12.tiramisu―少年Aの災難―
「こんな朝早くに、どしたの」
「おはよ。待ってたのよ」
ちょうど早朝練習を終えた朝飛が道場から母屋へと帰ろうとしていると、玄関先では相変わらずセーラー服に下駄を履いた志保が立っていた。先の台詞からして、どうやら朝飛が帰ってくるのをずっと待っていたらしい。
今日は一週間の始まりの月曜日。学校があるのだから制服姿でいること自体は可笑しくはない。ただ、こんな時間にこんな所に居ることが可笑しいのだ。
「こんなところで立ち話もなんだし、入ったら?」
ガラ、と扉を開けて志保を招き入れてみるが、彼女は一向に家へあがろうとはせず、結局玄関の内側に入っただけで他は何も変わらなかった。
「あの……志保? 何かあったの?」
「朝飛、料理得意だったよね……」
「え? まあ、一応は」
「ティラミスとか、作れる?」
「それなりに」
深刻そうに尋ねてくる志保の両手には、何かが入れられていると思わしき箱が持たれている。体勢としては、ちょうど募金活動をしている人間のそれにも見える。
朝飛が箱に興味を示したのを見て、志保は中身がよく見えるように持ち直した。
中には炭のような色で、それでいてどこか柔らかそうな、今までに見たこともないような物体が入っていた。ただ、香りだけはどことなく甘い……ような気がしないでもない。
嫌な予感しかしない。そう思いつつも、朝飛は比較的穏やかな笑顔で問いかけた。
「……まさかとは思うけど、志保が持ってるそれって」
「私、料理が苦手だったみたい。新しい自分を発見したわ」
「志保、料理好きの人間としてこれだけは言わせて。……それ苦手ってレベルじゃないよ! 悪意が無いと出来ないよ!」
「失礼ね! ちょっと分量間違えただけよ」
「分量だけじゃないよね!? 分量だけでこんな物体X出来ないよね!?」
朝飛にしては珍しく本音をずけずけと言う。それほどまでに酷かったのか、彼の料理への愛が深かったのかは定かでは無いが、志保の中で何かがぷつんと切れたことに間違いはなかった。
「そんなに言うなら一度食べてみなさいよ! 見た目はアレでも味はきっとティラミスよ!」
「無理無理絶対無理!」
「材料は全部食べられるものなんだから、死にはしないわよ!」
無理矢理口の中にティラミスのなり損ないを詰め込まれた朝飛は、そのまま志保の勢いに負けて後ろへと倒れる。後頭部を思いっきり床に当てた痛みと、口内の違和感とで、朝飛は涙目になった。
その上に覆い被さるようにして、彼が逃げないように志保は馬乗りになったまま口を押さえた。
「ちゃんと飲み込んで、味の感想を三十文字以内句読点含む」
「!?」
――非常に香ばしい味で、ティラミス界に旋風を巻き起こしそうです。
規定の三十文字以内に収まってはいるが、そんなこと言えば残りも全て口の中に放り込まれるのは必至だったので、朝飛は懸命に他の感想を考える。
と、そこに新たな嵐がやってきた。
「朝飛様―――! お早う御座います! 曾根崎柚希、今日も一日お仕事頑張りま……」
有り余る元気とともに扉を開けて入ってきた曾根崎柚希は、両腕に抱えた桐生家宛ての郵便物をばさばさと落として固まった。眼前に広がる光景を見て言葉を無くしてしまったようだった。いくら柚希とはいえ、朝っぱらから玄関先で自分の仕える主人とその友人が、一緒くたになって転がっていたら驚くに決まっている。
それに、はたから見れば誤解のひとつやふたつくらい起きそうな体勢であるのだ。
朝飛が弁解するよりも早くに思考回路を繋げた柚希が、慌てて二人へと笑いかける。笑顔はもちろん引きつっている。
「す、すみません! 俺ってば全然気が利かなくて!」
「ちょっと待ってゆずきくん、なんか誤解してない!?」
「誤解? してませんしてません。ただ、こういうことは玄関先でやらないほうが宜しいかと……」
「ばっちり誤解してるよ! なにこのデジャビュ!」
* * *
「なんで急にティラミスなんか作ろうと思ったわけ?」
「なんとなくよ、なんとなく」
大型食料品店の店内は、平日の朝とはいえなかなか混み合っている。その人混みの中に二人は紛れ込んでいた。
