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Super Apple 作者:饗庭淵
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5章

5.


 目が覚める。外はまだ暗い。あくびをして目をこする。
 時計を確認すると午前4時。ずいぶんと早起きしてしまった。車の中で寝るという不慣れな状況のためだろうか。不自然に疲れが残っている感覚がある。起きて行動することを考えると、体が怠い。
 しかし、予想以上に暗い。この季節なら4時にはもう日が昇っているかと思っていたが、どうやらまだらしい。どのみちこの暗さでは動けないし、動いても意味がない。もう少し眠ることにした。車内に侵入した蚊が少しうるさかった。

 目が覚める。外はまだ暗い。
 時計を確認すると午前5時。二度寝してから1時間が経過していた。外の暗さは一向に変化がない。
 いくらなんでも、そろそろ夜が明けてもいいはずだ。昨夜は、少しだったが曇っていた。天候が悪化したのか。それほど曇っているのだろうか。しかし、どれだけ曇っていても朝日が少しくらい覗いていてもいい時間帯に思えた。
 眠り疲れた感もあったし、尿意もあった。瀬川は外に出ているようだ。あまりに暗く、彼女の姿すらもぼやけて見えた。俺も体を起こし外に出てみる。
 瀬川が空を見上げ、身を凍らせていた。その隣で俺も凍る。
「太陽が……ない?」
 とっさに口にした言葉。天球のそれに等しく主観的で直観的な、しかし信じがたいことにそう表現するのが最も的確だった。一目でわかった。この事態は異常だ。塗りつぶされたように真っ黒の空。真っ暗というよりも真っ黒というべき、そこには雲の影すら見えない。
「なくなった? 太陽が? なにを言ってるんだ俺は。太陽が消滅した? 地球がそれに気づくのは8.3分後、以後は自由な天体として直線運動を――バカバカしい。太陽がなくなっただって? 月はどうだ?」
 くまなく月を探す。星を探す。目を凝らし探す。首が痛み出すほど力の限り空を見上げ、探す。見慣れたはずの空。だが、これは夜空ではない。
「月もない。というか星空すらまったく……」
 再び目をこする。頭を冷やす。
「どんな都会でも少しくらい星は見えるものだが、いや、曇っていれば見えないか……って、単にめちゃくちゃ曇ってるだけじゃないのか?」
 悪い夢でも見ているようだった。「曇っている」などという言葉では説明がつかない。この空を見れば誰でも理解できる。本来ならば最も常識的な解釈であるはずの「曇っている」という理解が、今は現実からの逃避のごとく虚しく響く。
「まあいい。なにか気のせいだ。とりあえず、もう少し寝るか」
 ともかくもこの暗さでは行動できない。車内に戻り横になる。

「7時。どれだけ曇ってるのか知らないが……いや、仮に曇りだとしてもこの暗さは!」
 夜が明けていない。
 だが、その表現もどこかが違う。どれだけ夜が暗いといっても少しの光はある。それは月の明かりであり、星の明かりであり、どこか遠くの電灯の明かりであったりする。光子はどこまでも拡散するからだ。その光を感知して、夜でも我々はかなりの広範囲を見ることができる。だがこれは、夜のそれとは違う。空がごっそりと奪われてしまった、そんな空想的な表現がしっくり来る。完全な黒はあり得ない。だが、それに限りなく近い。生涯で見てきたあらゆる黒で、最も黒い。そんな空。
 再び腕時計に目をやる。そう、俺は腕時計をこうして確認できる。隣にいる瀬川の姿も見える。雑草の生い茂っている目の前の風景も、暗いながらもある程度見える。だが、空だけはなにも見えなかった。
 周囲が見えるというなら光源がどこかにあるはずなのだが、その光源を見ることができないのだ。俺はなぜ見えるのか?
 最初に目が覚めてからすでに3時間。無理もない。こんな馬鹿げた事態、夢でなければ理解できない。そして、どれだけの時間硬直していたのだろう。緊張に耐えかねた筋肉が弛緩し、ぺたりと膝をついた。そして、自然と笑いがこみ上げてきた。呼吸困難に陥るほど笑い続けたと思う。冷静さを取り戻すためにはさらに長い時間を要した。
「ふう」ため息一つ。ようやく他人を気遣う余裕ができる。瀬川はいまだに、呆然と空を見上げたまま硬直し続けていた。
「おい瀬川、いいかげんに」
「まさか、そんな……」
 返事はなく、ただブツブツとなにかをつぶやいてるだけだった。まだもうしばらく時間がかかるのだろう、瀬川が冷静さを取り戻すにはまだかかる。とりあえずはそっとしておく。
 ともかくも状況を把握する。いったいなにが起こっているのか。この現象は局地的なものなのか、それとも全国規模なのか。車に乗り込みカーラジオをつける。ラジオは正常に機能し、放送を聞くことができた。だが脳が麻痺しているのか、言葉を言葉として認識するのにひどく労力を必要とした。
 そして理解する。この現象は地球規模で起こっている。日本時間の夜に暗闇が襲ったため、日本人の感覚としては「明けない夜」、地球の反対側では「突然の暗闇」なのだという。地球規模で突然発生した奇妙な現象、どの局でも熱のこもった舌でそう伝えている。要領は得ないが、この現象が地球規模で起こっていること、それだけは確実に理解した。
「開けない夜、突然の闇……」
 ラジオの言葉を今度は自分の口で繰り返す。それはまるでうわごとのように。
 まるで実感が湧かない。湧くはずもない。今こうして暗いのはたしかだ。そして、それが地球規模で起こっている。想像がつかない。意味がわからない。
 こうした状況で人間が取る行動は限られている。携帯を取りだし、家族や友人に電話をかける。知人と言葉を交わすことで言霊の空間を形成するためだ。誰かと同じ世界を認識していることを確認することで、たとえそれが虚構でも一定の安心感を得るのだ。
 しかし、回線がひどく混み合っているのか、何度かけても繋がらない。無理もないことだった。誰も彼もが俺と同じように互いの安否を確認しようとしているのだろう。いや、というよりこの状況では電話会社がまともに機能しているのかどうか。普段当たり前のように利用しているシステムも、どこかのだれか生身の人間によって運用されているのだ。
「おい! 瀬川、帰るぞ!」
 旅行どころではない。一刻も早く帰宅しなければならない。帰宅したところで救われるわけではない。しかし、今すぐにでも帰らなければならない衝動に駆られている。幸いにも車のライトは昨日と同じように闇を照らした。無理矢理に瀬川を引きずり込み運転させる。虚ろな目だったが、俺の言うことは理解できているようだった。
 そのまま真っ直ぐに島を脱出し、帰路を行く。

 予想通り、街は混沌としていた。大渋滞が形成され、クラクションが延々と鳴り響いていた。どこからか野次も聞こえた。暗さもあり、どこまで続いているのかまるで見えない。法定速度で三車線もある国道だというのに一向に前へ進む気配がなかった。
「くそ。この暗闇に一体どこに行こうって、どこへ逃げるっていうんだ……。いや、俺達と同じように家に帰るのか」
 街灯だけが輝き、月明かりも星の光もない。街で生活するかぎり月明かりを意識することなどあまりないが、それがまったくないというのはやはり奇異な光景なのだと思い知らされる。加えて町中にあるまじき炎の明かりが遠目に見える。叫び声、悲鳴、怒声までもが聞こえてくるようだった。
「ひどい状況だな。しかし、妙に既視感もある。こういった類のパニックムービーで予習してきたからかな」
 ラジオに耳を傾ける。突然地球を襲った謎の「闇」。マスコミは混乱しつつも情報を伝えようと懸命に努力している。彼らの凄まじい報道精神に、今は尊敬の念を抱かざるを得ない。俺が混乱の淵から這い上がるはるか以前から、彼らは正確な情報を収集し、伝えようと努力していたのだ。
 だが、その状況を把握したからといってどうなるというのか。不安が解消されるわけでもなく、なにか対策が練られるわけでもない。知りたかった、しかし知ったからといってなにも変わりはしないのだ。
 一方、彼女は壊れたように虚ろな目でなにかをつぶやいているままだった。この状況において会話が成立しないのは不安でならない。俺がただ独り言を繰り返す形になっていた。
「暑いな……」
 窓を開ける。風が吹き込んできた。それと同時に、激しい怒声が鼓膜に突き刺さった。前方の車が暴徒に襲われているらしい。そして、その騒動を自衛隊(服装からそう判断した)が鎮圧した。警察では、もはや手に負えないレベルなのだろう。つまり、これは災害なのだ。他がどうなっているかは闇に妨げられよくは見えない。ただ声だけが聞こえ、恐慌状態に陥っていることはわかる。この闇が地球規模のものであるなら、この恐慌は同様に地球規模で起こっているのだろう。車の中も安全ではない。恐れ、震え、あわてて窓を閉める。
 ただごとではない。今さらながら思う。
 ただごとではないことが起きている。太陽が失われるその意味。予期せぬ闇とそれが永遠に続くかも知れぬという不安。
「待て、永遠だと?」
 夜が明けない。明けるはずだった夜が明けなかった。
 ならばいつまで明けないのか? いつになれば明けるのか? いつかになれば明けるのか?
