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前世を思い出した公爵夫人

作者:理鳴
 公爵夫人である、ディラ・アルドマークは呆然としていた。
 しかし、今まさに口元まで運ぼうとしていた紅茶の入ったカップが、毎日整えられている綺麗な爪とぶつかったのかカチリと音がして我に返る。どうやら呆然としていたのは一瞬のことで、隅に控えている夫人付きのメイドたちは誰も気づかなかったようだ。……いや、一人だけ何らかの気配を感じたのかぴくりと眉を寄せて自分を見たが、彼女は何もいわず目元を伏せた。

 ディラは自分を落ち着けるように紅茶を一口飲む。
 そして冷静に考えようと自分に言い聞かせていた。

 ディラはタンザータ王国でも屈指の貴族であるアルドマークの公爵夫人。
 光に好かせれば金色に光る柔らかい色合いの茶色の髪と、新緑のような明るいエメラルドグリーンの瞳。少し細めの瞳のせいで、少女のころは冷たい印象を持たれがちではあったが、公爵夫人となってからはそれが淑女の落ち着きを見せ、相手に威厳を感じさせるというのだから不思議な話だ。彼女は自分の手を見下ろし、そして今日着ているドレスを見る。

 あかぎれどころか、傷一つついていない、細くて白い手。その指にはシンプルではあるが、質の良い緑色の大きな石がはめ込まれている。今着ているドレスも細かい刺繍がいくつもなされ、これ一つを仕上げるだろうに数カ月はかかるであろうものを、彼女は屋敷にいる普段着として着ることができている。それだけで、彼女の立場の大きさと、公爵としての財力がいかほどかわかるであろう。

 ディラはもともとケールリン伯爵令嬢で、生まれたときから決まっていたアルドマーク公爵と結婚した。結婚したのは16歳。貴族の令嬢としては順当な結婚年齢だった。各上の公爵と結婚するというのもあり、生まれたときから淑女教育を受けていたディラは、完璧な公爵夫人として過ごしていた。5つ年上のアルドマーク公爵との間には四人の子供。長男、次男、長女、そして昨年生まれたばかりの次女がおり、公爵夫人としての後継者を生むということもしっかりと勤め上げ、順風満帆な人生と言えるだろう。

 今日とて、王妃であるお茶会の司会を無事勤め上げ、こうしてほっと一息ついている時だ。


 そんなときに、まさか自分の「前世」を思い出すとは思いもよらなかった。





 前世を思い出したといっても、大半はうろ覚えだ。
 最初に前世を思い出したあの日から、昔のことを何度も思い出してみようとしたのだが、自分の名前などは何度考えてみてもわからなかった。
 ただ、自分は日本という国に住んでいたこと。女性であったこと。そして子供が二人いたことは覚えている。その日本という国が、ディラがいる世界よりもずっと発達し、考えられない文明を気づいていることは、信じたい気持ち半分信じられない気持ち半分だが。だがそれらを思い出したとて、ディラの生活は何も変わらなかった。

 毎日城に向かう夫を見送って、自分のスケジュールを確認し、どこかの夫人のお茶会やパーティの準備をしたり、領地から送られてくる手紙などを確認したり、毎日毎日が忙しかった。前世では、貴族はお金持ちで優雅な暮らしをしているものだと思っていたが、そんな暇や時間などない。ましてや、アルドマーク公爵夫人ともなれば、他の貴族夫人たちから相談を受けることもあるし、その解決に力をかしたり、流行に後れないようつねに情報を収集したりと忙しい。前世を思い出したとて、何も変わら毎日を過ごしていた。そして、今日も夜遅く、忙しい夫が欠席のどこぞの貴族のパーティから帰ってきたときだ。


「母上、お帰りなさいませ」


 自分の私室に向かう途中で、ばたりと息子にあった。
 彼は長男であるディード。今年七歳になる次代の公爵だ。
 ディードの手には、分厚い本が抱えられていた。おそらく今の時間まで図書室に籠り勉強をしていたのだろう。生まれながらに公爵を継ぐ運命にある彼は、幼いときからさまざまな家庭教師を雇い、勉学にいそしんでいる。まだ七歳なのに教師の授業にしっかりとついてくる彼は、とても優秀な生徒で、実際とても頭が良いらしい。

