10〜夢の中の新一
─だれ?
『……ン』
─だれなの?
『…ら、……わ…た……』
ノイズがかかっって、聞き取れない。
優しい声なのに。
誰なんだ?
『ま…、…てて…』
何を言いたいの?
どうして楽しそうなの?
青く高い空。
噴水のカーテン
七色の橋。
吹き上げるコーラ。
自分に微笑む、二人の笑顔。
切り取られた写真のように、その光景が鮮明にうつる。
『コナン』
『コナン君』
優しげな声で名前を呼ばれる。
どうして、僕のことを…
「─こら、はよ起き!」
突然の衝撃で夢から覚め、目だけパチッと開かれる。
その開いた目とは反対に、起きたばかりの脳にその情報を処理しろ、というのはいささか難しい。
混乱する脳で処理しているコナンの大きな目に、映ったのは平次の顔。
「平次…お兄さん?」
「やっと起きたな、坊主?今和葉と姉ちゃんが飯作っとるさかい、はよ着替えろよ?」
「あ、はい…」
布団から起き上がったコナンを見て、平次は満足そうに部屋を出て行く。
パジャマを脱ぎ、蘭が用意したと思われるパーカーとズボンに着替え、阿笠が直してくれたメガネをかける。
パジャマを畳みながら、コナンは未だに鮮明に残る夢を思い返した。
あの、夢。
自分の名前を呼んで微笑んだ人…一人は蘭だった。
もう一人は、分からない。まだ会っていない人だった。
蒼い瞳、いたずらっぽい顔で彼は笑っていた。
年齢的には、蘭や平次と同じくらいなのだろう。
二人が呼んだ、「コナン」の名前。
この前聞いた、自分の名前だ。
何故か夢の中の二人が自分を呼ぶと、「コナン」は自分の胸にストンッ、と綺麗に収まった。
わかる。自分はコナン。
そう言ってくれているようだった。
これは、記憶が戻ったことになるのだろうか。
「あなたは…だれ?」
朝食の準備が整い、再び平次に呼ばれるまでの僅かな時間に、
コナンは自分の瞼の裏に残った夢の残像から、彼の顔を思い出していた。
雨が止み、からりと晴れた次の日。
毛利探偵事務所の前に、勇敢な子供たちの姿があった。
「え、コナン君のボディガード?皆が?」
蘭は腰を折り、前かがみの姿勢で子供たちに問いかけた。
子供たち─元太、光彦、歩美は、誇らしげな笑顔で頷いた。
「もしかしたら犯人に命狙われてるかもしれないって、高木刑事に聞いてよ!」
「それで、私たち少年探偵団で守ることに決めたのよ!」
「コナン君は、少年探偵団の一員ですからね!」
唐辛子入りの水鉄砲、おもちゃの手錠、ブーメランを各々持った彼らは、実に自身に満ち溢れた顔をしている。
その姿をほほえましく思うも、蘭は心配そうに呟いた。
「でも…危なくないかな?」
「大丈夫やて。ごっつぅ心強いやんか。な?」
それとは反対に、平次は実に楽しそうだ。
階段に座って話を聞いていた平次は三人の前にやってくると、しゃがんで視線を合わせてから歩美の頭をなでた。
「ほー、からし入りの水鉄砲か、こら犯人ひとたまりもあらへんなぁ。俺やったら逃げるよって」
「だろ!?」
「犯人捕まえるには手錠必要やし、このブーメランも中々ナイスやで。犯人驚かせてやらな」
コナンを守りたいと思う強い気持ちは、蘭にも平次にもよく分かる。
それは、例え記憶を失っているとしても、彼らにとってコナンが大切な友だからだ。
「コナンのやつ、しっかり守ってくれな。でも、これは覚えとき。何よりも優先するのは犯人の確保やのうて、みんなの命や。分かるな?」
だからこそ、平次は念を押して問いかけた。
コナンを守るために、誰かが命を落としたり傷ついたりすれば、目の前で新一が撃たれた現場を見ているコナンはさらに傷つき、自分を責めるだろう。
もしかしたら、さらに記憶を奥に閉まってしまうかも知れない。
自分の命を守れなければ、他人を守ることなどできないのだから。
「うん!」
「コナン君も、誰かが怪我するのは嫌だと思います!」
「みんなもぜってー守るからよ!」
力強い言葉に、三人もしっかりと頷き返す。
その返事を聞いて、普段のコナンもこれくらい素直だったら可愛げがあるものを、と思いつつ、ほっとした平次は立ち上がった。
