5.見えたもの
「お前なぁ!───」
息を一つ吸い込んでから一喝しようとした途端、
「はい、まことに申し訳ないです。」
トオルがクソがつくほど真面目に機先を制して謝ってきたので、キッドは逆にうまく言葉が続かなくなってしまった。代わりに近藤が、これ以上ないぐらいにしぶい表情でトオルに言った。
「まったく、ひやひやさせんじゃねぇぞ………パワえもんの奴がおとなしく降伏したからよかったようなものの。寿命が十年は縮まったぞ。」
パワえもんたちがびっくりするほどおとなしく降伏したのにはほっとしたが、さんざんひやひやさせられた上に屋根から降りてきたトオルが何事もなかったような態度だったために、銀時たちは最初のうちは怒り狂っていた。───が、彼らがトオルを叱咤しようと駆け寄ってくるよりも早く、しんのすけたちがトオルの周囲にわらわらと集まってきてそれを遮ってしまった(かずまはまだ泣きべそをかいていた)。子供たちにとっては、ついさっきのトオルの行動はまさに賞賛されてしかるべきものだったのである。
「風間くん、カッコよかったゾ!」
しんのすけが叫んだ。
「ほんと、ネネどきどきしちゃった!」
「すごいなぁ……」
ネネとマサオは感動に打ちのめされていた。
「……よく、やった。」
ボーちゃんでさえにこにこしている。普段滅多に見せることのない、心から感心した時の笑みだ。
「おいおいおい、お前ら!」
銀時がやっとのことでしんのすけたちを押しのけて、トオルの前に立った。こちらはトオルをほめるような気持ちにはとてもなれないらしく、この上なく険しい顔をしている。
トオルは決まりが悪そうに、リオルの片鱗すらない顔でわずかに笑みを浮かべていた。
「───お前って奴は。もしパワえもんの奴がお前の言った通りにしなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「分かんない。……なんか、よく分かんないです、はい。」
「分かんない?」
それはどういうことだ、と怒鳴ろうとして───銀時は言葉を止めた。トオルの澄んだ黒い瞳の奥に、はっきりとした迷いの色を見て取ったのである。からかいでもごまかしでもなく、トオルは本気で困惑し、戸惑っていた。
「どうしてあんなことができたのか、本当によく分からないんです。」
トオルは眉間にわずかにしわを寄せてうつむいた。
「ただ、みんなを助けたくて助けたくて、カッとなっちゃったっていうか………そうですね、みんながあんな目にあっているのに、僕だけは自由の身になってる。だったら隠れてないで何とかしようと思って、そしたら…そしたら……」
トオルは言葉を探すようにイライラと頭を振り、再び銀時を見上げ、そしてその袖に目を止めた。その途端にさっと顔がこわばった。
「銀さん、ケガしてるんですか?袖に血が……」
「違う、これはネコ型ロボットのオイルだ。赤黒いから似てるが、血なんかじゃねぇ。」
そこまで言ってから、銀時はようやくはっと気づいた。
「───お前こそ、ケガしてんじゃねぇか!」
トオルの左手に、血が少しだけしたたっている。
「大丈夫です、かすり傷ですから。………て、え?あれ?ちょ、ちょっ……」
いつの間にか、体格のがっしりした真選組隊員がトオルのすぐ後ろに来ていた。そして、トオルがびっくりしてもがくのをよそにその身体を軽々と抱き上げてしまったのである。
近藤がそれを眺めながら、おごそかに言い渡した。
「まぁ本当なら何時間もトシに怒鳴りつけてもらうところだが、子供だから勘弁してやる。───その代わり、これからケガが治るまではずっと外出禁止だ!外に出歩いてはいかん。分かったな?」
「そ、そんな……」
トオルは大いにあせった様子になり、手足をばたつかせた。
「だから、ただのかすり傷なんですってば!」
「分からんぞ。傷から悪いものが入ったりしたらどうするんだ。」
近藤の顔は厳しかったが、目は笑っていた。
パワえもんは真選組の男たちにきっちりと囲まれながら、喜んだり怒ったり笑ったりしているキッドたちの姿を、いっそひややかと言ってもいいようなまなざしで見つめていた。
(───バカだな。なんで僕たちがこんなにあっさり降伏したのか、不思議には思わないのか?)
