創造主は誰?
弱い話。
瞬きをする時間、ってコンマ数秒、何も見ていませんね?
なんせ、目玉の前には瞼があり、シャッター降りた状態になっていますから。
その刹那、私の世界は変わりました。
……世界は、モノクロのように静かでした。
私は、呆然と、その未熟な世界を見渡しました。
多分、世界なんでしょう。あやふやな、この感じ。
まるで夢の世界にいるようでした。
ぼんやりと、霞がかったような景色です。
風景は、どこまでも代わり映えはしませんでした。
急に私は、恐怖を感じました。
「……誰か……」
小声では、埓が飽きませんね。
「誰かっ! いませんかっ!」
声は大にしても、誰も、応えては、くれませんでした。
ほどなく、私の頬からは、涙が流れ落ちました。
でも、慰めてくれるのは、私の両手であって、他の生き物ではありませんでした。
……私は、どうすればいいのか。
どう、したらいいのか。
ずっと、考え込みました。
そういえば、うもれている足は、草の中にありました。
土臭い、緑の草原。
そうです、今、私は草の絨毯の只中にいるのでした。
ずっと、立ちっぱなし、というのも疲れます。
もう、汚れてもいいや、どうでも、いい。
とばかりに、我が身を大地に投げ出し、堅い地面にお尻をくっつけ、
その感触をしっかりと尾てい骨に感じ取り、
そういえば、虫がいないな、
なんて想像したら、
土臭い草の生え際に、唐突、なことですが。
急に、目の前に蟻んこたちの群れが、右往左往と、
私の靴周りにやってきたので、私は盛大に跳ね起き、
地面に寝そべってみようか、なんて考えを取り払いました。
やっぱり汚れるのは嫌になったのです。
どこか綺麗な寝場所はないだろうか。視線を巡らします。
探しました。ありました。
ちょうど、ひとりぐらい、寝そべることができそうな、ハンモックが。
しっかと脚がありました。地面立地タイプのハンモックです。
これまた、ごく自然に、在りました。草の平原に。
「え?」
私の両目が、点になりました。
何故?
って?
なんせ、私はずっと、この場所にいたのですから。
当然、周囲に何があるのか、しっかと見定めていました。
確かに、ただの草だらけの平原だったはずです。
だのに、どうして、唐突な物理的なものが。
それも、快適そうな、純白の。
恐る恐る、近づきました。
抜き足、差し足、忍び足。
ちゃんと、セオリーは守ります。
そうして、きょろ、きょろ、
と不審者もかくやと言わんばかりに挙動不審に、
私はそのハンモックに近づき、
そっと、片手を差し伸べました。はい。
触り具合は……、とても、丈夫そうな、布でした。
白で、汚れていません。黄ばんでもいない。
縫い目もしっかりとしています。
引っ張っても、取れる要素はありません……、
まるで、新品同様でした。木造りで、しっかと左右に揺れます。
地盤も良いみたいです。
私は、まわりに誰もいないことを、再び声をかけて確かめました。
そうして、しばらく、佇みます。
さすがに、誰かの持ち物、でしょうから。
しかし、そうしていたら、さすがに足が疲れてきます。
座りました。地べたに。
今度は、虫にたかられたくないので、しっかと調べて。
そうして、ぼんやりと、時を過ごしました。
何もない、世界ですから。当然の結果です。
やっぱり、誰も来ないし、日は暮れ始めました。
星空が、ほのかに望めます。余光が寂しいです。
私は、もう、どうでもいいや、って気持ちになりました。
ようやく、心に区切りができたのです。
「すみません、お借りします」
ひとつ、心に祈りを込め。
私は、ぱっぱっ、と土粒のくっついているであろう、
お尻の汚れを叩き落とした後、綺麗なハンモックに、
足を忍ばせました。もちろん、靴は脱いでいます。
はっきり申し上げましょう。
素晴らしい、寝心地です。
そうして、緩やかな風に、そよそよと前髪を戯れさせながら、
天空の星空がまぁるく、見事なドーム状態を見上げ続けました。
ビルなどの高い建築物がないため、このような豊かな星空を
望むことができたのでしょう。
ただ残念ながら、私は星の名前に詳しくもなければ、
北極星の位置もわかりません。
したがって、あの綺羅星が、一体どこの国の星図なんだろう、
なんて理知的なことも脳内で展開することができず、
まんじりと眠れぬ夜を過ごしました。
まあ、気づいたら翌日でしたけどね。
起きました。
眠い目元をこすりつつ、半身を起こします。
そうして、寝ぼけた頭のまま、未だ、
世界が世界のままであった、ということを思い知らされます。
「夢じゃないのかあ……」
私は、そんな現実に打ち勝つものを持ち合わせていなかったため、
仕方なく頭をたれます。
しょうがないことは、たくさんある。でも、これはあんまりじゃないか。
私が、一体何をしたのだろう、と。いじけてしまいます。さすがに。
いくら能天気な私、とはいえ、
この事態は一体全体、どういうことなのだろうと。
神さま、私が、御身に一体何かしましたか?
