第七章:目覚めゆく獣───1.坂本の贈り物
夜明けの、しんとした冷たい空気の中で、ネネは夢から弾き出されるようにして目を覚ました。
全身が汗ばんでいる。全力で走ってきた後のように、心臓痛いほと速く脈打っていて呼吸が荒い。
(………やだわ。またあの夢を……)
ここに来てから、最近はぷっつりと見なくなっていたというのに。───ネネは震える息を吐き出しながら、額の汗をぬぐった。
今回の夢は、前よりもさらに恐ろしいものだった。
星々が美しくまたたく夜空をバックに、マサオが光るものを振りかざしながら追いかけてくる。どこか高い場所にいるのか、空が近い。
血の匂いが立ちこめる。自分を見下ろすようにしてマサオが立ちはだかり、光るものを振り上げる。……狂ったように、高笑いしながら。
恐怖に涙のにじんだ目をぎゅっと閉じた瞬間、身体にすさまじい衝撃が走るのを感じた───。
ネネは思わず、そばで眠るマサオの顔へ視線を向けた。
マサオは眠っているが、何か悪夢でも見ているらしい。うなり、うめき、冷や汗をたらたらと流しながら、胸元をしきりにかきむしっている。何度も寝返りを打ったせいで、布団がめくれてマサオの上からほとんどずり落ちかかっていた。
ネネはマサオを起こさないように気をつけながら、その身体の上にきっちりと布団をかけてやり、そして、ため息をついた。
このマサオが………泣き虫で、気立てが優しく穏やかなマサオが、あんな恐ろしい顔をして追いかけてくるなんて考えられない。あれが予知夢だなんて、一瞬たりとも考えたくないが、ただの悪夢だと片づけるには、あの夢はあまりにも生々し過ぎた。
縁側を、誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
ネネがはっと起き上がるのとほとんど同時に、障子をすっと滑らせて山崎が顔を出した。
「あれ………もう起きてたのかい?」
ネネはとっさに言うべき言葉が見つからず、無言でこくりとうなずき、それから慌てて付け足した。
「あ、あの………おはようございます。」
「おはよう。───こんな朝早くに悪いけど、マサオくんたちを起こしてくれないか?」
「え………別にいいですけど……どうして?」
時計を見てみたが、まだ六時前だ。普段起きる時間よりも二時間近く早い。
続く山崎の言葉に、ネネは思わずさっき見た悪夢のことを忘れた。
「実は、万事屋の旦那たちが、至急君たちに会いたいって言ってきたんだ。」
「マサオくん………胸、かゆいの?」
「えっ?べ、別にそんなことないけど………」
「本当?………だって、さっきから胸を気にしてるみたいじゃない。」
事実、その通りだった。目を覚ましてからずっと、マサオは時折胸に視線を落としたり、手を当てたりとまるで落ち着かない様子なのだ。胸に見えない何かがへばりついているかのように、かきむしったりもする。
そうしている間、マサオの顔には押さえきれない不安の色が浮いていて、見ているネネまで不安になってくるぐらいだった。
「ねぇ、どうしたのよ?」
ネネが重ねて尋ねても、マサオは何でもないと言い張るばかりだった。
ネネたちは今、万事屋の居間に通され、ソファに座って銀時たちが来るのを待っているところだった。まだ神楽が起きていないらしい。
新八は妙に改まった様子で、ネネたちに何か渡したいものがあるとか言っていた。
(………渡したいものって、一体何なのかしら。)
ネネはマサオから気をそらすために、新八の言っていた言葉に考えを傾けた。
わざわざ朝早くに呼び出して渡すようなものだということは、かなり貴重なものなのだろうか………。
引き戸が開けられ、新八、銀時、神楽が次々と部屋に入ってきた。神楽はいかにもたった今叩き起こされましたという顔をして、ごしごし目をこすっている。
ネネ、マサオ、ボーちゃん、かずまに向かい合う形で、新八、銀時、神楽がソファに腰を下ろした。三人の後ろでは、定春が巨大な口を開いてあくびしていた。
