第五話:無自覚な小悪魔
『今、吏緒お兄ちゃんとデート楽しんでます。しかも頬っぺたチューしてもらっちゃった。やったね☆』
呉羽はそのメールをを見て、携帯を持つ手をわなわなと震わせた。
おまけに添付されてきた画像に、ピシリと固まった。
真っ赤な顔で頬にキスをされているミカの姿に我が目を疑う。
「な、ななな何してんだよ!」
呉羽は顔を真っ赤にして怒鳴る。
怒りのあまり、携帯を真っ二つに壊してしまいそうだった。
「あ、何々ー呉羽。もしかしてミカちゃんから?」
「ああっ、ちよっ、やめ──」
呉羽が止めるより先に、携帯を音羽に奪われてしまう。
そして音羽も呉羽同様、ピシリと固まった。
「これは……金髪の物凄いイケメン……負けたわ、私の息子……」
そして、至極真面目な顔で、ポンと肩を叩いて言った。
「本物の金髪と、偽物の金髪……一目瞭然よ」
「って、そこかよ! それに、ミカは見た目なんかで人を選ばねーよ!」
そう叫んで呉羽はハッとする。
(そうだ、ミカは見た目で人を判断しない。ちゃんと中身で人を好きになるような女だ)
そう考えた途端、呉羽は酷く落ち込んだ。
どう考えてみても、自分と比べ、吏緒の方が何もかも優れている事に気付いたのだ。
(駄目だ……何をとっても、オレには勝ち目がねぇ……)
呉羽は、がしがしと頭を掻いた。
きっと今、物凄く情けない顔をしているに違いない。
するとまた、携帯が鳴った。メールだ。
「あら? ミカちゃんからだわ」
「っ!!」
呉羽はバッと携帯を奪い返す。
そしてメールを開いて中身を確認すると、その場でガクンと膝を付いた。
「終わった……」
「ちょっと呉羽? ミカちゃん何だって?」
呉羽のその落ち込みっぷりに、嫌な予感しかしない音羽は、息子の手から携帯を抜き取る。
力が入っていなかった為、思いの外素直に携帯を渡す呉羽。
音羽は、携帯の画面に写し出される文章を読んだ。
「えーと、何々……」
『暫く私たち距離を置きましょう』
「こ、これは……別れる一歩手前の常套句では……」
音羽は気遣わしげに自分の息子を見やった。
「あ、ほら、呉羽。ちゃんと誤解解かなきゃ! デートの件だってなくなったんだし!」
「もうずっと着信拒否だ……」
「うっ……」
音羽はグッと言葉に詰まった。
「ああっ、呉羽に手伝い頼んだ過去の私が憎い! ごめんね、呉羽。こうなったら私が責任持ってミカちゃんちに直接出向いて……あら?」
その時音羽は、メールに続きがある事に気付いた。
“距離を置きましょう”の後、ずっと空白が続いている。
音羽は何だろうと最後まで見てみる。すると、やはりメールはそれで終わりではなかった。
『何て書いたけど、本当は今すぐ逢いたくて仕方がないよ。
でもこれは罰なので今は逢う事はできません。一週間逢うのを我慢できたら、いっぱいラブラブしようね』
音羽はバッと口を押さえる。でないと周囲ににやけた顔を曝してしまいそうだ。
(可愛いわミカちゃんってば、最高よ! テクニシャン! きっとあの子の事だから無自覚っぽいけど、物凄い小悪魔テクだわ!)
心の中でグッジョブと親指を立てる音羽。メールを最初の行まで戻すと、携帯を呉羽に返した。
「はい、呉羽。気持ちをポジティブに持ちなさい。別れようなんてこれっぽっちも書かれてないじゃない。振られた訳じゃないんだから。ね? ミカちゃんを信じてあげて!」
音羽はメールの事は告げなかった。
(これは自分で知った方が感動が大きいわ!)