「上にコナンたちおんねん。上がってくやろ?」
「冷たいものご馳走するわ」
いそいそとアイテムをしまっていた彼らは、蘭の言葉に目を輝かせた。
我先にと階段を駆け上る元太の先、歩美は何かを思い出したかのように、立ったままだった哀を呼んだ。
「あのね蘭お姉さん、これ、博士から借りてきたの!」
そういった歩美の言葉に、哀が蘭に渡したのは、白い表紙のフォトアルバム。
これには蘭も見覚えがあった。
「ありがとう歩美ちゃん、哀ちゃん。重たかったでしょ?」
「いいえ、平気よ」
再び哀にそれを返すと、蘭も思いついたように呟いた。
「そうだ、うちにあるアルバムも取ってくるわ。先に事務所に行っててくれる?園子がいると思うから」
「はーい!」
「あ、これ、運動会の写真ですね!」
「この時ね、クラスリレーで一番になったんだよ!アンカーがコナン君で…」
机の上には、綺麗に平らげられたカキ氷のグラス。
中には解けた氷に混じり、色とりどりのシロップの残りが浮いている。
クーラーの聞いた事務室に、部屋の主はいない。
名探偵が事件を依頼し、解決するはずの部屋は今、子供たちの和気藹々とした声であふれかえっていた。
ソファの一つを占拠した子供たちはコナンにアルバムを持たせ、彼を中心に腰掛けて横や後ろから共にページを開き、その都度楽しげに思い出をかえらせている。
今見ているページには五月に行われた運動会の写真が貼られていて、青い空をバックに、赤地に黄色い刺繍で“1”と書かれた旗を手にした、砂まみれの探偵団たち五人が誇らしげに笑っていた。
「この写真の小嶋君、よく見るとメロンパン食べてるのね」
「ホントだぁ、パンくい競争の景品だね!」
「あん時のメロンパンうまかったなぁ…」
コナンの横には歩美と光彦、事務用の椅子には哀、蘭にカキ氷のおかわりをした元太は、うしろからひょこりと顔をのぞかせる。
過去の思い出を見るコナンも楽しそうに話を聞いていて、蘭と和葉はほっと息を吐いた。
「ねぇ蘭、こっちのアルバムには何が写ってるの?」
「えっとね、私たちが旅行に行ったときの写真とか、新一と出かけたときかな?」
机の上に置かれた青い表紙のアルバムを取った園子が蘭に問いかける。
和葉と平次も覗いて、彼女はその表紙を裏から開いた。
その中にも、楽しい思い出の写真がたくさん詰まっている。
「あ、これ蘭ちゃんちが大阪来たときやな?」
「お前が工藤を女や思っとった時や」
「うっさいわ、平次!」
もはや名物と化した痴話喧嘩をたしなめながら、アルバムの時はどんどん遡っていく。
そして、中学校のころの写真のページを開いた。
「あ、これは都大会の決勝戦だね」
まだ幼い顔をした、泥だらけで走る新一を見つけて、園子は懐かしそうに言った。
「なんだかかっこええやん、工藤君!」
「そうよ、だって彼は帝丹サッカー部のエースでヒーローだったんだから!」
「ヒーローって…言い過ぎじゃない?」
和葉と園子の賛辞に苦笑しながら、蘭もその写真を見つめる。
キックオフ直後から降った雨で、ストライプのユニフォームを泥だらけにして、右の拳を天に突き上げ笑う姿。
残り一分で、新一が一点返したシーンだ。
あのときの新一は、確かにかっこよかった。
絶対に諦めない心、仲間を奮い立たせる言葉─確かに、彼の存在はチームの中で輝いていた。
それは、惚れた弱みだなんて、絶対に言わない。内緒だから。
「ねぇ蘭お姉さん、新一お兄さんって、恋人なの?」
そう思っていたのに─歩美の爆弾発言を聞くまでは。
少女の純粋な瞳に、蘭は慌てた。
「な、何いってるのよ!?」
「そうよ、蘭と新一君は恋人じゃなくて、ふ・う・ふ♪」
「もぉ熟年ものやで!」
「ちょっ、園子!?服部くんも…!!」
赤面の蘭を、これはもらった!とばかりに園子と服部がからかう。
「…蘭お姉さん、結婚してたんだ」
「あれ、男子高校生って結婚できませんよね?」
「日本では、結婚は男性18歳、女性16歳にならないとできないのよ。ここは婚約者ってところが妥当じゃないかしら?」
「結婚式は呼んでくれよな!うまいもんたくさん出るんだろ!!」
