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第2回

不愉快?そんなもんじゃなかった。

知らないおっさん,まあ身元はわかるんだけど,に腕をつかまれた,ってそれだけじゃない。

なんていうか…本当のことを言われたからだ。

「ただいま。」

ドアを後ろ手に閉めたら,家の中は真っ暗になった。靴を脱いで,明かりをつけて…。

「またかよ。」

思わずつぶやいた。台所のドアを開くと,居間には電気がついてた。

「姉ちゃん。いるんなら,玄関の電気くらい…」

「もう。うるさいなあ。」

 ソファーで大きなあくびをした姉は,手探りでテーブルの上のメガネを手に取る。眠ろうとしてたのを邪魔された形になって,明らかに不機嫌だった。

 7つ年上の姉は,いわゆる「出戻り」だ。学生時代は,成績優秀で,ルックスもよくて,スポーツも得意,って,もう優等生そのものだった。男子にもすごくモテて,ちょっとした学校のアイドルだった。

 難関って言われる国立大学に通って,就職も一流企業って…ほんとにジュンプウマンパンな人生だったんだけど…。入社して1年も経たないうちに,会社の先輩とできちゃった結婚,と思ったら,それからあっという間に離婚。ドラマみたいなドトウの展開だった。

 エリートは挫折に弱い,ってほんとだ。子どもの親権も元ダンナに取られ,実家に戻ってきた姉は,再就職もしないでグダグダの毎日を過ごしてる。

 エリートからリアル・ニートへ転落。ボサボサの髪,たるんだ身体によれよれのジャージ…学生時代のビボウは見る影もなくなってた。離婚のストレスと不摂生が,姉を別人に変えてしまった,ってところだ。

わたしは,冷蔵庫からペットボトルのお茶を取りだしながら言った。

「うるさくないでしょ。どうせすることもないんだから,電気くらいつけてくれたって…」

「は?何もしてないのは,あんたも一緒でしょ。」

 あーあ。またか。わたしは,1日に何回口論すればいいんだろう。

 いいよ。ここまできたら,やってやるよ。わたしは覚悟を決めた。

「これでも忙しいんだよね。少なくても姉ちゃんよりはね。」

「へえ。どうだかね。勉強だってしてるようには見えないし。」

 相手も戦闘モードになった。負けられない。わたしも,全力の嫌味を込めて返す。

「勉強?勉強に何の意味があるの?あんなに勉強しても,結果がニートじゃ,ね?」

どうだ!?決まった!と思ったんだけど…

「そうだね。勉強してもニートだったら,あんたはホームレス確定。のたれ死にだね。」

 余裕のドヤ顔で返された。

 また負けた。

 考えてみれば…ううん,考えなくたって,わたしは一度も姉ちゃんに勝ったことがない。しかも,あのキラキラしてた頃ならともかく,今の落ちぶれた姉ちゃんに負けたんだから,自己嫌悪も5割増しだ。

そうだ。全部,いや,半分は姉ちゃんのせいだ。わたしがアイドルになりたいと思ったのは。



投げやりにカバンを床に叩きつけて,崩れるようにベッドに倒れこんだ。

 部屋には,カーテンの隙間から弱い光が少しだけ射し込んでた。我ながら殺風景な部屋だ。あらためてそう思った。女子力の低さがわかるってもんだ。

でも,女の子らしい世界が嫌いなわけじゃない。っていうか,ずっとかわいいものに憧れてきた。それなのに,なかなか手が出せないでいた。

 地味。

 わたしってどんな子?子どもの頃のわたしを知ってる人に訊いたら,ほぼ全員がそう答えそうだ。

不細工じゃないし,頭も悪くない。むしろ,いいほうかもしれない。ひいき目に見ればだけど。でも,わたしがどうかなんて,周りの人には関係ないみたいだった。だって,すべては姉ちゃんとの比較で決まるんだから。

