2.誰もいない駐屯所
「いけっ!とぉっ!!」
「なーに、まだまだぁ!」
「えい!」
「ほいっ!」
真選組駐屯所からさほど遠くはない小さな広場で、熾烈のかけ声が響きわたっていた。
斬り合いの勝負でもやってるのかと思いそうだが、実際はそうではない。───いや、『勝負』であることに間違いはないのだが………。
「ほうほう、だいぶ足を上げたようですな。」
「それを言うなら『腕を上げた』だよ。」
「そうともゆう〜。」
しんのすけと山崎は額の汗をぬぐいながら、バドミントンのラケットを下げて互いに歩み寄った。
二人はバドミントンを通じて出会ったということもあり、今でも暇を見つけてはこうしてミントンにいそしんでいた。しんのすけには暇ならたっぷりあるのだが、山崎はそうもいかない。土方の目をかいくぐってミントンをやれる場所を見つけるのも、なかなか大変なことだった。
この狭い空き地は木にぐるりと囲まれたようになっていて、外からは中の様子を見ることができない………というよりも、そんな空き地が存在していることすらあまり知られていない。
つまり、土方や誰かの人目を気にせずに、いくらでもミントンができるというわけだ。
しんのすけは尻の間にラケットを挟むという、あの下品かつ珍妙なやり方で山崎に立ち向かっていた。───しばらく会わなかったうちに腕を上げたらしく、ラケットのさばき方が滑らかになっている。よく尻の動きだけでラケットの方向を操れるものだと、山崎は今さらのように感心していた。
「ねぇ山崎のお兄ちゃん、もっかいやるゾ!」
山崎は苦笑いを浮かべた。
「おいおい、勘弁してくれよ。………一体あと何回『もう一回』って言う気だい?」
「うーん、それはオラにも分からないゾ。」
「悪いけど、もうすぐ帰らなきゃいけない時間帯なんだ。早く帰らないと───副長に見つけられたら、ばっさり斬り捨てられるかも知れないだろ。」
「そん時はそん時ってことで………いいじゃん、別に。」
「よくねぇ!」
ドウゥッ!
突然、地面がぶるぶると震えた。地震とは違う奇妙な揺れが、しんのすけと山崎の身体を揺さぶった。───まるで、巨大なハンマーが地面に叩きつけられたかのような衝撃であった。
さすがのしんのすけもびっくりしたのか、おわっと叫んでラケットを放り出し、山崎の腰辺りにしがみついた。
「ぬおぉ!シリマルダシが襲ってきたーっ!!」
「は?何が襲ってきただって?」
山崎の問いにしんのすけが答える間もなく、また地面が震え、轟音が響きわたった。………今度はその音が爆発音であるらしいということが、はっきりと分かった。
それとほぼ同時に、山崎はゆらゆらと立ちのぼる煙を目にして息を呑んだ。
「あれは………駐屯所のある方向だ!
