第十八章:秘めていた過去───1.隠したいこと
近藤たちの背中には、翼が生えた。それで飛ぶように真選組の駐屯所へと戻った。
伊東や山崎の頭の中では、まだ先ほどの説明がつかない近藤の行動がぐるぐると渦巻いていたが、駐屯所に到着し、部屋に入った途端にそんなことは頭から吹っ飛んでしまった。───出迎えてくれた銀時たちが、みんな頭痛に悩まされているかのような顔をしていたからである。
「どうやら、このお二方は……」
と、部屋の隅の方で縮こまるようにして座っているみね子と風間氏を指さして、土方がいきなり言った。
「まだ、俺たちに隠していることがあるらしいぜ。それを言いたくて、わざわざここに来なすったらしい。」
土方の敬語の裏にあるとげを感じ取ったのだろう。みね子がますます肩を縮めた。
明らかに怒っている様子の土方を目だけでなだめて、近藤はちょうどみね子たちの真正面に来る位置の座布団に腰を下ろした。
「しんのすけたちは、適当な口実をつけてさっき遊びに行かせた。あと神楽にもな。」
銀時が土方よりははるかに落ち着いた声でそう言い、それから肩をすくめてついでみたいに付け加えた。
「どうやら、ガキの耳には入れたくない類の話らしい。」
この場には、新八とお妙の姿もあった。二人共未成年だが、強硬に言い張って同席することを認めてもらったのだろう。ドラえもんズの中では、ドラリーニョの姿だけがない。あまりにも純粋で幼稚な彼も、話を聞くのにはふさわしくない者とされてしまったのだろうか。
いずれにせよ、今回は前回と違って『大人』たちにだけの集まりであるがゆえに、前にはなかった種類の緊張感がその場に満ちていた。
「───またしてもお集まりいただき、その上こちらの要望まで聞いていただいて、まことにありがとうございました。」
一番始めに口をきいたのは、風間氏だった。
「しかし、子供には───特にトオルには、とても聞かせられないような話なのです。だから前回の時は申し上げることができませんでした。しかし、トオルがどうやらリオルのことについて調べているらしいと聞きまして………」
銀時たちはそっと視線を交わし合った。
「自分で探り出されるより先に、皆さんに事情をご説明しようと思い立ちました。だから───事情がお分かりになったら、トオルがこれ以上リオルのことを知ろうとするのをやめさせてほしいのです。そんなことを知ったところで、つらい思いをするばかりですから。
今まで隠していて、申し訳ありませんでした。」
風間氏とみね子は座布団から腰を上げると、深く身を折った。その場にいる者たち、一人一人に向けて。
近藤は両手を上げて、二人を押しとどめる仕草をした。
「やめて下さい。……別に、あんたたちが謝らなくちゃいけない理由はないんですよ。」
穏やかな声で告げられても、みね子は顔を上げない。がっくりとうなだれて、うつろなまなざしをしている。
部屋の空気がまた硬く凍りつきかけたその時、みね子の口が、開いた。
「兄が戻ってきたのは───二年前では、ありませんでした。」
まさかそんなところから白状されるとは思ってもみなかった新八はちょっと目を見開き、反射的に銀時の顔を見やったが、銀時の表情はさっきと比べてまるで揺らいでいなかった。
「兄が……リオルが春日部へ戻ってきましたのは、彼が二十歳になった時です。」
そして、結婚したばかりのみね子の元へ、突然現れた。
「しかし兄は、その時は特に何も言わずに出て行きました。───ただ、謝っただけで。」
「謝った?」
みね子は自分の記憶を確かめるかのように、一回、二回とうなずいた。
「あんなつらい思いをさせてすまなかった、みね子は僕よりもずっとつらかったんだよな。だからもう、お前とは関わらない。僕は僕で生きるから、お前はお前で幸せになってくれって………本当にすまなそうに。」
それからしばらくは本当に、リオルはみね子の周辺に姿を現さなかった。どこにいるのか分からなかったし、みね子は調べようとも思わなかった。そのまま時が過ぎていくかのように思えたのだが───。
「……ちょうど二年前、土砂降りの晩のことです。」
兄が、リオルが突然、みね子たちの住む家を訪ねてきた。傘もなくずぶぬれになって、ガタガタ震えながら。───しかも、一人ではなかった。
リオルは、六、七歳ぐらいの女の子を一緒に連れていた。
「僕の子供なんだ、と申しました。」
吐き出すような声だった。
「つき合っていた女の子との間に、七年前、つまりみね子の所へ訪問した直後にできた娘なんだ。今までずっと、その女の子と育ててきたのに、急に裏切られた。一人で育てなくちゃならなくなった。」
みね子の声と全身が震え出した。姿勢が崩れて前屈みになり、両手で顔を覆った。
「住んでたアパートも、僕一人の働きじゃとても家賃を払えない。今まで頑張ってきたけど、とうとう今夜追い出されてしまった。お願いだ、助けてくれ───土下座するようにして、そう頼み込んできたんです。」
───助けてくれよ。
かつて虐待し、いじめ抜いた妹に向かって、リオルは頼み込んだ。必死になって、土下座までして。
みね子と風間氏はそれを、聞き入れた。
「しばらくは私たちのマンションに泊めていました。その間、色々と聞き出したんです。聞きたいことが色々とありましたから。」
どうしてリオルは今頃になって、子供を一緒に作った相手の女に裏切られることになったのか?