 わたしがまだ小学生の頃だった。家の前を通りかかった姉ちゃんの同級生が,わたしの顔をのぞきこんで言った。

「平凡な顔だね。」

そう。学園のアイドルの妹ってことで,子役タレントみたいな女の子を期待したんだろう。

 でもさ,勝手に期待してガッカリしてんじゃねえよ。こっちはひどく傷ついたんだよ。っていうか,そんなの言われなくてもわかってたから。結局,人間は見た目なんだ,って。

そんな時だった。地元のイベントに,他県から来たご当地アイドルが出演した。まだロコドルなんて呼び方は知らなかった頃だ。たまたま近くを通りかかったから,ステージを見ることにした。アイドルを間近で見れる機会なんてなかったし,かなり期待してた。だけど,出てきた女の子たちを見たら,微妙な感じになった。悪いけど,そんなにかわいくないと思ったんで。

 でも,曲が始まると,そんなのどうでもよくなった。近くでMIXが起こったとき,いきなり鳥肌が立った。彼女たちは,全国的には無名だったけど,熱心な追っかけがいるみたいだった。絶叫みたいな声援を受けて,笑顔を振りまく姿は,もうなんていうか,キラキラ輝いていた。ルックスだけじゃなくて,音程とかダンスの技術とかも,全然関係ないと思った。

希望が持てた。わたしでも,人気者になれるかもしれない。やり方次第では,人を惹きつけることも不可能じゃない。そして,注目されるようになれば,わたしを傷つけた人たちを見返すことができる。

だから,その後は,できるだけ元気に見えるように心がけた。空元気でもいいと思いながら。でも,地元の中学じゃ,もうそれぞれのキャラは固まってて,まったく効果はなかった。というか,わたしには,決定的に会話のセンスや自己演出の才能がなかったってことだ。

それで,家から離れた高校を選んだ。って言っても,都会じゃないから,選択肢は少なくて,ちょっと電車に乗るくらいの距離だけど。

 軽音に入ってバンドを始めたのも,地味なイメージを持たれないようにするためだった。もちろん,ステージに上がることで,アイドルの気持ちが少しはわかるかも,なんて期待もあった。

 バンドは,思ったよりうまくいって,学園祭で演奏するとそれなりに盛り上がった。わたしに対してコールが飛んだときは,本当にうれしかった。部活のおかげで,彼氏ができた。中学までまったく恋愛に無縁だったから,ちょっとだけだけど,自分に自信が持てた。 

 でも,それももう終わったことだ。バンドも今年の学園祭が終わったら解散して,部活を引退することになる。

また振り出しだ。

いつまでわたしはこの部屋でくすぶってるんだろう。ダラダラと残る熱にサイナまれながら。

気づくと部屋は真っ暗になってた。無意識に手にしたiPhoneの明かりだけが,わたしを照らしてた。



最低な気分は続いた。

 その日,学校は半日。っていうと,ラッキーな感じだけど,午後には三者懇談があった。

3年生だから,当然進路の話が中心になる。

圭治とケンカ別れした日からは,1週間経っていた。お互い連絡はしていない。進路のことが原因だし,それがはっきりしないと…なんてのは言い訳だ。話してもまた口論になるだけだし,圭治だってそう思ってたはずだ。

誰だって嫌なことは早く終わらせたい。だから,三者懇談は早い時間帯が人気だ。わたしは,運良く1時半からの最初の枠をゲットした。内容は最悪だったけど。

教室に入って,挨拶が終わると,担任は志望校の紙を取り出して,机に置いた。親も学校も納得するように地元の国公立大学を書いておいた。無難で無意味なものだった。

「今日は,聡子さんの受験の話が中心になりますが…」

慣れた様子で担任が切り出すと,母さんがうなずいた。

「よろしくお願いします。」

 担任は,ベテランと呼ばれる年齢で,ふだんは進路指導室にいる。学年集会では,壇上で受験について説明したこともあった。

その担任の顔が,ちょっと険しくなった。机の上の紙を指さして言う。

「こちらが聡子さんの志望校になります。まず,第1志望ですが,残念ながら,現在の成績では,かなり厳しいかと思われます。」

いきなりきた。そんなことは言われなくてもわかってたけど。そのために模試には志望校判定がついてるんだし。でも,母さんは違う。流し見た横顔は,予想以上にこわばっていた。