 明けない夜はないと、胡散臭い宗教家が偉そうに説教を垂れていた。プラス思考が大事だと、自己啓発なんとかもそんな言葉を引き合いに出す。彼らのその他の主張に失笑しようと、その事実は否定できない。はずだった。明けない夜があったのだ。
 内臓が掻き乱される思いがした。重く暗い不快感が全身の血管を駆けめぐる。
「本当にこのまま……」
 落ち着け。なにかの間違いだ。夜が明けないなどいってもまだ数時間。まだなにもわからない。考えすぎだ。そう無理矢理言い聞かせる。痙攣するほどの不安は止まない。そして、おそらくはその不安が人々を恐慌へ駆り立てているのだ。またどこからか悲鳴が聞こえる。
「まさに世界の終わりだな。まさに、世界が明日滅びるとしたらどうしますか、ってやつだ」
 考えろ。なにかがひっかかる。なにか肝心なことを忘れている。こういう状況にこそ冷静な状況判断が必要だ。この異常な事態には、その異常な事態に合わせた論理が必要になる。日常において当たり前のことが当たり前ではない非日常なのだ。思考回路を切り替えろ。なにかが間違っている。なにかがおかしい。いったいなにが起こっている?
「太陽が消えた……」
 それは定かではない。だが、その表現が的確なのはたしかだ。いずれにせよ、太陽をはじめ、空に輝いていたはずの星々の光は見えない。だとすればどうなる? それはなにを意味する? なにが起こる? 我々は星々からなにを得ていた? それが失われたらなにがどうなる?
 暑い? 風が吹いている……?

 往路の数倍の時間をかけ、ようやく見慣れた光景をライトが照らした。それだけで強烈な安心感が身を襲う。たったこれだけのことが奇跡に思えるほどだった。
 近くの駐車場に彼女の車を止め、自宅へと駆け込む。電気をつける。疲れ果てた俺は床に思いっきり寝ころぶ。もう眠りたい。腹も減ったがそれより寝たい。知らなければならないこと。考えなければならないこと。調べなければならないこと。だが心身共に俺は疲れ果てていた。ともかく、休もう。なにが起こったのか、なにをすべきなのか……考えるのは後回し……それからでも遅くは……。
「ああ、待ってください! まだ寝ないで!」
 瀬川が俺を引き起こした。さっきまでフリーズしたかのように沈黙し続けていた瀬川が、俺を夢の世界から強引に引きずり起こした。
「おい、いったいどうした」
「わかったんですよ! わかったんですよついに! えっと、まずは紙とペンを……」
 彼女がらしくもなく興奮していた。俺はただ要請に従い彼女に紙とペンを渡す。なにを話すのかはわからない。だが、重要なことなのだろう。彼女はメモ紙を何枚も消費し、なにやら計算をしているように見えた。時間がかかりそうだったので、俺はコーヒーを摂取し身を引き締める。そして、彼女はようやく整理できたのか、紙に小さな丸と、それを囲む楕円を描いた。
「これはなんだ?」
「えっと、これを私がかつていた恒星系だと考えてください。この丸が恒星です。で、私がどこに住んでいたかというと……」
「ちょっと待て! かつて住んでいた恒星系だと? 思い出したのか! まさか、わかったというのか自分の正体が!」
「ああ、すみません。それをいうのを忘れてました。でも、思い出した、というのは少し違います。表現としては近いのですが……かつて宇宙人として行っていた知的活動の記録を人類の言語によって表現する術を見つけた、といえばいいのでしょうか」
「ああ、そうだったな。ややこしい。ともかく、説明できるんだな? 自分が、一体何者なのかを!」
 目を覚ますのにカフェインなど要らなかった。
 半ば彼女を宇宙人として認めながら、しかし彼女の正体など永遠にわからないと決めつけていた。秋山の用いた論理や、重ね重ねの推論から、彼女が宇宙人であることがたとえ間違いなくとも、その証拠は絶対に見つからない。このままわからなくてもいいとさえ思っていた。いうならば、彼女はフィクションにおけるマクガフィン、正体のあやふやな、物語を進行させるための演出装置であると。そんな存在があっても悪くない。そう思っていた。
 それが、いま彼女の口から語られようとしている。想像もつかないだろうと想像していた、その姿が、その姿を、彼女はそれを説明できると言っているのだ。
「はい。そうです。順序よく説明しますのでこの図を見てください。まずは……これが私の故郷である恒星系、そして私がどこに住んでいたかというと、ここなんですよ」
 彼女は恒星の周りに描かれた楕円をなぞった。
「どういうことだ? それは惑星の公転軌道だな。つまり、その惑星に住んでたってことか。それがどうしたんだ?」
「違うんです。えっと、そうですね。私たちはこういう風に……」
 そういうと、楕円上の点を結ぶ形で楕円の内側に対角線を何本も引いた。
「こんな感じで、私たちは仲間たちとコミュニケートしていたんです。これが私たちを知的生物たらしめていた知的活動です」
「? ますます意味がわからない。仲間たち? コミュニケーション? 恒星をまたいでか?」
「またぐ必要はありませんが、かなりの距離ですね。おそらくは指向性の粒子ビームを伝達手段として使用していたんだと思います」
「仲間ってのはなんだ?」
「同じ生物種の仲間ということです」
「この楕円は惑星の公転軌道を示してるんだよな?」
「そうです。ですが、この軌道上で公転している惑星は一つではありません。これは、そう、つまりは小惑星帯なんです」
「小惑星? 仲間たち? つまり、惑星間で交信していたのか?」
「そうです。宇宙人といっても、特定の惑星や衛星に住んでいたのではありません。それが思い込みだったんです。古来、あの月には誰かが住んでいるのだろうか、火星や木星に居住者はいるのか……そういった議論は盛んでした。ですが、誰も月そのものが一つの生命だとは思いもしませんでした。つまり、そういうことなんです。私たちは星そのもので一つの生命、一つの星で一つの生命だったんですよ!」
「天体そのものが一つの生命か!」
 脳内がスパークした。秋山の言葉が電気速度で再生される。
 ガイア理論を拡大し、恒星や惑星を一つの生命と見なす。そうすれば地球外生命はあっという間に発見できる。そんな仮定の話。だがそれは、人類の求める地球外生命の姿ではないと、切り捨てられた無意味な話。
 しかし、彼女は、それが仮定や無意味な話ではなく、まさにまさしくそれだったのだ。
「これで、かねてから疑問を抱いていた、どうやって地球へ来たのかという問題も説明できるんです。とはいっても、穴だらけの気はしますが……ともかく説明は可能です」
 俺自身も彼女に尋ねたことだし、秋山と話をしたときもそこが問題になった。人類と同等以下の文明レベルの宇宙人がどうやって地球へ飛来するか。偶然に頼るしかないとの結論は出たが、そもそも一体どんな偶然だというのか。それすらが想像の範疇外だった。
 偶然というなら自然現象だろう。最初の問題として、自星の重力圏と大気圏を突破させ、そのまま宇宙の航行を続けさせるだけの自然現象が存在するのかという問題があった。しかし、彼女の正体が小惑星そのものであるならば、まずその問題は解決する。これは大きい。だが、それよりも困難なのは主星の重力圏の突破だ。その重力圏を抜け、いかにして系外へ脱出するのか。
「……だけど、それがなんだっていうんだ?」
 彼女の話は興味深かった。しかし、外の暗さを見て冷静になる。考えることが馬鹿らしく思えてきた。彼女の正体が語られたのは衝撃だった。だが、今はそんなことはどうでもいい。問題は、この明けない夜だ。世界が恐慌に包まれている。もしこのまま永遠に夜が明けなかったらどうなるのか。心臓を握り潰されるような不安感に身が縮こまる。彼女の正体がわかったからといって、この状況のなにが変わるというのか。
