4.高杉の煙管
リオルは口の中に生温かい血の味を感じながら、勝利の快感に酔いしれていた。
「確かにあなたは、まるで手に負えない獣ですね………この僕にまで牙をむこうとするとは。」
リオルは薄い笑みを浮かべたまま、壁にはりつけられている高杉の顔を見上げた。
「どうしてあんなことを───いや、今はそんなこと、どうでもいいか。どっちにしろあなたはここで、死ぬ運命なんですから。」
瞬間再生したリオルの巨大な右腕に押さえつけられ、高杉はぐったりと手足を投げ出していたが、まだ気絶してはいなかった。右目が鋭い光をたたえてリオルをにらみつけている。
「お、前は………」
高杉の喉から、苦しげな呼吸音にも似た言葉が漏れ出した。
「一体───何者だ?」
リオルの黒い瞳に、ちらりと面白がっているような色がよぎった。口元に浮かんだ笑みが、さらに深くなる。
「………別に、教えてやる義理はないんですがね。でもかわいそうだから、冥土のみやげってことでちょっとだけ話してあげましょう。
僕の名は、リオル。………僕はね、高杉さん。あなたと同じなんです。復讐だけに燃える、飢えた獣───僕はある者に報復してやるために、これまで色々な計画を立ててきた。」
高杉がわずかに身じろぎした。
「ある者、か………なぜそいつに、復讐する必要が、ある?」
「大ありですよ。僕はあいつに、何もかもを奪われたんですから。」
それまでさえずるように機嫌のよかったリオルの声が、突然低くなった。
「今回のことも、全てはあいつをじわじわと苦しめてやるためだった。あなたもまた、復讐だけを目的としている獣。───だからきっと、僕たちに協力してくれると思ってた。
それなのにお前は、最後の最後になって僕たちを裏切った!」
リオルの端整な顔が、突然激しい怒りと憎悪に歪んだ。カッと見開いた目の奥で、赤い光がちろちろと踊る。
高杉をつかんでいる腕に、力がこもった。
「さすがのあなたも驚いたでしょう?この再生力───ふふふ、ルビーにボーン・キングの体液を取らせておいてよかった。」
微かに笑ってから、リオルは高杉からぱっと腕を離した。腕が一瞬にして元の子供のか細い腕に戻り、高杉が声もなく、床に崩れ落ちて倒れる。
その頭を、リオルの右足が踏みつけた。
「おやおや、鬼兵隊の隊長ともあろう人が………ざまぁないですね。」
リオルの声には、はっきりとした残酷な喜びが表れていた。
「あ、そうだ。さっきの質問に答えてませんでしたよね。この居酒屋のおじいさんを、どうやって殺したのかってこと。
つまんなかったですよ、とっても。せっかくとびきり痛いやり方で痛めつけてあげたのに悲鳴を上げないから、おかしいなって思ってたら、口がきけなかったんですよね、その人。あんまりムカついたから、あっさり頭をつぶして殺しちゃいましたけど。」
リオルの唇の端が吊り上がった。その目はなめるように、床に倒れた高杉の姿を見つめている。
「………でも、あなたは楽しませてくれそうですね?ちゃんと声が出ますもんね。ニヒルなあなたがどんな声で鳴いてくれるのか───あははははは、今から楽しみで楽しみで仕方がないですよ。」
高杉は頭を踏みつけられ、顔の横半分を床に押しつけられた状態のまま、苦しげにうめいた。
「た、助け………」
リオルは盛大に笑い出した。
「あれぇ?こぉんなところで命乞いですか?情けないにもほどがありますよ、高杉さん!───そんなもの、僕が聞くとでも思ってるんですか。」
リオルは笑いながら高杉の髪の毛をつかみ、ぐいと顔を上げさせた。
「ここじゃいまいちですからねぇ………場所を移すとしましょうか。僕のアジトにある、とっておきのお仕置き部屋に、あなたを特別ご招待しましょう。歓迎してさしあげますよ。───あっははははははは!」
「………そうか。悪いが遠慮しとくぜ。」
「───っ!?」
リオルははっと目を見開いて、低い声が聞こえてきた方向を……背後を振り返った。
居酒屋の薄汚い引き戸にもたれかかっているのは、まぎれもない高杉晋助だった。
リオルはしばし言うべき言葉が見つからず、開いた口から息を吸ったり吐いたりを繰り返した。あまりに予想外の事態に、どう対処すればいいのか分からない。
「な………お、お前、いつの間にそんな所に……!」
高杉は薄く笑ったまま、答えない。
「バカな…じゃあこっちにいるのは……!」
「何がどう見えてんのか知らねぇが、お前がさっきから話しかけたり攻撃したりしてたのは、ただの椅子だ。」
高杉はそっけなくそう言って、また煙管を口にくわえた。
「何を………?………!」
(何だ?一体───どうなってやがるんだ?)
