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コバルト新人短編小説

まつろわぬひと

作者: ろじかむ

 今日こそ、お尋ねしなくてはいけません。


 昨日お休みになられてから既に一二時間が経過。

脳波から現在レム睡眠の真っ最中である事を確認。


 掛け布団と枕二つを抱きしめ、表情筋が弛緩しきった様子で寝息を立てるその人の肩を(わたくし)――(シン)(ハイ)電機公司SJF5800型に様々な追加部品(トッピング)をされた、簡易注文自律型機械人形(セミオーダーオートマタ)、個体識別名/珊瑚(シャンフー)――は、軽く揺らします。


「おはようございます。シン様」

「んん……」


 揺らした手を握られてしまいました。

 体温は摂氏三六度。低めですがこの方にとっては平熱。目蓋が動いた所で意識レベルは二から三へ移行。今お尋ねするのは公平ではないので断念。


「ご朝食の用意が整いました。本日はチーズとベーコンのホットサンド、ミネストローネにサラダ、デザートはカットフルーツです。お気に召さないようでしたらお作り直し致しますが」


 意識レベルが三から五へ一足飛びに移行。

 目蓋の奥から碧眼がお出ましです。


「滅相もない、夢の様なお献立ですよ。珊瑚さん」

 私の識る限りでは人間の女性ならばイチコロ、というものになってしまうような微笑みを浮かべて、シン・ジェラルド・クロサワ様は勢いよく起き上がります。


 この方がこの星へやって来たのは地球の時間に換算して五日前の事になります。


 乗っている恒星船(スタアシップ)の星間運行システムがトラブルを起こしてしまったので修理のため滞在したいのだが許可して欲しい、と。


 旅券も身分証も銀河通商連合と星間友好同盟両方の裏書があり、偽造ではない事が確認されましたので私はそれを承認しました。船は短距離航行用の一人乗り、快適そうではありませんでしたので更に滞在中の寝床と食料の提供を申し出たところ「本当ですか、身体バキバキだったんでありがたいです」と大変喜ばれました。


『困った方には親切にね』が私の御主人様(マスター)の口癖でしたので、倣って私もそのようにしただけなのですがそんなに喜んでいただけると、こちらもやりがいがあります。


 何せ久々のお客様なのですから。


「あんな動物、見た事が無いのですが」


 シン様の視線の先には水面を勢いよく跳ねる薄くて黒い影。着水の瞬間に大きな飛沫を上げて帰ってゆきます。


「イトマキエイです。頭部の突出している部分が糸巻き、という物に似ているそうです」

「……エイ、の部分は……」


「解りかねます。申し訳ありません」

「いえ、何でもかんでも聞いてすいません」


「結構おいしいらしいですよ。お試しになり」


 私の声を遮ったのは先程よりも大きな水の音でした。


 距離にしてこのクルーザーから一〇メートルほど離れた所。先程と同じ個体が跳ねて、消えてゆきます。


 船体が大きく揺れますので安全確保のために私より背の高いシン様を肩に担ぎ、船中央の揺れの少ない所まで一足飛び。着地の衝撃が少ないように惑星重力制御装置に働きかけ、静かに着地を。

