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作:隆伊


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著者:fukuda ryu−i
ジャンル:短編SF


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こんなふざけた世の中に生きてきたら、僕のような心の構造になっても仕方ないと思う。
世界が遠く触れない、他者と共に在ることができない、孤独は忌むべきものではなくその中でのみくつろげる。絶対的な孤立の中でのみ僕は恐慌をきたさない。絶望的な孤独、そこだけが僕のホーム(くつろげる場所)だ。
僕は離れてここへ来た。公園生活者だ。僕に似た少年も数人いる。ユニークなことではない。僕はホームレスだ。

飢えは厭わない、死は受け入れがたいものではない。だが、自ら絶つほどの気力はない。僕に残っているものは、かってないほどクリアーな理論と、対外的な無能力だ。言葉を変えれば、僕はこなごなになった自分自身に絶望的な復元作業を試みている壊れた欠片の集合体だ。

僕のかばんの中には、乾パン、プリントアウトしたノバアジフの詩のいくつか、ガンジャが何グラムか、はいっているだけ。勿論スプリットしてから一服たりともやっていない。バットになるのはわかりきっているから。それでも捨てきれず持っている。何故かは自分でもよく分からない、いざという時金に変えることもできるから、かも知れない。(もっとも自分がそんなアクションを取れるとは思っていない。)いつかそのうちよっぽど調子のいい時に一服キメテみるのもいいかもしれないと思っている。あるいはもっとこなごなになりたい時に。

スプリットという事象をうまく説明することなどできはしない。精神分裂病者の発症と混同してよいのかもわからない。(僕らは分裂病ではないとどうして言い切る事ができよう。)
外的環境の中に、カウンセラーはその原因を求めようとする。だがその児童がどのような環境におかれていたにせよそこにその原因はない。それは内的発症で、起こるべくしてそれは起こる。時がきているのだ。僕等はみな知っている。いじめに遭っているの?ドラッグは良くないわ。ご両親は貴方にどう接しているの?どれも見当ハズレで意味を為さない。次元の低い論争はもうごめんだ。だが、少し説明口調になり過ぎたようだ。説明などできない。
ひとつ僕等の定義から始めよう。それには詩の一節を引用する。ノバアジフの詩だ。物語はここから始まっているからだ。
「巨大な化け物の身体に、
人間に似た顔をのせ
四つ足で歩きながら
詩人は泣いたということだ
彼には共感というものがない
それはつまり生活だ
顔を歪めて泣きながら、
ただただ荒野を歩くだけだった」
スプリットした僕等は、人間ではない。人間に似た物だ。生き続けることに絶望しながらそれでも歩き続けている、希望も無く夢も持たず目的も無くただここに生き続けている、それは人間ではない。そして、僕等にとっては如何な人間の言葉もなんの役にも立たない。
人間的な生活などというものは、薄い硝子板の上を無邪気に飛び跳ねながらズカズカ歩き回る事だ。よくもあんな恥知らずができたものだと思う。踏み外した板はもちろん、僕自身も壊れてしまった。何一つ知らない恥知らずだったのだ。だが、どう説明したところで判ってもらえないだろう。もし本当に判るならば、そのとき君も壊れるだろう。


僕等は目を持ち耳を持つ。僕は僕の目で世界を見ることができる。どころか、この身は百尋の風の底を這いながら、遠く宇宙の果てに、その始まりと終わりにまで思いを馳せる事もできる。(悲劇だろ)主観といってもいい。僕は確かに見ている。知っているつもりだったのだ。宇宙の果ては大袈裟にしても自分の身の回りの事位。だがどう在ろうとも僕は客体ではあり得ない。僕は僕自身というフィルターを通してのみしか世界を認知できない。
ひとつ想像して欲しい。(どうあっても説明できないからせめて想像して欲しい)自分の廻りに自分をすっぽり包む透明な円筒形の筒の在る様を。透明だからなんの障害にもなり得ない。君は何の苦もなく全てを見る事ができるだろう。君は君に見える範囲で全てを見ている筈だし熟知している筈で、その情報の蓄積をもとにアクションしている筈だ。(つまり、それが君の君自身というフィルターであると同時に君の全てと言える。)
だが、君の見ているのは筒の内側だ。リアル(本当の世界)ではない。
筒の内側に映った歪められた虚像だ。君がアプローチしているモノも。
君自身によって歪められた虚像に、ずれたアプローチを君はしているのだ。
筒が破綻をきたした時、スプリットの起こるメカニズムとなる。その瞬間とは、始めて知る猛々しい野生のなかに、保護する者もなく置き去りにされた赤子のようなものだ。
以外に感じるかもしれないが、その時もっとも強く湧き上がる感情は、恥じの概念だ。自身の驕りを、無知を、勘違いの数々を、なにしろ全ては幻に等しきもの。何を知ったつもりで大威張りでいたのか。
そうして空が荒々しい野生の宇宙の色となり、聞いたことのない静寂が心を一瞬支配する。つかむすべもないまっしろい瓦礫となる。

