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いじめ
作:ばいばるす


 相川宗治は中一の時からのクラスメートだった。
 過去形だ。今は違う。
 今は級友でも、同じ中学に通う生徒でもない。友達でもない。


 相川宗治は二年の秋に死んだ。自殺だった。

 それを知った日から、僕の中で「相川宗治」の名前は生涯忘れ得ぬものとなった。
 それはまるで消すことの出来ない刻印のように、日々何気ない日課をこなす間、友達と談笑している時であっても、僕の脳裏の片隅にひっそりと踞っている。
 まるであの頃の宗治のように。

 最初に話しかけてきたのは、宗治のほうだった。何を話したかなんて、もう良くは覚えていない。 
 人間という奴は、同類の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚は野生動物並みに優れている。
 宗治の気弱気な顔と馴れ馴れしい態度には、あぶれた者どうし仲良くしようというメッセージが透けて見えた。

 誰だって一人は辛い。
 どんなに他者がわずらわしかろうと、人は群れなければ生きていけないものだ。
 話の輪に入っていけない。
 人付き合いが下手。
 孤立したいわけでもないのに自然とそうなっている。
 お情けで一緒にいてもらっている連中から、一人だけ遊びに誘われない。
 後日それを知ってしまっても、動揺と傷心を水面下に沈めて「へえ、そうなんだ?」と作るポーカーフェイス。

 グループ分けは、好きな者同士組めるという利点がある反面、好きな相手も好かれている相手もいない人間には残酷だ。
 最後まで残ってしまって、担任がどこかのグループにねじ込んでくれるのを、さらし者になりながら待つ。そういのは、はっきりいってキツい。

 宗治もまた、入学早々一人になりたくなかっただけなのかもしれない。
 僕もまた似たり寄ったりの理由で彼を受けいれたのだからお互い様だ。

 宗治と僕とその他数名からなるグループに、名前をつけるなら「下層組」だろう。
 不思議なことにある程度の人数からなる集団というのは、必ず集団内に幾つものグループが形成する。
 個人レベルであれ、グループレベルであれ集団内には序列が存在する。
 このグループじゃなくてあのグループに入ったほうが体裁がいいとか、悪いとか。
 あいつ等と付き合えば自慢できる、とか。
 
 誰も口には出したがらないけれど本当の事だ。
 思い出して欲しい。
 一段下に見られている人間というのは、家族であれ、学校であれ、会社であれ、絶対にいるものだ。

 僕らのグループは下から数えた方が早い。
 いや、はっきり言おう。
 僕のクラスの中に限っていえば最低だ。
 クラスで下層扱いされている連中の吹き溜まりと言っていい。

 それでも一人でいるよりはよっぽどいい。
 みんな、そう思ってつるんでいた筈だ。
 仲間がいれば間は持つし、心強いし、なにより一人ぼっちでいる時みたいに他者の視線を意識しつづけることはない。

 進級する頃には、宗治は僕のことを親友だと言っていた。
 僕は曖昧な笑みを浮かべて、それを聞いていた。
 僕のなかでは宗治は親友ではなかった。
 一人でいたくないから、まとわりついてくるから一緒にいるだけで、宗治じゃなきゃいけない理由なんてどこにもなかった。

 いやむしろ、そんな事を声高に言われるのが恥ずかしかった。
 なぜ恥ずかしかったか?
 それは僕が宗治を見下していたからだ。

 差別される側の中に、差別が存在しないわけではない。
 僕は「下層組」に所属しておきながら尚その集団内に優劣をつけ、その採点によれば宗治は僕より下だったからだ。

 元々僕は「下層組」なんかにいたくなかった。
 気付いたらそんな具合にクラスの組み分けが出来上がっていた。
 選択肢がなかっただけだ。
 出来る事ならもっと体裁のいい連中と付き合いたかった。
 
 それが何ともくだらない虚栄だと自覚していた。
 その根底にあるものは差別だ。
 でも、と僕は思う。
 差別がひどいというのなら、社会もまたひどい所なんだ、と。

 誰だって心密かに優越感を楽しみ、他者に認められること、集団から抜きん出ることを望んでいる。
 実際、スポーツも勉強も競争心を煽るように出来ているではないか。
 コンテストや大会では上位入賞が目標だし、期末テストの順位発表だって、その他多数を蹴落とす事を奨励しているとしか思えない。