 重力値を通常に戻す前に彼を船に立たせ、設定を標準に。


「お怪我、ありませんか?シン様」


 ないのは解っていますが様式美です。私の御主人様(マスター)はこういう部分に凝るほうでして。


「だ、大丈夫です。あ、試すのも、あと怪我もです」


 少しふらついた様子で彼はあたりを見回しています。甲板は海水で濡れ、濡らした犯人は一〇〇メートル先でまた飛び上がっています。


「いやはや、圧巻ですねえ」


 会話の時と比べて六割程度の音量で、シン様はそう呟きました。


 ※※※※


「迷惑ついでにこの惑星を見物させて頂く事は可能でしょうか」


 というお申し出を頂き、重要施設以外は問題ありませんでしたので承認致しました。自然を体験できる惑星を訪れるのは初めてなのだそうです。

 人類が遥か彼方にあるという地球より宇宙へ飛び出してからもう随分な時間が過ぎましたが、相変わらず人間というのは私達と違って詰め込むと壊れてしまう脆い身体です。


 息抜きのためにこういった星というのは要所要所に存在している筈なのですが、時代が変わったのかもしれません。


 人間ならば詮索してしまう所なのでしょうが私にはその必要性がありませんので、シン様の望むままに致しました。


 一日の流れといたしまして、朝食をお召し上がりになってからシン様は草原地帯にある恒星船(スタアシップ)のメンテナンスを行い、昼食はその近くにあるゲストハウスで。

 午後はこの星の地図からご覧になりたい箇所を指定して頂き、そのご案内を。


 終わったら夕食です。本日のメインはエイではありません。念のため。


「ご馳走様でした。やあ、いい所です。風光明媚、ご飯は美味しく、美人のメイドさんが」

「シン様、右口角にソースがついております。お取り致しますか」


「あ、すいません、自分で、自分でやります」


 体温が摂氏三七度に上昇、頬を赤く染めながらシン様はナフキンで口元をぬぐいます。

 その強さでこすると肌表面に肉眼では見えない傷がついてしまうのですが、それ以上は口には出しません。あまり指摘して摂氏三八度にでもなったら大変です。

 私には御主人様(マスター)以外に薬物の調剤、診察をすることは許可されておりませんので。


 これ以上刺激しないよう慌てふためくシン様の前で一礼をし、食器を下げて洗浄漕へ。

「ああすいません重ね重ね」という声を聞きながら私は洗浄層にお皿を放り込みます。


 いくら技術が進歩したと言っても機械人形(オートマタ)が水に触れる時間は少ないに越したことがありません。ここからは別の機械の仕事です。


 ※※※※※


「東北東の空、ここから見て六八度の所にある赤い星、あちらを起点に等間隔で横一列に星が七つ並んでいるのをご確認いただけますでしょうか」


 この星とは言っておりますが、居住スペースはこの都市だけ。

 観光として見られる所のご案内は終えてしまいました。


 最後にここにも一応星座があるとお伝えした所「是非解説を」と言われましたので今はその最中です。 見えやすいように外気温を零度に設定し、街灯のない牧草地帯まで移動を。


「ああ、ありますね」

「《寝ころんだシャツのボタン座》です」


「え」

「発見者には壊滅的なまでに名付けの才能がなかった事は私も認識しています」


 因みに御主人様(マスター)なのですが、名誉のために伏せておきました。


「《建造中止ピラミッド座》や《怒涛のマカロン座》はなんとなーく解るんですがさっきの《クリーキッド・ジャスティン》って言う星は何なんですか?」

「昔、一世を風靡した俳優です」


 南南東、青白く光る特級一等星をシン様は眩しそうに見つめています。


「ああ、お好きだったんですね。あんなに強く、輝いて」

「いえ、発見者は枕を噛み千切るほどお嫌いでした。ここから確認できる星で、一番早く消えてなくなるのがあの星なんです」


「…………」


 ジャスティン氏は御主人様(マスター)が愛してやまない銀河の歌姫、ダリルクアント・リイヤ嬢をつまみ食いしてお捨てになった方です。当時のお怒りたるや凄まじいものでした。