 ……だが。

 ディードの容姿は父親である公爵によく似ている。
 銀色の、肩でまっすぐに切りそろえられた髪。アルバート家に良く現れるという紫色の瞳。切れ長の瞳はどこか冷たい印象を与え、相手を委縮させる雰囲気をもっている。子供なのに子供らしかぬディードは、ディラもどこか苦手としていたところがあった。もともと、子供の教育は乳母に任せて母親は基本かかわらない。いや、公爵夫人としての仕事が忙しく、かかわってられないというのもあるだろう。それゆえに、貴族同士の親子の関わり合いはどこか一線引いているものがあり、お互い親子ということはわかっていても、愛情という言葉はとても遠いものだ。
 ディードの方も、偶然顔を合わせたからとりあえず言葉をかけたのだろう。
 現に彼の顔には、夜遅くに帰ってきた母親の疲れを気遣う様子もないし、どこへ出かけていたのか気にするそぶりもない。いや、ディラも前世を思い出す前ならば、彼の言葉にうなずくか、一言かけて部屋に向かうに違いない。

 しかし。
 今のディラは前世を思い出す前のディラとは違う。
 彼女はおぼろげながらも、違う人生を生き、その価値観をある程度認めていた。そして前世であるものだけをひどく強く思うようになったのだ。



「……は、母上?」


 それはディードだけではない、ディラに付き従っていたメイドもそばに控えていた執事も言葉を失い、驚愕していた。


「……はぁ、究極の癒しだわ」



 ぎゅうっとディードを抱きしめて、ついでとばかりに頭をなでる。さらさらの髪が気持ちいい!!と思いながら、もう一度深く息を吐いて、とどめとばかりにちゅっと頬に口づけた。


「勉強もいいけど体にも気を付けるのですよ」


 にこりと微笑んで、何事もなかったように歩き出さす。
 我に返ったメイドが慌てて彼女の後を追い、執事ははっと意識を取り戻して固まったままのディードに声をかけていた。


「お、奥様……」

 メイドの困惑した声が、ディラにかけられていたが、彼女は上機嫌で足を動かし続ける。

 前世を思い出して、何よりも重要だと思ったこと。
 それは、子供をかわいがるということだった。


 前世の彼女には、二人の子供がいた。
 生意気な、でも愛しくてたまらない二人の男の子。
 毎日毎日、彼らのいたずらに頭を抱え怒る日ばかりだったけど、それでも自分が一番だと何歳にもなってもくっついてきた。夜眠るときも自分が隣だと兄弟で喧嘩をしながら、片方が彼女に甘えていると自分もだと横入りしてきて、また喧嘩になる。そんな子供たちを、彼女は毎日抱きしめて、嫌がられながらもキスをたくさんして、きゃあきゃあいいながら騒いでいた毎日。

 ディラとして公爵夫人として、そんな接し方は間違っているのかもしれない。
 でも、何の因果か前世を思い出してしまったのだ。
 それをすべてなかったことにはできなかった。いや、我慢できなかった。


 前世のディラは子供特有の温かいぬくもりが大好きだった。
 毎日が小悪魔ないたずら好きどもも、寝るときは天使に変わる。もう、それを見るだけで幸せだった。寝ていることをいいことに何度もキスをして、小さな手をぷにぷにとさわり、寝ているのに嫌がれている状況さえ楽しくて、幸せだった。だからこそ、こんなに疲れてきたときは、子供を抱きしめたかった。公爵夫人としてはありえない!と言われても、自制が聞かないぐらいに。



「ふふふ、明日はどの子が構ってくれるかしら」


 ぼそりと呟いた言葉を、メイドは聞かなかったふりをする。
 次の日、執事とそのメイドが口をつぐんでいたにも関わらず、公爵夫人の変わりようはあっという間に屋敷の人々に伝わることになった。


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