「だから,あれほど勉強するように言ったのに。バンドなんかやってる時間はないって…」

母さんは,興奮してまくし立て始めた。わたしの顔に唾がかかる。避けるように身体をよじって担任を見ると,軽くため息をついたみたいだった。

「まあまあ。お母さん。まだ時間はありますから,今後のことを考えませんか。」

 事なかれ主義の担任は,つまらない大人の代表だった。このとき,初めてそれをありがたく思えたんだけど,でも,それじゃ終わらなかった。

「まったく。上の子どものときは,こんなことはなかったのに。」

 姉ちゃんのことは担任も知ってる。母さんは,わたしを姉ちゃんと比較して,グチを言い始めた。

「本当に手のかからない子だったんですよ。言わなくても勉強してましたし。それにひきかえこの子は…」

「あ,あの,お母さん。今日は,聡子さんの進路を…」

止めに入ったけど,母さんは聞こうとしない。担任は,今度は遠慮なしでため息をもらした。

 こうなると,もう耐えるしかなかった。気まずい時間をやり過ごすだけだ。わたしは,感覚をシャットダウンして,別のことを考えた。しばらく放置してたブログのこととか,近くにできたカフェのこととか。なんだか夏みたいな陽気で,首のあたりに汗がにじんできた。きっと外に出たら,嫌味なくらい青い空が迎えてくれるだろう。帰りにアイスラテでも飲もうと思った。

 想像が空想になって,それから妄想…。深いところに落ちそうなところで,廊下からの話し声で我に返った。ふと時計を見ると,予定時間をとっくに過ぎてる。母さんは,飽きもせず,悲劇のヒロインみたいに訴え続けている。

 やってらんない。わたしは,わざと音を立てて椅子から立ち上がった。

「おい。柿崎。」

 担任が驚いた顔で見上げていた。母さんは,口を開けたままこっちを見てた。

「もう時間ですから。次の人にも迷惑ですよね。」

 わたしは,志望校の紙を手に取って,母さんをにらんだ。

「大学には行かない。やりたいこと犠牲にして,結果ニートって,なんの意味があんの?」

 そう言って,紙を力まかせに破って,母さんに叩きつけた。

「ちょっと,聡子…」

「待ちなさい。柿崎。」

 2人の声を背中で聞きながら,わたしは教室を出た。そしたら,そこで見たのは…圭治だった。予定と違う。きっと他の生徒と交換したんだろう。

 圭治は,気まずそうに視線をそらした。わたしの声は,廊下まで響いてたみたいだ。圭治のママが「信じられない」という顔で見ていた。

圭治の元カノだと知ってたのかも。そう思ったら,ますます怒りが大きくなった。わたしは,精一杯の捨てぜりふを残すことにした。

「いいですね。聞き分けのいい息子さんで。」



 それから2時間後。わたしは音楽スタジオにいた。前にバンドの練習で使ったことがあったけど,市内で数少ないスタジオのひとつだった。わたしの住む街は,県庁所在地というのは名ばかりで,何の娯楽もない,東京から伝わる文化も根づかないような場所だ。

「ごめんね。遅くなって。」

 圭治の伯父さんが,重いドアを軋ませながら入ってきた。初めて会ったときのようにうさんくさい格好だった。

 そう。イライラしてたわたしは,伯父さんに電話したんだ。とりあえず話を聞いてもいい,って。で,カフェとかファミレスとかだと思ったら,待ち合わせに指定されたのが,そのスタジオだった。