 してみれば、勝者を賞賛し敗者には次には勝者になれるよう頑張りなさいと教えるのは、このさき社会に出たとき戸惑わないようにという学校側の温情かもしれない。

 宗治が僕を親友にしたい理由……
 それだって僕が宗治と一緒にいた理由よりも上等とは思えない。

 彼は親友という言葉で、皮相な関係性を、理想と現実とのギャップを少しでも埋めたかったのだ。現実があまりにも薄っぺらだから。

 多分きっかけは些細なことだった。もう、よくは覚えていないけれど。

 内気であがり症で場の空気が読めない宗治が、イジメの対象になるのは自然な成り行きだった。
 むしろ彼のような人間がイジメを経験せずに、人生を終えることの方がおかしい。
 
 まずシカトだった。
 誰も彼に話しかけない、答えない。
 彼をいないものとして扱う。

 シカトを始めたのは、ほんの一部だった筈なのに、皆がそれに迎合したのが不思議だった。
 恐らくその大半は余計なトラブルに巻き込まれたくない罪のない静観者だったのだろう。
 理由がなんであれ、クラス全体が彼の存在を否定した事は確かだ。

 一夜にして透明人間になった宗治は、はじめは戸惑い、次に焦り、最後に涙ぐんで顔を伏せた。

 同じグループに所属していた連中さえ、彼に話しかけられても、視線さえ合わせようとはしなかった。
 それを裏切りとは呼べない。
 彼等は一人でいたくなかったから宗治と一緒にいたのだ。
 彼といる事で自分自身の孤立を招くならば、本末転倒ではないか。
 見捨てて当然だ。

 宗治の「親友」である僕はと言えば……逃げた。
 話しかけられるのが怖かったから、そういう機会を彼に与えないよう、彼との接触を避けた。
 悪役にはなりたくなかったけれど、彼と会話することで降り掛かってくる火の粉を恐れた。

 スケープゴートは誰でもいい。宗治でも、僕でも。
 僕の置かれている状況は、宗治のそれと大差ないんだって事を、僕は知っていた。
 助けてやる余裕なんてなかった。いや、動機すらなかった。

 だけれども同じ学校にいる限り、ずっと逃げ回っている訳にもいかない。
 それは放課後にやってきた。
 
 誰もいない廊下で宗治はぼんやりと校庭を見下ろしていた。その空虚な目と疲れた面持ちは、夕日の中に溶けてしまいそうなほど存在感が希薄だった。

 僕が踵を返して退散する前に、彼のほうが僕に気付いた。
 視線があった。

 一瞬、希望に似た光が宗治の三白眼をかすめたように思えた。
 だけれども、すぐにそんな光はぼやけていって、前とおなじ何もかも諦めたような目が、図らずも視線を合わしてしまった僕を解き放ち……また窓の外へと戻っていく筈だった。
 そうならなかったのは、僕自身のせいだ。

 「……まだ残ってたのか、宗治。こっちは、これから塾なんだ。じゃ、また明日」
 
 なぜそんな言葉が喉をついて出てしまったのか。いまだにはっきりとは分からない。
 でもたぶん僕は悪役にはなりたくなかったのだ。
 罪悪感を背負い込みたくない。
 はっきりと無視してしまったら、後味が悪い。
 宗治に嫌われ恨まれ、蔑まれるのが嫌だった。
 その場限りの保身が、僕の口を開かせたのだった。
 
 その時の宗治の顔も、やっぱり一生わすれることは出来ないだろう。
 驚愕といっていいほどの表情で両目を大きく見開いて、しばらくは幻聴かどうか疑っている様子だった。

 その後にこぼれた泣き笑いのような表情が、僕の胸を打った。
 無防備に、心底嬉しそうに、彼は声もなく泣いていた。
 立ち尽くしたまま。
 人間のあんなに嬉しそうな顔を見たのは、後にも先にも、あれが始めてだった。
 

