22、学食での出会い 〜嵐の予感〜
村上さん事件があって、数週間がたった。
あの時感じた、ココロのチクチクも、なんとなく忘れかけていた。
そんなある日の夕食時、僕はふと思い出して良子さんにお願いした。
それは、今度の学会に際して必要な、書類についてだった。もう、明日提出しないと、学会に参加できなくなるのだ。自分ひとりでは心もとないんで、こういうことには結構しっかりしている良子さんにも、気をつけてもらっておこうと思ったのだ。
「良子さん、これ、明日忘れそうになったら言ってくれる。明日までに発送しないと、学会に出られなくなっちゃうんだ。」
「まあ、それは大変。じゃあ、わたしも覚えとくね。」
彼女は、うんうんと机の上の書類を確認していた。
そして翌朝。僕は寝坊気味に起きて、あわてて学校に向かった。
でも、なぜかその日に限って、二人ともボケていたのだ。
こういうことって、あるものなのだ。
結局、その言っていた書類を、見事に家に忘れてしまった。
気が付いたのは、昼前。
もうそのときには、どうしても手の離せない実験を始めてしまっていた。
困った、困った・・・焦るばかり。
丁度その頃、同じように焦った人がいた。
他ではない、良子さんである。
「あー!!!」
昨日、茂夫が念を押していた書類が、デスクの上に残っていた。
わたし、朝、念を押さなきゃいけなかったのに・・・。
なんか、気が付くと、涙が流れてる。
でも、こんなことしてる場合じゃない!
と、とにかく、これを学校にもって行かなければ・・。
彼女、責任感から、決死の思いで大学潜入を試みることにする。
前来たときの記憶を呼び起こして、茂夫の研究室を探す。
学内をフラフラと歩いていたら、思わずその書類を落としてしまった。
あっ!
風で飛んで行きそう・・・あわてて追いかけるもなかなかつかまらない。
ふとその書類が、ある人の足元で止まった。
その人はその書類を拾い上げて、丁寧に自分に渡してくれる。
「はい、大丈夫ですか?」
あら、やさしそうな男の人・・。
でももっとびっくりしたのは、その人が自分のことをじっと見て、何も言わない。
「ありがとうございました。」
何の返答もしない・・。
どうしたんだろう・・。
もう一度頭を下げて、茂夫の部屋に向かった。
この男、医学部の望月浩太。
将来を期待される、医学部のホープにして、いわゆるイケメン。
多くの女性の夢をかきたてる、うちの大学のアイドルであった。
そいつが、良子さんに見事にやられたのであった。
無事、茂夫に書類を届けることの出来た良子さん、茂夫は忙しそうにしていて、書類を大喜びで受け取ってくれたが、それ以上は無理そうだった。他の研究室の面子も、学会前の準備に追われて、火を吹いているみたい・・・。ちょっと寂しい気持ちで校舎を出る。
でも、とにかく責任は果たせたと、ほっとして学食の自販機で、ココアでも飲もうと思う。
自販機でココアを買って、テーブルで飲んでいると、さっき書類を拾ってくれた人がやってきた。
「あ、さっきの方。先ほどはお返事せず失礼しました。」
あら、わざわさに・・。
「い、いえ、こちらこそありがとうございました。」
「こちら座ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。」
「わたし、望月浩太といいます。一応、医学部の4回生です。」
「まあ、お医者様の卵なんですね。すごいですね!」
「いえ、それほどでも・・・。」
「失礼ですが、あなたは?」
「わたし、大田良子といいます。」
「どちらの学部ですか?」
「いえ、わたしここの学生じゃないんです。」
「じゃあ、隣の短大の学生さんですね?」
「え?・・・そういうわけでも・・。」
茂夫の大学の隣には、女子短大がある。
望月は思いっきり納得してしまった。
それから望月は、自分の家も病院をやっていて、卒業して大学病院で修行を積んだ後、そこの跡継ぎになる予定なのだとか、今やっている医学部の講義の内容だとかを、にこやかに聞いてくれる良子さんに気をよくして、話し続ける。最後は3回生のときの解剖の様子なんかも話す。