そう問いかけたりもしましたが、まあ、答えはありません。
これではただの独り言です。
ぼんやりとまた、ハンモックの上で、この世界を眺めます。
ついでに、お腹をさすります。
さすがに、お腹が減ってきたのです。胃液が活発です。
「食べたい……腹減ったよぅ……」
ぽつり。
呟きます。
イメージとしては、肉とか、野菜。
とにかく、瑞々しいものや、脂ぎった唐揚げも含まれます。
パンケーキもいいな。紅茶も。格調高そう。
そんなことをつらつらと考えながら、
家族の顔を頭に浮かべていたら、なんと。
良い匂いがしてきます。
「ん?」
これは、ひょっとすると。
ぱっ、と匂いの出元を見やると、
そこには、私の考えた通りの、お肉や魚、野菜。
スープ。とかく、フランス料理か、って言わんばかりのフルコースが。
草原に、ぽつねん、と。再び、在ったのです。
「……」
私の頭は、思考停止しました。
でも、あの真っ白なクロスであしらわれたテーブルの上の料理に、
我が双眸は釘付けです。
一体、どこから現れたのでしょう。
私は、起き抜けに、周囲を見渡しました。
そうして、現実が変わらぬことを認めたはずなのです。
それが、一体全体、どうして。こんなことに。
私は、恐る恐る、接近しました。
そうして、これはタチの悪いイタズラなのではないか、
盛大なドッキリなのではないかと思い始めてもいました。
念の為、試してみます。
「すみませーん」
木霊するだけで、誰も、反応がありませんでした。
私は、声かけを諦めました。
お腹がすくばかりで腹の足しにはならないのです。
ですが、勝手に食べよう、なんてことにまでは思い至りません。
待つことにはしました。ですが、
こうして、いくら一時間、その誰か、を待ち続けても、
料理は冷めるばかり。ほら、ご覧くださいまし。
この、オニオンスープの湯気のクビレ具合を。
今にも、私のお腹に入りたいと、訴える匂いを放ちます。
また、脂ぎったお肉も、最近食していません。
駄目です。このままでは。
でも。
そんな押し問答を、胃袋と戦いながら、やり続けました。
その間、半日、でしょうか。
さすがに、誰もいない料理を食べる、なんて、
野生児じゃないんですから、できるはずもないのです。
ですが、勿体無かった。じわじわと温かみを失う食べもの。
ただ唾液を呑み込んで胃痛を堪えるなんて。
ハンモックは、怒られても、お金で解決したり、
ペコペコ謝罪をしたり、と、いくらでも言い訳がたちますが、
この料理は。さすがに。毒が入っていたら、いただけません。
そもそも、この料理はどうやって、
この草原にやってきたのでしょう。謎です。
私も、どこからこの草原ばかりの平野にやってきたというのでしょう。
謎は、深まるばかりです。
「私は……」
ぼんやりと、また、
その料理のテーブル回りをグルグルと歩き始めました。
そうして、何も考えず、椅子に座り。
再び、押し問答をして。
何故、背もたれ椅子があるのかという疑問もありましたが、
ここまできたら、謎は謎としか言い様がなく、
私は、ぐうぐうと騒々しいお腹と折り合いをつけながら、
さらに半日を過ごし、
そうして、翌日。
再び目が覚めると、
そこには、昨日よりも豪華なフルコースがお目見えしました。
なんと、今日は日本料理も含まれていました。
なんということでしょう。
