僕だけがわかるシグナル
僕は、兄貴が嫌いだ。
僕と兄貴は双子の兄弟だ。
でも二卵性だから姿はまったく似ていない。あと、いろいろと他の部分も。
双子だったから小さい頃はなんでも一緒にやっていたけれど、いつのまにか出来ること、出来ないことの差が出来て、自然と距離が開いていった。
僕は見た目も普通、学業の成績も運動神経も人並みだった。あまり人づきあいも得意ではない。
一方の兄貴はさすがに俳優ほどとは言わないが整った顔立ちで、勉強もスポーツも常にトップ。品行方正で誰からも好かれた。
僕はこの兄のことが嫌いだ。
スマートになんでもこなせてしまうところもそうだけれど、何より兄貴は嘘つきだから。
そして兄貴が嘘をつくたび、僕は変になってしまう。
見たくもないものが目に飛び込んでくる。聞きたくもないことを聞くはめになる。
『そいつ』は兄貴が嘘をつくたびに現れる。
「近所の人がおすそわけだってくれたんだ。好きな方を選んでいいよ」
そう言って兄貴が差し出したのはゼリーだった。
コンビニに売っていそうなやつではなく、お中元などにありそうなちゃんとしたやつだ。
片方はミカン、もう片方はブドウのゼリーだ。
「僕はどっちでもいいから」
兄貴は笑いながらそう言った。
ほら、また嘘をついた。
兄貴は笑ってああ言っているけれど、本当はどっちでもよくなんかないのだ。
どうして僕にそんなことがわかるのか。
それは…
『僕はミカンがいい!ブドウは嫌い!!』
兄貴と俺の横に立って叫ぶ、5,6歳の男の子。
その小さな体なのに、どこからそんな大声を出しているんだと思えるくらいすごい声で『そいつ』は叫んだ。
僕は思わず耳に手をやりそうになったが、ぐっと耐える。
そんな叫びをあげる存在を間近にしても、兄貴は眉ひとつ動かさず、先ほどまでと同じ穏やかな笑みを浮かべていた。
だって仕方ない。
『そいつ』は僕にしか見えないし、『そいつ』の言うことは僕にしか聞こえないんだから。
僕はため息をつきそうになるのを抑え、兄貴からブドウの方を受け取った。
正直どちらでもよかったのだ。
でも、もし僕がミカンの方を選んでいたら、『そいつ』はまた叫び声をあげるか、恨めしそうに僕のことを睨んでくるのだ。
『そいつ』がなんなのか、僕には名づけようがない。
『そいつ』が初めて現れたのは、たぶん中学生のときだったと思う。
確かその日は両親の帰りも遅く、兄貴も塾へ行っていて暗くなってから帰ってきた。
僕はリビングから自分の部屋に戻ろうとして、たまたま兄貴が玄関のドアを開けたところに居合わせた。
「おかえり。遅かったね」
何も言わないのも変なので、僕は一応そう声をかけた。
この頃にはもう、僕と兄貴の間には妙な壁が完成していたし、会話もほとんどしていなかったから、兄貴は少し驚いたような顔をした。
「ああ、うん。ごめんね。塾の講義が長引いちゃって…」
『空が晴れてたから、ずっと星を眺めてたんだ!!』
いきなり現れた『そいつ』に、さすがに僕だって驚いた。
だって、ついさっきまでは僕と兄貴以外その場には誰もいなかったはずなのに、突然しかもまったく知らない子供が自分の家にあがり込んでいるのだもの。
けれど何故か、僕以外の人間、つまり兄貴はまったく動じていないのだ。
そのことにも驚いて、僕は思わず目の前の兄貴に尋ねていた。
「兄貴、『そいつ』のこと知ってるのか?」
「え?何が?」
兄貴は僕の指差した先に視線を向け、そして不思議そうに僕のほうを見つめる。
兄貴には、本当に何も見えていないようだった。
僕は愕然とした。
結局兄貴は『そいつ』のことに気付かないまま、遅い夕飯をとろうと僕の横を通り過ぎていった。
僕は慌ててもう一度『そいつ』の方を見たが、そのときにはすでに僕以外誰もその場にはいなかった。
『そいつ』は、その後もたびたび現れた。
だから、他の人にも後でそれとなく尋ねてみたが、みんな一様に不思議そうな顔をして、夢でも見ていたのではないかというのだ。
僕は、自分の頭がおかしくなったのではないかと本気で悩んだ。
けれど僕は気がついた。
『そいつ』が小さい頃の兄貴とそっくりだったってことに。
しばらくしてわかったこと。
どうやらその小さな兄貴は、僕にしか見えないらしい。そして小さな兄貴の言っていることも、僕にしか聞こえないのだ。
そして、小さな兄貴が現れるとき。
それは決まって兄貴が嘘をついたとき、何かを我慢しようとしたときであるらしい。
兄貴が嘘をつくと、いつもどこからか小さな兄貴は現れて、何事か叫んでいく。
