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8〜狙われた子供



「MRI検査の結果、コナン君の脳に損傷は見られませんでした」

レントゲン写真を小五郎と蘭に見せた風戸は、バックライトの電気を消した。
そのままデスクチェアへと向かう。
腰掛けた椅子は、ギシッ、と接続部が鈍い悲鳴を上げた。

「やはりコナン君の記憶喪失は、自分を精神的ダメージから守るためのものですね」
「そうですか…」

平次が腰掛けるソファの向かいに座った蘭は、悲しそうにうつむいた。

「つーことは、コナンをあのホテルへ連れてって、もう一度事件を再現すれば記憶が戻るんじゃ…?」
「はぁ?」
「何言ってるのよお父さん!」

蘭の隣に座った小五郎が思いつきで言った言葉は、娘と関西の少年に思いっきり反対される。
特に蘭は父に、ものすごい剣幕で詰め寄った。

「そんなの駄目よ、可哀想じゃない!!」
「じゃあ何か?コナンがお前のこと思い出さなくてもいいってのか!?」
「違うわ、コナン君の心の傷をえぐるようなやり方に反対なの!」
「俺も姉ちゃんの意見に同感や。無理に思い出させたら余計に傷つけるんとちゃうか?」

早く記憶を取り戻させてやりたい、という小五郎の心と、
記憶を隠すことで塞いだ傷口を開かせてまで、思い出させることはない、という蘭と平次の心。
三人が行き着く先は同じ場所なのに、その思いは空回りする。

「まぁまぁ、皆さん落ち着いてください」

高ぶる感情と一緒に大きくなる論争に、風戸の穏やかな声がストッパーとなる。

「確かに彼の言うとおり、無理に思い出させようとすると脳に異常をきたす恐れがありますので」
「ほれみぃ」

バックに正論が味方に付いた高校生に、小五郎は負けを認めざるを得ない。
小五郎はぐっと言葉を飲み込んだ。
再び最善策を考え始めた小五郎を見て蘭が姿勢を正したとき、部屋の電話が鳴り響いた。

「失礼」

風戸は先に断ると、椅子のキャスターを転がして子機に手を伸ばす。

「はい、風戸です。…はい、分かりました。電話してみます」

用件は短いものだった。一度会話を終了させた風戸は、左手でボタンを押す。
そのまま再びスピーカーに耳を傾けた。

「…ねぇお父さん、服部君の言うとおり、もし本当にコナン君が犯人の顔を見てたらどうしよう…?」

風戸の動作をぼんやりと見ていた平次の耳に、心配そうに呟いた蘭の声が飛び込む。
彼女の表情は声音と同じで、愛らしい顔がうつむく。
そんな娘の様子に、小五郎は蘭の肩に手を置いて笑いかけた。

「さっき警部殿に連絡した。千葉と高木を警護に回してくれるそうだ」
「でも、早く犯人捕まえなあかんな。坊主が危険なことには変わりあらへん」
「そうだよね…」

そこで、風戸が姿勢を戻す。
どうやら電話の相手は留守らしく、繋がらないようだった。


「先生、無理に思い出させようとしないで、コナン君の記憶が元に戻る方法はありますか?」
「そうですね…。一般的には、リラックスした状態のときにふっと思い出すことが多いですね」

蘭の問いかけに、風戸は微笑んで答える。

「じゃあ、コナン君の記憶が戻る可能性はあるんですね?」
「十分にありえます」

コナンを傷つけずに、記憶が戻るかもしれない。
風戸の言葉に、蘭は嬉しそうに笑う。

丁度そのときだった。
二回、控えめなノックが部屋に響く。
「どうぞ」と風戸に促され、扉を開けたのは若い女性看護師。

「先生、警察の方が毛利さんにお見えです」

どうぞ、と後ろの彼らを中に促し、彼女は下がる。
代わりに姿を現したのは、目暮と高木、千葉だ。
心強い人物の登場に、小五郎は席を立った。

「警部殿!お待ちしていました!!」
「あぁ。詳しい話を聞かせてくれないか?病室には先に佐藤君が向かった」
「分かりました。では、病室へ行きましょうか」




風戸に礼をのべ、部屋を後にした彼らは、そのまま病室へ向かった。

診断結果を聞いている間、病室には和葉と、先に病室にきた佐藤が残っていた。
記憶が戻るかもしれない、という一縷の望みを背負わされ、命を狙われているかもしれない、という見えない恐怖を影に潜ませたまま、ただ静かに眠るコナンの傍を離れることはできなかった。

「和葉ちゃん、ありがとう。コナン君は?」
「あ、蘭ちゃん。さっき起きて少し話ししてたけん、水飲んだらすぐに寝よったよ。話終わったん?」

ノックと扉が開いた気配で、佐藤と話をしていた和葉が腰を上げた。

ベッドで眠るコナンのあどけない表情を見て、蘭の心も少しだけ安らぐ。
怪我がなくてよかった。この子だけでも無事でよかった─コナンの姿を見るたびに、蘭はそう思う。
新一が守ってくれたおかげだ。
例えそのことでコナンが傷ついたとしても、新一はコナンを守ったことに後悔なんかしていないと思うから。

「うん。脳に傷はなかったから、後は自然に戻るのを待つしかないって」
「そっか。…そっちの人も刑事さん?」

和葉は入り口近くで目暮達と話をする平次と小五郎を見やる。
真剣な眼差しで会話をする彼らが、すぐに刑事だと分かったのはさすが刑事の娘か。
佐藤のことを聞かなかったのは、先に自己紹介をしたのだろう。
人懐っこい和葉と佐藤なら、すぐに打ち解けたはずだ。