「すると兄は、しぶしぶながら話してくれました。それがその………いざこざに巻き込まれていたんです。仕方のないいざこざではあったんですが。」
全員がほぼ一斉に顔を上げた。しかし説明を求められるより先に、みね子は言い切った。
「───相手の女の人には、夫と子供がすでにいたと言うんです。」
新八は頭を抱えたくなった。子供には聞かせられない話だと風間氏が言った意味が、ようやく分かった気がした。
「つまり、リオルとその女は不倫関係だったってわけか。」
情け容赦のない土方の追求に、みね子は唇を噛んでさらに深くうつむいた。
「いえ、その………まぁ一般にはそういうことですわね。」
一般も二般もない。
「それで色々ともめ事に巻き込まれまして………いえ、その女性の夫や子供にはまるで気づかれていなかったし、兄自身もそのことをつい最近まで知らなかったらしくて。」
「本当ですか?」
お妙が唐突に口を挟んできた。疑いの色が、瞳に濃く浮き出ている。
新八も信じられない。他の面々も疑っているのが分かった。
「確かに一緒に子供を作って、七年近くも共に育ててきたというのに、気づかないなんてどうかしてるとお思いでしょうけど───」
驚いたことに、みね子はふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「でも皆さん、私は兄を信じることに決めましたよ。あの時の兄は、本当につらくてみじめそうだったから。」
虐待されていた時の、みね子と同じように。
「そんなわけで兄は事実上、その女の人ときっぱり縁を切って、娘だけを連れて私たちの元へやってきたんです。
一週間ぐらいで………私たちが見つけた、安いアパートに移っていきました。娘と一緒に。」
それからは、本格的な交流が始まったのだという。
呼吸を整えてから、新八はなるべく穏やかな声で問うた。
「それで………リオルが連れていた女の子は、それからどうなったんです?トオルくんは?」
同じマンションに住んでいた時もあったのだから、当然トオルはその少女と関わる機会があったはずだ。
「───トオルちゃんは、その子ととても仲良くしていました。」
少女の名前は璃緒、といった。
「璃緒ちゃんも、ね。まだその頃は小学一年生かそれぐらいだったけど、年下の男の子と仲良くなって、弟ができたみたいで嬉しかったんでしょう。お姉さんになったみたいって、私たちに言っていたこともありましたから。」
甘やかな回想に、束の間みね子の顔の中の影が薄れた。
「……璃緒ちゃんは、特殊体質者だったんでしょうか。」
お妙が突然呟くようにそう言ったので、新八はびっくりしてそちらを見た。新八だけではない。みね子と風間氏を含めて全員が、目を丸くしてお妙を見やる。
「いえ、その……気になっただけです。その、父親のリオルは、特殊体質者だったわけですし。」
「璃緒ちゃんは違います。親が特殊体質者だからといって、子供が必ず特殊体質者になるなんてことはないんです。───逆にトオルちゃんみたいに、親は普通なのに特殊体質を持って生まれてしまうということもあります。」
みね子のまなざしが遠くなる。
「トオルちゃんは幼稚園に入っていましたから、そう長いこと兄は璃緒ちゃんに会えたわけじゃありませんけど、でもいつもその時を楽しみにしていたみたいでした。実は………トオルちゃん、その時幼稚園であまりうまくいってなくて。」
気に入らない子とぶつかり、ケンカしていたらしい。しかもその子がクラスのリーダー的存在だったために、余計に厄介なことになった。
「かなりつらい思いをしていたらしくて……あ、でも特に仲のいい友達ができたのも、ちょうどその時期でした。」
「───そこら辺の記憶も、修正したのか?」
銀時が目を細めて言った。トオルは今まで、そんな話をしてくれたことがない。そんなそぶりを見せたこともない。そういうことを隠しおおせるような性格ではないはずなのに………。
みね子は恥ずかしそうに肩をすくめた。