だが、いくら説明した所で、判ってはもらえないだろう。その時には、君も壊れる筈だ。
其処にヒラヒラ飛んでいるのを蝶と名付ければ、其れを知った事になるのか?


そして思う。壊れているのは僕らなのか、君らなのか?
僕は確かに壊れている。そうとしか表現できない。だが命というもの全てが壊れているという大前提に僕等は気づいている。

道ゆく人を見る。「衆皆、壊れたラジオなり。壊れているが故に聞くことあたわず。耳を持たず。そはまさに空に溶けたるものつかむすべなき者なり」ラジオに例えるならば、スイッチが壊れているのだ。聴いたことが無いから、音楽など存在しないと思っている。電波は無いと思っている。電波も音楽もこの空間にこの瞬間に溢れているのにスイッチが入ってないのだ。入れ方が解らないのだ。故に聴けぬそれどころか、その存在を夢想することすらできない。
夢想することすら出来ない人々に一体どうやって説明する?「その懸念すら無き人々に如何にすれば「音楽」を言葉で説明できるのだ」彼らは目に見えぬものは信じぬのだ。「彼方より来たる巨大な神輿の到来を告げ跳人は練り歩く。不可視なるものを信じぬ者よ、音楽を信じるなかれ。光もまた信じるなかれ。目に見えぬが故に」アジフの詩だ。
話が跳び過ぎていることは承知している。こう説明すればどうだろう。例えば考えて見てほしい。芋虫は自身が蝶であることを知っているだろうか?生まれた時から芋虫で今日までずっと芋虫だったなら死ぬまでずっとそのそれだと思った所でなんの不思議がある。蝶はその時がきて初めてすべてを理解するだろう。
「衆皆己が蝶の子であるを知らず。知らぬが故に飛ぶことあたわず。叶える羽を持たず。そはまさに空に恋焦がれる蝶の子のごとし。
生受けたるときから芋虫で今日までずっと変わらねば死すまで変わらぬが道理とする。胸の奥で声はするも、綺麗な羽のことなど夢想だにできぬ。
その懸念すらなき人に、いかにして己が蝶であることを説く」
僕は遥かなノイズの彼方に微かな音楽を聞いた。僕が壊れるのには十分な理由だ。


アジフの詩について話さないといけない。
物語はそこから始まっているからだ。彼がネットに載せ、しかし誰一人気づかず、気づいた時には彼は消息不明だった。否、今となっては彼が誰であったかさえ分からない。