 くしゃみの音がして振り返ると鼻を赤くしたシン様が。


「申し訳ありません、その外套では薄かったですか。戻りましょう」

「いえ、あの、寒暖差でむずむずしちゃってるだけなので大丈夫です。身体、丈夫です。もう少し空を眺めていてもいいですか」


 私はそれを承認し、シン様は「なんとなく気まずいので珊瑚さんもここに来ませんか」と仰られました。


 拒絶する理由もありませんでしたので私はシン様の隣に腰を下ろします。


「珊瑚さんは寒くないですか?」


 人工カシミアの鳶外套(インバネス)にくるまったシン様は気遣わしげに私を見てきます。

 人の目から見れば私の西洋四季施(ヴィクトリアンメイド)の様相は確かに心もとないように見えるのでしょう。


「むしろ冷却機能の稼働を抑えられるので効率がいいです」

「あ、そうですよね、すみません」


 白い息を吐きながら「大気圏内で見る星空もまたオツですね」と微笑むシン様の意識レベルは五、そして私の裁量でお見せできる箇所は概ねご案内致しました。


「シン様」

 お尋ねすべきは、今です。


「なんでしょう、珊瑚さん」

「何かもっと、私にお聞きになりたい事があるのではないでしょうか」


 私の言葉にシン様は「そうですね」と静かに答え、それからまた空を見上げました。


「沢山あって……どこから聞いたらいいのか解らないんです」


 しばらくの沈黙の後「ちなみに珊瑚さんは俺に聞きたい事、あります?」と返されました。私はシン様と出会ってからずっと理解が出来なかった事をお尋ねすることにします。


「貴方はなぜ、この星での生命活動を問題なく維持出来ていらっしゃるのでしょうか」


 ※※※※※


 ―――ここは堅忍不抜の永世女帝が統べるレオノール系の外れ、レプリ星団にある小さな小さな星、ウィリディス。


 航海図に載っていない、いいえ、それどころか近くに寄れないように星団ごと封鎖され、存在を抹消されている場所なのです。


 元々ここは軍事開発施設だったのですが、技術局にお勤めしていた私の御主人様と同僚数名がとある生物の交配を趣味で行っているうちにある日偶然それを発見してしまいました。


 《深閑(イグニス)


 大気に紛れたそれを人間が一定量体内に取り込むとそこから内臓が爛れ、溶け落ち、死に至るという細菌です。


 潜伏期間や感染症状はなく、当時出回っていた最高級の滅菌服をすりぬけて感染させる、しかも人間以外には侵入しないし寄りつきもしない。例えば施設をそのままに、住まう人間のみを一掃したいという時などに大変に有効なものでした。


 早速上層部に報告を、と盛り上がった所で時期尚早ではないかと待ったをかけたのが御主人様(マスター)です。


 《深閑》の効果は何度かの実験で実証済だったのですが、なぜ人間にだけ有効なのか、どうやって滅菌服をすり抜けるのか、一個体の寿命の果てが解らない、繁殖が人の手を介してでないと行われないのはなぜか、など未知の部分が多く、何よりそれを無毒化する方法がありませんでした。

 扱える算段の、せめて輪郭部分が見えてくるまでは内密にするべき、とあの方は主張したのです。


 御主人様は《深閑》発見の最大の功労者でしたので、他の方々も一旦はそれに従ったのですが、報告した事によって齎されるであろう恩恵や称賛というものの誘惑に耐えることが出来ず、彼らは御主人様を施設から追い出しました。


 御主人様(マスター)はそのまま老後の夢だった宇宙をふらふら、出来たら良かったのですがあの方は大変に優秀で、しかも《深閑(イグニス)》のノウハウだけを記憶細胞から消す、などという事は出来ませんでしたのでこの星を出る事は許されず、一切のネットワークの使用を禁止され、他人と話すことを禁止され、話し相手はネットワーク機能を切られた予定/体調管理用機械人形(オートマタ)の私だけになってしまいました。


 一方彼らは上層部に報告した事により秘密裏に設置された専門研究室に配属され、予算は潤沢、順風満帆。

 と思いきや地道に何年、研究を続けても《深閑》の無毒化の方法が一向に見つからず、上層部から成果を急がされ、家族にも明かせない自分の仕事内容にとストレスに苛まれ、彼らは心を病んで行きました。


 そしてあの日がやってきたのです。


 それが起こってから彼らのうちの一人が御主人様(マスター)の元へ来て錯乱しながら喚いた支離滅裂な内容をつなげた所、実験中の事故である研究員が《深閑》に感染し、パニックで正気を失った感染者は制止を振り切り、培養してあった全ての《深閑》を、施設の外へばら撒いたというのです。


 その数はこの星に住まう人間を全て殺してなお、余るほどのものでした。


 もはや言葉として成立しない彼の懺悔の咆哮を御主人様は静かに聞いていました。

 感染した要人は治療法の発見を願いながら自家用冷凍睡眠(コールドスリープ)装置に引きこもり、何も知らない人々は何も知らないまま死んでいきました。御主人様にも冷凍睡眠(コールドスリープ)して頂くように提案したのですが


『わたしが入る訳にはいかないよ。起きたら責任取らされちゃうじゃん』


 そう、断られてしまいました。

 この事故はすぐ政府の知る事となったのですが、外交問題や世継ぎのことなどあちらもてんてこ舞い、しかも《深閑》の存在はその威力から政府内でも限られた者しか知らされていない最重要機密でした。