朝飛の持つ買い物カゴの中にはインスタントコーヒーの素、生クリーム、その他諸々のティラミスの材料と思わしきものが詰まっている。志保の必死さに負けて、とうとうティラミス作りを手伝うことになってしまったのだ。
「だからって、普通夜中から徹夜して作るかなあ……あ、そこのクリームチーズ取って」
「これでいいの?」
乳製品コーナーの棚から取ったそれは、カテゴリとしては同じチーズだが、どうみてもティラミスに入れていいようなチーズでは無かった。どちらかといえば、ピザの上に乗っていそうである。
早速朝飛の頭が痛くなる。まさかこんな根本的なところから間違いが見付かるとは。いや、間違いが早急に見付かって良かったと前向きに考えるべきなのかもしれない。
米神を抑える彼の横から、白い腕がすっと伸びて正しいチーズを手に取って志保へと見せる。
「志保ちゃん、それはとろけるチーズだよん? クリームチーズはこっちこっち」
「ふーん。チーズでも色んな種類が…………あれ?」
違和感を感じて、クリームチーズを持つ手を辿り視線を上へとずらしていく。
ラベンダー色のリボンが揺れるツインテールは、つい最近にも見かけたような気もする。
「ういっす、ういっすー。何々? 二人してお買い物?」
クリームチーズをぽんとカゴの中へ入れて、遠藤都月が挨拶をした。
「えーと、鍔木家の……」「遠藤都月さん?」
動揺を隠せないまま、なんとか相手の名前を思い出した二人だったが、相手はその呼び方に不満があったらしい。
都月は人差し指を口元で左右に動かしながら、「ちっちっち」と声に出した。
「二人とも堅っ苦しーい! 都月ちゃんでいーよー。朝飛くんと志保ちゃんはこれからお菓子作りでもするの?」
むしろ直系にそんな口の利き方をして良いのかと問われそうだが、朝飛も志保も特に気にした様子ないので、話はそのまま続く。
「はい。志保がティラミスの作り方を教えて欲しいっていうから……」
「そういえば朝飛くんは料理が得意なんだっけ?」
ポシェットから大量に付箋が貼られた手帳を取り出して、ぺらぺらと素早くページを捲る。お目当てのページには、朝飛の顔写真とともに細かいデータが書き込まれていた。
「桐生朝飛くん。特技は家事全般、得意料理は鯖の煮付け。趣味は節約……っと」
「……よく、ご存じですね」
まるで主婦のようなパーソナルデータをお披露目され呆気にとられるその向かいで、「情報収集はお仕事のひとつだからねー」と手帳を仕舞いながら都月はにこやかに答えた。
鍔木家双葉の仕事は、次期頭目のお守りだけではないらしい。
「じゃあ、千早鳴海さんのこととかも知ってるの?」
その細い腕をがしりと掴みながら、志保が真剣な眼差しで問いかける。あまりにも深刻そうなその表情に、都月はにやりと笑った。
「なんで知りたいの?」
「うっ……いやあの別に変な意味ではなくて、もしかすると鍔木家の一員になるかも知れない人だから、火之基家長女として相手のことを把握しておいたほうが」
あからさまに慌て始めた志保だったが、嘘を吐けないのが彼女の短所であり長所だ。すぐに観念して、正直な気持ちを告白した。
「よく分かんないけど、何故か鳴海さんのことが気になるの」
「にゃるほど。でも残念ながら、まだ鳴海さんのことは調べきって無いんだよねー……と、いうわけで! お二人さんに提案があるんだけど」
そう言いながら、都月は二人の間に割り込んで両腕をそれぞれの腕に絡ませる。
特に朝飛の腕はがっちりと掴む。第六感でも働いたのか、彼は今にも逃げ出しそうだった。
「赤薔薇女学院って知ってる? 薔薇女って呼ばれてるお嬢様学校なんだけど、鳴海さんはそこの3年生なんだよねー」
「すみません。嫌な予感しかしないんですが」
この流れで、良い予感がする方がおかしいのだが。
朝飛の質問には答えず、都月は先程の「提案」とやらを提示した。
「お二人さん、赤薔薇女学院潜入ツアーに参加しない?」
「いたたたたた。頭が割れそうなくらい痛いので早退させてください」
「病は気から! 先人達は良い言葉を残してくれたね!」
参加者の意見を全く無視したそのツアーは、主催者にずるずると引きずられながら出発する。
そんな奇妙な三人組の後ろ姿を、店員が微笑ましそうに見ていた。
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