「そうなの。目暮警部に、千葉刑事に、高木刑事。さっき電話したら、すぐに来てくれたんだ」
「そっか。刑事さんがガードしてくれはるなら、コナン君も安心やな!」
「そうね」

彼女達は、眠るコナンの顔を見つめて笑った。


「蘭さん…本当にごめんなさい」
「え…?」

少し崩れたコナンのシーツをかけなおしていた蘭に、歩み寄ってきた佐藤が話しかけた。
何の理由で謝られたのか、最初は全く思いつかなかった蘭はきょとんと見返す。
佐藤は、酷くつらそうに顔を歪めた。

「私のせいで、工藤君やコナン君を巻き込んでしまった…本当にごめんなさい」

そういって、佐藤は頭を下げた。

はじめは、新一自身も興味本位だったのかもしれない。
亡くなった友成警部のために、純粋な意思で謎を解こうとしている彼に、佐藤の気が緩んだのだ。
彼女は忘れていた。いくら賢くて、運動神経も良くても、彼は一般人。

犯人の行動は警察の予想の範疇を上回り、二人を殺害、事件の捜査をしていただけの新一まで、狙われた。
もし、新一に捜査協力を頼まなかったら。
新一の命が狙われることはなかったかもしれない。
コナンの記憶が失われることはなかったかもしれない。
今回の事件に一般人の彼らを巻き込んだのは、紛れもない自分だ。


佐藤には、記憶を失ったコナンの気持ちが良く分かる。
深く頭を下げ、拳を握り締める彼女の肩に、蘭はそっと手を置いた。

「…お願いします、顔を上げてください。佐藤刑事」

顔を上げた佐藤の目に入ったのは、綺麗に微笑む蘭。

「確かに、佐藤刑事が事件の捜査を頼まなかったら新一は撃たれていなかったと思います。でも、佐藤刑事の命が狙われていたかもしれないでしょう?
このことは予想していなかったと思うけど、新一が探偵を名乗る以上、危険と隣り合わせにあることを新一も知っています。だから、新一は大丈夫です」

これからは事件にすぐ首を突っ込まなくなると思いますよ?
蘭は、そうおどけてみせた。
その表情は優しい。

「だから佐藤刑事、そんなに自分を責めないでください。悪いのは佐藤刑事じゃなくて、犯人なんです。 佐藤刑事は、犯人を捕まえることに専念してください」
「…えぇ。必ず捕まえるわ。奈良沢警部や芝刑事のためにも、工藤君のためにも」

少女の願いをかなえるために。
一般市民の安寧のために、それが警察官としての使命。
強い光が戻った佐藤を見て、蘭と和葉は安心したように頷いた。



「俺が小僧ん部屋におったとき、扉の外に気配感じたんや。そしたら、その前に子供らが遊びきとった時もおんなじようなこと言いよった譲ちゃんがおんねん。しかもあの坊主、工藤と一緒に襲われたんやろ?ご丁寧に用意された懐中電灯で照らされた顔、見ててもおかしないやんけ」
「確かに俺も、そう思った。もし見ていなかったとしても、犯人がコナンの命を狙う可能性は十分にありえる…顔を見られたかもしれないと思ってもおかしくはないだろうな」

一方、平次たちは入り口の傍で、話をしていた。

平次は現場を見ていない。あくまで蘭の話を聞いただけなのだ。
それでも、コナンが命を狙われるかもしれないと危惧した理由は、その事件の凶悪さ─拳銃という死亡の確実性が高まる凶器を使用したこと。
白昼堂々、人通りの多い交差点て撃たれた奈良沢や、いつ人が出入りするか分からないマンションの地下駐車場を犯行現場に狙ったこと。
一般人の、新一の命をピンポイントで狙ったその計画性、異質さ。
そして、先ほど平次が感じた何者かの気配─子供に向けられるものではない、ギラギラとした殺気。
平次ですら、背筋がぞくりと冷えた。
それらを踏まえての意見だった。

「顔見てても見てなくても、この坊主守らなあかんで。犯人はコイツねろてるかもしれへんし」
「あぁ…そうだな。毛利君、確かコナン君の退院は二日後だったな?」
「はい、脳の損傷はなかったので」

小五郎の言葉を聴いて、目暮は手帳を取り出した。

「…高木君と千葉君に交代でガードさせる。今日は高木君だ。後、退院後は家の前で張り込ませてもがうが、いいかね?」
「えぇ、よろしくお願いします」

「では、頼んだぞ高木君!」
「分かりました!!」

背筋を張る高木に目暮は力強く頷いた。
外から話を聞いていた蘭も、彼らに頭を下げる。

もしかしたら警察関係者に犯人がいるかもしれないという、危険と隣り合わせのこの状況でもなお、
蘭は彼らを信頼し、頭を下げたのだ。
信頼しているという、純粋な心で。
その姿に、彼らの意思は燃えた。
絶対にコナンを守って、犯人を捕まえなくては。


「警部、本当にありがとうございます」
「安心してくれたまえ、蘭君。犯人は我々警察が、絶対に逮捕するから」
「はい。よろしくお願いします」


目暮の強い科白に、蘭は微笑んだ。




全ては、この子供のために。






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