それが兄貴の“本音”らしいとは、ずっと聞いていれば想像がついた。
この珍妙な存在に僕はいつしか慣れたが、どうにも好意は持てなかった。
叫ぶだけならいざ知らず、ときには僕のズボンの裾を引っ張ったり、足にぶつかってきたりする。
しかも僕がそのことにどれだけ文句をつけても、小さな兄貴は耳を貸さない。
だから、僕はますます兄貴のことが嫌いになった。
でも、小さな兄貴はいつも勝手に叫んでいく。
なんでもこなすあの兄貴が、実は梅干しや酢の物が嫌いなこと、ブドウは口に残る感じがしてあまり好きでないこと、仲間でわいわい騒ぐより一人で読書をすることを好むこと、そして案外ロマンチストなのか、星を眺めるのが好きなことなどを僕は否応なく知ることになった。
だから僕は、兄貴のことが嫌いな割に、兄貴のことをよく知っているのではないかと思う。
僕らはもう高校3年生。
将来進むべき道を決める大事な時期に来ている。
僕は、食事や栄養に興味があったから、管理栄養士の資格がとれる専門学校に進もうと思っていた。
学業の成績が優秀な兄貴は、国立大学の医学部に進むらしい。
当初兄貴本人は自分の希望を特に何も言っていなかったのだが、僕の家は代々医者の家系で、自然とそういうことになっていた。
父さんも母さんも、不出来な僕より兄貴の方に期待し、その進路を応援しようとしていた。
でも、僕は知っていた。
だって隣で、叫んでいるやつがいたから。
『僕は本当は天文学の勉強がしたい!』
「だったら自分でそう言えよ…」
僕はぽつりとそう言ったが、相変わらず小さな兄貴は僕の言葉など聞きはしない。
いつもそうだ。一方的に叫んで終わり。
それで治まらないときは、しばらく僕のあとをついてまわるのだ。
けれど今回はすごく長かった。
ずっとずっと小さな兄貴は僕につきまとい、そして時々叫び声をあげていた。
僕だって受験生だ。
確かに兄貴に比べればハードルは低いのかもしれない。だけど僕だって人並みに成績や将来のことで悩むのだ。
僕はいい加減イライラしていた。
とある日、珍しく家族4人揃っての夕食だった。
けれど進路の話が出て、それに穏やかな様子で応答する兄貴とは対照に、また小さな兄貴が叫び出した。
だから僕は思わず言っていた。
「兄貴の嘘つき。本当にそれでいいのかよ」
よりによって、両親と兄貴の前でそう言ってしまったのだ。
先ほどまで和やかだった食卓の雰囲気は一変し、父さんも母さんも一体何を言うのかとすごく怒った。
兄貴は愕然とした顔で僕を見ていた。
それを見て全部あんたのせいなのに、と僕は思ったが、事情を説明したところで一体誰が信じてくれるというのだろうか。
きっと僕の頭がおかしいと言って病院につれていきでもするか、精々優秀な兄貴を羨んだ僕が妙な言いがかりをつけたようにしか思われないだろう。
もう嫌になってしまった僕は、僕を叱りつける両親の言葉を最後まで聞かず、二階にある自分の部屋に戻った。
食事の途中だったから、正直体は物足りなさを訴えていたのだけれど、もう一度あの場に戻る気も起きなかった。
小さい兄貴は、僕の部屋をうろうろしている。
僕はもうそれを見るのも嫌で、ベッドにもぐり布団で視界を覆った。
そのあとすぐ、何故か兄貴が僕の部屋にやってきた。
「どうして、あんなこと言ったの?」
部屋に入り、ドアのすぐ前に立って兄貴はそう言った。
兄貴が僕のことをたしなめにきたように感じられて、さらに僕は苛立った。
くるまっていた布団から飛び出して、上体を起こす。
ベッドに座りながら兄貴を睨み、僕は言った。
「何か僕、間違ったことでも言った?」
いいや、違わないはずだ。
だって僕は知っている。
兄貴が科目選択で生物より物理を選んだのは、別に高得点が狙えるからという理由ではないことを。
いくつか取り寄せた大学のパンフレットの中に、天文学科のある大学が含まれていることを。
「あんたっていつも嘘ばっかりだよな」
僕はそう、吐き捨てる様に言っていた。
兄貴が、僕を見ていた。
どこか呆然としたように。
小さな兄貴も、僕を見ていた。
何かもの言いたげに。
僕は口から出てくる言葉を、抑える事ができなかった。
「いい加減にしろよ。思っていることがあるならちゃんと言え!どれだけ強く思っていようが、言わなきゃ何も伝わらないんだからな!!」
僕は息を荒げてそう言った。
兄貴は黙ってそのまま僕の部屋を出て行った。
僕はへたり込むようにベッドへと倒れた。
小さな兄貴はそんな僕を静かな目で見ていた。
その後、兄貴は両親と盛大な喧嘩をした。
僕はそのことを、下から響いてくる怒鳴り声で知った。