 機密保持のため詳しい研究データはウィリディスまで出向かないと閲覧出来ない事になっており、データが頭に入っている研究者は全員死亡か冷凍睡眠という有様で、事故以前の問題を解決しながら《深閑》に関する対策を立てるのは不可能に近かったのです。


 内密に解決できないと判断した政府は、連合と同盟の助力を得て銀河航行システム管理会社にレプリ星団に近付く事の出来なくなるよう依頼し、宇宙最大のデータバンク《全知樹(シノニム)》からも星団の情報を抹消させました。政府ですらこの空域を訪れることは出来ないのです。


 いるかいないかわからない生存者へ向け、そのような対応を取るに至った顛末が記載された謝罪文がここへ一方的に送信されてきてから、もう五〇〇年ほど経ちます。


 そして、この星にはまだ《深閑》が生存しているのです。


 シン様は私の話を聞いて、《深閑》の生体についていくつかお尋ねになり、私の知る限りの事をお答えすると「成程」と慌ても恐れずもせず頷き、至って普通の調子で、


「俺、人間じゃないんです。あなたと同じ機械人形(オートマタ)なんです」

「冗談を許容する機能はついておりません」


 告げたその言葉を私は瞬時に否定しました。


「…………」


 悲しそうにこちらを見る碧眼を私は観察します。身体から金属反応ひとつ出て来ない、サイボーグ化もされていない真人間です。ちなみに傷ついた人間特有の脳波も見受けられます。


「見た所珊瑚さんて体調管理用機械人形(オートマタ)ですよね。嘘判別機能(ジャッジ)、ついているでしょう」


 内蔵されています。御主人様(マスター)に限らず人間は大丈夫ではないのに『大丈夫』と言い、もう飲めないのに『もう一軒』と言う部分がありますから。

 その機能により、シン様が嘘を言っていないのは私にもわかっています。

 ですがシン様の言葉以外から得られる心拍数が、脳波が、横隔膜の振動がそれを否定するのです。

 私が世界から隔絶されているうちに、そんなにも技術が飛躍してしまったのでしょうか。そう尋ねると、


「素材は進化しましたが、基本構造は変わっていません。これは、機械側の認識を狂わせて、僕を人間だと錯覚させる仕掛けが内蔵されているんですよ」


「あんまり他言しちゃいけないんですが」


 と、シン様は仕組みのいくつかを教えて下さいました。私でも理解できる機構がいくつかあり、それは成程そういう事が可能やもしれないと判断できるものでした。外の機械人形(オートマタ)は既に皆そうなのかとお尋ねしたら「いえ、これは非合法な仕掛けなんです」と、言ってシン様はにや、と笑いました。


「そういえばシン様は、どうやってここへ」


 謝罪文の文面から察するに、この宙域には星間運行システムのトラブルなどでは入って来ることが出来ないようになっているはずなのです。


「とっかかりからお話しすると長いので割愛しますが、俺の製造者(マイスター)、ああ、御主人様(マスター)って呼ぶと怒るんです。そう、あの人はこの場所の正確な位置を知っていて、で、僕はあなたを迎えに来たんです。運転はまさかの手動(マニュアル)です」


 主のいない星に一人きりでいるのは辛いだろうから、というのがシン様の製造者(マイスター)様のお考えのようで。


「そう、ですか」

「この規模なら他にも機械人形(オートマタ)、いますよね」


「施設運営、実験補助、体調管理用など全て合わせて二四五体おりましたが、命令を下す人間が全ていなくなってしまいましたので長期休眠(ロングスリープ)に入っております」

「どうして、あなただけ」

「実は」


 私は立ち上がり、西南に向かって手を伸ばします。そう、それはご案内のポオズ。


「まだお見せしていない所が、あるんです」


 ※※※※※


 草原地帯と森林部の狭間にある大型の天幕。といっても素材は金属製です。

 セキュリティコードを入力し、扉が開くと暗闇のそこには床一面の花畑が広がっています。

 品種は一種。細い葉に淡く光る白い花弁の、地面に這うように咲く背の低い花です。


「きれいですね。これは」

「こちらは《扇六花薄雪草(クウァエダム・エーデルワイス)》  御主人様(マスター)の最期の作品です」


 施設を追われてからも御主人様(マスター)は独自に《深閑(イグニス)》を無毒化する方法を探しておりました。使える機器が限られている中で治療法を編み出すのは不可能でしたが、研究を続けた結果作り出したのがこの花です。