「どうしていきなりスタジオなんですか?」

 素直な疑問を口にしたわたしに,伯父さんが答えた。

「だって,このほうが感じ出るから。」

 やっぱり軽い調子だったけど,バンドマンだったのは本当だと思った。伯父さんは,うれしそうにマーシャルのアンプをなでていた。

 でも,おっさんのノスタルジーにつき合ってる余裕はなかった。わたしは,あたりを見回して訊いた。

「それで,メンバーは何人いるんですか?」

「メンバー?ソロだよ。言ってなかったかな。」

 聞いてないし。っていうか,ソロって,1人で歌って踊る,ってことだよね?無理。絶対無理。わたしは慌てて言った。

「ちょっと待ってください。初めて聞きましたし,それに,なんでこのグループアイドル全盛期にソロなんですか?」

 ドラムの椅子に座っていたわたしの前で,伯父さんは床にあぐらをかいた。しばらく待って返ってきた答えは,すごく意外なものだった。

「俺,体育会の血が流れてないんだよね。」

 体育会?考えてみたら,伯父さんの年代だと,若い頃ソロのアイドルが好きだったのかも,という気がした。80年代のアイドルって,ソロの人が多いイメージがある。でも,体育会って?

 戸惑うわたしに,伯父さんは丁寧に説明…というか熱く語った。

「集団になると,仕切る人が必要になるけど,好き嫌いは別として,やっぱりリーダーには体育会系のほうが向いてると思うんだよ。」

 うん。それはそうかも。学校でも,ほとんどのクラスの委員長は体育部に入ってた。

「でも,アイドルにハマるのは,ヲタクだからさ。前から気になってたんだよね。アイドル・グループには体育会の要素があるのに,応援するのがヲタクって。なんかいびつな構造じゃない?」

 考えたこともなかったけど,言われてみれば,そうかも。でも,だから?

「ネットを見ると,ヲタクとかサブカル好きって,体育会系と相性が悪くて,体育会系女子が苦手な人も多いから,そういう要素は極力排除しようと思うんだ。聡子ちゃんだって,嫌だよね?やたらとキビキビしたメンバーが体育会ノリで仕切り始めたら。」

 それは,そうなんだけど,1人で歌って踊るのも,十分苦痛なんですけど。

「バンドと違って,自分でメンバーを選べないのがアイドルだったりするんだよ。だから,気の合わないメンバーと四六時中顔を合わせるよりマシだと思うことにしようよ。」

 確かに。って言いそうになった。けど,もうやることが前提?

 ダメだ。おっさんのペースに飲まれ始めてる。そう思って,言い返そうとしたら,伯父さんは携帯を出してスピーカーに接続し始めた。見たことのない機種だった。

「で,早速だけど,デモテープ聴いてみない?まだ仮歌入ってないんだけど。」

 やっぱり拒否権は設定されてない。と思う間もなく曲が流れ始めた。

 そう。その曲は,一言で表すと,ミもフタもない言い方でよければ,変な曲。それしか思い浮かばなかった。曲展開が激しい,というのは,アイドルの曲では珍しくない。なんでもありなのが,アイドルポップスの面白さだったりするのは,わたしにもわかってた。

 でも,パイプオルガンみたいなキーボードが聞こえて「教会音楽」?と思ったら,目眩がするようなトランス系のループに放り込まれて,それが終わると,今度は土着的?っていうのか,なんだか民族音楽みたいになって…

「これにメロディが入れば完成なんだけど,メロディはかなりポップになるよ。」

 アウトロになり,停止ボタンを押しながら,伯父さんが言う。すごく楽しそうだった。

「メロディはポップって…なんか怪しい曲ですね。」

 わたしは,正直な感想を口にした。すると,伯父さんは身を乗り出すようにして答えた。

「間違ってはいないよ。コンセプトは,『宗教アイドル』だからね。」



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