私は、不思議の国のアリスな気分にもなってきましたが、
私の名前はアリスではありません。
「……」
もう、声を上げることさえ、私にはできませんでした。
もう、私のお腹は、空腹で、仕方ない状態になっていたのです。
ですから、この世界の食べ物を口にしても、しょうがなかったのです。
……至福の、ひとときでした。
すべてが、今まで食べてきたものを否定しました。
そのご馳走は、素晴らしい味わい深いもので、
私は、ぼんやりと、私ひとりじゃなく、他の誰かと、食べたいな。
ひとりぼっちは嫌だな。
なんてことを、考えました。
こんな平原。
エルフみたいなのが、どこからか出てきそう。
伝説の勇者とか。
ファンタジー的な要素が出てきました。
が、残念ながら、その現実逃避は、やけに私の心にダメージを与えたので、
ぽつねんと、冷えてる紅茶を飲み干すことで、これからどうする、
という現実にシフトさせることに成功しました。
といっても、あのハンモックを担いでどこまでいけるか歩くか、
ぐらいは想定し、余った料理を、この白いテーブルクロスで包んで背負えば。
そんなことを、つらつらと考え続けます。優雅に振る舞いつつ、
頭の中は野性的でした。
そうして、しばらくして。
思考を遮断し、なんの気なしに、
後ろを振り返ると、そこに家がありました。
「あら?」
私は、目を何度もこすります。痛いぐらいにこすり続けます。
その結果、薄まった視界に、いきなりの家が飛び込んできました。
それも、丸太で作られたロッジ風。
気付けば、草だらけの原っぱは、森になっていました。
そうです、私は、いつの間にやら、森の中にいたのです。
なんですか、あの鳥は。どうみても可愛らしい雀じゃあないですか。
なんで、素朴な木が生えているんですか?
ここは平原ですよ? 草だらけの。
そのはずですよね?
「これはどういう……」
呆然としていたら、家の扉が、開かれました。
私の両肩は、結構跳ね上がりましたが、それはそれとして、
暗闇からのっそと出てきた人物に、目が奪われました。
人間でした。
……人間でした。
二度もそう思うほどに、あれは人間でした。
一応、そうだと思うのですが、ずいぶんと毛むくじゃらでした。
「……あ、髪の毛が長いのか」
なんだ、一瞬化物かと思ってしまいました。
でも、違いました。
美しい人でした。
……裸でしたが。
目のやり場に困りますので、服、来てください。
なんて思って目を離した隙に、
彼はまた、家の中に戻り、服を着用して出てきました。
服を着るのを忘れていたようです。あくびをしてるし。
……ずいぶんと、ご立派な男性でした。いろいろと。
彼は、両腕を思いっきり天へ向けて伸ばし、
首をごきごきと動かしつつ、歩き始めます。
そうして、私に気づきました。
どうやら、私のことを認識したようです。
「えっ」
ずいぶんと、瞠目していました。
びっくりしすぎたのか、目玉が飛び出しそうな具合。あらら。
そうして、彼は、つかつかと、私の方へ、
固まったままの私の方に颯爽とやってきました。
ははあ。やっぱり綺麗な人でした。
まさに想像通りの、綺麗な長髪は金で煌き、
白皙で、すっとした鼻筋、
目玉は緑でエメラルドっぽくて、耳はとんがっている。
まるで、エルフ、っていう容姿そのまんまでした。
「あんた、いつからそこに?
