ある良く晴れた日、アリスという名の少女は暇をもてあましていました。
「母さん、あたし、とっても暇なの」
アリスが台所の椅子に座ってそう言うと、お母さんはにっこり笑って答えます。
「ではアリス、これからりんごのパイを作るのだけど、手伝いなさいな」
アリスはそれを聞くと、大急ぎで立ち上がりました。
「いやよ。だってパイを作る間はずっと立っていなくちゃいけないわ。
そんな疲れることはやりたくないもの。でも、パイが出来たら呼んでちょうだい」
アリスが庭に出ると、お姉さんが車の掃除をしていました。
「姉さん、あたし、とっても暇なの」
アリスがポーチの椅子に座ってそう言うと、お姉さんはにっこり笑って答えます。
「ではアリス、これからモールへ買い物へ行くのだけど、荷物をもつの、手伝いなさい」
アリスはそれを聞くと、大急ぎで立ち上がりました。
「素敵だわ!姉さん、私もモールに連れて行ってちょうだい。でも荷物は持たないわ。
だって自分の買い物が出来ないもの」
そして二人はモールにやってきました。
「じゃあアリス、三時半になったらちゃんとフードコートに来るのよ。
私はサブウェイの前にいるから」
お姉さんが念を押すとアリスは笑って言いました。
(ちなみに、サブウェイというのはお姉さんのお気に入りのサンドイッチ屋です。)
「分かってるわ。姉さんこそ、遅れないでね」
そしてアリスは雑貨屋のある方へ走っていきました。
アリスがお気に入りの店の前に行くと、店のシャッターが閉まっていました。シャッターには張り紙がはってあります。
〈店の改装工事のため、○月○日までお休みします〉
その日にちは明日です。アリスはがっかりしました。
三時半まであと三時間もあります。
アリスはどこに行こうか考えました。
すると、目の前に何かが飛び出してきました。
「え、うさぎ?何でこんな所にいるのかしら……」
それは、もも色の目をした白い仔うさぎでした。
アリスがその仔うさぎを持ち上げて目を合わせると、仔うさぎは首をかしげる仕草をしました。
「このモールにペットショップはないし、飼い主とはぐれたのかしら。
野生のうさぎにしては綺麗だものね。あっ」
急に仔うさぎが身をひねりアリスの腕の中から抜け出ました。
そして、そのまま走り出しました。
「ちょっと、どこに行くの」
アリスは仔うさぎを追い始めました。
アリスが必死で仔うさぎを追っていると、急に足元の地面がなくなりました。
「えっ……うそぉぉぉぉぉぉぉ」
嘘ではありません。アリスは穴に落ちてしまいました。
アリスは穴の中を落ちていました。
腕の中には落ちている途中で追いついた、さっきの仔うさぎがいます。
落ち始めた頃は怖かったのですが、今はもうあまりにも長い間落ちているものですから、周りを見る余裕が出来ていました。
「ここ、変なものばっかりだわ」
歪んだ時計、アリスよりも大きいティーポット、途中にあった机から取った、空っぽのママレードの瓶は途中の食器棚に戻しました……そんな物を見ているうちに、アリスはなんだかとても楽しくなってきました。
やがて、穴の底が見えました。
「もしかして、あたし、このまま地面にぶつかるのかしら」
アリスは身を硬くしました。でも、いつまでたっても衝撃がありません。
アリスが目を開くと、いつの間にかアリスは暗闇の中に座り込んでいました。
腕の中で仔うさぎが暴れるので腕を緩めてやると、仔うさぎはアリスの腕の中から抜け出て、少し前に飛び出しました。そしてアリスを振り返ります。
アリスにはそれが、付いて来いといっている様に見えたので、自分の先を跳ねていく仔うさぎを追いかけ始めました。
追いかける理由に、あたりが暗闇なので怖いというのもありましたが、アリスの頭の中には『不思議の国のアリス』の冒頭部分が思い出されていました。
(あの子を追いかけていったら、不思議の国へ着くのかしら)
もちろん今の暗闇も十分、不思議な場所なのですが、アリスはそんなことはお構いなしです。
いつの間にか仔うさぎは二足歩行をしていて、手には火のともったランプがありました。
アリスが仔うさぎの後ろについて走っていると、急に光が目に入ってきました。
「きゃっ…………えっ……」
アリスはまず、光に驚いて目を閉じ、再びあけた時にそこの光景に驚いて目を見開きました。
目の前には大きな橙色の扉がありました。ただ、アリスが驚いたのは扉にではありません。