しんのすけくん、行こう!ネネちゃんたちに何かあったのかも知れない!」
「あーん、置いてかないでぇー!」
二人はラケットをその場に放り出したまま、煙の見える方向───真選組駐屯所がある場所へと走り出した。
「うっ、うわわわわ!」
「いやあぁぁっ!」
「ボオォ!」
真選組駐屯所は今、叫び声とものすごい騒音に包み込まれていた。───それ自体はさして驚くべきことではない。問題は、叫び声が全て五歳の子供たちのものだということなのである。
そしてもう一つ、いつもと全く違うことは………。
「なんで…なんで……
なんで今日に限って駐屯所に、だあれもいないのよぉ!」
そうなのだ。さっきから駐屯所中を逃げ回っているネネ、マサオ、ボーちゃんの三人だったが、大きな敷地内のどこにも隊員の姿が見えない。第一これだけの音を立てていれば誰かが飛び出してきて当然なのに、人影一つ現れないのだ。
三人の後ろには、一人の少年がぴたりとくっつくようにして───しかし一定の距離をおいて、追いかけてきていた。
ネネたちと同じ年頃で、深紅の髪は肩まで伸びており、瞳も燃えるような赤色をしている。手には赤いマントと剣を握りしめ、見たところはまるで闘牛士のようないでたちであった。
そして、髪の毛の間からは二本の白い角が突き出し、ぎらぎら光っていた。
「いつまで逃げる気だ?………さっさとその石が入った袋を渡しちまいな!」
そう叫びざま、赤髪の少年は勢いよく剣を振り上げ、足元の地面に突き下ろした。───と、その衝撃で前方の地面が次々と盛り上がり、必死で走っていくマサオたちごと弾け上がった。
「え………ああぁぁぁっ!?」
混乱と恐怖の悲鳴と共に三人は宙を舞い、障子にぶつかって押し倒しながら部屋の中へと突っ込んだ。
「…はっ。無駄な抵抗をしやがって、うっとおしいぜ。」
得意満面の笑みを隠そうともせずに、赤髪の少年───カザ・マタドールは障子が無惨に倒された部屋の中へずかずかと土足で踏み込んだ。もったいをつけるようにしてゆっくりと中を覗き込む。………が、次の瞬間、その目が大きく見開かれた。
部屋の中にはなんとも不吉な雰囲気を漂わせているわら人形が無数に散らばっているだけで、生きた人間の姿は影も形も見えなかった。
薄闇の中で、誰かが呼んでいる………誰なのか、すぐには思い出せなかったが、その声に切迫したものが感じられて、ネネは重たいまぶたを無理にこじ開けようとした。
「………ん!……ちゃん!!」
やっぱりだ。誰かが何か叫んでいる。
そう思った途端、突然声がはっきりと聞こえ始め、誰かが乱暴に肩を揺さぶっているのが感じられた。
「ネネちゃん、ネネちゃんしっかりしてよ!ネネちゃん!!」
ぴしゃっと頬にきつい一撃を食らった拍子に、ネネの目がぱちっと完全に開かれた。
びっくりするほど近くにマサオの顔があった。びくっとして反射的に身体をのけぞらせた途端、後頭部が何かにぶつかる鈍い音がしたかと思うと、うめき声と床に何かが倒れる音が響いた。
くるりと振り返って、ネネは一瞬呆気にとられた表情を浮かべた。
「………かずま?」
ネネに突き倒されたかずまが、頭を振りながら床から半身を起こし、心配そうな目つきで、ネネの顔を見やった。
「───ネネ、お前大丈夫か?」
「べ、別に平気だけど……なんなの、ここ?」
今ネネたちが座り込んでいるのは、ほとんど何も見えないほどに暗くひっそりと静かな狭い空間だった。しかし、どこからかわずかな光が漏れてきているのか、お互いの顔が見える程度には明るかった。
「ボ……何か、ある。」
ボーちゃんが自分の座っている場所の床をごそごそと手探りすると、何かを引っ張り出した。一枚の紙のようだが………ネネたちは額を寄せ合うようにしてそれを覗き込んだ。
「これ───」
「土方さんの写真、よね。」
ネネとマサオはぽかんとして顔を見合わせた。………一体どうして、こんな所に土方の写真が?
いや、それよりもはるかに重要な問題があることに、ネネはようやく気づいた。
「ちょっとかずま……ここ、一体どこなの?」
かずまは着物のすそをしっかりと下ろし、垂れ落ちてきた前髪を払って体操座りになった。───そうやって上目づかいに見つめられると、女の子のネネでさえドキッとするほどに可愛らしい。
やがて、かずまはか細くやや聞き取りにくい声で告げた。
「……ここは、さっきお前らが吹っ飛ばされた部屋の地下にある隠し部屋だ。───沖田さんの部屋の。」
マサオがちょっと目を見開いた。
「さっきの、沖田さんの部屋だったの?」
そういえばそうだった気がしなくもない。あの時は逃げるのに必死で、どこがどの部屋だなんて意識している暇などまるでなかったのだ。
だがそれなら、この隠し部屋はなんだと言うのだ?