僕は再び布団にくるまり、黙ってそれを聞いていた。
声がやんでしばらくして、僕は廊下に出て下の様子をうかがってみる事にした。
僕が動くと、小さな兄貴もちょこちょこと僕の後についてくる。
するとその途中で兄貴と鉢合わせした。どうやら今上がってきたところだったらしい。
僕は一瞬どういう顔をすればいいか、そして何を言ったらいいのかわからなくなった。
兄貴が両親と言い争いをしたきっかけは、おそらく僕の言ってしまったことが原因だろうから。
たぶん僕の知る限り、兄貴がこれほどまで激しい喧嘩を両親としたことは今までなかったはずだ。
迷っている僕に向かって、兄貴は笑顔を向けた。
その笑みはいつものそれとは少し違っているように見えて、何故かとても印象に残った。
「言ってくれてありがとう。気付いてくれて、本当はすごくうれしかったんだ」
それだけ言うと、兄貴は自分の部屋へと入っていった。
そのとき、僕は気付いてしまった。
ありがとう、と兄貴は言った。
それは、僕が僕の思っていたことを兄貴にはっきりと伝えたからだ。
僕はずっと小さな兄貴が、僕の言うことを聞く気がないのだと思っていた。
けれど、本当の意味で何も伝えられていなかったのは、僕の方だったのかもしれない。
後ろを振り向けば、先ほどまで後ろにいたはずの小さな兄貴の姿は消えていた。
ふと僕は、あの小さな兄貴は一体いつもどんな顔をして消えていったのだろうか、と思った。
小さな兄貴は、いつも突然現れて突然消える。
僕はそれに慣れきっていて、だからそんなこと、気にしたこともなかった。
僕に伝えたいことを叫んだあと、小さな兄貴はいつもどんな表情をしていたのだろう。
さっきの兄貴みたいに笑っていてくれたらいいな、となんとなく僕は思った。
兄貴は志望大学と学部を変更した。
両親は当初反対していたが、結局本人の意思が一番だと考え、兄貴の言葉に折れたようだった。
突然の進路変更に兄貴の周囲はひどく驚いていたようだったけれど、周りの心配をよそに、見事兄貴は志望大学に合格した。
僕のほうもなんとか試験を通過し、新しい生活への第一歩を踏み出した。
兄貴は僕とよく話すようになった。
最初はやっぱり嘘や我慢を隠す発言が多かったけれど、あの小さな兄貴のせいで僕は兄貴のことをよく知っていた。
だから嘘ならすぐわかる。
僕は嘘に気付くたびに、兄貴に対してそのことを指摘してみた。
すると兄貴は驚いたように目を丸くしたあと、少しだけ困ったように笑った。
だんだんと、兄貴は嘘をつかなくなった。
あれ以来、不思議とあの小さな兄貴の姿を見る事はなかった。
もしかしたらあれは、兄貴の無意識に助けを求める心、そのものだったのかもしれない。
兄貴は昔からなんでもよくできて、誰からの期待にも応えてきた。理想の兄、理想の息子、理想の生徒であるように。
けれどずっとそうしているうちに、兄貴はだんだん自分の言いたいことを言えなくなって、本当はそれがとても辛かったのではないだろうか。
小さな兄貴は、そんな兄貴の気持ちが形になって、そのことを僕に伝えにきたのかもしれない。
双子の神秘、などとでも言うのだろうか。
一緒に生まれてきて、ずっと隣にいた、僕だけがわかるシグナル。
いや、それとも僕は、元から兄貴のことをよく見ていたのだろうか。
そのことを素直に認められなくて、けれど兄貴が苦しんでいたこともわかって、そしてそれを見ていた僕自身も苦しくなって。
そのことを誰かに伝える事もできなかった僕は、自分が辛くないようすべてに気付かない振りをした。
だからあんな形をとって、僕の前に現れたのだろうか。
あれは、僕が僕自身のために発したシグナルでもあったのかもしれない。
相も変わらず、僕は兄貴が嫌いだ。
正直、好きになれるかは自信がない。
だけどこれからは、ちゃんと兄貴と向き合って話をしよう。
そして、自分の言いたいことをきちんと伝えていこうと思う。
瞼の裏で、あの小さな兄貴が楽しそうに笑っているのが見えた気がした。
またもや唐突に頭に降ってきたもので、いっきに書きあげてしまいました。
現代だけどちょっと不思議系の話でしたが、いかがだったでしょうか?
双子には不思議な繋がりがある、というのはよくある設定ですので、今回はそれとはちょっと違うものにしたかったんですが…なかなか難しいですね。
初めて書いた短編です。
初めて書いた人の名前を出さない話です。
初めて主人公の一人称を「僕」にして書いた話です。
いろいろと初めて尽くしの話でしたが、読んでくださった皆さんの心に何か響くものがあれば幸いです。