しばしの沈黙の後、銀時が低い声で話し始めた。
「………朝っぱらから呼び出したりして悪かったな。眠くねぇか?」
「うぅん、大丈夫………しんちゃんたちは?」
ネネの問いに答えたのは新八だった。
「しんのすけくんたちはまだ寝てるよ。せっかくだから起こしたいところだけど、昨日は寝るのがかなり遅かったからね。」
「ふーん………」
ぼんやりと、しんのすけたちが向こう側で眠っているであろう引き戸を眺めていたネネたちは、突然目の前の机に何かが置かれたどさっという音にびくりとし、視線を戻した。
机の上に、赤色のきめ細やかな布で覆われた包みが乗っている。何が入っているのか分からないが、ずいぶんと大きく、しかも長細い包みだ。
それをすぐには開こうとせず、銀時はネネたちの顔を一人一人見回しながら、確かめるように言った。
「お前ら………坂本辰馬って奴は知ってるか?」
ネネとボーちゃんとかずまはうなずくでもなく、首を振るでもなく、戸惑い顔で銀時を見上げていたが、マサオははっとした表情になって呟いた。
「坂本辰馬?………確か、快援隊の頭の……!!」
銀時がふんと鼻を鳴らした。
「やっぱりマサオ、お前は知ってたか。」
銀時は淡々とした口調で、坂本辰馬と快援隊が巨大な星間貿易船団であること、彼と銀時が昔からの知り合いであることを話した。
「…とにかくだ、その坂本がたまたま地球に帰ってきて、宇宙船用のターミナル近くの宿屋にいた時、突然泊まっている部屋に直接、封筒に入った手紙が送られてきたらしい。……そこには、快援隊の身の安全を保障してやるから、俺についての情報を教えろと書かれていたらしい。」
ネネたちは一様にびっくりして顔を見合わせ、そして銀時を見上げた。
「向こうは快援隊のことだけじゃなく、坂本の名前まで知っていやがった。───あいつが俺と知り合いであることも、な。」
マサオがごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
「えと………そ、それで、坂本さんはどうしたの?」
「断った。」
銀時の答えは簡潔だった。
「さすがのあいつも、何かきな臭いもんを感じたらしい。俺が何か面倒事に巻き込まれているのかと思って、昨日ここに尋ねてきたくらいだからな。」
「………えっ?」
「で、そこでだ。」
銀時は腕を組み、机に置かれた包みをねめつけた。
「事情を聞かせてやったら、あの野郎、お前らのためにってこんなもんを残してさっさと行っちまいやがった。………おい新八、開けてやりな。」
何が出てくるのかと息をつめて見守っていたネネたちは、包みの中にあったものを目の当たりにした瞬間、目をまん丸くした。
「こ…これ……」
包みの中から出てきたのは、やや青みがかった刃をきらめかせている美しい一振りの刀が二つと、銀色の鞘に納められた小刀が二つだった。
しばし、困惑に満ちた沈黙が部屋の中に漂った。
「あ………あの、これは……」
「坂本さんが仕入れた中でもとっておきの武器だって聞いたよ。」
新八が静かに言った。
「何でか知らないけど、かなりいっぱいもらっちゃったからね………男の子には刀、女の子には小刀って、こっちで勝手に決めたんだ。
なるべく君たち自身が戦うようなことにはなってほしくないけど、とりあえず一人一つずつ取っておいてよ。万が一ってことだってあり得るんだから。」
「結局もらっちゃったけど………」
ネネは小刀のひんやりした感触を右手に感じながら、少し離れた所で座り込み、ぼうっとしているマサオに言った。
「こんなもの使ってどうしろって言うのよ、ねぇ?」
マサオはネネに話しかけられたのにもまるで気づいていない顔で、自分がもらった刀を(刀には鞘がなかったので、代わりに刃には丈夫な布がしっかり巻かれていた)眺めつつ、右手で胸元をさすっている。
ネネはもう一度話しかけようとして、ふと口をつぐんだ。───そして、無言でマサオのそばに近寄ると、彼の耳元でパンッと両手を打ち合わせた。
マサオがきゃっと叫んで飛び上がった。