 翌日には僕は自分のした事を後悔する。

 宗治は僕を味方だと認識したようだった。
 それも唯一無二の。

 たまったものではない。
 僕は思った。
 ちょっと、さよならの挨拶をしただけで勘違いしないでくれ、と。
 
 彼は以前にも増して僕に付きまとい、クラスメートがいよういまいが、おかまいなしに僕に話しかけた。
 一度、声をかけてしまった手前、僕は不承不承ながらも返事を返していた。
 でも心のなかではクラスの目に始終脅えていたし、こっちの立場を考えない無神経な宗治に苛立っていた。
 それは次第に怒りに変わっていった。
 そんなだから虐められるんだ。
 そう思った。

 僕の背に隠れて金魚の糞さながらに付きまとう宗治に辟易へきえきし、心なしか温度を下げたクラスの視線に生きた心地がしなかった。

 僕は彼を拒絶できぬまま、うとんじるようになった。
 教室に入ってくるとき、すがるような目を僕に向ける宗治がたまらなくわずらわしく、わざと無視したり、すげない態度をとった。
 そんな時、彼は少し悲しそうな顔で何も言わずにうつむくのだった。
 そのくせ付きまとうことをやめない。
 まるで、ストーカーだった。

 そういう彼の態度は、ますます僕を苛立たせ増長させた。
 自分以外には誰もいない人間相手には、人はいくらでも、尊大に、傲慢になれる。

 お前なんかに付き合ってやってるんだ。
 宗治を可哀相だと思う傍らで、そうした考えが僕の中にあった事は確かだ。
 しかもその思いは日増しに強くなっていった。

 僕は残酷だった。
 差し伸べた手を最後まで離さない覚悟がないのなら最初からそうするべきではない。冷徹で自分本位なイジメの静観者よりも、中途半端がいちばん残酷だ。

 気付けば僕も半ば孤立に追い込まれていた。
 クラスの態度がよそよそしい。
 完全に無視されている宗治に比べればマシだったが、宗治以外の誰かが僕に話しかけてくることはなくなっていた。

 イジメがエスカレートしたのはその頃だ。
 宗治は透明人間から、粗大ゴミに転身した。
 彼等は心理的暴力に肉体的暴力を徐々に足していたった。
 少しづつ、段階的に。
 そうした段階を踏むことで、ゆっくりと自らの良心を麻痺させていったのかもしれない。
  
 古典的なものから独創的なものまで、イジメの方法は多岐にわたり、宗治はあらゆる屈辱にさらされた。

 僕はもう守ってやろうとはしなかった。
 僕には僕の保身があった。
 また逆の立場で、宗治が僕を庇うほど強い人間であったとは到底思えない。

 宗治がリンチを受けている現場に、僕が立ち会ってしまったのは全くの偶然だった。知っていたのならドアを開けはしなかった。
 絶対に。

 それは宗治が日頃受けているイジメに比べて、特別ひどいものだったとは思えない。
 彼はシャツを剥ぎ取られ、貧弱な上半身を晒して、殴る蹴るの暴行を受けていた。

 暴力自体はさほどではなかった。
 彼等はまがりなりにも加減というものを知っていたし、暴力は肉体的苦痛よりも精神的苦痛を目的としていたからだ。

 突然入ってきた僕に、いじめている者もいじめられている者も驚いた様子だった。
 一人が言った。

 「お前も、やってみるか?」

 それは問いではなく強制だった。
 宗治と僕の関係を十分に知っていてのものだった。
 
 試すような視線が僕に突き刺さり、これを拒否すれば明日からは僕も宗治と同じ場所に落ちるんだという事が分かった。
 
 殴ったのではない。
 殴るフリをしたのだ。
 力は入れていなかった。
 入れていなかったと思いたい。

 周りがけしかける。
 はやし立てる。
 面白いショーでも見ているみたいに。
 もっと、もっと、と。

 だから僕は宗治を殴るフリを続けた。
 次第に殴る手に力がこもっていった。
 
 宗治とは目を合わせられなかった。
 だから今もって彼があの時どんな顔をして、僕の暴力を受け入れていたのか、僕には知る術がない。

 その後、宗治は自殺した。 
 遺書には、月並みに「生きている理由が分からなくなりました」と書いてあったと聞く。

 宗治の自殺を知らされたのは他のクラスメートと同じ、担任からだった。それまで宗治が学校を数日間欠席したことについて思いをめぐらす者はいなかった。
 いじめられている人間が学校に来たがらないのは、しごく当然のことだったからだ。