彼はスプリットした少年で、精神科医の助けもカウンセラーの助けもあまつさえ宗教家の助けすらなく己自身の精神を見つめることのみで、超人的でスピリチュアルな体験をし、十数片の詩を残した。彼が僕等のように壊れた精神の中からそれを超越し、数段上の境地に至ったことはその詩句から見て取れる。
スプリット後、古今東西のありとあらゆる書物を読み漁った。インチキな宗教書も哲学書も僕には全て見抜けた。どんな優れた小説も、小説はすべて、一人の人間の独白にしか見えなかった。真実と呼べるものは彼の不完全な詩のみだった。聖書でさえもその香りが微かに残る程度で政治的に歪められてしまっている。仏教典は真理だろうけど次元の低い識者の解説無しに読み下せない。もとより国内のインチキ宗教家については語る価値もない。
アジフの詩だけが僕等に微かな希望をもたらしてくれる。僕がただの狂人でなく、(まあ、狂人と呼ばれる人の大半はそうだったのかもしれないが、)ただ短に一歩踏出しただけのこと。皆もともとそうで在ったことを教えてくれる。RDレインの言うシンプリーヒューマン(人間そのもの)であることを教えてくれる。そしてその先にあるさらなる境地を。僕はただ単に素に戻り次なる状態を迎えようとしているのだ。勿論この騒々しい饒舌な心では無理な願いだとわかっている。精神がこの段階を超え、彼の詩句にあるような決定的な瞬間を迎える時を僕は待っている。
奇妙に思うかもしれないが、僕には次の詩句が100年前のあの超有名な詩人の一節を序文に持ってくるとドンピシャとはまるように思えてならない。
ああ、そしてついに、なんたるこれは幸せか?なんたるこれは理合かな。僕は暗い空から青空を切り離すに成功した。そして生きた。天然の光線の火花となって。
これは彼の中で凄まじいエネルギーの沌流が起きた瞬間を詠った一句だ。
「跳ねた!見よ、俺よ
目の裏にソーダが打ち寄せた
跳ねた!見よ、俺よ
けつからジェットが吹きぬけた
俺は成層圏にいる
落ちた首はどこへでも転がっていけぇ
ぎりぎりと虚空へ蹴り上げられし星は弧を描く
この世と闇に、闇は無い。
噴っ跳ばされたシャンパンは無音で
栓を跳ね上げた」
そうして詩句は生きとし生ける者全てと死せる精霊のマスター達への感謝の言葉へとつながっていく。彼が精霊のマスターなど信じていたのか定かではないが、その助力無しにこれが起こり得なかったとそのときの彼は思ったのだろう。
「跳ねた!落ちた首よ。
俺は炭酸のジェット気流だった。
高き星々と居並び今この瞬。
この夜の底にて俺は初めて安堵するを憶える。
今あるのはこの一語のみ。
陳腐か?しかしこれ以上の詩句は見つからぬ。
神よ。感謝します」
そして恐らく赤ん坊の時以来否、生まれて初めて、安らかな眠りに就き詩句は終わる。


前後するがその前の散文だ。
「スイッチはもう入らない。否入るだろう。いずれ。
只、今言える事は、一度スイッチの入った僕は安堵し
確信していることだ。あの時確かに僕は大笑いした。
何を外に探していたのだと。何処に教師を求めていたのだと。
いにしえの大樹はここにあった。
僕の、僕という感覚こそが。
だが同時に道程の更に長い事も知った。
僕はあの扉の一歩内側に踏み込んだに過ぎない。
しかも半日留まることもできなかった。
僕が書こうとしたからだ。
ただもはや焦燥とした欲求はない。
ゆったりとくつろぎ、今や習慣となった場所に身を置く。
いずれ何事か起こるだろう。期待してはいけない。
理由付けはいけない。期待してはいけない。
そう思うこともいけない。
ただ習慣となった方法で、
日に一度でいい、ただ在ることのみ」
思えば聖書は基督が書いたものではない。あれは基督が弟子に語った事だ。(レベルの低い)仏教典もそうだ。ただしこちらの方が弟子のレベルは高かったようだ。基督も仏陀も、目の前にいる人間を対象としてしか言葉を残していない。もし、彼等が、今ここに居たら僕等には何を語るだろう。
少年時代のある時期から唐突に、目的を持つことを強要され、夢見ることが良いことであるかのように教えられ、僕達は一生クタクタに走りつづけるはめになった。もしも僕等が立ち止まり、見つめ直してみれば、何もかもまるで夢のように、光の中にあるのだろう。