「ネ、ネネちゃんかぁ………どうしたの?」
「どうしたの?じゃないわよ!さっきから何回話しかけても返事してくれないじゃない!」
ネネは怖い目でマサオをにらみつけた後、ちょっと穏やかな口調に切り替えてマサオに言葉をかけた。
「………ねえ、マサオくん。何か悩み事でもあるんじゃない?」
「え……?」
マサオの目がおどおどと泳いだ。何でもないふりをしようとしているのだろうが、見事にやり損ねている。ネネはさらに畳みかけた。
「何かあるんだったら言ってみてよ。誰かに言うだけでも、結構すっきりするものよ、案外。」
マサオは上目づかいにネネを見た。
「ネネちゃん………話してもいいけど……その前に、一つ確かめてもいい?」
「?」
ネネは一瞬顔をしかめたが、マサオの怖いほど真剣な顔に押されるようにしてうなずいた。
「僕の話が終わるまで、嘘でしょとか夢だったんじゃないのとか、そういうことは言わないで。」
「う…うん。」
ネネはとりあえずうなずいたが、マサオがまだ不安げにこちらを見つめているので、今度はきっぱりとした口調で告げた。
「そんなこと言わないわ。約束するから。」
大きく息を吸い、また大きく吐き出すとマサオは刀の柄を握りしめ、すっくと立ち上がった。
「………あんまり誰にも聞かれたくないんだ。あそこの木の陰で話してもいい?」
マサオの口から語られる、それこそまるで夢の中の世界で起こったようにしか思えない出来事を、ネネは木にぴったりと寄り、身体を硬くして聞いていた。
ここの木は、真選組駐屯所をぐるりと囲む塀に、ぴたりと寄り添う形で生えている。うまく陰に隠れれば誰にも見つからない、子供たちにとっては魅力的な隠れ場所でもあった。
今、ネネたちはその場所に座り込んでいるのだ。
「と、すると………」
ネネは今聞いた話を頭の中で整理しようとしながら、右手の人差し指をこめかみに当てて目を閉じた
「夜中に小石が飛んできて、起こされて………外に出てみたら、木の上に赤い光が見えて………それは小石をつなぎ合わせてできた輪っかだったわけね?」
「うん………」
「そしてそれを首にかけてみたら、気を失っちゃって………気がついたら首にかけてたはずの小石の輪が、消えちゃってたの?」
「そうだよ。」
やっぱり夢なんじゃないのか。
ネネのそうした気持ちを読み取ったかのように、マサオが弱々しく笑ってみせた。
「僕もね、きっと寝ぼけてて、ありもしないものを見ちゃったんだって思いたかった。………でも。」
マサオはまた落ち着かなげに、胸元に指を立てた。
「どうもここが、落ち着かないんだよ。むずむずするというか、何かがうずいてるみたいというか………
バカな考えだけどあの石の輪が僕の身体に入り込んじゃったんじゃないかっと思うと………もう、怖くって仕方がないんだ。」
ネネは笑い飛ばしてやりたかったが、できなかった。マサオとの約束のせいもあったが、それより何より───ネネもまた、マサオが感じているであろうものと同じ不安を、感じ始めていたのである。
閃光のように、今日の朝見た夢が記憶の中へよみがえってきた。
自分を見下ろしているマサオの顔………涙ににじんでいく自分の目………目をぎゅっとつぶる寸前に、青く光るものを振り上げたマサオの姿が見え、そして………。
あの時のマサオの胸元には、赤い光が輝いていた。
頭上の木の葉ががさがさっと揺れ、黒い塊が二人の目の前に落ちてきた。
ネネとマサオは同時に悲鳴を上げ、思わず互いにしがみつき合った。それぞれ手に持っていた小刀と刀が地面に落ち、鈍い音を立てる。黒い塊は信じられないような身軽さでぱっと立ち上がり、二人に近づいてきた。
それは、ネネたちとそう変わらない年頃の子供だった。肌が抜けるように白く、髪の毛と瞳は鮮やかなオレンジだ。長い髪の毛は三つ編みにして背中に垂らしており、赤い中国服に身を包んでいて………なぜか、髪の間からオレンジ色の猫耳が覗いている。
そして、その顔はトオルと寸分違わずそっくりだった。
