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コバルト新人短編小説

あした、岸辺で語らへば

作者:棔いち哉
「そもそも他人とさ、『わかりあえる』って思ってるからいけないんだと思うんだよね。『見た目が似てて言葉が通じる何か、となんとかうまくやってく』くらいにハードル下げときゃ幻滅しないで済むのにさー。意見が合ったら超ラッキー!みたいな」

 貴和(きわ)さんはそう言って、「よっ」という声と共に手すりに腰かけた。
「あー、どんくさそうだから無理か」と言われてむっとなってわたしも柵に上り隣に座る。

「やるじゃん」

 にっと笑った貴和さんはトレンチコートのポケットから水色の煙草の箱を取り出した。

「副流煙、行っとく?」
「やだって言っても吸うでしょ」
「そうだね。やなら帰ればいいと思う。先客はあたし」

 片手でとんとん、と箱を叩くと箱の中からにゅっと煙草が出てくる。
 貴和さんは嬉しそうに「よし」と言って煙草をくわえ、続いてなんだかすごい模様の金色のライターを取り出して火をつけた。

 タバコくさいおじさんのとは違う、甘いにおいの煙を出しながら貴和さんは大変にうっとりとしている。

 寝起きに伸びをする猫のようだ。
 貴和さんは吸い終わるまで喋らない。味わいたいのだそう。じろじろ見ているのも失礼なのでわたしはあたりを見回す。

 空はどんよりと曇っていて、周りに人っ子一人いない。
 ぶらぶらと頼りない自分の足元を見れば暗い色の海が広がっている。
 なにやらこの世の終わりのよう。
 しんみりしていると後方、左から右に向かってものすごい重低音が流れて来て、現実に引き戻される。迷いなく駆け抜けてく真っ黒い車の、黄色いナンバープレートが見えなくなるまで見送った。

 貴和さんもそれを見ている。

「いつも思うんだけど、あれ難聴になったりしないのかね」
「さあ」

 パチンコ屋の前を通るだけで頭が痛くなってしまうわたしにとって、あの車の中は未知の領域だ。「耳が丈夫なんじゃない?」と言ったら、「どんなよ」と貴和さんが笑った。

 銀色に革張りの携帯灰皿。
 薬指と中指ではさんだそれの灰を落として、また吸う。わたしは手すりに置いておいた持ち帰り用の紙カップに口を付けた。

 泡立て牛乳と珈琲と、底に溜まったチョコレイトシロップが別々に入ってきて、空洞の中で渦を、巻く。


 貴和さんは謎の人だ。

 今日のように近くのお店で珈琲を買って、ここで海を眺めている時に突然話しかけてきた。

「犯罪に引っかからない程度に怪しいものですが、ちょいとお話でもしませんか」

 トレンチコートにかかとの高い靴がよく似合う、普通のちゃんとした女の人。
 わたしの隣に立って、にっと笑う。
 ゆらゆら揺れるピアスをぼんやりながめてしまい、はっとなって「怪しいんですか?」と訳のわからない返事をしてしまった。

 貴和さんはふふふ、と笑って
「あたしの年代の人はこの時間にこんな所にいることはめったにないし、仮にいたとしてもいきなり女学生には話しかけたりはしないと思うんだよね。それとも何度かこういう経験が?」

 と聞かれ、思い返してもなかったので首を振った。

「ね、怪しいでしょ?」と堂々と言い切る所がなぜか面白くて、わたしは貴和さんとお知り合いになったのだった。

 約束もしていないのに、よくここで会う。

「あれ、何の話だっけ」
「いじめの話になって先生が『人と人は向き合って話せばきっとわかりあえる!』って授業潰して熱弁したんだけどいまいち納得できなかったって話」

「あー。でクラスにいじめ、あるの?」
「多分ない」
「それでされてもね……困るよね」
「そう」

 多分、最近ニュースで取り上げられているからなのだろう。
 でも、ない腹を探られているようでちょっと腑に落ちなかった。
 そんな事を思いながら唇をとがらせていたら「そーやってる人のここ超気持ちいいよね」と言いながら上唇の付け根辺りをぷにぷに押された。

「へんたい」
「暴れないで、落ちちゃうん」

 けたけた笑う貴和さんに「ちなみに貴和さんはどう思うの」と聞いたら「ふむ」と、腕を組んだ。

「あのさ、免許取るときってもしも交通事故を起こしたらみたいなビデオ見せられるのね。自分が轢き殺しちゃって遺族にめちゃめちゃ責められて、自分の家族も崩壊するってやつ。超―へこむの」
「うん」