「残念だ。もう少し早ければゆっくり話を聞けたが……いまはそれどころじゃない。問題はこの明けない夜だ。これとなにか関係するとでもいうのか?」
「関係します」
「なんだって?」
 それはあり得ないことだ。宇宙人の飛来と、闇の襲来。両者もほぼ同時期に起こった異常事態に違いはない。だからといって、そこに関連性があるとはかぎらない。二つの異常を安易に結びつけるのは愚者のすることだ。そして、それは未知の不安を解消するための強烈な誘惑でもある。あくまで両者は別個の事件。そう認識することが健全な精神だ。それが健全な精神であるはずなのだ。
「ある日、私たちの主星が突然消滅したんです。そうなると、どうなります? その惑星はその後、自由な天体として直進運動をすることになります。つまり、私は主星に振り回されて、ハンマー投げされたようなものです。その直線上にこの地球があった。そして、そのまま地球に侵入し、瀬川縫子という人間に出会い、寄生することになった。寄生先が人間になったのは、多分彼女、瀬川縫子が興味を抱いて私を拾い上げたから……だと思います」
「待て待て、主星が消滅だと? いきなりなにを言ってる? 文字通りまさに突然恒星が消滅したというのか? 今まさに起こっているこの事態のように?」
「そうです。まさにその通りです」
「なにをいってるんだ。どういう状況だそれは」
「こういう状況ですよ」
 彼女は空を指し示す。
「食べられたんです、私たちの主星は。彼は〈星食い〉。ちょうど、海中のプランクトンを食べる魚のように、ぽっかりと口を開けて宇宙空間を放浪する、星を主食とする宇宙生物です」
「馬鹿な!」
 主星の重力圏をいかに突破するか。それを「主星を消滅させる」ことで解決した。そして同時に、いかにして宇宙を航行する推進力を得るのかという問題も。思いも寄らない解答だった。だが、思いも寄らないのはそれがあまりに馬鹿げているからだ。そんなことがあり得るわけがない。
「今の状況は、太陽ではなくこの星が、地球が食べられようとしているんだと思います。太陽だけでなく他の星々も見えなくなっていることからそう推察されます」
 そのあまりに荒唐無稽な話を、しかし彼女は真剣に続ける。
「私は、仲間たちとのネットワーキングによりできるかぎりの情報を収集しました。粒子ビームの送受信により私たちは互いの位置関係を把握することができます。そして、主星の消滅により軌道を離れバラバラになっていくのがわかりました。その情報体系が人類のそれとはるかに異なるために人類の脳で理解できるよう言語化するまでずいぶんと時間を要しましたが、今でははっきりわかります。今、地球を食べようとしている存在と、私たちの主星を食べたのは――同種の存在です」
「理には適ってる。理屈には合うな。百歩譲って〈星食い〉とやらの存在は認めよう。だが、一体どれだけの極低確率の現象だそれは。異常事態が二つ重なったかといってそれが安易に結びつくものか。しかも、その二つが重なっているのも、なにか因果関係があるというわけですらない。ただの偶然じゃないか! 馬鹿馬鹿しい! そんな話が信じられるか!」
「私だって信じがたいことです。でも、最後まで話させてください。あくまで仮説です。仮説として聞いていただくだけで結構です。でも、私にはこれが真実だと思えてならないんです。宇宙の96%は未知で出来ています。ダークマター、わかりますよね? 銀河の光量による推定質量と運動による推定質量の食い違いから想定された物質です。人類はたしかに、宇宙について幅広い知識と理解を深めてきましたけど、その人類にとっても完全な未知の部分が多く残されています」
「それがどうした? 二流SFじゃあるまいし。その〈星食い〉とやらの正体が、人類がいまだに検出できていないでいるダークマターだとでもいうのか?」
「わかりません。人類が求める、人類が定義するダークマターは、二つの推定質量の差を埋め合わせる存在です。その条件に合致するかはわかりません。ですが、人類はこうして彼に食われる瞬間までその存在を認識できなかった、観測できなかったという点からして、ダークマターとと呼ぶのはかなり近しいものだと思っています」
「だが、ただ真っ黒なだけならそれが影になるはずだ。近くまで来たとなれば今まで見えていたはずの星の光が見えなくなる。間接的に観測は可能になるはずだ。だが、それすらもない。おそらくなかった。いや、間違いなくなかっただろう。そんな騒ぎはなかったからな。これはどういうことだ? 瞬間移動でもしてきたというのか?」
「彼の移動手段はおそらく慣性です。少なくとも、その運動は連続的で直線的なものであると」
「根拠は?」
「私たちの太陽は、徐々に飲み込まれていきました。徐々に消えていくのを感じました」
「食われはじめる瞬間までは?」
「はい、気づけませんでした」
「わからないな。そもそもがお前の恒星を食った存在と、いま地球を食おうとしている存在が同一かもわからないが……お前のいうことが正しいなら、そこにいるはずなのに食われる瞬間まで認識できないということか?」
「それについても仮説はあります。私たちを襲った事例と、今回の事例をあわせて考えたものですが……彼は、おそらく闇そのものなんです。普通、闇や影というものは、光のない状態とされ、実体はないと考えられています。ですが、彼はその常識を根本から覆す、つまり光の粒子が存在するように――いうならば、彼は〈闇の粒子〉によって構成される生命体なんです」
「それじゃあ三流SFだ!」
「つまり、こういうことなんです。いま地球が暗いのは、光が遮断されているからではなく、光子と同数以上の〈闇の粒子〉を視覚神経受け取っているからだと。つまりは引き算の関係で暗くなっている、こういうことです」
「光子は反射せず通過する……。そして、自身から粒子を発するわけではないから観測は出来ない。しかし、それに触れたとき、その〈闇の粒子〉を網膜が受け取ることになる?」
「光子の量が闇を上回れば明るく見えます。人工の照明が機能しているのはこのためです。加え、〈闇の粒子〉を受け取る量が多くなれば暗さは増します。通常の闇のように遠くが見えにくくなるのはこういうことです。普通の夜の場合は、光量が足りなくなるために遠くが見えないわけですが、今の闇は、いわば闇量が増えるがゆえに遠くが見えにくくなる。つまり、見かけ上は太陽の隠れた夜に近似かと」
「だが、なぜそうなる? 要は、なぜ食われてみるまで気づけないかという問題だろ? わざわざそんな〈闇の粒子〉なんてものを想定してまで……」
 言葉に詰まり、その機に深呼吸をする。俺はじょじょに自分の言葉から論理性が失われているのを感じた。そのうえ、どこか攻撃的になっている。もう一度深呼吸をした。
「すまない。突飛な仮説すぎて頭が追いつかない。少し頭を冷やさせてくれ。話したいことは多いだろうが、それからにしてくれないか?」
 もともと疲れていたのもある。情けなくも思ったがそうも言っていられない。糖分をたっぷり含んだジュースを摂取し、なんとか脳を正常に起動させようと努力する。思考の速度を緩める。一歩引いて自らを客観視する。普段の状態であったなら、たしかに驚きはするだろうがここまでは取り乱さないはずだ。
 彼女の話を整理し、その話がどれだけの妥当性を持つか、矛盾は含まれていないか、なにを質問すべきかを吟味する。彼女はその俺を落ち着きのない様子で見守る。深呼吸をし、小便をし、心臓の高鳴りを抑え、なんとか彼女との質疑応答を再開する。
