてんだぞ?」
「……だが、そうするしかなさそうだしな、現状」
そう小声で話しながら、私達は隣の部屋の方を見る。
――『坂杜様』も『猫叉』も、正直危うい状況だった。
特に『猫叉』は倒れており、動く気配も見せない。『坂杜様』の方は何とか動けてはいるが、体中に傷を負っている。このままでは『坂杜様』も危ないだろう。
だが、どうすれば。私はあらゆる解決策を考えながら自分が今いる部屋を見回した。
「……ん?」
ふと、後ろの壁が何処か不自然な気がして、私は壁に近づいた。
その様子を見た佐藤が「どうした?」と聞く。
「……何だ、この不自然な亀裂は?」
壁にあったのは、何処か不自然な亀裂だった。何かしなければ、おそらくこんな亀裂は入らないだろう。
それにこの壁、少し殴るか蹴るかすれば崩す事ができる、ような。
「……佐藤」
「おう」
私が佐藤を呼ぶと、佐藤は何かを察したように、壁から少し離れた。
私も同じように少し離れると、佐藤は一つ深呼吸をして、そのまま助走をつけて壁を蹴った。
――ガラガラガラ……。
私の想像通り、壁は崩れ、そこに道が出来ていた。
が、同時に。
「……!?」
『蛇神様』が、こちらに気づいた様子だった。
『坂杜様』もこちらに気づいたようで、私達の方に駆けてきた。
「阿呆! 何をしておる! ……というか道があったのか!?」
「『坂杜様』! 多分話してる暇ねえよ!」
佐藤と『坂杜様』がそう話している間にも、『蛇神様』は私達を襲おうとしている。あれは獲物を狙う目だ。
「クッ……。乗れ!」
「ハ!?」
「いいから乗れ!!」
『坂杜様』の言葉に圧倒され、私達は『坂杜様』の背中に乗った。
『坂杜様』は「しっかり捕まっておけよ!」と言い、そのまま出来た道を駆けた。
後ろを振り向くと、『蛇神様』が追いかけてくるのが見えた。凄いスピードだ。『坂杜様』も負けてはいないのだが。
「なあ、ところでこの道どこに繋がってるんだろうな?」
佐藤の質問に答えたのは『坂杜様』だった。
「さあな。唯、これはあくまで憶測なのだが、この方向は確か――グラウンドだ」
「グラウンド!?」
佐藤も私も、驚いたようにそう言った。
「だから、あくまで憶測だ。本当にグラウンドに着くかは分からん。だが」
「分かっている。とにかく進むしかないんだろう?」
「……察しが早くて助かるぞ、松伏よ」
そうだ。確かにこのままグラウンドに出るなら柳崎の作戦通りになるのだが、そうとは限らない。が、進むしかない。今はただ、進むしかないのだ。
少しの期待と『蛇神様』に追いつかれるかもしれないという不安とその他諸々で頭の中がごちゃごちゃしている。……少し整理しておかなければ。だがそんな余裕は。
いつの間にか、遠くに小さな光が見えた。
「……! 出口だ!」
思わずそう叫ぶが、本当に出口なのだろうか。
不安がよぎる中、私達を乗せたまま、『坂杜様』は光の方へと突っ込んでいった。
「……夜!?」
佐藤がそう叫ぶ。
光に向かって走った先は――『グラウンド』だった。
「……! 柳崎!」
私が柳崎の名前を呼ぶと、柳崎は声に気づいてこちらを振り向いた。
『坂杜様』はそのままグラウンドにいる集団の前で止まった。
私達はそのまま『坂杜様』の背中から降りると、先程出てきた方を見た。
「……連れてきたぞ、奴を」
『坂杜様』がそう言った瞬間、先程出てきた方から『蛇神様』が姿を現した。
――あの部屋の壁に描かれていた、あの姿だ。
「あれが……あの化け物なの……?」
山下が、少しずつ後ずさりしながら私にそう聞いてきた。
「……『蛇神様』というらしい。だが、『坂杜様』から色々聞いた。簡潔に言えば……、奴は、危険だ」
そんな事を話していると「松伏さん!」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
声がする方を向くと、学校の方から数人出てくるのが見えた。丑満時達だ。
丑満時は佐藤の姿が見えたのを確認すると一瞬立ち止まり、その後佐藤の方に駆けよって抱きついた。
「佐藤君! 佐藤君無事だった! 良かった……!」
丑満時は泣きそうな声でそう何度も言っていた。よほど心配だったのだろう。
一方、霊界堂先生と新見先生の方は、『蛇神様』の方をじっと見ていた。
「……なんていうか……すげえな」
「凄い気や……。……どないして封じ込めば……」
2人も、驚きを隠せない様子だった。おそらく、想像以上に危険な奴だという事を覚ったのだろう。
と、『蛇神様』の頭がゆっくりと――私の方を向き、口を開いた。
――まずい。
「松伏!!」
新見先生の声が聞こえたとほぼ同時に、『蛇神様』の頭の一つが私に向かって襲い掛かって来た。
まずい。このままでは。だが、目が逸らせない。――足が、動かない。
このまま、死ぬ?