「いじめって言葉でなんかさ、一括りにほわーんとするからいけないんだと思うの。まず大前提として加害者がいけないのは当たり前なんだけど、発端はなんなのかを突き詰めないといけないと思うんだよね。空気が読めないとか、風呂入ってなくて若干汚いとか、発想と行動が変わってるとか、ひとりが好きとか。実際の事例を挙げて、こういう人がいじめられる傾向が高いです。で、こういう事されますってあらかじめ教えておいてくれれば、心構えが出来る。嫌なら変わったり人前では自分を押しこめたりして回避できる可能性が上がる」

 ほら、と言って、貴和さんは煙草を差し出して、文字を指でなぞる。

 《喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります》

 と、書いてあった。

「あたしは罹患しても逆切れしたりしない覚悟ができているのですよ」と笑った後に「やばいそういえば、言ってなかった。知ってた?」と慌てた様子で聞かれ、身体に悪い事は知っていたけどそんなに詳しく知らなかった。
 でも知ってた、と答えた。

 さっきは憎まれ口をたたいたけど、貴和さんの煙草を吸っている姿は格好いい。

 わたしは今後煙草を吸う気がないので、ちょっと眺める位なら大丈夫。

「で、いじめる側はいじめた後どうなるのかも一緒に教える。昔だったらさ、そのまま過ごせるけど今、違うじゃない。いじめられた側とか、傍観者だと思ってた子が正義感に燃えちゃってその気になれば、いじめの証拠をそろえてインターネットとかで晒せちゃうでしょ。バッシングされるのがいじめっ子本人だけかと思いきや、それが原因で家族の誰かが仕事を辞めないといけなくなったり、引っ越さなきゃいけなくなったり、引っ越した先で既に噂を回されたりしてるじゃん。自分は大丈夫、でいられる時代じゃないんだよ、もう。そんなリスクを冒してまでいじめてやりたいやつに思い当る?」

「……多分、いない」
「そういう脅しかたをすれば、ちょっと減ると思うんだよね」

「ちょっとなの」

「ちょっとじゃないといいなあと思うけどね。でも懲りないやつとか、ばれないように上手くやるやつ、ギリギリの所をやるやつっていうのもいるからどうも」

 難しいよねー、と貴和さんはめんどくさそうに言う。

「そういう問題で加害者を改心させようと思う時に『優しさ』『思いやり』『人権』とかを持ち込むからややこしくなるんだと思うんだよねー」

 キレイ事で解決できる話ではないのですよ、と言って貴和さんは足をじたばたさせた。
 海に落ちてしまいそうでこっちが怖い。

 さっきの授業を潰した先生は貴和さんが持ち込むなというものを大切にすることでわかりあえる!
 っていう話に落ち着いていたような気がする。
 そもそも先生がテンション上がっちゃって、結局何が言いたかったのかよく判らなかった。そんな風に言ったら貴和さんはまたけたけたと笑った。

「人に自分の思っている事を言葉で伝えるのってマジ難しいからね。しかも完璧!っていう言葉を思いついても相手は全然違う風に受け取ったりするし」

 貴和さんはすたん、と柵から降りた。海側に。

「水槽の中のいじめの話を、知ってるかな」

 海と柵の間の10センチに満たない地面に立って、柵を背にしながら貴和さんはこちらに顔を向ける。随分ねじれているので、見ていてどきりとする。

「多分知らない」
「えーとあれ、誰が言ったんだっけ。あのね、海で生活してる時は普通に共生している同種類の魚をね、狭い水槽に何匹か入れるといじめが起こるんだって、実際。で、その人は世界の幅を狭めちゃったからいじめが起こるって思ったんだって確か。人間も然り。教室でぐだぐだやってる暇があったらもっと楽しい事を見つけようぜ!みたいな話」

 やっぱり知らなかったので「へえ」と答えた。

「その話を聞いた時に、おお。と思ったんだけどさ。確かに学校って箱庭みたいで、外って色んな人がいる。出てみるといかに小さな場所だったかって吃驚する」

 風がびゅうと吹いて、コートがはためいた。

「でもさ、水槽の中でそれが起こってしまったのは狭いからストレス、のせいじゃないんじゃないかなとあたしは思うんだよね」

 ボタンが柵にあたってカン、と音を立てる。

「外敵が居なくて、定期的に餌を貰える環境にいても魚はそれでラッキーって出来ないんだよ。暇だねー幸せだねーって出来ないの。生き物なんだから。進化せずにはいられない」
「進化」