所詮、エリートロボットである自分に彼らの頭がかなうはずもないのだ。少し優勢に立っただけで浮かれ騒いで………自分がいかにバカだったか、キッドたちはこれから思い知ることになるだろう。
パワえもんはそっと、ポケットの中から取り出しておいた小さなボタンつきの装置を手に乗せた。
正直、これを使うのにはかなり抵抗があった。リオルの言葉によれば、いざという時、自分が追いつめられた時にこのボタンを押せば、全ての始末がつくという。───つまり、敵をいっぺんに消してしまえるということなのだろう。
それはつまり、キッドたちを永遠に消してしまうことに他ならない。
悪いな。……聞こえたか分からないが、パワえもんは心の中でしっかりと呟いた。ドラえもんたちには、こうなった以上は死んでもらわねばならない。もうあんな思いはしたくない……!
その思いを胸にしっかりと刻みつけた瞬間にぱっとこちらを振り向いたのはしかし、ドラえもんズの面々の顔ではなかった。
トオルたちが大騒ぎをしているのを微笑みながら見ていたネネは、不意にひんやりしたものが頬に触れたような気がして顔をしかめた。
───と、次の瞬間、ネネの脳天に針でちくりとつつかれたかのような痛みが走った。
ネネの身体が、突然糸を引き上げられた操り人形のようにびくんと跳ね上がった。彼女のすぐ隣にいたマサオは驚いて、ネネの顔を見つめた。
「……ネネちゃん?」
ネネはいつの間にか真っ白な顔になって、焦点を失った目でもどことも分からぬ方向を見つめていた。
「大丈夫?」
マサオはおそるおそる手を伸ばして、ネネの右手にそっと触れてみた。ぞっとするほどに冷たい。だが感覚はあるようで、マサオがさわった途端にその氷のような手でマサオの手をぎゅっと握りしめてきた。
そして、弾かれたように後ろへ顔をねじ向けた。
ネネにつられるようにして振り向いたマサオは見た。───悲しみとも喜びとも恐怖ともつかないひきつったような表情を浮かべたパワえもんの姿を。彼が今しも押そうとしているボタンのようなもののついた装置を。
そして………ネネの目には、それに重なるようにしてさらに別の光景が見えていた。
「押しちゃだめ!押してはだめ!」
ネネは叫び声を上げた。
「それを、それを押したら───」
───死ぬのはあたしたちじゃなくて、あなたなのよ!
パワえもんがその言葉を理解するよりも早く、彼の手は装置のボタンを押していた。
銀時は不意に、地面が震え出したのを感じた。さっきと同じだ───でも、それに比べるとかなり小さい。余震か何かだろうか?
その瞬間、ネネが何かを叫んだ。銀時たちはぎょっとして一斉に振り返り………そして、とっさには信じられぬものを見た。
深い谷のようになった地割れの脇から、さらにひび割れが広がっていく。蛇のように、魂が宿ったような生き物のように地面を這い、広がりながら。驚くほどのスピードで伸びている。
そのひび割れの先にいるのは、凍りついたように立ちすくんでいるパワえもんだった。
「逃げろ!早く!」
近藤の鋭い声に我に返ったのか、パワえもんを取り囲んでいた真選組の隊員たちが慌ててこちらに走ってきた。一番パワえもんに近い位置にいたボーちゃんも、しんのすけの腕を引っ張って走り出した。
「しんちゃん、危ない。───行こう。」
しんのすけは不思議とぼんやりしたまなざしで、ボーちゃんを見つめた。
それから、パワえもんの顔に目を移した。恐怖にひきつり、青ざめたその顔に。……なんで逃げようとしないのだろう。もしかしたら逃げたくても、足が動かないかも知れない。きっとそうなのだ。あれはリオルが与える罰なのだから。
リオルの命令に従えなかった役立たずだから、殺されてしまうのだ。───そして、裏切り者だから、かつての仲間にも助けてもらえないのだ。
しんのすけはパワえもんの目の奥でうごめく絶望と後悔の色を、理解できないまでもはっきりと見てとった。
───お助けしなきゃ。
しんのすけはボーちゃんの腕を振り払った。そして、みんなが走っているのとは逆の方向へと走り出した。
「しんちゃん!?」
地面がざくろのように割れ、パワえもんの身体をぱっくりと呑み込んだ。
階段を上りきるなり、沖田は走り出した。
「総悟!」
「沖田くん、慌てるんじゃない!」