ここ、結界、貼り付けてるはずなのに……」
なんで、俺、気づかなかったんだ?
耳障りの良い自問自答の声を放ちます。
ははあ、言葉が通じるようです。
理由はわかりませんが、
私は、違うことに着目していました。
「……」
私は、彼の細長い耳に、釘付けです。
「え、エルフ……?」
「あ? そうだが?」
言うと、肯定されました。
これは一体。
私は、ぼんやりと彼の顔を見つめますが、
彼もまた、私をじろじろと注視しています。
「うーん……変な人間だなあ」
どうやら、この世界には、人間、とやらがいるみたいです。
私以外に。
彼の家に招かれ、というよりも、連行され、
話を伺いました。
彼は、随分と面倒見の良いエルフのようです。
普通、人間嫌い、
がエルフのセオリーかと思っていたのですが、どうも、
彼は別格のようで。
「俺は一応、勇者だからな」
自信満々に言い渡されました。ほう。
それから、たくさんのことを、話し合いました。
「……ふむ」
彼は、私がこの世界が異世界であることを認識させてくれました。
目の前で魔法みたいなものを披露してくれましたし、
「じゃあ、人間の村にでも行くか?」
なんてことをいわれ、ノコノコと着いていき、
それでも半信半疑な私に、
「じゃあ、人間の街に行くか?」
ということで、でかい街に連れられ、微妙な顔つきをしている私に、
「じゃあ、人間の首都にでも」
そういうわけで、国家の中心にまで至りました。
王城見学、のみに留まらず、
なぜか、王様にも謁見する、サプライズ付きです。
「おう、勇者殿。久方ぶりだな」
「お前こそ。立派に国王をやっているようだな」
なんてことはない、彼らは幼馴染みだったようです。
道理でスムーズに交渉が進むはずでした。門番さんと。
「アポなしは勇者の特権だが、いくらなんでも、
こんな朝っぱらにしなくてもいいのに」
なんて、ブツブツ文句を言っていましたが。
もちろん、文句の出処は王様です。にしても、この王様、随分と若々しい。
聞けば、なんでも34歳なんだとか。
え、嘘でしょう。
「こいつは若作りと、すけこましが得意なんだ」
「勇者殿、ひどい!」
ざめざめと、嘘泣きをする王様。
なんと、ひょうきんな方なんでしょう。
周りの護衛の兵たちの、その強面っぷりも。
絶対、この王様のノリに耐性ができているに違いない。
私は確信しました。
エルフも、似たようなものです。しれっとしてます。
彼は一通りの漫談を国王と楽しんだあと、私に問い質します。
「……んで、どうだ?
何か、思い出したこととか、あるか?」
「……うーん」
「そうか……」
勇者殿=エルフさんはがっかりしたようです。
それでも、思案顔は崩さずにいます。
どこか、遠くを見るような顔をしています。
それは、王城に宿泊したときもそうですし、
エルフの国にでも行くか、なんて、
エルフの国へ向かう途中でもそうでした。
「……多分、だけどな」
そう言いながら、彼は口をつぐみます。
私もまた、何も告げません。
なんとはなく、悟ってはいましたから。
ですから、声に出してはいられませんでした。
私は、瞬いた、そのコンマ数秒、確かに、目を閉じていたのです。
その隙間、その一瞬を突き、世界は様変わりしてしまったのです。
私を中心にして。
あの刹那、私はどうなってしまったのでしょうか。
これは、現実なのでしょうか?
本来の私は、もう、いないのでしょうか……。
考えは尽きません。
この異世界は、私を中心に変わります。
どうやら、私の願い通りに、物事が進むようなのです。
戦争が嫌だと思ったら、そうなるし、
虫が嫌いだ、って思ったら、虫がいなくなります。
当然、虫がいなくなると、作物が育たなくなり、人々は困り果てます。
私は、頑張ります。苦手ではありますが、
虫が居てほしい、と懇願したら、存在するようになりました。
反省もしましたが、
……私は、虫の良い話をしているのでしょうか?