それを尋ねると、かずまはちょっと困ったような顔で微笑んだ。
「うん………沖田さんって、土方さんのこと、嫌いなんだよな?」
「へ?───う、うーん、まぁ……」
「おら、見ちまったんだ。
───沖田さんがここに降りて、わら人形作って土方さんの写真を貼りつけてるとこ。」
「───!」
マサオがはっと顔を上げ、すぐそばに転がっている何かをつまみ上げてみんなにも見えるようにした。
それは、上尾先生が携帯しているわら人形とほとんど同じ形をしたわら人形であった。………違うのは、その顔に当たる部分に土方の顔写真が貼ってあることだ。
わら人形は、ほとんど全身にあますことなく釘を打ち込まれていた。
「………」
よくよく探してみると、床の至る所に同じようなわら人形が転がっているのが見受けられた。どれも斬り割られていたり、燃やされていたり、踏みつけられていたり───無惨な壊され方のものばかりであった。
「………」
「………」
「………」
恐れと呆れをないまぜにした表情でネネたち三人が無言で見つめ合う中、いまいち空気を読むのが得意でないかずまはちょっと首をかしげてその様子を眺めていたが、やがて何事もなかったかのように話を続けた。
「おらはついさっき、この部屋の近くにいた。そしたらすげぇ音がしてきて、床がびりびり震えて怖くなっちまって………そんでここのこと思い出して、隠れてたんだ。
しばらくしたらお前らが吹っ飛ばされてきたから、敵が来る前に慌てて中に引きずり込んだ───でもネネだけは頭を打っちまって、今まで気絶してて………」
後は言わなくても分かるよね、という目でかずまはネネたちを見つめ、それから急に真剣な表情になった。
次の瞬間、かずまの口から転がり出てきた言葉はあまりにも意外過ぎるものだった。
「───で、お前ら、近藤さんたちに急用だって電話をかけて………なんの用だったんだ?お前らだけ帰ってきたりしてよ。」
「………はあ?」
三人は突然の不思議な問いかけに、つい間の抜けた声を出してしまった。───素直に驚いた様子のネネたちを見て、かずまの方も困惑したようにまばたきした。
「え……なんでそんなに驚いてんだ?」
「なんでって………あたしたち、確かについさっきまでは外で遊んでたけど、ここに電話なんかかけてないわよ?」
「え───えぇ?」
かずまの視線が揺れた。顔をしかめ、何がなんだか分からない、という顔になる。
「そんな…そんなわけねぇ。だって……だってあの電話、確かに近藤さんがネネの声だったって言ってたんだ。すごくあせった感じで、隊員の人全員になるべく来てほしいって、そう言ってたって───」
ボーちゃんがはっと目を見開いた。
「隊員全員………まさか!」
頭上で、何かがずれるような音が響いた。
「これが───これがそうなんですのね?」
「はい、間違いありません。あいお嬢様。」
「ニセの箱とちゃんとすり替えてきたわね?」
「その点もご心配なく………」
酢乙女家の豪華な居間の机の上には今、この部屋に似つかわしくない古びた木箱が一つ乗せられていた。───ちょうどあいの顔ぐらいの大きさである。
あいはしばらくの間、木箱をじっと見つめていたが、やがてそばに立っている黒磯を見上げた。
「さっき振ってみましたけど、なんの音もしなかったわ………黒磯、箱を傷つけないでこの箱の鍵、開けられるかしら?」
「おそらく───これぐらいなら、私一人で充分でしょう。」
黒磯が錠前と格闘し出してから数分後……。
「───やりました、お嬢様。これでもう開けられます。」
小さな針のような道具を手に、黒磯は満足げなため息をついた。あいの頬もふっと緩む。
「それでは、早速開けて………」
「お、お待ち下さい、お嬢様!」
いきなり腕をつかまれて、あいはびっくりして黒磯を見上げた。
「?───どうしたっていうの?」