混乱しながらも、身体の向きを変えて背後の高杉に襲いかかろうとしたリオルは次の瞬間、ぎょっとして動きを止めた。───高杉の姿が突然、二人に増えたのだ。
高杉だけではなく、周囲の机や椅子、引き戸までもが二重にだぶり始めた。自分の目がぼやけ始めたのだ、と気づいた時には、両足から力が抜けかかって、喉元にすさまじい吐き気がこみ上げてきていた。
右手を口に当ててせき込むと、生温かい紫色の液体が手の平にぱっと飛び散った。
「───そろそろ来たか?」
床にひざをついたリオルを見下ろしながら、高杉は呟くように言った。
「なんだ、これは……お前、何をしやが………かっ、かはっ!」
「てめぇも大バカだな。───ここは俺がひいきにしている居酒屋だぜ。そこら辺の奴がのこのこ迷い込んでこれるような作りになってるとでも思ってたのかよ。」
高杉はちょっと言葉を切って煙管を吸い、部屋の中を見回した。
「………ここのじいさんはよぉ、昔は薬師として働いていた奴でよ。こと毒薬に関する知識は江戸一と言われていた時期もあったそうだ。本当か嘘か、分かりゃしねぇがな。
まぁとにかく、その知識を使って天人や幕府官僚の暗殺をしてたこともあるらしくてな。つまり俺と同じような、お尋ね者の身の上ってわけだ。───そんなわけで、こいつがなかなか警戒心の強いじいさんでよぉ。」
高杉は短く笑った。
「できれば一生人前に出ず隠居暮らしといきたいところだが、あいにくそんなご立派な身分じゃないし、金もない。だからこんな場所に居酒屋を開いて、俺たちみたいな人間相手に商売を始めたわけなんだが………。
あのじいさん、この店の明かりのろうそくの中に特別な毒を仕込むもんでよ、俺以外、客が居つかなくなっちまったのさ。」
リオルは身体を二つに折り曲げながらも、なんとか顔を高杉の方にねじ向けた。その拍子にまた数滴、口から紫の血がこぼれ落ちる。
「特別、な…毒?」
「そうそう知られてるやつじゃねぇ。───なんていう名前なのか、聞いたこともないが、相当危険なシロモノらしい。
一種の麻薬に近いかもな。この薬が体内に入るとすぐ、影響が出てくるのは脳だ。………その本人が一番見たいと思っているもの、その幻影を見せてくれる。お前の目に、ただの椅子が痛めつけられた俺の姿に見えたようにな。」
リオルは燃えるような怒りと背筋の凍るような相反する思いに、ぶるぶると声もなく震え出した。
目の前が少しかすんできた。高杉の声が小さく、遠くの方から聞こえてくる………。
「───それからしばらくすると、今度は身体だ。手足の自由がきかなくなり、全身がしびれる。………大体十五分ぐらいで死ぬな───化け物のお前が、これぐらいの毒で死ぬのか、それは分からねぇが。」
「嘘だ………それならなぜ、お前には……きかないんだ?」
「これだよ。」
高杉が無造作にかかげてみせたのは、彼がいつも持ち歩いている煙管だった。
「じいさんが特別にあつらえてくれたのさ。───この煙管に入ってんのはただの煙草の葉じゃねぇ。ろうそくに仕込まれた毒を、無効にしちまう薬草を燃やして煙を体内に取り込んでるわけよ。
まあ慣れるまでは大変だったぜ。くさくて苦くて仕方がなかったからな。でも不思議なもんでよ、しばらくすると、これがないと落ち着かなくなっちまった………」
高杉は鼻を鳴らすようにして笑った。───どことなく、自分をあざけっているようにも聞こえる笑い方だった。
「それでこの居酒屋には、俺とじいさん以外は入れなかったのさ。よそ者が勝手にずかずか上がり込んできたらどうなるか───よく分かっただろ?化け物くんよ。」