土方と伊東の声など、今の沖田の耳には届いていないらしい。───彼の目はカッとばかりに見開かれ、廊下の奥にある扉だけを見つめている。
今の彼には、その中に閉じ込められているであろう姉の姿がありありと見えているのに違いない。
ドラメッドは、息苦しくなるような緊張を味わっていた。………いや、この息苦しさは、緊張だけから来るものではない。自分たちの周囲の空気に何かが満ちているような、そんな感じだった。
姉を、思い人を、安らかな眠りにつくはずだった者を、いいように利用されて傷つけられた………彼らにとって、リオルのやったことは許すことのできない蛮行であったに違いない。手に触れられるほどはっきりした怒気が、間違いなくそう告げている。
(全く敵が来なくなったな………)
徳郎は目を細めた。───敵も、沖田たちの剣呑な雰囲気に恐れをなして逃げ出してしまったのか。それならそれに越したことはないが、何だか嫌な感じがする。
扉の前に立った時、その嫌な予感が思い過ごしではなかったことを徳郎は確信した。
「………!」
扉の向こうには、確かに何かの気配があった。───誰かが、間違いなくそこにいた。
しかし、気配は一つでなく、二つだった。
「しんちゃん……」
真っ青な顔で近寄ろうとするみさえを、ひろしが慌てて引き止めた。震えるみさえの背中に、お妙がそっと手を置く。
さっきまでパワえもんのいた場所は、見事なまでに陥没して深い穴となっていた。───しかも、それだけではない。陥没したかと思うと、その衝撃のせいか何本かの木が倒れかかってきて、積み重なって穴をほとんどふさいでしまったのだ。
「一体………」
しばらく無言でその光景を眺めていた近藤が、やっとのことで言葉を押し出した。
「あいつは……何がしたかったんだ?もう何もかもだめだと思って、自害することにしたのか?」
「───ううん、違うわ。」
かすれた、しかし断定的できっぱりとした声に、みんなは驚いて振り返った。ネネがマサオにしがみついて青ざめた顔をしながら、じっとこちらを見つめている。
「そうじゃないわ。パワえもんは……この人は、さっきのボタンを最終兵器か何かだと思ったのよ。追いつめられた自分を助けてくれるものだって。でも…でも……そうじゃなかった。リオルはきっと、もうパワえもんのことなんかどうでもよくなってたんだわ。」
一番最初にはっと気づいたのは、マサオだった。
「ネネちゃん………まさか、『ミル』なの?起きてるのに、見えちゃったの?」
ディリ・アホーウ〈力を受けし者〉であるネネが持つ力───『ミル』。近い未来を覗き見る力。この能力のおかげでネネは助けられたこともあったが、ぞっとするような思いも少なからずさせられた。しかしその力が発動したのは眠っている間だけだったし、それに最近はぷつりと見なくなっていたのだが………。
ネネはすがりつくようなまなざしでマサオを見つめ、うなずいた。
「どうしてか分かんないけど、見えちゃったの………あれを押したらパワえもんが穴に落ちるって、分かったの。だから叫んだけど───遅かったのね。」
ネネの目に、みるみる涙が盛り上がった。
「しんちゃんまで……」
しんのすけもまた、パワえもんと一緒に陥没した穴に呑まれ、倒れてきた木にふさがれて姿が見えなくなっていた。───助かっていてほしいと思うみんなの気持ちは共通だったが、しかし……。
「……どうします?」
新八は誰に向かってでもなく尋ねた。とりあえず、マタドーラが王ドラに木をどかしてもらいましょうよ───そう提案するつもりだったのだ。
トオルが音もなく近寄ってきて、銀時の袖を引っ張ったのはその時だった。
「…銀さん。」
トオルは血の気が失せた、土気色とでもいうべき顔色をしていた。両目をいっぱいに見張って、穴がある辺りを見つめている。まるで水の中で漂っているかのようにふらついていて、目の焦点も合っていないようだった。
さすがの銀時もただならぬ様子であることを察して、トオルに顔を近づけた。
「どうした?」
トオルはびっしょりと汗をかいていた。肌も冷え切っていた。───そして、唐突にこう言い出した。
「……しんのすけとパワえもんさん、生きてますよ。」
「………え?」
「生きてるんです。ほら、聞こえるでしょ?あの中で叫んでますよ。しんのすけもパワえもんさんも、助けて助けてって。」
聞こえるでしょう?聞こえないんですか?