ネネがこれだけのことを見て取った間に、少年は無言で二人に近づき、その腕を両手でぐいっとつかんだ。───華奢な腕からは想像もできないぐらいに強い力がこもった手だった。
悲鳴を上げて振り払おうとした途端に、蹴りが左耳にぶち当たり、ネネは一瞬にして何も分からなくなってしまった。
中国服に身を包んだ少年は、ほとんど茫然自失としているマサオにも当て身を食らわせて気絶させると、その身体をひょいっと肩に抱え上げ、足元に落ちていたマサオの刀を拾い上げた。
「………王カザ。」
突然、別の木の上から声がかかったかと思うと、一人の子供がするすると降りてきた。こちらは薄紫の長い髪の毛を背中まで伸ばしてターバンをかぶり、アラビア風の衣装をまとっている。───そして、やはりトオルとそっくりな顔立ちだ。
アメジストのような鮮やかな紫の瞳が、王カザと呼ばれた少年を静かに見つめていた。
「………カザメッド。」
無表情な声で王カザがそう返すと、紫色の瞳の子供───カザメッドは無言でうなずき、するすると近寄ってきて、ぐったりと地面に身を投げ出しているネネを抱き起こした。
王カザとカザメッドは、それぞれ子供を抱き上げるとくるりと背負い、音もなく木をのぼって塀を越えていった。
開いたジャンプを顔にかぶせて惰眠をむさぼっていた銀時は、ふとすぐそばに人の気配を感じて目を覚ました。
ジャンプを顔の上から取り除けると、新八が食べかけのチョコレートパフェを片づけようとしているのが見えた。
「うおぉぉい!ちょっと待った、ちょっと待ったァ!!」
銀時はすんでのところで跳ね起き、パフェの容器をがしっとつかんだ。新八がびっくりした顔になって銀時を見る。
「何だ銀さん、起きてたんですか?てっきりもういらないと思って、神楽ちゃんにあげちゃおうかなって思ってたんですよ。」
「ダ、ダメだ!あいつには死んでもやらねぇ!!」
銀時はパフェをひったくると、大急ぎでむしゃむしゃ食べ始めた。───が、新八はまだその場から動かない。
銀時は目を上げて新八を見た。
「なんだ、お前も食いてぇのかぱっつぁんよ。ならコンビニで買ってこい。」
「いえ、チョコレートパフェはどうでもいいんですけど………銀さん、言いませんでしたね。」
「あ?」
「トオルくんにそっくりな顔をしているけど、格好はキッドさんたちによく似た奇妙な敵たちのことですよ。」
「………」
「どうして言わなかったんです?まだトオルくんたちにすら伝えていないし………」
銀時は最後の一すくいを口に入れると、またソファの上にごろんと寝そべった。
「言ったところでどうなる?どのみち、敵が追ってくるのは百も承知の上だ。どんな姿してようが気にするこたぁねぇ。………かえって見た目に気を取られちまったら、戦い方に隙ができちまうしな。
───今は、トオルたちの気持ちを安定させてやるのが一番の策なんだよ。」
新八はしばらくの間、目をつぶった銀時の顔を見つめていたが、やがてふっと微笑みを浮かべた。
「………そうですね。そんなことを聞かされたらトオルくんが不必要におびえることになるかも知れませんし………」
引き戸ががらっと開いて、マタドーラがヒラリマントをぶんぶん振り回しながら部屋の中に飛び込んできた。ものすごく興奮している様子だ。顔が真っ赤になっている。
「おいっ、大変だ!大変なことになったぞ!!」
「マタドーラさん、声を低めて!またお登勢さんに叱られますよ!」
新八が慌てて、でもちゃんと声をできるだけ小さくしてマタドーラをたしなめたが、マタドーラはまるで聞いてもいないようだった。
「大変なんだよ!たった今、キッドから連絡が来たんだ!」
銀時が、かったるそうに半身を起こした。
「……それのどこが大変なんだ?」
「大変なのは連絡の内容なんだ!」
マタドーラはまたしてもヒラリマントを振り回し、もう少しで机の上にあるパフェの容器を吹っ飛ばしそうになった。
「ネネとマサオが、行方不明になっちまったらしいんだよ!!」
|