リオルは高杉をにらみつけながら何か答えようとしたが、口から出てきたのは声ではなく、紫色の血だけだった。
高杉はくるりと背を向けて、居酒屋の戸口に向かって歩き出した。
「ったく………これでまた、新しく酒を飲む場所を探さなきゃならねぇ。面倒くせぇことしてくれるぜ。
しかしまさか、てめぇが直々に俺を成敗しに来るとはな。───そんなに俺の裏切りが許せなかったか?」
「………」
「それなら残念だったな。俺はもともとお前みたいなガキと手を組んで活動するようなつもりはなかったし、それに───」
高杉の口調が不意に低く鋭く、斬りつけるような調子に変わった。
「………げらげら笑いながら人を殺そうとするような趣味の悪い奴と、同類扱いされるのもごめんだ。」
『さあ、今回の宿題パプリはなんとIQ200の問題です!あなたはポックリいけるかな?それともボヤッと?』
「おいトオル、今回はIQ200の問題だぞ!しっかり頭働かせとけよ。」
「銀さん………僕もう眠たいんですけと。」
「バカ言うな。超人気菓子店『富士屋』の特大チョコレートパフェ無料チケットがかかってんだぞ!お前以外にはこの番組のクイズ、解けねぇんだからな!!」
「………おやすみなさい。」
「トオルくうぅぅん!ごめんなさい!明日は一日中寝てていいから!だから今は我慢してぇ!!」
───夜の万事屋の二階では、銀時とトオルの二人がテレビの前のソファで頑張っていた。
夜の十時前といえば、まだ真夜中と言うには早過ぎる時刻だ。それにトオルは塾の勉強などで、夜遅くまで起きていることには比較的慣れている。
だがさすがに一日中お登勢の手伝いをさせられ続けて、さらにそれから定春と走り回った後となっては、眠くなるのは仕方のないことと言えた。
やがて、銀時の必死の説得(?)もむなしく、トオルはソファに倒れ込むようにして寝入ってしまった。
「くそっ………何のためにこの時間まで待ってたと思ってんだよ……。」
不満げに愚痴る銀時だったが、隣で眠っているトオルが目を覚ます気配はなかった。左手で顔を覆うようにして、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
今、神楽としんのすけ、そして王ドラたちはぐっすり眠り込んでいて、新八は実家である道場に帰ってしまっている。
つまり………この状況だと、銀時がトオルを布団に寝かせてやらねばならないということになる。銀時はしばらく経ってからようやく、そのことに思い当たった。
(マジかよ、おい………なんで俺がそんなことしなきゃならなくなるんだ。)
お前が無理やり起きさせてたからだろ、とツッコんでくれる親切な人は、残念ながら今はこの場にいなかった。
トオルの寝顔を見るともなしに見つめながらぼけーっとしていた銀時を我に返らせたのは、すぐそばの窓に何かが当たった音だった。
木刀を握って立ち上がるのと同時に、窓ガラスに小石がぶつかって、乾いた音を立てた。───ガラスを割らないように、微妙に加減した投げ方だった。
窓辺に歩み寄り、下を見下ろした時、銀時の針のように細められた目が少し大きくなった。
今夜の三日月は、驚くほどさえざえと明るく輝き、下界を柔らかな光で包み込んでいる。───その光から逃れようとするかのように、建物の影の中にひっそりとたたずむ人影があった。
銀時は頭をぼりぼりかきながら、煙管をふかしているその人影と向き合っていた。
「………一か八かでやってみたんだが───やっぱりお前だったか、銀時。都合がいいぜ。」
高杉は横目で銀時をちらりと見て、薄く笑った。
「俺だと都合がいいってのはどーいうこった?」
「簡単さ。お前なら、俺の言うことを一番まともに受け止めてくれそうだからな。」