でも良子さん、直に家のことが気になり始める。
・・もう帰らないと、お掃除まだ終わってない。お洗濯ももう一回まわさないといけないし、
お買い物も・・・。
気になって仕様がない、しばらくすると、何も耳に入ってこなくなってしまった。
彼女の家事は、茂夫への愛情表現以外の何ものでもない。
何も出来ない自分が、夫のために出来る、数少ないことの中の一つだと思っている。
綺麗に片付けて、ぴかぴかに磨いて清潔にする。そして、美味しい食事を準備して彼を待つ。
その待つ時間、そして帰ってきて絶対に見せてくれる、彼の輝く笑顔。それらが、彼女を今まで支え、様々な古い自分から脱皮させてきた。まさに彼女の幸せの源泉といっても、過言ではなかった。
そしてそのことを、誰よりも彼女自身が良く分かっていた。
結構な時間、話しこんしまった。良子さん時間が気になって、いたたまれなくなる。
「わたし、もう帰らなけりゃいけません。」
機関銃のように話す望月。そんなに話されると圧倒されて、いつもだったら、ひと言もいえない良子さんなのが、茂夫をちゃんとして迎えたいと焦る気持ちは、彼女を彼女にしては、ビックリするほど大胆にした。
望月、突然、脈絡もなく話をさえぎられて驚く。
しばし絶句。
「そ、そうですか・・・・。じゃあ送ります!」
「え?」
・・・そうね、遅くなったから早く帰るには送ってもらうと助かるかも・・・。
とにかく早く帰りたい彼女。
「じゃあ、お願いしようかしら。」
学食を出て、望月と良子さんが並んで、駐車場に向かって歩く。
大分涼しい日があるようになったこの頃、さわやかで気持ちいい学内。
時折、心地よい風が流れる。
二人は連れ立って歩いている。
望月は、なんかもう付き合っている気分だった。
何も言わないで、微笑みながら自分の話を聞いてくれた良子さんを、自分に好意を寄せてくれたと思っていた。
・・・良子さんは、ひたすらに早く帰りたいばっかりだったのだが。
丁度その時、新聞部の面子が、行く人行く人を写真を撮っていた。
実は、もう少ししたらある、学内の写真コンテストに出展するための取材だった。
テーマは、「ベスト・カップル」
望月と良子さん、そこを通りかかる。
カメラマン、にわかに色めき立って、二人に声をかける。
「すみません、一枚撮らせてください。」
「え、ええ!!」
良子さん困る。
望月、快諾!
「良いですよ!」
望月が良子さんに近づいてパッとポーズを決める。
あっという間に、ツーショットを撮られた。
彼女はそれから、望月に車に乗せてもらった。
「ところで、大田さん、このままちょっと海に行きませんか?」
良子さん、全く取り合わず、
「わたし、帰らなきゃ!」
「いや、そう言わず、どうです? あ、そうだ、そういえば、海岸線の『オーシャン』が、改装したそうですよ。
え?知らない?雑誌に載ってたでしょう。テレビでも紹介された、有名なカフェですよ。僕あそこの特別会員なんです。・・・・・」
話しまくる望月。
しばらく行くと、彼女がいつも行くスーパーが見えてきた。
信号前で、車が詰まっている。
あまり反応の無い良子さんに、さらに迫る望月。
「じゃあ、ちょっと足を伸ばして、峠の夜景スポット行きません? あそこ、綺麗ですよ!すごくいい感じの、デート・スポットです。」
全く聞く耳持って無い彼女。車が詰まって進まないし、スーパーがすぐそこなので、
「あ、じゃあ、ここで結構です。本当にお世話になりました。失礼します。」
と言って、いきなり信号で止まっている車のドアを開けて、車から降りた。
唖然とする望月に、窓越しに頭を下げて、急いでスーパーに飛び込む彼女。
「すっかり、遅くなっちゃったわ!」
そそくさとスーパーに入って、夕飯の食材を買い集める良子さん。
この出会いが、二人を大きな嵐に巻き込んでしまうこととなったのである。
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