ぽかん、としたコナン、腕を組んで考え出す光彦に、冷静に冷やかす哀。元太は、相変わらず食べ物重視だ。
子供たちの無垢な言葉に、蘭は思わず園子から奪い返したアルバムに赤面した顔を押し付けた。
夕食後、部屋で課題を片付けていた蘭は、数式の羅列から目を離して背筋を伸ばした。
少し乾いた瞳を瞬かせ、蘭は机上にあるフォトフレームに手を伸ばす。
今年の春、コナン君が来た後に阿笠家の前で撮った写真だ。
阿笠の愛車である黄色いビートルを囲むように、蘭、新一、コナン、阿笠が写る。
その、新一の顔をそっと撫でた。
「…新一にあいたいなぁ…」
あの、笑顔が見たい。
彼の声を聞きたい。
…私、本当にコナン君を守れるのかな…。
不安だよ…新一…。
蘭が、フォトフレームをぎゅっと胸元に押し付けたときだった。
部屋のドアがノックされる。
あわててフォトフレームを戻してから「どうぞ」と返事を返すと、申し訳程度に開いたドアの隙間から、子供の姿が見える。
緑色の半そでパジャマに、肩には白いタオル。まだ髪の毛から雫を落としているコナンの様子から、風呂上りなのだということが伺えた。
「蘭お姉さん、お風呂どうぞ」
「ありがとう、コナン君。すぐ入るね」
笑顔で返す蘭に、うん、と小さく頷いたコナン。
いつもならドアはそのまま閉められるのだが、彼は一度うつむくと、小さな声で
「あの…入っても、いい…?」
と呟いた。
その言葉に一瞬驚いた蘭だが、すぐに優しげな笑みを浮かべた。
「もちろんよ、どうぞ?」
その言葉にコナンはほっとしたように表情を和らげる。
部屋に入ってきた彼が、机に向かう蘭の横まで来ると、風呂上り特有の石鹸の香りが広がった。
「どうしたの?」
「えと…聞きたいことがあって」
「私に?」
「うん」
そこで一度言葉を切ったコナンは、何かを探すかのように視線をさまよわせる。
そして、机の上のフォトフレームを見つけ、それを指差して言った。
「…この人、のこと」
フォトフレームの写真に写っているのは、蘭と、コナン、阿笠と─新一。
つまり、コナンが指したのは新一で。
彼は、記憶を失って以来会ったことのないはずの新一を的確に指摘したのだ。
昼間のアルバムは、コナン達が見る前に蘭の手によって回収されため、見ていない。
蘭は心底驚いた。
「コナン君、新一のこと憶えてるの?」
「憶えてはいない…けど」
「けど?」
「…夢に出てきたんだ、この人」
「どんな夢か思い出せる?」
蘭の問いに、コナンは右手をあごに当てて、記憶を掘り始める。
そのしぐさにも、蘭は驚いた。
それは、いつも考え事をしている新一の癖を真似た仕草だったからだ。
無意識な仕草に、以前の姿が蘇る。
少しずつ、コナンは記憶のかけらを拾い集めているのだ。
蘭が目を見張っていると、何かを思い出したようにコナンが呟いた。
「…噴水」
「え?」
コナンは勢いよく顔を上げた。肩のタオルが床に落ちるくらい。
「空と、噴水。そこに、蘭おねえさんとこの人がいて、僕に笑いかけたんだ」
「空に、噴水…?」
そんなとこ、あったかなぁ。
蘭が思案していると、再びノックの音が響く。
「らーんちゃん!」
愛らしい声と共に覗いたのは、和葉の笑顔。
すぐ後ろには、すでに風呂に入ってタンクトップ姿の平次もいる。
「なぁ、明日渋谷行かへん?明日も天気いいみたいやし、外に遊びに行くのもええやん?」
「俺は工藤の見舞いしたいねん。ついでにどうや、坊主?」
わざわざコナンに視線を合わせて話す彼らに、コナンも笑みを浮かべる。
根からなのか、実に明るい大阪コンビは、家の中まで明るくしてくれる太陽のようだ。
事件のことを聞いて、二人はすぐに駆けつけてきてくれた。
平次は事件解決のため、和葉はコナンのために蘭たちを支えてくれている。
きっと、蘭だけだったら、こんなに笑えていなかったと思う。
自然と笑みが浮かんだ蘭は、コナンに笑いかけた。
「行こうか、コナン君?」
「うん!」
信頼できる人たちに囲まれて、コナンも嬉しそうに笑った。
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