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聖愛と俗愛について 作者:庚 真守

ヴァチカンの姫君

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神聖なキス

「ご、ごめんなさい……わたし……あの……」
 哀れなほどに、サクラは震えていた。手にはしっかりと綿菓子を持ったまま。
 レオーネは、戸惑っていた。
「サクラ。頼むから泣かないでくれ」
 そう言って、うつむきそうになる顔を両手で挟んで持ち上げる。
 涙を浮かべた大きな眼が妙に扇情的に見えて、レオーネはうろたえた。
 だが、サクラは泣き顔のまま、ひたすら謝るのだ。
「ごめんなさい。わたし、たくさんの人たちに迷惑ばっかりかけている……」
「迷惑? なぜ、そんなことを」
「だって……レオーネさんまで、わたしなんかのためにこんな……」
「わたしなんか……なんて言うものじゃないよ」
 幼い子をあやす時には、いつもしていたことだった。子供の相手は慣れたものだ。
 まっすぐにサクラの黒い眸を見つめながら、ゆっくりと言う。
「きみは、とても大切な人だよ。守るのは当然のことだろう」
「……そ、それは誰にとって大切なんですか。わたしは、本当に必要とされているんでしょうか」
 すがりつくような眼に、彼女の必死の想いが伝わってくる。
 レオーネは息をつめた。
 なるほど、彼女が不安定に見えたわけが判ったような気がする。
 自分の存在をこうして否定するから、いつも自信がなさそうに心もとなさそうに見えるのだ。
 生まれてすぐに、親から離され修道院に放り込まれたのだから、そう感じるのも当然だろう。確かに一部の人間にとっては、不要と呼ばれる存在かもしれない。
 だが、彼女は立派な女性だった。
 怯えた小さな鳥のように見えて、燃えるような激しさを隠し持っている。誇り高く強かなシチリア人の血が彼女の中にも流れている。



 レオーネは、後悔していた。
 イタリアの伊達男たちと違って、女性の扱いなどまるで判っていはいない。
 この手をどうすればいいのか。
 少し顔を上げさせたこの角度。
 下から見上げる少女のような面差し。恥ずかしいのだろうか。真っ赤に染まった頬。うっすらと汗をかいた小さな鼻先。柔らかそうな唇。
 誘われるようにして、レオーネは己の唇を娘のそれに押し付けていた。
 柔らかい。
 おそらく綿菓子よりも、もっと柔らかく儚げな、あまり乱暴にしてしまうと溶けてなくなってしまいそうな……そんな錯覚に襲われるほどサクラは、脆く危なげだった。
 だが、触れている部分は確かに、彼女の体温を感じている。

 触れたのは、ほんのわずかな時間。
 まばたき一つほど……ただ、それだけで、レオーネはすべてを奪われたような気がした。
 娘の唇を奪ったのはレオーネの方である。
 それが、たった一度だけのくちづけで、もはや彼自身が骨抜きになってしまった。
 いくら女性経験が少ないとはいえ、こんな女ともいえぬほどの小娘の涙に、翻弄されてしまう己が情けないという気持ちと、このまま娘に溺れきってしまいたい想いがせめぎあっている。
 サクラの黒い眼には、まるで魔力があるようだ。
 初めて出会った時には、この双眸が燃えているかのように思った。
 同じ黒い双眸が今は涙で濡れて、これほどに愛おしいと感じるのはなぜなのか。
 平凡な小娘にすぎないと思っていた。
 何もできない。周囲に振り回されるだけの小さく哀れな存在だった。

 それが今は、魂をまるで呪縛されるように、この眼に絡みとられる。
 ギリシャには昔から、邪眼があると信じられてきた。ルクレツィアがほんの数日で、殺人さえ厭わぬほどこの娘に入れ込んでいる。
 だが、今の俺には魔除けのバスカニアも役にはたたない。

 何がわが身に起こったのかさえ、判りかねている状態のサクラは、ぼんやりとレオーネの顔を見上げていたが、やがて真っ赤になってうつむいてしまった。
 おそらく初めてのキスだったのだろう。
 内心、レオーネは躍り上がりたい気持ちになる。
 この俺がサクラに初めてキスした男なのだ。……もっとも、不意打ちのようにくちづけたに過ぎない。
 だが、すべてはこれからだ。
 これから、サクラの心をつかんでしまえばいい。
 それはできるはずだ。
 今の己が、たった一度のくちづけだけで、こうして恐ろしいほどの勢いでサクラに惹かれていくのだから。
 あきらめられるはずがない。
 彼女が例え、どこかの王女であったとしても、相手が法王だろうが、俺は必ずサクラを奪ってみせる。

 恋すら知らないサクラにゆっくりと、教えてやる必要があるのだろう。
 彼女が、日本のことも枢機卿のことも、信仰する神でさえ、忘れるほどに……。


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