十六ノ六、カラクリの街
イシュマイルたちがアリステラに居る頃。
第三騎士団は、団長ジグラッド・コルネス以下、遊撃隊も含めて全員が無事ファーナムに帰還した。
アーカンス・ルトワは、実家でありファーナムの豪商であるルトワ家と繋ぎを取るために遊撃隊を離れる許可を貰っていたが、その遊撃隊も第三騎士団自体も、今は評議会の処分を前に静粛にしているのみだ。
先のドヴァン砦攻略の失敗を受けて、団長ジグラッド・コルネスは降格を免れないと腹をくくっている。
アーカンスは、隊を離れる前に団長ジグラッドに挨拶をしようと出向いたが、面会の許可は下りなかった。しかし、遊撃隊の隊長であるアーカンスの行動の自由までは制限されなかった。
――この時点で多少なりともおかしいと気付かなかったアーカンスは、いつもより気が散っていたのかも知れない。
ルテワ家の帝王とあだ名される従伯父、アカルテル・ハル・ルトワに会うのは、騎士団の顧問官の前で陳述するよりも萎縮する。
従伯父つまり、父の従兄弟に当たる人物で、ファーナムの評議員だが、ルトワ家の全てを牛耳っているといっても過言ではない。
アーカンスはまず、実家に戻るより先にアカルテルの事務所がある官庁街に赴いた。
ファーナム市の街並みはドロワ市に似て高地にあるが、ドロワ市よりも空が狭く感じるのは、高い建物がいっそう入り組んでいるからだろう。
雰囲気はドロワの旧市街、下町の密集具合を思い出させるが、ファーナムのものは規則性がなく様式美に欠け、ただただ広がっている。
一軒家が少なく、住宅や店舗が集合して『ロの字』あるいは『コの字』に纏ってアパートメントの構造になっている。さらに上階で建物同士が繋がっており、行き来出来るのはもちろん、そこにも商用スペースも設置されている。
元々が山岳地帯であった為、平地ではなく斜面に張り付くように町が興されたのがファーナムの始まりだ。
ラナドールの話通り、かつてはノア族の遺跡の一つがあったが、のちにその上に聖殿が置かれたという隠された歴史がある。やがてその周囲に、タイレス族がそれと知らぬままに街を作って広げていったのである。
ジェム・ギミックの恩恵もあって、他の街では不可能な移動手段も次々に生み出され、この街独自の世界観を形作っている。
それは、ノルド・ブロス帝国の摩天楼のような景色と、どこか似ている。
さて。
評議員の事務所に向かうには、機械式の昇降装置を使って上層階に上がらなければならない。
以前シオンが、バーツを連れてドロワ聖殿の地下層に降りた時にも、ジェム・ギミック式の昇降装置――リフターを使った。あれは相当に高い技術のものだったが、今アーカンスが移動に使ったファーナムのものは、もう少し無骨なものである。
というのも、ファーナムは街が大きく経済面も豊かなので都会的なイメージで語られるが、アリステラのような観光に向いた地形ではない。
街を構成する殆どの住人は商工人、学生、研究者、そして法政家などである。
特に技術者・職人の研究心が高く、街のいたるところに機械やギミックが実験的に取り付けられては改良されるなど、ジェム技術においては魔窟のような一面がある。
アーカンスが郊外の兵舎から、評議員のいる上層階へ渡るためには、そういった機械類や階層ごとの関所などをいくつも通って登っていかねばならない。
ともあれ。
ファーナム育ちのアーカンスにしてみれば、当たり前の日常である。
上階に登ってしまえば人工の公園があり、水路が敷かれて緑を潤す美しい光景が広がる。
アーカンスは、評議員の事務所の集まった一画に入る。
警備員に言付けをして秘書に会えば、後は部屋に通されて従伯父アカルテルが来るのを待つだけだ。
壁が厚く窓の小さい重厚な造りの建物内は、空調設備や連絡用の配線などが見えない所でこれでもか、とばかり施されている。技術者の執念もまた街の景観に染み込んでいるのだろう。
室内には床と壁に精巧な絨毯が張られている。
ドロワ市と同じく織物はタイレス族の伝統品で、鮮やかな色模様の絨毯は主に室内に使われる。
アカルテルの応接間は、絵画や芸術品の類は少ない代わりに生花と書籍が溢れている。生花は秘書の趣味だ。
壁に執務室使用時の約款などが飾られている辺りは、アカルテルの仕切りたがり屋の性格がよく現れている。
長く待たされた。
いつものこと、ではある。
親族であるから当日にアポイントメントを取っても通して貰えるが、そうでなければ数日を要する。
アーカンスは、半月以上前に面会した従伯父の顔を思い出す。
いわゆるカイゼル髭を生やした厳しいイメージの男だが、聞くところによると龍族の中にもそんな髭を持つ種類があるらしい。
龍族で髭を持つものは、大抵垂れ下がったどじょう髭の形が多い。
アーカンスが待つ間にそんなどうでもいいことを考えていたのは、第三騎士団の処分が決定されるまでは、目先の予想が付かないせいもある。
たとえば団長のジグラッド・コルネスが指揮権を失えば、彼の命令で動いている遊撃隊もその目的を失い、アーカンス自身も今ここに従伯父と繋ぎを取る計画の意義を失いかねない。
(少なくとも、レアム・レアドに関する調査は続けられると思うけど……)
アーカンスはまだぼんやりとした展開しか思いつかない。
そこへ、ドアが静かにノックされた。