 開花の際に人にしか寄って行かないはずの《深閑(イグニス)》をおびき寄せ取り込み、花が朽ちる際、種子の中に《深閑(イグニス)》を閉じ込めてしまうという仕組みで、完成まであともう一歩の所でした。


「『あとやっといて』と、マスターは私にお命じになりました。通常ならばそれは『研究データ上書き保存作業』の事なのですが、『あと』の意味を確認する前にお亡くなりになってしまって」

「じゃあ」


御主人様(マスター)の真似をして、それから誰もいない事をいい事に施設のマザーコンピューターに接続して、私なりにやってみたのですがやはり未完成です」


 幾度実験を行っても機械の私には御主人様(マスター)の様に素晴らしいひらめきなどが生まれることはありません。それでも私はあの方の真似事を今日まで続けて来ました。


 シン様は少し躊躇ったあと「ここを出てゆきませんか。製造者(マイスター)から指示されたからというだけではなく、僕もそれを望みます」と言いました。


 彼の製造者(マイスター)の元には、様々な技術と才能を持った方が集まっているのだそうです。

 もし私が望むなら、御主人様(マスター)の研究も協力して完成させる事も夢ではないかも、と。


「あの人達地位とか名誉とか興味ないというかこれ以上いらないので、珊瑚さんの御主人様(マスター)のお仲間のように仲たがいする事がないと思います。あなたが望むなら研究の内容を見る事もしないでしょう。何よりここと違って《全知の(シノニム)》アクセスし放題ですし。あ、セキュリティも同盟本部並みです」