「この、ランプの数はいったい何なの」
扉の周りには大小いろいろな大きさのランプがあります。
「店の住人は皆専用のランプがあるんだよ」
仔うさぎはそう言いながら、空いているランプ置きにランプを置いて扉を開けました。
アリスに中に入るように促します。アリスは扉に入りながら呟きました。
「これはきっと夢なんだわ。うさぎが立って、話すなんてこと、あるわけが無いもの……」
アリスは思いっきり頬を引っ張ってみました。
「……痛い………………」
扉の中に入ると、そこはどこかの玄関のようでした。
目の前には灰色の扉があって、左右は端の見えない廊下のようなつくりになっています。
「あ〜、白いの、おかえりぃ」
色々と混乱しているアリスの前にもう一羽、仔うさぎが現れました。
今度はそら色の目をした黒い仔うさぎです。
この仔うさぎも二足歩行をしていました。
「ただいま、黒いの。ほら、僕、お客さんを連れてきたんだ」
白いの、と呼ばれた仔うさぎがアリスを前足で示しました。
少し誇らしげです。その時、また新しい影が現れました。
「お帰りなさい、白のうさぎ。あれ、お客さんですか」
「そ〜。白いのがねぇ、連れて来たんだって〜」
現れたのは青い髪の毛に、少し緑味を帯びた黄色の、猫みたいな目をした少年でした。
アリスのほうを向いて、お辞儀をします。
「ようこそ『世界の果ての店』へいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
アリスはもう何がなんだか分からなくなりました。結果、
(もう、どうにでもなればいいわよ!)
と、開き直りました。促されるまま次の灰色の扉をくぐります。
「え、何?ここ…あたし、もしかして店って言う言葉の意味を間違えておぼえてるのかしら」
アリスの目の前には広大な庭園とその向こうに佇む、城といっても差し支えないような屋敷がありました。
庭の外は森のようになっています。
「えっと、お名前を伺えますか」
アリスの隣に立つ青い髪の少年が訊いてきました。
「アリスよ。貴方たちは誰なの」
アリスの言葉に、少年も、仔うさぎたちも目をぱちくりさせました。
三人、いえ、一人と二羽は顔を見合わせて、首を傾げました。
そして、青い髪の少年が言いました。
「あれ、言ってませんでしたっけ。
ぼくは『アオネコ』で、この子達は『白のうさぎ』と『黒のうさぎ』です」
「そんなこと、一度も聞いてないわ」
アリスが首をふると、アオネコは、あはは、と笑いました。
「それはすみません。では、ごゆっくり」
「え、どういうことなの」
アリスがアオネコのほうへ振り返ると、アオネコはにっこりと笑って言いました。
「貴女の望みは三時半まで暇をつぶすことでしょう。
三時になったらここまで戻ってきてください。お茶をしましょう」
アリスは広い庭園の小道を歩いていました。
きれいに整えられた白い道はとても歩きやすいので、アリスはご機嫌でした。
やがて、アリスは屋敷の前に着きました。
ここに来るまでに既に二十分以上かかりました。
アリスは額にうっすらと汗をかいています。
屋敷の黒い扉には直接『世界の果ての店』と彫られています。
アリスは金色の取っ手を引いて、中に入りました。
「まあ、すばらしいわ」
目の前にはたくさんの棚と、それにのっている沢山の商品がありました。
色とりどりのお菓子やいろいろな厚さの本。服もあるし、アクセサリーや食器もあります。
「世界の果ての店って雑貨屋なんだわ」
「それは少し違う」
アリスが呟くと、隣から声が聞こえました。
アリスが驚いて横を向くと、金色の目の白うさぎが立っていました。
そのうさぎは大きくて、アリスの腰の辺りまで背がありました。
「貴方は誰なの」
「この店の店長。お前、名は」
えらそうな口調にアリスはむっとしました。
「あたしはアリスよ。それより、あなた『店長』が名前なの」
「そう思ってもらってもかまわない」
「あら、そうなの」
アリスは少し拍子抜けしました。
そして、ふと店長が先ほど言った言葉を思い出しました。
「この店はいったい何の店なの?」
アリスが訊くと、店長は答えました。
「ここは客人の『望みを叶える店』。お前の場合、暇をつぶすのが望みだろう」
アリスは頷いてから、ふと思いました。
(あたし、自分の望みを口に出したかしら。まあ、ここは変なところだもの。