 そ、と言って貴和さんは隙間の上でひらりとステップを踏んだ。

「生き残るために競わずにいられないのが獣のさがなのだと思う。満たされて目につくところに敵がいないなら、次は種の中で自分が繁栄するためにライバルになりそうなものを潰さずにはいられないんだよ。いきなり強い奴はつぶせないから、弱いのから順番に。最後の数匹になったら、もう種として存続が不可能になってしまうかもしれないのにそんな事には気付かないんだよね」

 続いて柵を両手でがしっと掴んでぐい、っと海側に反り返る。落ちそうで本当にハラハラする。

「それをバッサリと愚か、哀れとするのは人の傲慢かなとあたしは思う。だってそれがあるがままなんですから。人の理屈に当てはめんなっていう。むしろ清々しさすら感じる。そこには迷いがない」

 貴和さんはうらやましいなーあ!と呟いておでこを柵にくっつける。

「で、えーと、人間のいじめもまったくもって同様だと思う訳。群れて、自分達のいいと思ってるやり方から外れるやつがいて、そいつがうまくやったら自分の脅威になるかもしれなくて怖かったり自分を否定されてるようで不快とか、弱いからつぶしやすいからとか、でとりあえず叩いとけ!っていうのが根底にあるんだと思うんだよね。それを(いだ)くことはもう、どうしようもないの。恥ずかしくないの。生き物なんだから。そんな感情を今まで全く抱いたことがなかったら逆に凄い」

 わたしはトレンチコートのベルトを見ていた。
 背中で結ばれたそれは、女の人がよくやる蝶々の形ではない。

「でもさ。人は魚と違って周りが見えるし、怖いか怖くないか観察して判断できるし、そんな事やっても終わりが見えないの、大げさに言えば歴史から知ってるし、で衝動を自制できるでしょ。だから大半の人はしないやらない言わない。のに加害者側が相手を貶めて自分を正当化するような言い訳作って、他のやつがキレイごとで何とかしようとするからややこしくおかしな事になるんだと思うの。自分がやった事がわかんない奴にはそんな事説明しながら言ってあげればいいと思うんだよね。『お前ね、バカなの。やってる事ケダモノ並みなの。みんな思っててもやらないの。利口だから。みんな心の中であんたの事見下してるよ。でもみんな利口だからあんたみたいに解りやすくやらないの。気付いてないの?よく恥ずかしくないよね?あァバカだからこの話すらわかんない?』みたいな感じでネチネチネチネチ羞恥心煽ってバカにしてやるのが一番効くんじゃないかなーと。でも本能に従う俺カッケ―ってなっちゃうのかな。までもこれキレイにキマっても、自尊心をひどく痛めつけて黙らせるだけだから結局解決にはならないか」

「だめなの」

 罪にはそれに相応しい罰があるべきだと、思う。そう言ったら貴和さんは私の頭をぽんと撫でて「眩しいねえ」と笑った。

「これ誰が言ってたんだっけ。まあいいや。やるからにはさ、やられる覚悟をしてそれをやらないといけないと思うのね。何事も。全てにおいて。因みにあたしはマナーを守って吸っていますが、ある程度までは煙草嫌いの人からいきなり訳もなく罵られる覚悟はできてんの。マナー悪いやついるからね。端から見たら同類に見えちゃうし」

 そう言い切った後「あれこのへん民家ないよね!?」と貴和さんがあせりだしたのでないと伝えるとちょっと安心したようだった。

「よし話戻りまーす。でも大体のやつは特に何も考えずになんとなく自分は大丈夫とか思って油断してて、でやり返されて逆切れとか、逃亡ですよ。きみと同年代のやつなら、そういうのが出来る子って多くはないからやり返されたら人生ドロップアウトすると思うんだよね。まあ、ザマアだよね。すっとする。でもさーそれで引きこもりとかになられてさ、その子の親死んじゃったら生活能力ない訳じゃない。生活保護じゃない。必要な人ならいざ知らず、そんなやつ養うのにあたしの税金使われてたまるか!ってなるのさ」

 がくりと肩を落とした貴和さんは「珈琲、気を付けて」と言って柵に手をかけた。紙のカップを手に取ってついでに飲む。
 すっかり冷えたせいでやけに甘く感じる。そんな間に貴和さんはひょいと飛んで柵に座りなおした。背は海側、足は陸地側にぶらぶらり。