「とりあえず、〈星食い〉のことはおこう。順を追って聞きたいことがある。お前の身元についてだ。まずは、どうやってそれがわかった? 自分の正体は小惑星で、生活していたのは小惑星帯だと、なぜ? 目もなければ鏡もないのに、なぜ自分の正体が小惑星だとわかった?」
「公転軌道の楕円、その外側に情報を発信することもあったのですが、そのときは当然返事がありません。それを解釈したとき、小惑星帯とするのが一番妥当と判断しました」
「やっぱり、どんな姿をしていたのか――形状や大きさ、姿についてはわからないままか?」
「はい。感覚器官と呼べるものは仲間たちとの情報交換に対応した受信部のみ、互いにピンポイントで交信していたので、いわゆる目とはまた異なる器官です。どちらかといえば耳が近いでしょうか。ゆえに、形状や大きさについては判断のしようがありません。太陽系の小惑星のように歪で穴だらけな鉱物かもしれませんし、あるいは、もっと奇妙な姿だったのかもしれません。ともかく、やはり小惑星と呼ぶのが一番的確みたいです」
「話を聞くかぎり、連絡用の粒子ビームは全方位に発射できたということか?」
「そうなります」
「どこに向かって撃っていたか、その方向の認識は?」
「交信記録を蓄積しそれを参照すれば可能です」
「なるほどな。で、太陽系外からの小惑星の飛来、ってことだったよな。太陽が突然消滅し振り回される形で宇宙空間へ放り投げられたことになるわけだから……公転速度そのままで等速直線運動を続けるということか。いや待て、そんなことがありうるのか? そもそもどのくらいの時間がかかる? ちゃんと到達できるのか? 地球の公転速度が時速30km、太陽系と最も近い恒星アルファ・ケンタウリまでの距離が4.3光年。ちょっと待て。計算する。4.3光年、356日をかけて156.5日、37668光時、2260080光分、135604800光秒、そして一光秒が時速30万キロだから――4.3光年をキロメートルで表すと――いや、それを時速30kmで割ればいいわけだから、かかる時間は――一356048000000――つまり10兆年?! 宇宙が生まれた瞬間に出発しても到底間に合わないぞ! それより2桁は速くなければならない! つまり時速3000キロ……馬鹿馬鹿しい! そんな速度で公転する惑星があってたまるか!!」
「えっと、すみません。それ間違ってます」
「なに?」
「もっと簡単に計算する方法があります。たとえば、光で4.3年かかる距離を10万年で航行するとします。するとその速さは光の約2325.8分の一。つまり、30万÷2325.8で時速11.88キロです」
「あれ? なにか間違えたか? その計算方法は正しい? えっと、直線300kmの道を自動車で時速100kmで行く場合と徒歩時速5kmだったら、自動車は3時間、徒歩なら60時間、自動車と徒歩の速さの比は100対5=20対1で、時間の比は3対60=1対20。いや、確認するまでもなく正しいよな……あれ?」
「冷静に考えてください。時速3000キロ……、あと2桁で光秒です。カズ君の計算方法をもっと簡略化しますと、1光年は9.46兆キロメートルです。これを時速30kmで割るんですから……」
「あ……10兆秒か」
「そうです」
 顔が赤くなるのを感じた。まさか宇宙人の前でこれほど初歩的なミスを犯してしまうとは。人類の恥だ。
「すまん。混乱してた。とりあえず、距離と速度の話は秒速数十kmあれば、数万年というスパンで地球へ飛来するのも可能、ということだな。いや待て、10万年だって? それじゃあその数万年もの間、お前はその記録を保存し続けていたというのか、劣化もなしに? しかも、宇宙空間を漂い続けて! 人類ですらそれほど高機能の情報媒介は」
「そういう生き物ですから。もともと、小惑星として何万年単位、あるいはそれ以上の長命種だったんです。優れているとか、劣っているとか……両者を比較し、そういった価値判断をすることがそもそも誤りだったんだと思います。私たちは別の生き物なんですから」
「私たち、か……」
 ふと我に返った気がした。当たり前のように部屋を照らしている蛍光灯を見上げる。そして、当たり前のように冷蔵庫は飲料水を保管していた。
「それにしても、電気はつくのか。この状況でもまだ発電所は生きているということだな」
 いまさらながら、しかしこのことに気づけたのは冷静な思考を取り戻してきた証拠だろう。そして冷静になってみると、考えることはあまりに多いことに気づく。寝ている場合ではない。一刻を争う事態かもしれないのだ。ともかくも今は、目の前の彼女から聞けるだけのことを聞き、議論するしかない。
「個別に送受信装置と記憶装置を備えた生物。そういうことか」
「そういうことになります」
「いや、ちょっと待て。秒速数十キロで何万年ということは、地球からそう遠くない恒星なんだよな? おそらくは数光年……ということは、地球からも消滅を確認できていてもいいんじゃないのか?」
「消滅したのはおそらく数万年以上前ですから」
「あ、そうか」
 そう考えるとますます筋が通っている。現在太陽に最も近い恒星はアルファ・ケンタウリでありその距離は4.3光年だが、あるいは数万年前にはそれより近い距離に別の恒星が存在していたかもしれないということだ。もちろん、筋が通っているといっても、現段階で反論の余地がない、という程度にすぎないが。
「もう一つ。こういう質問はあまり適切ではないと思うんだが……なにを食ってた? つまりは生命活動を継続するためのエネルギー源だ」
「太陽のもたらす光エネルギーを利用していたんだと思います。この意味でやはり植物ですね。だから、太陽の消失をはっきり観測することができた」
「それじゃあ太陽が消滅して、それでどうやって生き延びたんだ? 要するに食い物が無くなったんだろ。少なくとも何万年、何十万年宇宙空間を漂い続けたことになる」
「生態活動を停止し冬眠すれば、いわば仮死状態であれば、何万年でもその状態を維持することが可能です。エネルギーなんて、ビームを放出するくらいしか使い道がないわけですから」
「ふうむ」
 やはり論理的な穴はないが、適当な辻褄合わせを並べているようにも思える。とても常識的とはいえない仮説であり、彼女もなんら証拠を提示できてはいない。しかし次第に、彼女の話は俺の中でも「ありえるかもしれない」という地位を得はじめていた。
「それにしても、主星が消滅してその勢いで宇宙を航行、か。考えもしなかったな。そんな方法でやってくる宇宙人なんて」
「私も……、太陽が消えた、カズ君がこう言ったのを聞いて思いついたんです。思いついた、という言い方は適切ではないんですが、情報を出力する術を手に入れたといいますか、とにかくあれがきっかけです」
「つまり、太陽消滅という仮説を手に入れたことにより説明が可能になったと? しかし、今まで言語化できなかった概念が仮説を手に入れたくらいで説明できるものなのか」
「言語化できない……という表現も少し違っていたのかも知れません。いうならば、暗号解読の鍵を手に入れた感覚です。今までは、意味不明な文字羅列の情報がある、そんな感覚でした」
「なるほどな。この明けない夜のおかげでもあるというわけか。〈星食い〉が来たからそんな突飛な仮説も手に入れることができた。因果関係がまったくないわけでもないのか。それにしても、ずいぶんとキッパリ断言するんだな。わからないという返答がほとんどない。はじめ会ったときとは大違いだ」
 彼女の態度は明らかに変わった。曖昧な返答はなく、毅然とした態度で返事が返ってくる。頼もしくもあり、しかし不安にもなる。彼女の話が本当だとして……いや、本当だとしたら、それはやはりどうしようもない事態なのではないか?