変なことが起きても、不思議じゃないわね)
店長はアリスに店の中は好きに歩いて良いと言い残して、去っていきました。
店長が去ると、アリスはあちこちを歩き始めました。
すると、吹き抜けになっている、中庭のようなところに着きました。
真ん中には噴水があり、いろいろな植物が植えてあります。
アリスはため息をつきながら、その小さな庭を見回しました。
「あら。あれはいったい何かしら」
小さな白ばらの木の周りで何かが動いています。
アリスがそぅっと近づいて見ると、四枚のトランプが白いばらの花を赤いペンキで塗っていました。
正確に言うと、トランプ模様のマントを着た小柄な四人の兵隊がペンキを塗っていました。
「あのう、何をしているのか聞いても良いかしら」
アリスが声をかけると、四人は驚いて飛び上がりました。
そして、そろそろと後ろを振り向きました。
アリスの顔を見て安心したような表情になり、スペードの7のマントを着ている兵士がアリスの問いに答えました。
「ばらを赤く塗っているのです」
「何でそんなことをするの」
アリスが訊くと、今度はクローバーの2が答えます。
「この中庭はツバキ様のお庭なのです。
そして、この一番良く目立つところには赤い椿の花が植えられるはずでした」
ハートの5が続けます。
「ところが、つい間違えて白いばらの花を植えてしまったようなのです」
「このことがばれたらツバキ様にどんなお仕置きを受けることやら……」
ダイアの9が震えながらさらに続けました。
そして、最後にスペードの7が締めくくりました。
「だから、せめて花を赤く塗って、ばれ難くしようとしているのです」
アリスはペンキなんかで塗ったらばらがかわいそうだと思い、トランプの兵士たちに言いました。
「ばらでも良いじゃないの。白いばらだって綺麗だわ。何で赤い椿じゃないといけないの」
「私は赤い椿を植えろなんて言ってないけどねぇ」
急にアリスの隣で声がしました。
アリスがそちらを見ると、女の子のアリスでもドキッとするような、綺麗な女の人が立っていました。
その女の人を見て、トランプたちは震え上がりました。
「ツバキ様!
すみません、これは3たちが間違えたようで……今すぐ色だけでも整えますのでお許しください」
「ペンキなんか塗ったらばらがかわいそうだわ。やめなさい」
ハートの5の言葉に、アリスは反論しました。
そして、ツバキと呼ばれた女の人はため息をついて言いました。
「お前たち、私の言葉を聞いていなかったのかい。
私はそもそも、白い椿を植えろと言ったんだよ。ばらを赤く塗ったらもっと離れるだけじゃないか。
今すぐその木を引っこ抜いて白い椿を植えるんだよ。ほら、急ぎな」
ツバキの言葉に、アリスはすっかり驚いて叫びました。
「冗談じゃないわ!せっかく綺麗に咲いている白ばらを抜くなんて!
まだまだ庭はあるのだから別のところに椿を植えれば良いでしょうに!」
トランプたちはアリスの剣幕に驚いて、ツバキのほうを伺いました。
ツバキは少し考えるそぶりを見せると頷きました。
「それもそうだな。お前たち、そのばらの隣の隣に白い椿を植えな。
今度は間違えるんじゃないよ」
「はいっ」
アリスはホッとして白ばらの木を見ました。
「えっ」
白ばらの木の下に白い、手のひら大の少女がいました。
少女はアリスを見て微笑みました。
アリスの足元まで歩いてくると、ふわりと浮いて、アリスの肩に座って頬にキスをしました。
「え……」
「それは白ばらの精だね。あんた、気に入られたんだよ」
隣のツバキがアリスに教えてくれました。
「そうなのね。あなたのお名前は?あたしはアリスよ」
白ばらの精はアリスの顔の正面に来て、額に指でROSEと書きました。
「そう、よろしくね、ローズ」
「あんた、アリスっていうのかい。私はツバキ。あんた、お客かい?」
ツバキがアリスに訊いてきました。
アリスが頷くと、ツバキはアリスの肩に座っているローズを見て言いました。
「アリス、あんた、帰った後もまたこの店に来たいかい?」
「そうね、来たいか来たくないかと言われたら、来たいわ。でも、そんなことは出来るの?」
「さあ?とりあえずおいで」
アリスがツバキについていくと、ツバキは店からでて、どんどん歩いていきました。
やがて、ツバキが立ち止まりました。