「そう考えるとやった事を自覚させて罪の意識を植え付けつつ因果応報の実例をいやってくらい許してくださいってくらい見せて、社会生活をまっとうに送りつつ、実例みたいにいつか仕返しされるんじゃないかとビクビクオドオド暮らさせるほうがよっぽど罰になるんじゃないかと思うんだよね。そいつが幸せになればなるほどそれは効くと思う。わかりにくくて溜飲下がらないかもしれないけど。しかし罪を自覚させるには本人にある程度の教養と道徳心がないと話が通じなかったりするがそれを持ってるやつはそもそもいじめをしない気がする」

 あっち引っ込めたらこっち出っ張って、まるで終らない綾取りのようだよね。
 と貴和さんは言った。

 いつもは天気とかそういう他愛もない話をしたりしていて、まあまあ他愛もなくない話をするのは今日が初めてだ。

「そういえば貴和さんて、仕事してるの」
万事屋(よろずや)ー」
「もー」
「えへへ。言うだけタダじゃん。一回言ってみたいじゃん?」

 学校の先生とも親とも、テレビで見る大人とも貴和さんは違う感じがする「ま、そんな責任ある大人じゃないからね。大人と子供の間みたいなもんさ」だそうだ。

 いつもは30分かそこらで貴和さんは行ってしまうのに、今日は街灯がつきだすまでいろんな話をした。別れ際に貴和さんが空を見て「明日、天気どうだろうね」と呟いた。

「雨だって。予報で言ってた」
「いや、晴れる気がする」

 重みに耐えきれずに今にも落ちてきそうな空なのに、何を言ってるんだろうと貴和さんを見ていたら「明日晴れたらさ、ここにおいでよ」と言われた。

「もし晴れたら奇跡だと思うんだよね。お祝いしようよ。珈琲おごってあげるよ」

 妙にはしゃいだ雰囲気を壊すのもなんだし、なんだかその様子を見ているうちに晴れるような気がして来て、わたしはそれを了承して別れた。

 その夜わたしは眠る前に明日晴れる事をなんとなく、願った。

 ※※※※※※

 ガラスに当たって雫になって、とっかかりがないせいで周りをまき込んで落ちていく雨だったものを見ながらわたしはうとうとしていた。

 本日、5月14日は雨。

 それは天気予報通りで何も驚くことはない。
 布団からそろりと抜け出して、靴下をはいた。ゴムから指を離すぱつんという音がなんだかやけに、大きく響く。

 ※※※※※※

 革靴の隙間から侵入してきたそれのせいで爪先がじくじくと重くなる。
 歩くたびに繊維から離れてはまた染み込んで来る感覚に気持ち悪さを感じながら、ただただ足を前に出す作業を続けた。

 わたしは海へ向かっている。

 貴和さんと出会ってから、あの場所でひとりになった事がない事にふと気づいたのだ。

 別に貴和さんが嫌いとか疎ましいという感情はないのだけれど、そもそもあそこへはひとりになりたくて行っていた。そんな事を思い出したらとなんだかそわそわして来て、家を出たのだった。

 風が右から左から吹き込み、暴れるのをなだめる作業がうっとおしくて傘を閉じる。

 誰もいないからいいか、とそれが地面と平行になるように持った。
 靴下はいやなのに、シャツがぴたとくっつく感覚に不快感を感じないのはなぜなんだろう。小気味よささえ感じるのだ。

 駆け足にならないよう膝に力を入れて坂を下り、車なんて一台も通っていないのに信号が青になるのを待って横断歩道を渡った。車止めの隙間に身体を滑り込ませ、かかとで道を軽快に鳴らす。
 間もなく来る出番を待つ、つるバラのアーチをくぐり芝生の広場の先には誰もいない、いつもの場所。