 僕はその時まで、宗治が学校に姿を表さないことに安堵していた。
 顔を合わせたくない。それが理由だ。

 もしも宗治が自殺をせずに学校に来ていたのなら、彼は自分をシカトする人間が一人増えたことを知っただろう。

 イジメの中心人物達がショックを受けた様子はなかった。
 少なくとも目に見えるショックは見せていない。
 彼等は宗治の死を知らされたその日も、授業中にいつものおしゃべりをしていたし、購買でパンを買って食べていた。
 宗治の死に身に覚えがなかったとは思えない以上、それが彼等なりの罪悪感の表れだったのかもしれないが。

 静観していた者達はずっと合理的だった。
 宗治の死は自分達のあずかり知らぬものとばかりに、数分を彼への哀悼にささげ、イジメの首謀者達をひそひそ声で批判した上で、いつもの日常に帰っていった。

 インスタントラーメンの待ち時間程の時間で、宗治の死を乗り越えた彼等に比べれば僕は苦しんだ。
 彼の死をいたんだのとは、少し違う。
 彼の死が、ことに自殺ということが不本意であったからだ。

 担任から得た情報から逆算すると、宗治の自殺はあの日かもしくはその次の日。
 メッセージは明白だ。
 僕への当てつけ意外に何があるだろう。
 これは宗治の復讐なのだ。

 僕はショックの冷めやらぬ内に、自己正当化を始めていた。
 僕がイジメの首謀者であった訳ではない。
 あの日、あの一時、心ならずもいじめる側に回っただけだ。
 進んで加担したわけじゃない。
 やらねば、僕がやられるから。
 誰だって、自分が一番大事じゃないか。そうだろ?

 僕が悪いんじゃない。
 他にどうしようがあったって言うんだ?
 後でどんな目にあおうと、あの時おまえを助けるべきだったっていうのか?
 そうすれば、お前の気はすんだっていうのか?

 第一、憎むなら、なぜお前をいじめたあいつらを憎まない?
 自殺するぐらいだったら、なぜ奴らの顔面に拳の一発でもお見舞いしなかった?
 待ち伏せして、ナイフで刺したって構わない。
 たこ殴りにされようと少年院に入れられようと、死ぬ覚悟があるなら何だって出来るはずだ。

 なぜ……
 なぜ、僕なんだ。

 僕が、お前を裏切ったから?
 お門違いだ。
 裏切ってなんかいない。
 お前が勝手に信じたんだ。
 お前が勝手に思い込んだんだ。
 だって僕は一度だって頷いていない。

 ――君は僕の親友だから

 頷いてなんか、いない。
 曖昧に笑っただけだ。

 僕が、そんなお前にひどいことをしたか?
 あいつ等に比べて?
 それどころかお前に優しくしてやったじゃないか。
 多少なりとも庇ってやった。

 シカトされていたお前の唯一の話相手も僕だった。
 これは客観的事実だ。
 現にお前の母親はお前の生きていた時、何度も僕に頭を下げていたじゃないか。
 この子と一緒にいてやってくれて、ありがとう、と。

 そうとも。
 僕は悪くない。
 僕は自分に出来るかぎりのことをやったんだ。
 それを宗治がどう受け取ろうと、知ったことじゃない。
 死んだからって、生きている人間が全部悪いなんて、そんなの不公平じゃないか?
 
 宗治の死を知らされてから、しばらくして手紙が届いた。
 差出人は相川宗治とあった。
 届くのが遅れたのは宗治の意図か、あるいは郵送側の不手際か。

 書いては消して、消しては書いた跡の残る手紙には唯一言、こう残されていた。


 どうして


 その先に続く言葉を読み手に委ねるつもりだったのか、あるいは書くことが出来なかったのか。
 僕はその手紙をくしゃくしゃに丸め、びりびりに破り、電車を乗り継いでたどり着いた無人駅のゴミ箱に捨てた。

 帰宅し、部屋の鍵をかけ、電気を消し、隅にうずくまると、見計らったように嗚咽がほとばしった。
 僕は口を塞いだ。
 涙がボタボタと鼻の頭から顎から、カーペットに零れ落ちた。
 僕は目をつむった。

 暗闇の中に何かが見えた。

 こぼれおちた泣き笑いの表情。
 そこには、宗治がいた。
 夕日の差し込む廊下で無防備に、心底うれしそうに泣いている宗治が。















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