「で、その〈星食い〉だが……対策はあるのか?」
 淀みなく答えていた彼女が、沈黙した。
「そうだよ、そうだよな。どうしろっていうんだよ。〈星食い〉だなんて。ハリウッド映画なら人気俳優が核でも積んだロケットに乗って突っ込んでいくかもしれないが、そもそも核兵器でどうにかなる相手なのか? 地球上のすべての生物を死滅させうるだけの核兵器をありったけ打ち込めば勝てる相手か? 仮にそれでなんとかなるとして、なんとかなるという確信のもと全世界が協力しなければならない。そんなことができるか? できるわけがない。人類はなにもできない。その生物になにもできない。いくら正体がわかったところで、どうにもならない。実際、お前の話が本当なのか証明する術もないわけだしな。たとえば、人間よりはるかに微少なウイルスが人間を死に至らしめることがある。だけど、それは大軍だからだ。この状況をたとえるなら、人間という巨大な生物相手にウイルスがたった一体で一切の増援なしに立ち向かうようなもの。それほどの差だ。そんな規格外の相手に……いったいなにができるっていうんだ」
「私は……私は、人類ならなにかできると思います……」
「まだ信じられるのか、人類を。それとも、突如どこからかそれっぽい組織か、それともそれっぽいスーパーヒーローが現れて、なんとかしてくれるとでも?」
 ついには互いに沈黙した。話すネタが尽きたためでもあり、今後のことを考えたときの強烈な不安感の重圧のためでもあった。
「寝る」
 耐えかねた俺が沈黙を破る。
「寝るって、この状況でですか……?!」
「人が眠るのは明日を生きるためだ。お前も寝た方がいい。正直、今の状態では脳が正常に機能しない」
 意訳:疲れた。
「それでは、判断は任せます。私は情報を収拾、集積、整理します。どうせ眠れませんので」
 落ち着きのない彼女にTV、ラジオ、ネット等の情報端末を与えた。それらは一応正常に機能していた。それはまるで鎮静剤のように彼女を黙らせた。
「俺も眠れるとは思えないが……まあいい、寝る」
 眠れるわけもない。血が燃えている。心臓が猛っている。布団に入っていることが、ひどく気持ち悪い。身体は疲れ果て、いまにも休憩を欲しているはずなのに、眠ってはならないという意識が睡眠欲を凌駕する量で妨害してくる。
「……少し外へ出る」
 眠れない。動かずにはいられない。かといってこれ以上脳を酷使することもできない。その板挟みから生じた最適解が、気分転換だった。

 しかし、それすらも許されない。町も落ち着きがない。暗闇であるのに騒がしい。
 光も音も、人は目や耳で感じるのではない。脳で処理する。ゆえに両者は互いには個別ではなく、明は騒に、暗は静に対応する。それが自然だったのだろう。何万年か、何億年か、生物として積み重ねた統計データが、明るければ騒がしく、暗ければ静かであるはずだと判断している。脳はそう処理している。にもかかわらず、それを裏切り、その闇はどんな昼より騒がしかった。
 この状況で俺はなにをなすべきなのだろう? 生き残るために。一定の安心感を得るために。
 まずは食糧の入手を、と考えた。だが、それがとても不可能であるのはもう知れていた。コンビニ、スーパー、商店街……人々は押し合いへし合い我先にと食糧を求めていた。なにが起こっているのか、なにが起こるのかわからぬこの事態。しかし、食糧さえ確保できれば生存できる。考えることは誰も彼も同じだ。もはや秩序など遠い昔の過去の思い出。
 手慰みに携帯を弄る。電話帳に登録されている番号に片端からかけてみる。繋がらない。繋がるはずがない。携帯電話の脆弱性か、それとも固定電話でも同様なのだろうか。
 あまり外にはいられなかった。落ち着くために出たはずが、胸騒ぎはますますひどくなる。すぐに部屋に戻った。

 冷蔵庫を確認。安かったときに多めに買ったいくらかの食料品、キャベツ、納豆、豆乳、プリン。大したものはない。二日くらいが限界だろう。食糧がダメならとりあえず水、蛇口を回す。水が出てきた。それだけで安心する。念のためにペットボトルに保管しておくくらいがいいのだろうか。だが、ペットボトルの空きもなかった。
 絶望感だけが募った。地球が食われる、それよりも先に人の心が食われていく。宇宙より先に太陽が死に、太陽より先に地球が死に、地球より先に人類が死ぬ。なんとまあ順序よくいくものだ。
 今度こそ寝る。寝てやる。
 そのとき、眠ることを許さぬかのように携帯が鳴り響いた。

「この状況、どう思う?」
 暗闇の中、二人の男が会話を交わす。椅子に腰掛け、互いに向き合いながら。
「夜はなぜ暗い?」
「唐突だな。それがどうした?」
「とにかく答えろ」
「観測可能な宇宙の地平線が、全宇宙に点在する恒星と地球の平均距離より短いから。あと、星の寿命についても言及した方がいい?」
「正解。しかし今、この夜は星一つ見えないほど暗い。なぜだ?」
「それがわからない」
「観測可能な宇宙が限りなく狭くなったからだよ。つまり、これはどういうことだ?」
「……さっぱりだ。いまはそこまで頭が回らない」
「日常において、星が見えない状況といえばなんだ。都会では星が見えず、田舎では美しく輝いているのは? 同じ空を見ているはずなのに」
「空気の濁り、あるいは曇っているかどうか」
「そう、そう考えるのが自然だ。そして、これは自然現象だ。現象とはすべて自然だ。自然な思考によって答えは必ず出る。今はそれが世界規模で起こっている。これはどういうことか?」
 しばらく考える時間を用意したが、返事はない。
「簡単にいえば、地球を覆う規模の巨大な雲の出現だ。こういうことが自然で発生するのは、たとえば巨大隕石の衝突や巨大火山の噴火によって舞い上がる灰。だが、そのいずれの現象も観測されていない。もしそのような現象なら、こうして闇に覆われるより以前から予兆があり、観測があり、報道があるはずだ。しかし、現在をもってしてその観測はされていない。これはどういうことだろう?」
 明かりがつく。
「よう、なにしてるんだ二人で」
「遅かったな元木。連絡が取れてよかった」
 部屋にいたのは阿閉と秋山。呼び出されたのは大学の一室だったが、散在している雑誌や書籍からして彼らの使用しているSF研の部室といったところだろう。
「おい、明かりをつけるな! 貴重な電力かもしれないんだぞ」
 阿閉が怒鳴りつける。
「電気なんてもともと蓄積しにくいエネルギーだろ。日本での主要な発電方式は六割以上が火力、そして次に原子力が占める。太陽を利用する太陽光発電や風力発電はごくわずか。発電所の職員が発狂しないかぎり大丈夫だ。というか、その場合は問答無用で止まってる」