 シン様の言葉に嘘判別機能(ジャッジ)は反応しません。


「そうですか」


 私は彼の問いかけに応えるべく口を――


『あーあー、テステス!本日は!晴天なり!』

 突然響いたその声は、シン様の手首に巻きつけられたかなり古めかしい腕時計から発せられたものでした。


『なんです?それ』

『古来より伝わるマイクテストの呪文なんだぜ!』

『へー、さすが』


「どうしたんですか、なんかありました?」


『どーもこーもねーよ!てめーが帰って来ねーからあのポンコツがへそ曲げて仕事サボってんだよ!さみーの!何とかしろ!』

『曲げてない!』

『あ、これウッソー!』

『難航してるのですか?』

『こ、の、時代遅れ!黙れ!』

『おっと言うじゃん?』

『封鎖理由解ったですか?』

『逆に態度大きいよね、高出力電磁砲で沈められたいの?』

『おう上等だこのアマ、昼ドラよりドロドロにしてやっからな!』

『これ見苦しいのである』

『ねえ昼ドラってなにー?』


 止まらない大音量にシン様はうんざりした顔をして時計を眺め、息を吸い込みます。


「お元気そうで!何よりでーす!まずここ生物兵器で居住者全滅してました!まだ人が住める状態じゃないです!原因がうようよ!」


 時計の向こうが一瞬静まり返りました。


『帰ってくんな』

『シンさま大丈夫ですか!?』

『あー、やっぱりですか』

『読み通り』


「……えーと、で、習性の感じから菌を持ち込まずにそのまま帰れます」


『わかりました、気を付けるのです』

『シグナレスはどうですか?』


「……諸々取り込み中なので、後でまた通信入れます」


『はいヤラシーワードでましたあ!取り、込み、中!リピートア』

『ちょっとあんった!』

『今日も仲良しです』

『です』


 と、止まる様子のない大騒ぎに辟易した様子のシン様が時計に雑に触れ、音が消えました。


 長い長いため息の後「技術と、才能はあるんですが」といつもの三割の音量で呟きます。


「ええ、解ります。ここは妨害(ジャミング)がかかっていて、本来なら通信も届かない場所ですから」

「……ただ、人格が……」


「大変に賑やかですね」

「……苦手そうですよね」


「いえ、色々ある前はここはもっと賑やかでした。少しだけ、懐かしいような気がします」


 気が付けば私は記憶(メモリ)の中から色褪せることのない、あの騒がしく無理難題を押し付けられた日々を体内で再生していました。


「あの」

「シン様、大変ありがたいお申し出ですが、私はここに残りたいと思います」


 そうして私は、彼に向かって先程言いかけた事を一字一句の違いなく、伝えました。


 ※※※※※


 草原地帯と森林部の狭間にある大型の天幕。

 セキュリティコードを入力し、扉を開くと暗闇のそこには床一面の花畑が広がっています。


 照明をオンに。


 より強い光に押し負け、ただの白と化した花畑を私はまっすぐに進みます。

 花畑の中央には横たわる人影がひとつ。

 私は膝を折りその方の額を静かに撫でます。


「随分、ご無沙汰してしまいました。御主人様(マスター)


 防腐処理(エンバーミング)を済ませたその姿は眠るようで、今にも『やあ珊瑚、良い朝だね!』といつものように起き出しそうです。


「お客様がいらしていたのです。ええ、先程ここを覗いて行ったあの方です。あの後すぐにお発ちになりました。外は随分変わったみたいですが、相変わらずの所もあるようです」


 当然ながら返事はありません。


「お見送りの際に少しお話を聞いたのですが、あの方は不思議なご縁で出会った方々と旅をしていらっしゃるんですって。聞いたら吃驚しますよ、すごいメンバーです。御主人様(マスター)の大好きな冒険活劇映画のようですよ」


 私は言葉を止めることが出来ません。


「実は一緒に行きませんかとお誘いを受けてしまいました」


 私、壊れてしまったのでしょうか。


 生体反応のないものに話しかけるなど、正気の沙汰ではありません。


御主人様(マスター)、地団駄踏んで悔しがりそうですね。羨ましいでしょう」


 ざっと内部プログラムを点検しましたが異常無し(グリーン)です。


御主人様(マスター)


 いっそ壊れていたら良かったのに、などと思ってしまいます。


 私達、機械人形(オートマタ)は人格や駆動プログラムより先にある事を叩き込まれます。


 そう、《三原則(アシモフ)》です。

 機械は人間を害さない

 機械は人間の命令に従う

 機械は自壊しない


 これに縛られてさえいなければ私は、御主人様(マスター)を無理矢理、冷凍睡眠(コールドスリープ)装置に押し込み、遠い未来でこの方のぼやきを聞くことが出来たのかもしれません。


『あとやっといて』の少し前の御主人様(マスター)の言葉。


『珊瑚、まずはこれまでの君の働きに感謝を。もしわたし亡きあと、この星を訪れる人がいたら、その人に仕えなさい。その人が《深閑(イグニス)》にやられてしまったら、乗ってきた船に乗ってとにかく外に出なさい。君のクロックムッシュをここでくすぶらせるのは惜しい。いいね。これは命令だ』


 あなたが命令という言葉を使ったのは、お仕えしてから初めての事でしたね。


「シン様は、人ではありませんでしたので」


 だから命令違反には、ならないですよね。御主人様(マスター)


 まだもう少しだけ、私はあなたにお仕えしていたいのです。


 ―――《軌跡の(グリニッジ)》と同じ時を刻む中央時計塔(グランドファザ)が、朝六時の鐘を鳴らします。


 そういえば私、五〇年以上稼働したままでした。

 いい機会ですから自己点検(セルフメンテナンス)でも致しましょう。

 私は御主人様(マスター)のお傍に横たわります。

 何百年もご一緒しているのに、こんなに近くでお顔を拝見するのは初めてです。


「演算機構異常無し(グリーン)、躯体異常無し(グリーン)、動力炉異常無し(グリーン)


 記憶(メモリ)確認(チェック)中にふと、おかしなことに気付いてしまいました。


「……次に聞けば、いい話です」


 嘘判別機能(ジャッジ)が一度も反応することのなかったあのひとは、去り際「また来てもいいですか」と言いました。

 拒否する理由もないので承認しました。

 一体次は、いつになるのやら。


「最深部の点検(メンテナンス)のため、一時的に全ての機能を停止致します。ご不便おかけ致しますが、一旦失礼致します」


 覚醒(アウェイク)から休眠(スリープ)モードへ移行。


 機構が段階的に停止してゆく中、私は親愛なる御主人様(マスター)を見つめています。


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