「お嬢様。いきなり開けるのは危険かと思われますが………」
「危険?一体どんな危険があるというのよ?」
「分かりません。───しかし、風間みね子様があれほど厳重に守っていらっしゃったものです。何が出てくるか分かったものではありません。
さぁあいお嬢様、私が開けましょう。少し離れていて下さい。」
あいは何か言いたげに口をもごもごさせたが、やがて首をゆっくりと振ってソファから降り、脇へとどいた。
黒磯はゆっくりと箱のそばに身をかがめると、木製のふたに手をかけた。そして………ゆっくりと、開く。
あいは、どんなものが出てくるのだろうと想像してまともに見ていられないような気持ちだったが、黒磯の驚きの声に気をひかれてつい顔を上げてしまった。
その瞬間、ふわっと冷たい風が頬をさすった。………血によく似た匂いのする風だったが、あいはそのことを気にするよりも早く、箱の中身の方に気をとられてしまった。
箱の中にあったのは、雑然とつめ込まれたいくつもの将棋の駒だったのである。他には何も入っていない。
「………」
「なんなんですの、これは。」
あいが呟くと、黒磯はちょっと顔をしかめ、駒のうちの一つを取り上げた。
相当古いものだ。水気がほとんどない所で保管されていたためか、形が崩れている様子はまるでない。───だがなぜか、妙に鉄くさい匂いがした。
黒磯が駒の裏側についている黒い汚れに目を止めたその時、あいが駒の下にうずもれていた折りたたみ式の将棋盤を見つけ出した。
これも駒と同じぐらい年期が入っている。しかもかなり使い込まれたものらしく、手垢がしみ込んで黒っぽくなっている所もあった。
何気なく将棋盤を開こうとしてあいは驚いた。………開かないのだ。壊れたとかと言うよりは、何かのりのようなものが将棋盤の裏側を互いにくっつけているかのようだった。黒磯にも手伝ってもらって一生懸命引っ張ると、意外にもそう時間をかけないうちにべりっという音が響き、折りたたまれていた盤が開いた。
あいと黒磯は同時に息を呑み、すうっと蒼白になった。
将棋盤は確かにくっつけられていた。───ただしのりやボンドでではなく………何か、赤黒くざらざらしたもので。
将棋盤の裏に、赤みがかった黒色の液体がいっぱいに飛び散った跡があった。おそらく飛び散ったまま、まだ乾いていない状態で盤を折ってしまったので、液体が乾く際に盤同士が一緒にくっついてしまったのだ。
ぷん、と鉄くさい匂いがより一層強く鼻をついた。
「……これ、なんだと思う?」
「普通これは───」
黒磯がおそるおそるという感じで笑みを浮かべた。
「私の知っている限りでは………血に見えますね。」
部屋の中の温度が、すっと低くなったような気がした。
まつざか梅はがたがた震えながら、ベッドの中で毛布をきつく身体に巻きつけていた。目もぎゅっと閉じていた。
部屋の中が寒いわけではない。むしろむっとして暑苦しいほどだ。───それなのに、身体の芯から奇妙な冷たさが這い上がってきて、全身に広がっていこうとするのだった。
初めのうち、梅は自分が風邪でもひきかけているのかと思ったが、すぐに違うと判断した。風邪の悪魔に悩まされている子供なら、山ほど見てきた。自分の周りを回っているところも見たことがある。……でも、今の自分の周囲には見当たらない。
そう、今の梅の周りには誰もいなかった。彼女は一人ぼっちだった。
たとえテレビの中でしゃべっている人の声を聞くことができても、透けた壁越しにこちらを見つめている王カザの姿を見ることができても、彼らに触れ、コミュニケーションすることはできないのだ………。
それに気づいた瞬間から、梅にとってテレビはなぐさめの対象にはならなくなった。そこから流れてくる人の声や歌、CMを聞いているだけで虫酸が走り、たまらない不快感がこみ上げる。何かをテレビに投げつけてぶち壊したいような衝動にすらかられたが、あいにく手近に投げられそうなものは一つもなかった。