「はい……実は、そのお友達も兄や璃緒ちゃんと仲良しになっていましたので。その記憶も消し去るために、まずは二人の出会いの記憶から修正せねばならなかったんです。」
それまでずっと黙り続けていたみさえとひろしが、ほとんど同時にみね子の方へ身を乗り出した。
「それで……その友達って、誰なんですか?」
好奇心で目がきらきらして見える。
唐突に崩れるように、みね子は笑い出した。
「いえ、ごめんなさい。───でも野原さん、あなたたちならよくご存じの子ですよ。
──野原しんのすけくんですわ。」
野原一家は一斉に目を見開いた。………そのリアクションがあまりにそっくりで型通りだったので、新八は笑いをこらえるのにお茶をがぶ飲みしなければならなかった。
「やがてトオルちゃんは、しんのすけくんを連れて家に帰ってくるようになりまして、そうするうちに同じように家に訪ねてきた兄は璃緒ちゃんとも会うことになりました。」
もともと人見知りもせず物怖じしないしんのすけのことだ。あっという間に親しくなった。
「兄も璃緒ちゃんも面白がっておりましたわ。しんのすけくんは、その………とても個性的な子でしたから。」
みね子の目が、一瞬申し訳なさそうに野原一家を見やった。
「兄はどちらかといえばつき合いの悪いところがあったから不安だったんですけど、でも特にその心配もないようで、私たちは安心してました。───あの時までは。」
あの時───リオルが再び元に戻ってしまった日。トオルの目の前で、謎の死を遂げた日。
「………初めのうち、私たちは。」
みね子の声音が再び、淡々としたものに戻っていった。
「兄についての記憶を……消し去るつもりはありませんでした。幸いトオルちゃんはまだ幼いですし、もちろんなにがしかの心の傷は残るでしょうけれど、だからといってなついていた兄の記憶を消してしまうというのは忍びないですし───それに、璃緒ちゃんがいましたし。」
その言葉で新八は我に返った。そうだ、璃緒だ。リオルの死後、璃緒はどうなった?
「でも……兄の死の数日後、大変なことが起きまして。」
璃緒が行方不明になったのだ。捜索の結果、近くの深い川の中で彼女のはいていた靴が片方発見されたのだという。
「璃緒ちゃんはかなり前からふさぎ込んでおりました。お父さんっ子でしたから。」
みね子はそれ以上、もう何も言わなかった。銀時たちもそれ以上突っ込まなかった。
「こうなったらもう、トオルちゃんは耐えられないかも知れない。だから記憶を消すことにしたんです。」
トオルの心から、つらい死をぬぐい去るために。リオルと璃緒の存在そのものを、消し去ることに決めた。
「そうやって、処理を済まして───何もかも終わったと思ったんですがねぇ。そうは問屋が下ろしませんでした。」
みね子の口の端に、自嘲ともとれる苦笑が浮かんだ。
「記憶を消し去ってから二日としないうちに、しんのすけくんが訪ねてきました。」
風間くんの様子がおかしい、と言ってきたのだという。
「始めっから、あの子は喧嘩腰でした。トオルちゃんがリオルや璃緒の話をしてもまるで反応しない。誰それ?って言い返された。それに、どうして二人のお葬式をしないの?お墓は?───ひどく興奮した様子で、私にそう言いつのりました。」
その時、トオルはちょうど塾に行っていて不在だった。たまたまだったのか、それともしんのすけの配慮だったのか。
みね子は再び野原一家に目をやった。うつろなまなざしだった。
「………野原さん、しんのすけくんには、一回の記憶処理だけでは効かなかったんです。」
他にどう反応することもできなかったから、ひろしとみさえは黙ってうなずいた。
「私がいくらリオルなんて人も、璃緒なんて子も知らないと言っても聞きませんでした。そんなはずない、オラははっきり覚えてるもん、ちゃんと貸してもらったゲームだって持ってるんだって。」
やがて、しんのすけの口からとんでもない言葉が飛び出した。
───おばさん、もしかして風間くんの『きおく』を消したりしたんじゃないの?