それとも、この私は、誰なんでしょう。
深淵の勇者であるエルフは、私を神だといいます。
創造主だと。
でも、私は……、
何を創造したというのでしょうか。
私は、私のある世界を、望んだだけなのです。
私を愛した彼らは、次第に死んで行きました。
顔見知りが死んでいくのは、堪えました。
あの気のいい王様も、代が変わり、子孫となっていきました。
幼馴染のエルフだけは、未だ生き延びています。
エルフは、長命の種族です。
それでも、この寿命の長さはおかしい。
彼は言います。
「それは、貴女が望んでいるから」
だと。
エルフは、そう言いながら美しく微笑み、
私の頭を撫でました。
彼は、私を一人にすることが、忍びないと言うのです。
今日もまた、新品同様のハンモックが、草原にぽつん、と
そよそよと風に揺れています。心地よさ気です。
もちろん、その中で胎児のように丸まって眠る私も、
気持ちよく睡眠を貪っています。
空は、また、夜空が巡ってきました。
数え切れないほどの、流星も、やってきました。
私は、想像した通りの天文が来たのを、
知らず知らずのうちに引き起こしていました。
そこに、ひとりの男がやってきました。
いつもの美しい、変わらぬ姿形のままに。
彼だけは、私を一人にしませんでした。
私は、もうひとりの神を、作ってしまったのかもしれません。
エルフは、私の傍に佇み、そっと、頬を撫でていき、
そうして、じっと、星の数をかぞえていきました。
彼は、この世界の賢者といってもいいほどに、
長い年数を生きてきましたから、
星座を詠みあげるなんて、お茶の子さいさいなのです。
本来は勇者、なんですが、あるいは、私のせいで。
「……起きましたか?」
彼は言うや、私の頬をつねります。
「い、いひゃい」
「そうですか、それは良かったです」
何もよくありませんが、多分、
私がいけないことをイメージングしたのがいけなかったのでしょう。
私は、涙目になりつつも、彼の言葉を鵜呑みにします。
「……西北の国境に、恐ろしい化け物が生まれました」
私は、じっと耳に情報を仕入れます。
「魔王、という存在は、昔からいましたが……、
まさか、魔王よりもさらに厄介な化け物を生み出すとは」
じろり、と睨まれ、私は縮こまります。
なんせ、魔王はエルフ以下、代々の勇者が封印、
あるいは倒してきましたが、実は昨日、
私は変な夢を見てしまったのです。
化け物は化け物なんですが、その。妙なものです。
そのため、エルフにはいつも大変迷惑をかけてきました。
彼は、私の尻拭いを頑張ってしてくれています。
「……傾国の美女、の次は傾国の美男、ですか」
寝物語のついで、とはいえ、国を傾かせるほどの美女、
の噂話を実際に耳にし、反転した美男、
の赤子が生まれる夢をみてしまった。
私は、いくら神さまみたいなもの、らしいとはいえ、
全知全能ではありません。できることとは、あったらいいなあ、
って思ったら、実際にそうなる、っていう程度のことです。
そのため、私はこのハンモックを想像して生み出し、
食べ物を出現させたのです。
ただし、物事には順序があるようで、すぐには出てこないし、
あるいは期待した通りではなかったり。
そのようなもので、わりかし、肩透しなところがあったりします。
なんらかの法則があるようなのですが、私にはわかりません。
エルフは、時折それらしきことを言いますが、
考察披露まではしてくれませんでした。
なんでも、あまり良いことではない、そうなのです。
エルフがそう言うのなら、そうなんでしょう。
私には、わからないことだらけです。
「では、行ってきます」
「お気を付けて」
頷くエルフ。
彼はまた、傾国の美女、もとい、傾国の美男をどうにかしに、
出かけていきました。美男は、未だ生まれたばかりの赤ん坊です。