「な? 元木もああ言ってるだろ。この事態に対し政府の緊急委員会は生命線である発電所を全力で支援している」
 どうやら、暗闇だったのは阿閉がごねていたかららしい。
「ん? それにしても、やっぱり彼女もいるのか。名前なんていったっけ?」
「……どうも、瀬川です」
 やはりついてきた瀬川には突っ込まれたが、以前に比べそれほど気にしている様子もなかった。それどころではないからだ。
「まあいい。人は多い方がいい。連絡がつかないのが多いのもあって集まりが悪すぎる。この緊急事態だというのに。もっと人を集めることを想定してこの部屋にしたが……これなら俺の家のがよかったな。瀬川さんか、よろしく」
 俺と瀬川も席につく。
「さて、状況の整理からはじめようか」
 秋山が仕切り、今後の方針を定めるための情報交換と会議がはじまる。
「まず考えられる最悪の事態は……地球が冷える。植物が死滅する。食糧不足。経済恐慌。政治不安。戦争が起きる。あるいは、もう起きてるかも。さらには、どさくさに紛れて時代錯誤な支配体制の誕生。文明の崩壊」
 身震いがする。街を混乱をみるに、決してあり得ないことではない。秋山が挙げたいくらかはおそらくすでに現実になっている。
「宗教界は案の定騒然としている。闇に乗じて新宗教を興したり、今回の事態は予言していたと主張する連中が現れた。神、悪魔、宇宙人、超能力などなど……あらゆる陳腐なオカルトが飛び交ってる。例によって終末思想も大賑わい。ひどいパニックだ。スーパーなんかには食料品を求め非常食が丸ごとかっさらわれた。実際問題、太陽がなくなっては一次産業はもう壊滅的だ。乾電池や灯油なんかの独立したエネルギー媒介もどんどんなくなってる。そして、なぜかハミガキ粉が馬鹿売れだ。意味がわからんが、これは多分オイルショックのトイレットペーパーと同じノリだな。なにが起こってるかも分からない。なにが起こるのかも分からない。その不安が混乱を増長させている」
「そういや的場は?」
「ハミガキ粉を大量に買いに行った」
「おいおい、馬鹿かあいつは……」
「なんでも転売して大儲けするらしい」
「ウルトラ馬鹿だな」
 この状況で金儲けとは。いや、金儲けに専念することで現実を忘れようとしているのか。
 話を戻す。
「世界中の経済システムの大部分が混乱。郵便システムは機能していない。発売予定の多くの週刊誌が休刊。正確には書店への運搬が中止されたというべきか。実際のところは混乱していてわからない。テレビやラジオはかろうじて情報を送信し続けている。各サーバーの運用は一応継続しているらしくネットには接続できる。自然エネルギーで運営してるだとかぬかしていたサーバーは落ちてた。しかし、これもいつまで続くのか。海外のBBSを覗いたがやはり地球規模。どこもかしこもこの話題で持ちきり。さまざまな議論、さまざまな憶測がかわされ収拾がつかなくなっている。あまりに過剰な接続にサーバーダウンも多く発生している。大混乱だよ」
「怖ろしいな。予想以上の混乱だ。これはマジに人類滅亡の危機か」
「人類じゃない」秋山はにやりと笑い、「地球だよ。この星は食われる」
 そう、ハッキリと告げた。
「食われるだって?」
 それは、瀬川の仮説にも含まれていた表現だった。俺は息を飲み、続きを聞く。
「これはおそらく、人類どころか地球にとってすら未曾有の体験だ。人類の英知の結晶である科学理論もかなり大きな修正が必要になるやもしれん」
 秋山はあくまで冷静だった。
「この事態は異常だ。だが、その異常な事態の中にさらに異常な事態が一つある。夜が明けないことで真っ先に考えられる最悪の現象はなんだ? それは地球が冷え、氷河期に突入すること。だが窓を開けて見ろ」
 カーテンがなびく。
「風が吹いてるんだよ。太陽がなくては風は吹かない」
 そして、秋山は窓の側まで歩み寄る。
「もっとわかりやすい確認法がある。目をつむって肌に神経を集中させろ。暑いんだよ。太陽が肌を照らしている。風についてもそうだ。気象とは太陽の働きによっている。風もその一つ。気圧差から生じる。まあ、俺も気象学は専門じゃないから太陽がなくなったからといってすぐ無風状態になるのかは知らんが、もう半日は経っている。それに、少なくともこの感触は夜の風とは違う。これはどういうことだ? さっき俺は、これを地球を覆う規模の巨大な雲と表現した。だが、これは違うんだ。太陽光は届いてる。だのに、見えない。となると、俺達の目の方に問題が生じた。そう考えるのが妥当だ」
 目の方に問題が生じた。それは瀬川がいうところの〈闇の粒子〉に近い表現だ。データを集積し、合理的に思考を積み重ねれば、誰でもそういう結論に達するものなのか。たしかに、論理的には自然に響いた。秋山の話は非常に納得のいくものだ。そして、偶然か必然か、その仮説は秋山の持ちえない情報をもって組み立てられた瀬川の仮説と類似する。情報を不足を卓越した観察力と論理的思考力によって補う。ならば、その一致は偶然ではない。
 だが、それは本当に「卓越した論理的思考力」などという言葉で説明できるものか。たしかに、俺たち凡人を納得させるだけの説得力はある。かといって、論理的な思考ができれば誰でも思いつくものなのか。特にこんな異常事態だ。秋山にはそれだけでは説明のつかないなにかしらの才能がある。そして、それはときに「超能力」と呼ばれる。もしかしたら秋山は、その意味において「人類最強の男」といえるかもしれない。
「だが、カメラなら写るというわけでもない。天文台も人工衛星も映像関係の機能は停止。機械的に動かなくなったわけではないが、なにも映らないために故障なのかなんなのかもわからない。全世界のカメラが同時に故障というのは考えにくい。機械的な故障だとして、生物の目の異常との因果関係も不明だ。やはり、可視光の伝達がなにかに遮られていると考えるしかないが、しかし太陽はたしかに照っている。地表に届く太陽光のエネルギーはほとんど可視光だ。また、懐中電灯や蛍光灯は普通に闇を照らす。わけがわからん。なにか、人類にとって未知のなにか……」
 しかし、その「人類最強の男」ですらがここで限界だ。未知のなにかがある。あるはずだ。そんな、説明ともつかない説明に身を委ねるしかない。
「くそ。いったいなんだってんだ。お前たちはどう思う? 阿閉」
「無理だ。なにもわからない。わかるはずがない」
 絶望が静かに背後に迫る。
 そう、しょせん人類は無力なのだ。自らの身になにが起こったのかさえ理解できずに滅びる。いまだに宗教の迷妄を抜けられず、既得利権のため優れた技術を封じ、哲学も知らず科学精神を理解しない。歴史も読めず未来も見えず、滑稽なほど不完全なまま人類は死に絶える。その程度の存在でしかない。人類滅亡は核戦争による自滅だと昔から決まっているらしいが、残念ながら自分の意志で滅ぶ自由すら認められなかったようだ。