背後からの王カザの視線も気になったが、梅は必死になって我慢していた。敵の前でぶざまな様を見せてたまるか、という自尊心が、まだほんの少しばかり心の中に残っていたのだ。
王カザはあれから、ほとんどここを離れていない。食事もここまで運んでもらって、廊下の床に座り込んで食べている。───その間も、彼のオレンジ色の瞳が梅から離れることはなかった。
そうして………梅がここに監禁されてから、一週間近くが経とうとしていた。
今日も梅は悪夢にさいなまれ、どんよりと暗い気持ちで目覚めた。
───といっても、今が何時なのか、果たして朝なのか夜なのか昼なのかさっぱり分からない。日の光が差し込む窓も時計もない部屋の中に長い間閉じ込められていた梅は、時間の感覚をほぼ完全に失ってしまっていた。
そしていつものように、テレビはつけっぱなしだった。
どうやら朝らしく、ニュースの報道をやっている。それをぼんやりと聞いているうちに、ニュースキャスターの声が頭の中でわんわんと響き始め、やがて女性アナウンサーの声も混じってぐるぐると回り始めた。
梅はがばっと起き上がって耳をふさいだ。………しかしテレビの音声が容赦なく耳に忍び込んでくる。明るい音楽。歌の紹介。占いを告げるお姉さんの声───。
テレビの中で誰かが笑い声を上げた瞬間、頭ががんがんと痛み出し、梅は半ば無意識のうちに悲鳴を上げて頭をかきむしった。
「う…うるさい!」
『今日の魚座の運勢は───』
「うるさい……うるさいうるさいうるさいぃ!」
何度も何度も叫び、頭を振り回し、それでも声は消えない。頭の中の痛みも消え去ってはくれなかった。
また笑い声が響いてきた瞬間、梅は金切り声を上げてベッドに倒れ込んだ。
誰でもいい───誰だっていい。誰かが自分のそばに来てくれて、自分に向かって話しかけてくれたら、どんなに嬉しいことだろう。たとえあのしんのすけでも、今自分の目の前に現れてくれたらどんなに嬉しいか………。
ようやく頭痛がおさまってくると、梅はぶるぶると肩を震わせながらガラスの壁に手をつけ、起き上がった。
後ろから聞こえてくるテレビの音を気にすまいと必死に歯を食いしばる。───その時、ガラスの向こう側の光景がぱっと目に飛び込んできた。
王カザは今日もそこにいた。中国服を着て、オレンジ色の瞳を開いて。梅は彼が眠っているところを見たことがなかった。
目が合ったが、王カザの瞳にはなんの感情も浮かばなかった。
梅は自分がいつの間にか、両手をガラスの壁につけていることに気づいた。───額がくっつくほどに顔を寄せ、王カザの目を覗き込んだ。
「ねぇ………」
言葉が口の中からこぼれ落ちる。
「ねえ、お願い……何か言って。」
王カザは無言のままだった。表情のない目で梅の顔を見返している。
出し抜けに、梅はガラスの壁をこぶしで叩いた。
「聞こえてんでしょ!?無視してんじゃないわよ!私は……私はここにいるのよ!見えてるんでしょ!」
言葉と一緒に、涙が梅の目からほとばしり出た。
「私はここにいるのに、何なのよその態度は!なんで何も言わずに見てんのよ!あんた何様のつもりなの?」
こぶしがガラスを叩くたびに、目から涙がこぼれ、頬をつたい落ちる。それだけでは足りず、無駄とは分かっていながらも爪を立てて、必死になって壁をかきむしる。
「お願い…何か言って。何でもいいから……バカとかブスとか性格悪いとか、でもいいから───」
うつむけていた顔を上げた瞬間、梅の頬を流れていた涙が飛び散ってガラスにくっついた。
「お願い───なんでもいいから私に話しかけて……!」
王カザの目が、一瞬───ほんの一瞬だけ、大きくなった。
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