そう思っていたのだが、ふと我に返った時には、新見先生が私に抱きつくような形で、私と共に右側に避けた後だった。
「新見先生……!」
「無事か、松伏!?」
「私は、大丈夫ですが、新見先生、足が……!」
そう言いながら、私は新見先生の足の方を見る。左のふくらはぎから出血しているのが見えた。
新見先生は「かすり傷だ。問題ない」と返し、立ち上がった。
『蛇神様』は頭を戻し、再び標的を探すように動かしている。次は誰だ。誰を襲うつもりだ。
――と。
「させぬ!!」
『坂杜様』が、『蛇神様』の首の一つに、勢いよく突進していった。
突進された首は少し動き、流石に痛かったのか、それを合図に全ての首が『坂杜様』の方を向いた。
――すると、『蛇神様』のものと思われる声が聞こえてきた。
『……貴様、何故人間の味方をする?』
「あいつ喋れたのか!?」
佐藤が驚いた様子でそう叫んだ。
『坂杜様』は、尚も『蛇神様』を睨みながら、奴の問いに答えた。
「……それが私の『宿命』だからだ」
『【宿命】など、今の人間共に必要だと思うか? 現に、貴様が此れまで守ってきた奴等は何も思っておらぬではないか。【宿命など自らの手で変えるもの】だと、そう言ったのは貴様の方だぞ』
「……ほう。そんなちんけな蛇頭でもそんな昔の事を覚えておったとは意外だな。だが、私が守ってきた人間が、私に対して誰も何とも思っていないとは限らんぞ。……少なくとも、あやつらは」
そう言いながら『坂杜様』が指差したのは、佐藤、丑満時、そして私の3人が集まっている所だった。
丑満時が、『坂杜様』の言葉に答えるように言った。
「私ね、『坂杜様』がいなかったらね、『ユーレイさん』に『殺されちゃう』所だったんだよ! 自分の命を助けてくれた人に何も思わないなんて、そんな事ある訳ないよ!」
「俺だって、何度も『坂杜様』に守られてきた! 確かにちょっと酷い事は言ったけど……。けど! これでも感謝はしてる! 本当だ!」
――そうだ。私も、佐藤も、丑満時も。皆、何かしらの形で『坂杜様』に助けられてきたのだ。……その中でも、特に。
「……『坂杜様』がいなかったら、今の私はなかったかもしれない。昔の、『男としての松伏銀河』のままだったかもしれない。……勇気をくれたのは、間違いなく、『坂杜様』だ。……だから」
私は、『蛇神様』に近づきながら言った。
「……もしも、それでもお前の怒りが収まらないというのであれば――この私が、犠牲になる」
――その場にいた全員が、驚いたように私の方を見た。
「おい紀和子……、それ本気で言ってんのか!?」
「私はいつでも本気だ。お前なら分かっているだろう?」
「やめて松伏さん! 松伏さん死んじゃうよ!」
「……すまない丑満時。だが、皆を守る為だ。『坂杜様』も、恐らくもう限界だろう」
そう言いながら、私は『坂杜様』の方を見る。
その体は傷だらけで、それでもなお立ったまま、私の方を見つめていた。
「……貴様は、本当にそれで良いのか?」
『坂杜様』が聞く。私は「ああ」と、迷わず返答した。
「少しの間だったが、私はちゃんと、『女としての松伏紀和子』として生きることが出来た。もう、この世に悔いなどないさ」
そう返すと、『坂杜様』は少し間を置いた後、「……そうか」と返した。
私は、再び『蛇神様』の方を見て続けた。
「……だが一つ約束しろ。『他の奴等には絶対に手を出すな』。他の奴等を食す事も、傷つける事も許さない」
『……良かろう。貴様の其の度胸に免じて約束してやろう。だが、貴様が自らを犠牲にしてまであいつ等を守ろうとする其の気持ちは分からぬがな』
「……お前には、一生分からないだろうな」