「早く木をどかして助けてあげないと、二人とも死んじゃうよ!」
マタドーラと王ドラの働きによって、穴の壁から突き出していた岩のでっぱりに座り込んでいたしんのすけと気絶したパワえもんが救出されたのは、それから10分後のことであった。
しんのすけは驚くほどけろっとしていた。とてもついさっきまで命の危険にさらされていたとは思えないような顔をしていた。………先ほどのトオルと同じだ。
しかし奇妙なことに、あの時はそれほどの様子でもなかったトオルが、急にひどく気分が悪くなってきたようだった。
ネネとマサオとボーちゃんが見ている間にも、顔色がどんどん悪くなっていく。土気色を通り越して、今や蒼白だ。
「…ごめん、みんな。」
トオルのまなざしは、何かにおびえているかのようにわなないていた。
「どうしてか分かんないけど、頭が痛いんだ。ずきずきうずいて仕方なくて……。」
ネネは思わずびくりとしてトオルの顔を見つめた。
頭が痛い、うずく………そのような感覚に、ネネはつい最近苦しめられた覚えがあった。そう、あれは確か、まだ『ミル』の力が目覚めて間もなかった頃だ。その力に、予知夢を見るのに慣れるために、ネネはさんざんしつこい頭痛に悩まされ、苦しんだのだった。
(………まさかね。)
トオルはレド族の子孫だという。『キル』を受け入れることのできる特殊体質者だという。だからといって、彼がネネのように未来を見たりできるというわけではない………いや、もしかしたらできるのだろうか?ただボーン・クイーンやみね子がはっきりそう言わなかっただけで?
しかし、何も知らないトオルにその問いをぶつけてみることは、とてもできない。
「頭が痛いんだ…」
トオルがまた、うわごとのように呟いた。夢を見ているような目つきだった。
銀時たちはしんのすけの周りに集まって、笑ったり怒ったり叱ったりしていた。………パワえもんはそこから少し離れた場所に立ち、ドラえもんたちと見つめ合っていた。意識は取り戻しているが、まだ死んでいるかのような目だ。誰もパワえもんのそばには近寄ろうとしない。話しかけようともしない。
彼は、裏切り者だから。
不意に、意志がくじけたかのように、パワえもんがふらりと大きくよろけた。………と、誰かがさっと飛び出して、その身体を受け止めて支えた。その瞬間に柔らかくほのかに甘い香りのする風が頬をさするのを、王ドラは確かに感じた。
パワえもんを片手で抱き支えたのは、トオルだった。
「大丈夫ですか?」
しんのすけたちがおしゃべりをやめた。その場が、またしても誰もいないような静けさに呑み込まれた。
パワえもんのうつろだった瞳に、驚きと…おびえの色が浮かんだ。反射的にトオルを振り払おうと、大きく身体をのけぞらせる。トオルの身体はパワえもんから離れたが、その左腕はパワえもんの右肘をぎゅっとつかんだまま離れなかった。
その場にいる全ての者が、何があったのか分からずに動きを止めていた。
トオルはパワえもんの顔をまっすぐに見つめていた。しかしその目は焦点がいまいち合っておらず、しかも顔には滝のような汗が流れ始めていた。
「あの、僕……」
パワえもんに語りかけるトオルの声は、うわずって別人のように聞こえた。
そして、トオルはひときわ大きな声を張り上げた。
「パワえもんさん。」
パワえもんは返事をすることもできず、トオルにつかまれたまま釘づけになったように立ちすくんでいる。
「パワえもんさん…あなたは仲間が大切なんですよね。大切だから、こんなことをしちゃったんですよね。やりたくないのに。」
焦点を失った目をいっぱいに見開いて、トオルは問いかけた。視線の先には確かにパワえもんの顔があったが、彼の目には何も見えていないようだった。
……いや、彼の目にしか見えない、パワえもんの顔にあるものを見つめていた。
「そうなんですよね?きっとそうなんだ。」
汗にぬれ、トオルの頬は光っていた。
「本当はやりたくなかったんですよね?あんなこと。だって、逃がそうとしたじゃないですか。扉の………鍵を開けて。」
トオルは小さなものを観察する時のように目を細めた。
「ねぇ、あの廊下の突き当たりの、大きい鉄の扉の部屋ですよ。パワえもんさんの仲間がたくさん閉じ込められてたんでしょ?パワえもんさんが一回失敗した時に、みんなそこに押し込められて、パワえもんさんに殺せって言って……その…伯父さんがそう命じて……」
『伯父さん』と言った。トオルはリオルのことを、『伯父さん』と呼んだ。
神楽が死にかけた人みたいに息を吸い込んだ。
「逃がそうとしたけど、でも逃がせなかった。助けられなかった。殺してしまった。大切な仲間を。……だから、そうならないように何としても僕らを倒さなきゃならなかった。」
低くうなるようなうめき声に、トオル以外の全員が我に返った。
パワえもんがトオルに腕をつかまれたまま、その場に崩れるようにうずくまって泣き始めたのはその直後のことだった。 |