しかし呉羽は、一度チラリとメールを見つめただけで、まるでこれ以上見たくないと言うように、そのまま携帯を閉じてしまった。
「ああっ!」
「ハァ……」
呉羽は生気のない顔で肩を落とし、深い溜息を吐くと、立ち上がってその場から離れていってしまう。
「呉羽! 大丈夫よ! ミカちゃんを信じて! メールをもう一度じっくり!」
息子の背に呼び掛ける音羽であったが、果たして聞こえたかどうか……。呉羽は無反応だった。
「あちゃー……凄い落ち込みっぷり。でもまぁ、なるようにしかならないか。
てゆーか、ここはもうちょっとがっついて執着心を見せるべきじゃないかしら! 携帯掛けまくるとか! 家に乗り込むとか! あーもう、そういう所本当あの人そっくり!」
一人吠える音羽。誰も彼女には近づかない。
「あーでも、ミカちゃん可愛い過ぎ! あんなの送られた日にゃ、一生離れられないわよね、男なら! と言うか、あれを見つけた時のあの子が見物だわ。絶対に気付かせなくちゃ!」
心に誓う音羽であった。
~その頃ミカはと言うと……。
「ミカお嬢様、メールは送りましたか?」
「っ!!(ギクッ) え、えっと、はい! 送りました!」
「そうですか。ちゃんと私の言ったとおりに?」
ミカはコクコクと頷く。
それを満足そうに見やって、吏緒は車を走らせた。
ミカはこっそりと安堵の溜息をつく。
(呉羽、気付いてくれるかな……?)
実を言うと、“距離を置きましょう”の後の文章の事は吏緒には内緒で打ったのだ。
確認されてもすぐにバレないように、かなりの空白を空けて最後の方に。
案の定確認されたが、バレる事はなかった。何となく直感的に、知られてはいけないと思ったのだ。
(でも考えてみれば、去年の夏休みは一週間以上は会えない日が続いてたし、それを考えれば楽勝です! それに、我慢して我慢して、それで会った方が喜びもひとしおの筈です!)
ミカは携帯の中に保存してある呉羽の写真を見た。
(キャーン、可愛いですぅ! 呉羽には消してくれって言われたけど、そんな勿体ない事できません!)
そこに写っているのは、バイト先でウサギ耳を付けられている彼の姿。
(大丈夫です。一週間なんてあっという間です。そうだ、試練だと思えばいいんじゃないですか? お互いの気持ちの再確認だと思えば。
そうですよ、最近ずっと一緒にいすぎて、それが当たり前のように思えてきましたものね。それに最初みたいな新鮮味も薄れてきたような……呉羽だって前みたいに純情少年になる事が少なくなったというか、俺様な時が増えた?)
ミカは思い出して一人顔を赤らめる。
(いえ、別に俺様が嫌という訳じゃなく……だって呉羽が俺様になるのって、大体エッチな雰囲気の時なんですもん)
ミカも漸く俺様になる条件というものが分かってきた。
(あうっ、でもやっぱり可愛げがあって萌え萌えもしたいというか……初心に、そう初心に戻りたい! ちょっとした事で真っ赤になっていたものね。初々だったもんね)
とここで、ミカはハッとして吏緒を見る。
(もしかして吏緒お兄ちゃん、その為に?)
全く以て違うのだが、吏緒を全面的に信用しているミカはそう思い込んでしまった。
なのでミカは、信号が赤になって車が停車した時を見計らって、身を乗り出して彼の頬にキスをした。
「っ!! ミ、ミカお嬢様!?」
ギョッとして頬を押さえる吏緒。
「えへへ、吏緒お兄ちゃんに感謝とお詫びと、それにさっきのお返しですよ」
そう言って照れ臭そうに笑うミカを、吏緒は僅かに頬を染めながら茫然と見つめている。
その笑顔は、とてつもなく可愛かった。
「あ、ほら、青になりましたよ」
ミカが信号を指差し、吏緒はハッとして車を発進させた。
吏緒の心は今、酷く動揺していた。先程の大人な雰囲気など、綺麗さっぱり消え失せている。
もしや、彼女も自分の事を……と考え、運転したまま横目でチラリとミカを盗み見たところ、何やら携帯を眺めながらニマニマと笑っているのが目に入った。
おまけに、ブツブツと「呉羽とラブラブ~」と呟いているのが聞こえ、自分の勘違いに気付く。
「ミカお嬢様、あなたは……」
「ん? 何ですか?」
「あなたは本当に小悪魔ですね……」
「はい?」
首を傾げるミカに、吏緒はこの日最大級の溜息をついたのだった。