 瀬川が立ち上がる。
 今まで黙って話を聞いていただけの彼女が、立ち上がった。そして、彼女は秋山と目を合わせ、意を決したように口を開いた。
「実は私、宇宙人なんです」
「ん? ああ、そう。前からそうだと……」秋山は軽く流し、「うをわああああっ?!」
 ノリツッコミ的に転げる。
「これを告白するのも……今、この状況と深い関係があるんです」
 俺は目を丸くした。なにが起こったのかしばらく理解できなかった。
 あれだけ口外を嫌っていた、特に秋山に、瀬川が自ら宇宙人であることを名乗った。この事態の打開のため、できうるかぎりの情報交換をすべきと決断したのだろう。そのまなざしは真剣だった。このあまりにも唐突な告白を前に、あの秋山がひどく動揺していた。呼吸を荒げ、震えていた。
 そして瀬川は秋山に、俺がした質問も踏まえ、懇切丁寧に説明した。秋山はいつになく真剣に話を聞く。秋山が聞く側に回るのは珍しい光景だった。努めて冷静さを保っていた秋山だが、それでも全容を理解するまでにはずいぶんと時間がかかった。一方、阿閉は一言も発せずにただ呆然としていた。
「なるほどな。把握した。まったく驚いたな。まさか、生きてるうちに宇宙人に会えるとは。それも人間に寄生するタイプ。一番会いたかった種類だよ。SFではわりとよく見かけるが、もとは天体か。興味深いな。いちいち興味深い」
 気づいたときには、すでに瀬川は宇宙人としての地位を確立していた。
「おいおい。いくらなんでも切替が早すぎだろ。もっと疑うことはないのか? たとえばだ、俺がお前を騙すために共謀してるとか、あるいは彼女の妄想だとか……」
「それはもうお前がしたんだろ? いや、きっとしたはずだ。あらゆる可能性を考証し、遠慮のない質問を彼女にぶつけまくった。お前ならそうするはずだ。それにお前が俺を騙してなんになる? しかもこんな状況で。冷静な思考で構築された体系的な嘘という線はない。彼女ならなおさらだ。だとすれば彼女が妄想にとらわれている可能性だが、長い間観察を続けたお前がそれを見抜けないんだ。ならばそれはない。お前が保証するんだろ?」
「こんな状況だからこそ嘘やデマはいくらでも、だろ」
「そういうのは得てしてどこかで論理的な破綻がある。パニックゆえの妄想ならな。これは俺が保証してやろう」
「そういわれると頼もしいな」
 俺が秋山の立場だったらどういう反応になっていたか。人類が滅ぶまで長考し、疑念の渦に囚われたまま朽ち果てていたかもしれない。いや、そのときは秋山が瀬川と出会っているわけで、あるいは秋山から話を聞くならすんなり信用できたろうか?
「……本当に信じるのか秋山?」
 沈黙してた阿閉が不安げに尋ねる。それが普通の反応だ。こんな話をそんなにすんなりと受け入れられるはずがない。
「信じる、というのとは違うな。議論を前へ進めるため、それが最も妥当と認めるんだよ」
 科学精神の権化のような男だ。やはり秋山は恐るべき超人なのだと理解する。
「俺の仮説と彼女の仮説の一致。これは注目すべきだな。っと、〈闇の粒子〉だったか。それもおもしろい。で、〈星食い〉か。そいつに恒星系の主星が食われ、主星が消滅したことでその惑星は自由な天体となり? そして、今はそいつが地球を食っている状況、と。面白すぎるぞそれは。この説はかなり有力だぞ。地球を闇が襲ったとき、日本は夜だったが海外では昼だった。その話はしたっけな? つまり、突然闇が襲った、ていう形だったわけだ。だが突然、とはいっても方向性はあったんだ。まさに、巨大ななにかに食われたようにな。日本ではわからなかったが海外、すなわち闇が襲ったとき昼間だった地球の裏側ではそれが観測されている。しかし〈闇の粒子〉ねえ。フラン・オブライエだったかな? それって、いうならば視覚にのみ影響を及ぼす粒子になるのか?」
「そうですね。それだけではないように思えますが、現状ではその理解がわかりやすいかと……」
「生まれて初めて闇を見ている。闇そのものを見ている、ってわけか。空は我々が知るどんな夜空よりも真っ黒で、それこそ塗りつぶされたように真っ黒なのに、我々は地上の様子をいつもの夜と同じように、あるいは夜よりも正確に把握できる。空に太陽は見えないが、太陽の光は地表に届いており、その反射で周囲を見ることはできる。そういうことか?」
「そうですね」
「見かけ上は黒い靄がかかっているようなものか。靄のせいで光が遮られて遠くが見えなくなってる、というのに近いが、実際には〈闇の粒子〉は光を遮っているわけではなく、光の代わりに闇を見せているがゆえに、靄と同じように視界を狭くしている。そして、その靄は地球を覆う規模。やばいな。おもしろいな。待てよ、〈闇の粒子〉はつまり〈星食い〉の体の一部なわけだから、それには方向性があって、地球の自転や公転も考慮すると……いや、人間のスケールでみれば〈闇の粒子〉は空気分子のようにでたらめに運動をしてるも同義。遠くを観測しようとすればするほど、〈闇の粒子〉を受け取る確率が増える。そう考えればいいのか」
「そ、そうですね」
「食うってもどんな感じなんだ? 消化液でも?」
「それはわかりません。多分、今は彼の口の中、あるいは喉か……まだ無事であることを考えれば、胃袋には到達していないと思います」
 それは、人類と宇宙人の知性が出会った瞬間だった。

 旧き魔術の時代、人は目的論で宇宙を考えた。
「太陽はなんのためにある?」我々を照らすためだ。
「惑星はなんのためにある?」そこ居住者がいるに違いない。
「神はなんのためにこの宇宙をつくったのか?」神が意味もなく天体を創造するはずがない。
 そんな、愚かしいドグマをもとに。
 だから、こんな考えが愚かしいのはわかる。だが、それは人間である以上逃れられない思考回路なのだろう。今、俺はこう考えてしまっている。
 彼女はこのためにやって来たのだ、と――。

「ああ、もういいや。いいけどさ」阿閉が観念したように言った。「とにかく、その話が本当だとしてさ……、聞きたいことがある」そこまで言うと、語調を強める。「いつ食われるんだ? いつ食い終わるんだ?」
「残念ながらそれは……。明日かもしれないし、明後日かもしれません。あるいは、ヤスリのように、削るように徐々に食べているのかもしれません」
「なんだよそれ。どうしろっていうんだよ」
 そう、この状況はまさに「明日世界が滅びるとしたら?」という、絶対に起こらないはずの仮定遊びだ。
 その回答はさまざまある。命のかぎり遊び尽くすだとか、家族といつも通りに過ごすだとか、諦めて寝るだとか、童貞を捨てるまでは死ねないだとか、好きなものをたらふく食べるだとか。あるいは、そんなものに答えはないと誇らしげに語るものもいるだろう。