しかして、生まれてすぐ、その美貌は瞬く間に知れ渡り、
すでに揉め事などの沙汰が起きているそうです。
私は、また、苦しい胸の内を秘めつつ、
そのハンモックの中にて、夢を見ることにしました。
エルフが帰ってくるまで。夢の中の私は、透明で。
この世界を見渡すことができるのです。
そう願った。
私は、この世界の現実を、生で見ていられなかった。
エルフは、
勇者という伝説級の名札をその顔に張り付かせて持ち合わせているため、
どの国に赴いても、歓待されます。
彼は、心得たもので、開かれた催し、
その隙を狙い、争いの種をもぎ取り、私の眠る平原へとやってきました。
ここは、静かでちょうどいい塩梅の良いところです。
しかし、ここしばらくは、赤子の煩さに、眠りを妨げられそうです。
久方ぶりの、人の肌のぬくもりに、
かき抱いた赤ちゃんのあどけなさに、
私は、ほう、と、安堵の息をそっと吐き出します。
本当に、久しぶりに、人間に会いました。
「貴女が笑うのは、珍しい」
「そうですか?」
「はい」
疑問を投じると、そのまま返ってきました。
エルフは単刀直入なので、かえって清々しいほどです。
そうして、両親のいない赤子を育てることに、なりました。
この赤子、いずれ傾国の美男になるとはいえ、
あのまま人の中にいたら、確実に世界の半分を焦がす運命でした。
これで、宿命を変えることができる、とほっとします。
「神さまー」
その愛らしい頬を赤く染め、エルフに習って私の名前を呼ぶ声は、
本当に可愛らしかった。
しかし、男の子の成長は早いもの。
あっという間に、大人になり、ここを出て行きました。
ある程度の教養は身につけています。身を守る術も。
きっと、どうにかこうにか、していくだろうと考えました。
とはいえ、運命にはほどほど、勝てず。
傾国の美男は、どうにも抗えず傾国の美男、になってしまいましたが、
しばらくして、私の眠る平原にやってきて、
ここで眠りたい、と。
愛用のハンモックに横たわり、
私の片手を握り締め、もう片方はエルフの片手を胸に抱き、
そのまま、帰らぬ人になりました。
安らかな寝顔。年寄りになっても、その傾国の美男っぷりは変わらず。
ですが、幼い頃の甘えた寝顔を、思い起こさせるものでした。
……彼は、ずいぶんと悪いこともしました。
私は、彼が行った今までの行いを、夢の世界で眺めていました。
善行も無論、積んでいましたが、しかし、彼は、それでもあがいて……、
生まれ変われるのならば、私の本来、生まれた世界に、と。
願い、消えていきました。
「きっと、貴女の世界に生まれに行ったのでしょう」
エルフはそう言います。
私も、夢オチを願いましたが、そういった願いは、叶わず。
私は、いつまでたっても、この世界の神で有り続けたのでした。
死にたい、とは思いません。
願いません。
痛い思いは、したくないのです。
けれど、心に積滞する、この沈痛な重みは。
いつまでたっても、取り払われる兆しは、ないのでした。
「……今日も、ミカンを食べますか?」
「はい」
思いっきり頷くと、彼は笑います。
いつも通りに。
私の願い通りに、食べることができる日常。
瑞々しい、日本で育ったといわんばかりの果物を頬張ります。
今日も、また。
明日も、きっと、そうなんでしょう。
今書いてるやたらと文字数の多い短編(公表してないもの)、とは別の話を書いてみたくなり、書いてみました。
彼は、自立思考をする守りであり、主人公を護衛する存在です。
もっとも神に近い存在ですし、分身のようなものです。
また、すっぽんぽんなのは、最初に創造した人型だからです。
決して、変態だからじゃないです。丁寧語に変化したのは、やっぱり相手が神であると認識しているからと、敬語武装のようなものでもあり、優しさのようなものです。勇者だから、ということもあるでしょう。