 の、筈だった。

 びしょ濡れのトレンチコートをまとった人が、柵を背にして佇んでいる。
 リングのロープに身体をあずけるボクサーのようだとなんとなく、思った。

 わたしはちょっとびっくりしていたのに、ポケットに手を突っ込んだ貴和さんはいつも通り笑っていた。

「お、奇遇だね」
「雨だよ」
「そうだね、雨だね。でも来ちゃった。会いたかったんだ」
「今日でお別れだからさ」

 と貴和さんは続けた。
 どこかに引っ越すのか、そう聞いたら「引っ越すというか引っ込……出っ張るというか。まあ帰るんだよ」だそうだ。

「遠いの」
「遠いような、近いような」

 貴和さんはふふふと笑って、腰に手を当てた。

「実はあたし、未来から来たんだよね」

 ドッキリ大成功の仕掛け人みたいな笑い方だなとなんとなく思った。
 多分ぽかんとしていたのだろう。
「信じてないでしょ」と、貴和さんは眉間に皺をよせた。

「ま、詳しく話しちゃいけない事になってるからいいんだけどさ。タイムマシンがあってだね、テストパイロットなんだよね。つか最初に申告したけどね」
「……何しに来たの」

 変に否定するのもなあと思い、そのまま貴和さんの冗談に付き合う事にした。

「何も。ほら、過去を変えたら未来変わっちゃうでしょ。何にもしちゃいけないの。あのね、あたしが来て、向こうに帰れたら実験は成功するので、そうしたら開発者は機能をひとつ足す手はずになってるんだ。使用者は過去に行けるけれど過去の住人からは見えない。存在を確認されないようになる。干渉を防ぐためだ」

 もしそれが出来るとしたら、どんなに重い罰を設定しても、それをやらずにはいられないのが人間だからさ。と貴和さんは言う。

「その機能を足してから、タイムマシンは会いたい人や、もうない風景なんかを五感で感じられるだけのものとして世間に発表される」
「貴和さんは、話しちゃっていいの」

「うん。ここでこうやって話していた事で世界はおろかきみの未来だって変わらないもの。関係のないどうだっていい話ばっかりだったじゃん」

 確かに店員さんによってフラペチーノの固さ加減が違うから賭けだ。
 という雑談で世界が変わる気はしない。

「だって、昨日本当にあたしに聞きたかった事はいじめの話じゃ、ないもんね。ずっと誰かに言いたくて言えなくて、もしかしてあたしなら、って思ってることがあるんだもんね。そして今日聞こうとしてるよね」

 ―――ぎくりと、した。

 何で知っているんだろう。貴和さんは笑っている。

「何で知ってるのって、思ってる。あのね、人の心を読む装置はまだない。となれば答えはまあいくつかに絞られますが――――じつはあたしは、未来のきみな訳です」
「……顔、全然違う」

 大人になると変わる、とか化粧とかで説明がつかない程、わたしと貴和さんは違う形をしている。

「これは意図的に変えてる。ドッペルゲンガー知ってるかな?まだ知らないか。とにかく同じ時間軸に同じものは存在できないの。だからそこをいじくるオプションみたいのがついてるんだ。開発者は大変に頭がいい」

 風が強くなって、波がこちら側へ手加減なしにぶつかる音が絶え間なく響く。

「あたしがきみだったころにもね、来たんだ。貴和さん」

 けれど不思議と貴和さんの声はよく通った。

「まったく同じ話をして、今日、貴和さんは帰った。で、ちょっとアレな人だなと思ってなんとなく過ごしながら、何であの時期に来たんだろ。もっと来てほしい時期あるのに、ていうか教えといてよって事が何度もあって、でもタイムマシンとは全然関係ない所にいたから未来変わったんだ!とか思ったんだけど結局訳わかんない所からテストパイロットの話が来た」
「訳わかんないの」

「そう。まあ解らんでもないというか。本当は開発者自らが行きたかったみたいなんだけどさ。責任感強いから。でも行って過去を変えないでいられる自信がなかったんだって。『自分が知ってる中で、お前が一番そういうのしなさそうだから』って言われて」
「しないの」

「きみはしたいよね」

 したい。
 したくてたまらない。
 何で知ってるんだろう。
 ほんとう、なのだろうか。

「あたしもそうだった。でもいざ行けって言われて好きな時間選べって言われたらやっぱここに来てきみに会うしかなかったんだ。予め決められてる、そう、潮の満ち引きを狂わせる事なんて誰にもできない、みたいなもんなのかもしれないんだけど、でもあたしはちゃんと考えて自分で決めて、ここに来たつもりでいるよ」