銀時がわずかに眉を寄せた。
「……俺たちに何か、言いてぇことでもあんのか?───悪いがマサオのことでは、俺とお前はこれ以上にないぐらいの敵対状態だ。俺がお前の言うことを、そのまま受け取るとは限らねぇ。」
高杉はたじろがなかった。煙管から口を離し、長々と煙を吐き出す。
「──そうだな。だが、もうあの事件は終わった。………俺はこれからお前に、お前らをつけ狙っているらしい奴についての情報を与えてやろうと思っているのさ。」
「………」
「確かにお前も察した通り、俺にあの意味の分からねぇ首輪を渡して佐藤マサオの手に渡るようにさせたのは、お前らを狙っている奴らだ。───俺はいったんはあいつの言う通りにしてみようと決めた。面白そうだったからな。
でもだんだん、うまくやっていけるような相手じゃないことが分かってきてな……袂を分かつことにしたのさ。」
銀時の目が、ますます細くなった。
「………そんなに簡単に、はずさせてくれるような奴らなのか?」
高杉が一瞬だけ、声を上げて笑った。
「もちろん向こうから手放してくれるはずもねぇさ。───だから案の定、俺に襲いかかってきやがった。」
高杉の声から不意に、微かに笑うような調子が消え去った。
「………俺の勘が正しけりゃ、そいつはお前らを狙っている奴らのボス的位置にいる奴だろう。うまく撃退してやったが、あいつは───簡単に言えば、人間じゃねぇ。化け物だ。まともにやり合って勝てるっていう自信は出てこなかった。
───銀時。さっきからお前の家を監視してたんだが、時々窓から覗いてた小せぇガキがいただろう?」
いきなり何を言い出したのだ、という顔で、銀時は高杉を見つめた。
「………トオルのことか。それが、どうかしたのか?」
高杉はしばらくの間、答えなかった。まるで彫像になってしまったかのようにじっと動かない。煙管の煙だけが、ゆらゆらと揺れていた。
銀時がじれったげに聞き直した。
「トオルが一体何の関係があるんだって聞いてんだよ。」
高杉の影になった顔がようやく動き、こちらを向いた。
「………俺に協力を申し出て、さらに今日襲いかかってきた奴は、そのガキと全く同じ見た目をしてやがったぜ。」
銀時の手から、木刀が落ちた。
さすがにその過剰な反応に驚いたのか、高杉はわずかに顔をしかめたが、かまわずにさらに言葉を続けた。
「あと、名前はリオルって言ってたっけな。」
銀時の唇に、わずかに浮かんだ血の気さえ消し飛んだ。
今度は高杉が目を細めて銀時を見つめた。
「───心当たりがあるのか?」
「………」
銀時は答えない。答えたくないというよりは、答えられないというのに近い状態だった。
「まあ注意することだな。───あいつが何なのか、どうしてお前らを狙っているのか、俺は知らないし、知りたいとも思わねぇ。だが、すさまじく危険な奴であることは確かだ。俺が右腕を斬り落としても、すぐに再生しやがった………ボーン・キングとかの体液がどうとか言ってたな。
まあ俺も、お前に呑気に忠告してやれるような状況じゃねぇけどよ。」
高杉は煙管を右手にぶら下げたまま、こちらに背を向けた。───ずっと袖の中に隠れていた左腕に痛々しく包帯が巻かれているのが、初めて見えた。
「話はこんぐらいにしとくか………せいぜいゴキブリみたいにしぶとく生き延びろよ、銀時。」
小さく消えていく高杉の背中を見つめながら、銀時は足元に落ちている木刀を拾おうともせず、氷のように青ざめた冷たい顔で立ち尽くしていた。
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