 どの答えも間違いだ。そんなことができるはずがない。そんなふうに過ごせるはずがない。いわゆる「答えがないのが答え」とされる類の問い。だが、答えは必ずある。答えは必ず出る。そして、この問いにも間違いのない正解が、確実に存在する。
「秋山、一ついいか」
 立ち上がり、俺は聞かねばならないことを聞く。
「もし、明日世界が滅びるとしたら?」
「滅びの原因を突きとめ、それを取り除くため全力を尽くす」
 迷いもなく、躊躇もなく、真っ直ぐにやつは答えた。本能にまで刷り込まれたかのような反応速度でやつはそれを答えた。
「まったく、なんとも頼もしい男だよ」
 運命を受け入れる、それは違う。運命に抗う、それも違う。
 運命とは常に過去を指す言葉だ。人類が滅びることは、まだ運命ではない。秋山はそう確信している。俺もその熱気に感染していくのが感じられた。
「こういう事件ってどこが対策するんだ? 軍隊か、NASAか、MIBか?」
 瀬川が決断し、秋山が即答した。だが、相変わらず阿閉は空気を読めずにまだうろたえていた。
「全人類だよ。俺たちも含めたな」秋山が答える。「しかし、俺たちだけではどうにもならないのは事実だ。全人類が協力しなければならない。ともかくも、JAXAか自衛隊かあるいは天文台か。なにかしらの国家規模の機関と接触する必要があるだろう」
「なにを馬鹿な。どうやって信じてもらう? どうやって理解してもらう? で、理解してもらってどうなる? 俺達だって確かな解決策を持っているわけじゃない。解決策になるかもしれない可能性にすぎないんだ」
「そう。どう考えても、そもそも信用を得ることすら難しい。いや、不可能とすらいっていい。この混乱した状況においてその類の機関は多忙を迫られている。宇宙人がどうのといってみても、新興宗教と類と足蹴にされるのがオチだろう」
「じゃあどうするんだよ!」阿閉はひどく興奮していた。「彼女が宇宙人? そんなこと誰も信じない! 信じたところでどうなる?!」
「まったくだ。この状況で実は宇宙人が……なんて、妙な宗教が発生しそうだ。いや、もうとっくに発生してるか。ラエリアン・ムーブメント」
 阿閉の反応は真っ当といえた。地球外生命体の瀬川、人類最強の男秋山。そう、この空間の方が異常なのだ。
 カール・セーガン『コンタクト』というSF小説がある。人間を遥かに凌ぐ文明を持った知的地球外生命体が、タイトル通り人間にコンタクトを取ってくるという話だ。非常に面白いテーマであるが、話はそう簡単にはいかなかなかった。主人公らが懸命に宇宙人とのコンタクトを試み、そのメッセージを解読しようとする最中、さまざまな宗教団体が騒ぎ立て、神からの啓示だ、悪魔からの伝言だと囃し立てる。マスコミが思うままにフラッシュを焚き、あることないこと煽り立てる。政治家は他国を出し抜くことしか頭になく、経済や軍事への影響に腐心する。ただでさえ困難な事業であるというのに、彼らはそれを全面でバックアップするのではなく、各々の偏狭な価値観や利害関係によって足を引っ張り、妨害する。そして現実でもやっぱり同じようなことが起こるのだろうと思うと苦笑した。
 その主人公の視点で見れば、取り巻く彼らは邪魔な存在でしかない。だが、邪魔だからといって排除すればいいというわけでもない。彼らを説得し、協力してもらわなければ事態は進行しない。全人類が協力しなければコンタクトは成功しない。それは途方もない苦労の連続だった。
 敵は、〈星食い〉以前にまず人間なのだ。
「とにかく、なにか行動しないと! こんな部屋で延々と議論を続けても無意味だ!」
「そのなにかを議論してるんだよ」
「それはわかる、わかるが、いてもたっても……」
「がむしゃらに行動してもなにもできないとわかるから議論しているんだ。冷静な思考がなければもっとなにもできない」
「だけど! 俺達が冷静になったくらいで!」
「取り乱してもなにもできない」
「俺たちは超能力者でも魔法使いでもない! ウルトラマンが助けてくれるか? それともMIBが大活躍か? そんな都合のいいやつらはいない! 誰もなにもできやしない! 地球を丸ごと飲み込むサイズの化け物をどうしろっていうんだよ!」
「いいかげんにしろ阿閉!」
 阿閉の焦りも十分理解できる。俺たちに、いやそれどころか人類に為す術などとてもあるとは思えない。たとえば、恐竜を滅ぼしたとされる巨大隕石だったらどうか。いうならば、人類は恐竜が巨大隕石によって滅ぼされたがために生まれたといってもいい。巨大隕石という淘汰により進化した種だ。その人類が繁栄を極める現代、ふたたび巨大隕石が飛来した場合はどうなるか。
 隕石の衝突が起こってしまえば、いくら人類でも多大な犠牲は免れない。核ミサイルで軌道を逸らす、地下シェルターに逃げ込むなどして絶滅は避けられるかもしれない。だが、営々と築き上げてきた文明社会は崩壊するだろう。それはほとんど敗北といっていい。敗北から立ち直る力はある、だが敗北には違いない。衝突してしまえば終わりなのだ。勝利というなら、衝突を予測し未然に防ぐこと、それしかない。
 今回はそれができなかった。その接近を観測することすらできなかったのだ。そして、人類社会は崩壊へ向かっている。ついには地球が丸ごと食われる。なにもできるはずがない。なにかできるはずもない。秋山や瀬川は人類の可能性を信じてやまないが、人類とは結局はその程度の存在でしかない。
 熱は次第に冷めていった。
「うへ、うきゃきゃ、ひひ……」
 秋山が突然、狂気じみた笑いをあげる。
「おい、秋山……」
「おい、どうした秋山……」
 俺たちの姿が見えていないかのように、秋山は笑い続ける。身の毛がよだつほど不気味に、延々と笑い続ける。まさか、あの秋山がこの状況に耐えかねて狂ったというのか。
「秋山!」
「くく、こんなにも簡単なこととはな」
「な、まさか……」総立ちした。「見つけたというのか打開策を!」
 返事はない。秋山の笑いはやまない。
「打開策、か。くく、ははは、あへ、いひひ……すまん、もうしばらく笑わせてくれ。おかしくてたまらん」
 それを聞きたくていてもいられない俺達を後目に、秋山は笑い続ける。苛立ちが最高潮へ達する寸前で落ち着きを取り戻しはじめた。
「早く言え! なにかあるのか? なにかできるっていうのか?!」
「まあ、あくまで一つの可能性にすぎないんだがな……かなり希望はある」
 人類最強の男が、静かに語りはじめた。
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