 落ちてくるそれが線になって見える程雨足が強くなってきた。
 貴和さんは濡れて顔に貼りつく髪をかきあげる事もなく、まっすぐとわたしの目を見てくる。

「本当は、きみに言いたい事が沢山あるんだ。ど真ん中ストレートには届かないかもしれないけど、それでも今よりはましになるかもしれない」

 仮に全部知っているならもっと、なんで、ひどい、いじわる。

 身体の奥の奥で暴れ出しそうなそれが確かにわたしの中にいる。けだもののようになって叫んでしまいたかった。

「言って、くれないの?」

 けれど震える口から出てきたのはそんな弱い一言で。

「言わないよ。ひとりだけずるはいかん」

 それを聞いた貴和さんは迷いなんてない口調でわたしの願いをキッパリと退けた。
 直立しているのに足元が崩れていくような、聴覚検査の密閉されたあの無音の個室に閉じ込められたみたいな感覚に襲われた。

 そんなわたしを見ながら貴和さんは静かに髪をかきあげる。
 そのあとくるくる回りながらくつくつと笑って、たん!っとわたしの向かいに跳ねて来た。

「でもさあ『あー、お前絶対大丈夫』って信頼されてさ、前の貴和さんと全く同じっていうのも面白くなくて。一個足しちゃったんだー。貴和さんから言われた事から」

 あっけらかんとそう言われて、思わず口をあんぐり開けてしまった。そこから波の、風の、葉がすれる音が入ってきて、わたしはここへ、戻ってきた。

「―――何、を?」
「内緒。今まで言った事かもしれないし、これから言う事かもしれない、そもそもあたし嘘ついててきみじゃないかもしれないしー」

 未来から恋人にー会いに来たとか超―ロマンチックじゃない?と貴和さんは笑う。

「じゃあ、まあそんな帰ったら誰にも言えない懺悔をしたところで、そろそろ行くね」

 待って、と言いたかったのに喉から声は出なかった。
 それどころか口も開かなかった。 
 でも貴和さんは頷いて、わたしの頭をぽんと叩いた。

「あのね、迷った時にね、良いとか悪いとかで判断するよりおすすめな方法がありまして」

 こほん、と咳払いして貴和さんはわたしを見る。

「善とか悪とか自分とか他人の価値観なんてその時々で揺らいで信用なんてできないから、好きな人とか物とか大切な思い出とか、そういうものを忘れずに心の真ん中に置いておいて、それに対して恥ずかしくない自分になれそうなほうを選ぶこと」

 人の目をこんなに長い間覗き込んだのは初めてだ。
 そしてこんなに長く見つめられたことも多分、ない。
 そらしたいようなずっとこのままでいたいようなむず痒い気持ちになった所で、なぜか貴和さんに頬をつんつんされた。

「ちなみに恥ずかしながら今のあたしの真ん中にはきみも、いる」

 その言葉を言い終わるより早く、貴和さんはトレンチコートを翻し、柵に走りだした。肘を柔らかく曲げて、柵に飛び乗り、5センチ位の幅のそこにぴたりと立った。

「……貴和さん……何してんの」
「いや柄にもなく熱くなっちゃったから、クールな感じで帰るわー」

 濡れた柵の上をヒールで歩くのはきっと危ないのに、綱わたりの人より遥かに豪快に貴和さんは歩き出した。

「好きに……あぶねっ、やりなよ。とんでもなく人の道に反さなきゃ何やってもいいよ。程々なら迷惑もかけていい」
「そんなこと言っていいの」

「いいんだよ。責任はあたしが、とってあげるからさあ」

 さて波の下の青い世界にでも帰ろうかなーなどと言いながら柵の上でくるりと回り、

「じゃね、梨奈(りな)!」

 片手をひょいとあげ、教えていないのに貴和さんはわたしの名前を呼んで雨の海に仰向けに落ちて行った。

 ストップモーションのように、とかよく言うけどそれはあっという間の出来事で。

 水柱がおさまり、水泡が水面ではじける音と共にわたしはその場から逃げ出した。



 そんな出来事から一月ほど経った。
 今日も雨だ。梅雨だから当たり前ともいえる。
 あれ以来あの場所へは行っていない。

 死体が上がったとかそういうニュースも聞かないから、多分ちゃんと帰れたんだろう。

 足しちゃったとか軽く言っていたけれど大丈夫だろうかと思いながら、心配してどうにかなる事ではないのでわたしはわたしの、貴和さんのいない日々に戻った。

 まだ誰にも明かしたことが無い、じくじくと疼くこの傷を抱えながらやがて来るその日にわたしはどう振舞うのだろうか。想像もつかない。

 とりあえず現時点でわたしは煙草を吸う気はまったくないようで。
 他愛のない小さなことだけど、そう思える自分はまあまあ悪くないと、思う。

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