そう言って、私は『蛇神様』に更に一歩近づいた。『蛇神様』は首を動かし、口を開けて私を喰らう準備を始めている。
――私は、もう充分好き勝手生きた。
佐藤や丑満時には悪いが、もう、良いんだ。充分だ。
それに、どの道私の命は、――『もうそんなに長くない』のだ。
これは、新見先生にしか伝えていない事なのだが、つい先日『白血病』と診断された。余命は――もって2年。
神様は、私が嫌いらしい。どうしても、試練を与えたいらしかった。だったら、このまま死にに行くしかない。
……だから、もう。
――ふと、後ろから抱きしめられる感触がした。一瞬佐藤かとも思ったのだが、この感触は、違う。佐藤じゃない。
「……新見、先生?」
――間違いなく、新見先生だった。
新見先生は、私を抱きしめたまま一つため息をついて言った。
「……お前なあ。折角俺がさっき助けてやったってのにそれはないだろう?」
「……すみません。あのまま喰われて死んでも良かったのですが」
「俺の立場的に良くねえよ。……だがな、お前がそれを選んだんだ。本当に後悔してないのなら――俺も、一緒に死ぬ」
そう言った新見先生の腕は、なおも私を抱きしめたまま話さない。どうやら、新見先生の決意も固いらしい。離すつもりは、ないようだった。
「……新見先生には、何言っても無駄ですからね」
「ハッ。分かってるじゃないか」
「一度やると決めたらとことんやる。……頑固野郎ですからね、貴方は」
「うーっわ、言うねえ」
そう言いながら、新見先生は漸く私から離れると、すぐ隣にきて『蛇神様』の方を見て言った。
「さーて。そういう事だ。文句ないだろ、『蛇神様』?」
『……ますます分からんな、人間というものは』
『蛇神様』は、そう言って口を開けながら、その頭をゆっくり私達の方に近づけた。
周囲の声が。佐藤や、丑満時の声が聞こえてくる。何度も私や新見先生の名を呼んでいる。
私は、その声を遮断するように、ゆっくり目を閉じた。
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(佐藤視点)
――紀和子と、新見先生が、喰われた。
二人が、犠牲となった。
横で、真梨恵のすすり泣く声が聞こえてくる。周りを見ると、何人か泣いているようだった。柳崎は、『蛇神様』の方を見たまま動かない。霊界堂先生も、泣いている生徒をなだめつつ、何とも言えない表情をしていた。
『蛇神様』は、暫く周囲を見渡すと、俺達が出てきた穴の方へと戻って行った。
『約束は約束だ』と、そう言い残して。
後を追おうとして動くと、真梨恵が俺の腕を掴んだ。真梨恵の方を見ると、真梨恵は涙を浮かべながら、首を横に振った。
――『紀和子や新見先生の勇気を無駄にするな』と、そう言いたげな表情だった。
『蛇神様』は、再び永い永い眠りにつくのだろう。――俺達から、親友を、信頼する先生を、奪ったまま。
だが、どうする事も出来ない。出来ないのだ。
俺は、『蛇神様』が戻った方を見つめたまま、小さく「畜生……」と呟いた。
ふと俺の右隣を見ると、神谷先生がいつの間にか来ていた。
神谷先生は、俺と同じ方向を見ながら話し始めた。
「……私、新見先生と同期なのですが、ある時、相談された事があるんです。『自分の生徒を好きになってしまった。どうすれば良いと思う?』って。……悔しい事に、私、何も答えられませんでした。けど、今になって思えば、新見先生が好きになったのって、多分松伏さんの事だと思うんです。でなければ、あんな行動」
神谷先生の話に、俺は何も答えられなかった。
今は――その両人とも、いないのだから。
「……あっ」
真梨恵が、空を見ながら口を開いた。
――いつの間にか、少しずつ、朝を迎えようとしていた。
【エピローグへ続く】