しんのすけは三歳だった。周りの現象に敏感になってくる年頃だった。だから『記憶を消す』というようなことも、テレビや漫画などで見て知っていたのかもしれない。子供だっただけに、そうした突飛な事柄をためらいなく口にすることができた。
いずれにせよ、みね子はあまりに突然のことに動揺を隠さずにはいられなかった。
「私がうろたえたのを、しんのすけくんはちゃんと見抜いていました。たちまち荒れ狂ったように怒って、私を責め始めた。」
なんてひどいことをするんだ、風間くんはリオル兄ちゃんと璃緒姉ちゃんのことが大好きだったんだぞ!大好きだったのに忘れさせちゃうなんてひどいぞ!リオル兄ちゃんたちにも失礼だぞ!
失礼だぞ───か。銀時はまぶたを閉じた。
実の妹にさえ、忌み嫌われ、恐れられて存在を消されることになったリオルだったが、少なくともしんのすけはその死を悲しんでいた。事情は知らなくても、幼くても、心から死を悼んでいたのだ。
リオルはそのことを知らないのだろうか。………もし知ったら、自分の今していることの誤りに、気づくことができるだろうか。
「───あまりに怒り狂って、もはや手のつけられない状態でしたので。」
みね子は隙を見て、近くにいたボーン・クイーンたちに助けを求めた。駆けつけた彼女らの手により、しんのすけは気絶させられ、より念入りに記憶操作をかけられた。
「そうやって、しんのすけくんとトオルちゃんの出会いから関わりまで、全ての記憶を修正しなければなりませんでした。───容易なことではありませんでしたけど………何とか、やりおおせてくれました。」
深々と息をついて、みね子は顔をうつむけた。重い沈黙が、再び空気の中に満ち始めた。
一つ咳払いをすると、近藤が山崎に声をかけた。お茶を替えるようにと言われ、立ち上がった山崎の顔は青ざめていた。
そして、銀時がゆっくりと口を開いた。
「……事情は分かったが何にせよ、大体のことはトオルたちに言わなくちゃならねぇな。」
みね子は身体がふらつくほどに狼狽した。
「は、話さなくても………」
「無理さ。もうごまかしようがねぇ。」
あっさりと言い切った銀時の言葉に、みね子が唐突に立ち上がった。風間氏が慌てて押さえようとする。
「トオルちゃんたちには黙ってて下さいとお願いしたでしょう!だから私はこうして洗いざらいしゃべったんですよ、約束が違うじゃないですか!!」
新八は横にいる銀時の背中が、わずかながら伸びるのを感じた。───死んだ魚のような目の奥に宿る、ひらめく刃の輝き。
「なんで隠さなきゃならない?」
「だって、それは───」
「トオルを傷つけたくないからか。苦しめたくないからか。今までなら、その言い訳も通用しただろうよ。だが今は違う。
あいつはもう充分傷ついてるし、苦しんでる。お前らがたとえ黙っていようがいるまいが、リオルはお構いなしだ。これからも一方的にトオルを狙っていくだろうさ。そのたびにトオルは傷つき、苦しむことになるんだよ。」
銀さん、怒ってる……と、新八は直感的に悟った。怒りを向けるべき対象はみね子ではないはずなのに、しかし彼は怒っていた。
「どうして傷つくか、分かるか?おたくらが黙ってるからだよ。どうして自分が狙われなきゃならないのか、分からないからなんだよ。あいつはバカじゃねぇから、その結果くよくよと悩んで余計につらい思いをすることになる。それが一番の原因なんだ。」
トオルもそのことを、おぼろげながら分かっているのだ。だからあいの手を借りて、リオルについてのことを調べようとしている。
「トオルが色々調べるのをやめさせてほしいって言ってたな。…でもな、そんなのは無理だよ。あいつはバカじゃないが、やっぱりガキだ。自分が納得いくまで、心ゆくまで調べ回るだろう。俺たちの目を盗んでな。
それが嫌なら、あんたたちの口から、本当のことを話してやれ。俺たちがやるよりも、あんたが言った方があいつは受け入れやすいだろう?」
みね子は完全に色を失い、立ちすくんでいた。風間氏が腰を上げて、その両肩に手を置いてゆっくりと座らせる。
「…すぐには無理です。」
風間氏は、今までで一番優しい口調で言った。
「時間がいります。そんなにせかすこともないでしょう。」
そう言ってから、ゆっくりと手を離す。それが合図になったかのように、みね子はがっくりと肩を落とした。
ずっと隠し通されてきた秘密が、一つずつあらわになっていく。
そろそろ俺の秘密も、あらわになる時が近づいているようだな………彼はそう考えながら、ゆっくりとポケットの中にあるものを握りしめた。 |