気づくと目の前に制服を着た少女が立っている。地球は回転し太陽は沈みかけている。幅の広い赤い雲を背景に少女は立っていてこう話す。
私はこの地区のボランティアをしています。毛布をどうぞ。
腕にはご丁寧に腕章まで着けている。そのアプローチに僕は感心する。僕は落着いて受け答えができる。以前初老の図々しい婦人が来た時は最悪だった。僕は吐き気がしてその場を立ち去ろうとしたが、なおも追いすがって来てしつこく話しかけるものだからベンチを蹴り上げて怒りを表現してやった。話すことはと言えば、家に帰りなさい、ドラッグをやめなさいということだ。(僕等は葉っぱすらやっていないのに根強い偏見がある)結局彼女は僕等の助けになりたいのではなく、自分の常識で理解できる場所へ僕等を追いやりたいだけだ。
他に必要なものは有りますか?女の子は言い僕の前に品物を広げた。
僕はノートとペンと乾パンを貰い、迷った末に携帯電話を手に取った。それは最近市民団体が配っているプリペイド式のやつで、電源を入れるとお家に電話をしましょうとメッセージが出る。市民団体の電話番号が登録されていて、そこへ電話するとカウンセラーが相談に乗ってくれるというまったく下らぬ代物だ。今まで見向きもしなかったが初めて貰う気になった。
 少女はまだあどけなく、その瞳にはスプリットした人間に対する若干の好奇心が見て取れる。自分がそうなる可能性があるなど思ってもみない。携帯を貰ったのは、彼女を見て妹の事を思い出したからだ。
運河の所へは行かないのですか?と彼女は問う。その場所の事は知っている。ここから数ブロック離れた運河沿いにつぶれた倉庫群が有り其処に僕に似た少年たちが集まって暮らしている。其処では彼女達のグループが定期的に援助活動をしているそうだ。僕は品物を受け取りお礼にガンジャをあげると彼女は喜び、去っていった。

携帯を使うべきか?それとも捨ててしまうか?
彼女は運河のことを言っていた。
だが其処へ行ったとして期待できるなにかがあるわけではない。

僕等には絶対的な法がある。それはスプリット後芽生え徐々に強い懸念となり僕の中に根を下している、それはたったひとつの言葉だ。侵さず。モーゼの十戒はこの一語で要約できる。他の何者も侵してはならない。他者の領域を侵してはならない。僕に許された領域は、僕自身とその内側のみだ。運河沿いの廃倉庫へ行ったとしてもここと大した変わりはない。
この後僕のとる行動は3つある。ひとつは携帯を投げ捨て何も変えずこのままここにいる。ひとつは携帯を投げ捨て運河沿いの廃倉庫に向かう。そして最後のひとつはこの携帯で家に電話し何を話せば善いかは解らないが話をし妹の様子を聞く。
僕は迷った末、携帯を噴水に投げ捨て歩き始める。数ブロック先の運河に向けて。
物語は最終章を迎えている。スキゾは世界中の子供の半数を超えただろう。これは人類の終わりだろうか?
僕は何も夢見ない。けれどひとつだけ熱望することがある。それはアジフが僕等の前に現れる事。


僕は思う。彼は必ず現れる。何故なら物語が彼から始まっている以上、物語は彼で終わる。
おそらく彼が世界中で始めてスプリットした少年で、しかも師もなく己のみでその境地に至るその素養があるのなら、彼は必ず再び現れる。そしてそれは、捻じ曲げられた基督教に、形骸化した仏教に終焉を告げる時でもある。何故なら、その時彼はパーフェクトな存在となっている筈だから。
そして基督が、仏陀が、その時代のその人々に一番わかりやすい言葉でそれを伝えたように彼もまたそれについて語り始める。
僕には彼のはじめての講話が聞こえてくるようだ・・・。
一言一言噛みしめるようにゆっくりと彼は語り始めるだろう。
「なぜ区切る?
宇宙の始まりと今を
なぜ区切る?
おまえとおまえ以外の全てを
聴くが良い、偉大なる音楽を、切り離されし火花達よ
ひとつおまえにスイッチの入れ方を伝授するとしよう。されば共鳴が起こる。全てはひとつのものなのだ。おまえが宇宙のなかに在るのなら、何故区切る?おまえはひとつの火花で、それは爆発無くして在り得ないものだ。
 ゆえに、聞くが良い。宇宙の始まりから今に至るまで途切れることなく続いている大いなる静寂に、豊かなる静寂のメロディに、耳を傾けるがよい。偉大なる爆発の子等よ」
                                     

                                 平成一年校了
注).文中にある「精神分裂病」は現在では「統合失調症」と呼ばれています。














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