そこはあの灰色の扉の前で、アオネコたちが机を出したりしてお茶の用意をしていました。
アリス達が歩いてくるのを見て、笑顔で手をふりました。
「早かったですね。まだ二時半ですよ。もうお茶会を始めますか?」
アオネコがそう言うと、ツバキが言いました。
「私も一緒していいかい。」
「ええ、どうぞ」
「店長は来るのかい?」
「ええ、来ますよ。ああ、ほら、あそこに」
アオネコがアリス達の背後を指したので、アリスは振り返りました。
アリス達が今歩いてきたばかりの道を店長が歩いてきていました。
店長がアリス達のいる場所に着くと、ツバキが店長の前に立って言いました。
「店長、アリスにこの店への道をやれないかい。この子、ばらの精に選ばれたんだ」
店長はツバキとアリス、そしてローズを交互に見て、言いました。
「別に良い」
「え、本当にいいの?」
アリスが訊くと、店長は頷きました。
「その、ばらの精はまだ世界の果てから出ることは出来ない。
お前が来ないと、元気をなくして枯れる」
アリスが瞬きしていると、アオネコが笑って言いました。
「アリスさん、ぜひ、また遊びに来てください。
人間はとても少ないですけど、それで良ければ……」
アリスは即座に頷きました。
悪いことは何もありません。
それどころか、暇をもてあますことはなくなりそうです。
「じゃあアリスさん、とりあえず道が出来るまでお茶にしましょうか」
アリスが席につくと、目の前に大きな帽子をかぶった男の人と、眠りねずみが座っていました。
(やっぱり、不思議の国のアリスのようだわ。
三月うさぎはいないけど、しっかり者の店長うさぎが代わりにいるのね)
アリスたちはおいしいお菓子とおいしいお茶を楽しみました。
いつの間にか大きな帽子の男の人が首に下げている大きな時計が三時過ぎを指していました。
「あたし、そろそろ帰らなくっちゃ。どうやって帰ればいいのかしら」
アリスがみんなを見回して聞くと、店長が前足でアリスの背後を示しました。
アリスが後ろを向くとそこには白い扉がありました。
「アリス、お前はまだ一人では世界の間の暗闇を歩いて来ることはできない。
その扉がお前の道だ」
「まあ……」
アリスは驚いて声をあげましたが、驚いたのは扉にだけではありませんでした。
「こんにちは。私は『世界の果ての店』の副店長、シランだ。
ちなみに数少ない人間の一人でもある」
美しい青年が扉の隣に立っていました。
「さあ、これが鍵だよ」
シランはアリスの手に金色の鍵を乗せました。
ローズがやってきて、アリスの耳に触れて、離れました。
アリスは鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開けました。
少しめまいがして、気がつくと、アリスはシャッターの閉まった雑貨屋の前に立っていました。
手の中に鍵はなく、目の前にはもちろん白い扉なんてありませんでした。
「アリス、アリス、聞いているの?」
「え、何か言ったの、姉さん」
アリスは車の中でお姉さんと話していました。
「だから、何であんなところで寝ていたの?
もう、私、びっくりしたわ。
ステラが『貴女の妹さん、雑貨屋の前で立ったまま寝てたわよ。驚いちゃった』なんて言うのだもの」
アリスはお姉さんと話しながら考えていました。
(あれは全部夢だったのかしら)
お姉さんは運転しながらちらりとアリスを見ました。
そして再び前を向いて運転しながら言いました。
「アリス、貴女そんなピアス持っていたのね」
「え」
アリスが自分の耳に手を持っていくと、いつもつけている丸いピアスとは違う形のピアスがついていました。
鏡を見てみると、それは白いばらの形のピアスです。
(夢ではなかったのかしら……)
アリスがお姉さんと家に帰って、自分の部屋のクローゼットを開けると、服と服の間に白い扉が見えました。
そして、ベッドのサイドテーブルの上には金色の鍵が置いてありました。
鍵の隣には小さな紙切れがあります。
〈またお会いしましょう〉
アリスは誰からの手紙か分かりませんでした。でも、その紙に返事を書きました。
〈きっとね〉
そして、お母さんの作ったりんごのパイを食べるために部屋を出ました。
開いていた窓から風が吹き込んで、紙切れを持っていきました。
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