ご主人とその可愛いけどメシマズな嫁のためなら吾輩はいくらでもバカ猫になろう
吾輩は猫である。名は玉三郎。家族にはタマとも呼ばれている。今時古風な名前だが、中々良いであろう? ご主人は仔猫だった吾輩を友人から貰い受けた時、「この顔は玉三郎だ!」とピーンときたらしい。
ちなみに吾輩は白猫である。歳は二歳。目は水色で、顔立ちは近所の奥様方から「イケメンにゃんこ」と評判だ。ふふん。
そんな吾輩のご主人は名を暮林司という。御歳三十一の一級建築士である。我らが住まうペット居住可のマンションにほど近い設計事務所に勤務している。ご主人は背は高くそこそこ身体は締まっていて、地毛である淡い茶色の髪はクセがあってふわふわ。それが柔和な顔立ちに相俟って、これまた近所の奥様方から「イケメン!」と評判である。猫好きで、我が主人として申し分ない。そんなご主人は最近、可愛いお嫁さんを貰った。
お嫁さんは花実という名前の、ご主人より六つも年下の二十五歳だ。ご主人よりさらにクセっ毛の髪はふっわふわしていて(吾輩たまに飛びつきたくなる……。だって良い匂いがすんにゃもん)、肩下まで伸ばしているのをそのまま下ろしている。時々ふんわり纏めたりするのも可愛い。
顔立ちは歳より幼く見えて、ほっぺがふっくらしていて目がちょっと垂れていて、可愛い。ご主人曰く、「タヌキに似てて可愛い!」のだそうだ。
ちなみに吾輩は花ちゃんと呼んでいる。もちろん、人間には「にゃあ~」としか聞こえないようだが。
花ちゃんも吾輩を可愛がってくれるので、吾輩も花ちゃんが好きだ。だって良い匂いするし、可愛いし。なんでも花ちゃんは昔から猫が大好きだったのだが、お母さんが猫アレルギーで家では飼えなかったのだとか。だから、「司さんと結婚できたのも嬉しいし、タマちゃんと一緒に暮らせるのも嬉しい」だって。へへっ。吾輩も嬉しいにょだ。
花ちゃんとご主人はお見合いで出会った。なんでも、ご主人が設計を手掛けた会社のシャッチョさんの幼馴染みのこれまたシャッチョさんのご令嬢らしい。ご主人の人柄を大変気に入り、娘の結婚相手を探していた幼馴染に紹介したんだそうだ。
ご主人は最初嫌がっていたけれど、「これも仕事の付き合いだ……」と観念して行った見合いの席で花ちゃんに一目惚れ!! とんとん拍子に話は進み、二人は晴れて夫婦になった。ご主人は可愛いお嫁さんを貰って、毎日幸せそうである。今は、「自分が設計した家で家族三人暮らすんだ」と仕事を頑張っている。ちなみに三人とは、ご主人、花ちゃん、吾輩である。ご主人も花ちゃんも、吾輩をちゃんと家族の一員として認めてくれているにょだ。
新婚でラブラブの夫婦と、そんな夫婦に可愛がられる愛猫の吾輩。みんな幸せ! ……にゃのだが、この夫婦――いや、花ちゃんには一つだけ、欠点があった。それは……
ある日の夕方、花ちゃんは一人で洗濯物を畳んでいた。ご主人はお仕事だ。
こう言ってはなんだが花ちゃんはとっても不器用で、家のことをやるのに時間が掛る。でも慣れないうちは誰だってそんなものだろうし、ぶきっちょなら尚更だ。それに、花ちゃんが不器用なりに一生懸命やろうとしていることはわかっているから、ご主人も文句は言わない。むしろ微笑ましく見守ったり、一緒に家事をやって、コツを教えたりしている。
せっせと洗濯物を畳む花ちゃんの傍で、吾輩はフローリングの床の上でごろにゃーんと転がっていた。そうしたら、洗濯物を畳み終わった花ちゃんが言ったにょだ。
「タマちゃん、私これからお買い物してくるから、お留守番お願いね」
……と。その時吾輩は半分夢心地で、「あーハイハイお買い物ね。ついでに猫缶買って来てくれにゃいかなあ、ちょっとお高いヤツ。あれ美味いにょだ……」なんて思っていたような気がする。たぶん、「にゃあ~」と返事をしたような気もする。が、花ちゃんが部屋を出ていって、はっ! と目を見開いた。
花ちゃんが……お買い物……だと!?
まずいまずいこれはまずい! 日用品の買い物だったらまだいいが、もし食材を買いに行ったのだとしたら!? やっべーこれまじやっべー!! と吾輩はひとり残された部屋でウロウロウロウロした。何故なら花ちゃんは、いわゆる……
メシマズ嫁、にゃのです。
それ以外は特にとりえも無いけど欠点も無い可愛い花ちゃんの、唯一の欠点!!
買って来る食材もおかしければそれを駆使して作られる料理も想像の斜め上をいく!! ただ不味いだけじゃない!! 花ちゃんのご飯を食べてご主人は三度言葉を無くして四度泡を吹いて最後には涙目になりながら「あの、実は俺料理が大好きでさ。好きで好きでしょうがないから、今度から俺が料理作って良いかな!?」と花ちゃんを傷付けないように言葉を選んで花ちゃんから料理を取り上げた。ご主人……。吾輩、この時ほど猫で良かったと思ったことはない。猫缶マジ美味い。
以来、朝食も昼食も夕食もついでにおやつもご主人が作るようになった。元々独り暮らしだったご主人は料理ができる人だったが、最近は色んなレシピ本を集めるようになってその腕を上げている。ちなみに平日の昼食は一緒にとれないけれど、自分の分と花ちゃんの分のお弁当を作っている。
花ちゃんはご主人の料理を「美味しい!」と食べているから、味覚が壊滅的に変なわけではない? とは思う。花ちゃんが作ったメシマズ料理は味見なしで作られ、ご主人が先に食べてから「……食材が痛んでたみたいだ」と食べさせないようにして外食に出ていたから、結局花ちゃんは自分の料理がどんなにクソマズイのかを知らない。知ったらたぶん、泣いちゃうんじゃないかにゃあ……。「こんなものを大好きな旦那様に食べさせていたなんて……!!」って。だからご主人も言えなかったにょだ。メシマズだなんて。
そんなメシマズなお嫁さんをもらったご主人ではあるが、最近ではお嫁さんのために料理を作ることすら嬉しくてたまらないらしい。なるべく残業しないように帰りが遅くならないように仕事を頑張って、にこにこしながら「ただいまー!」って帰って来て、花ちゃんに熱烈なハグをしてチューをした後、これまたにこにこしながらエプロンをつけて台所に立つ。もう、めっちゃデレデレ。吾輩たまに見てて恥ずかしくなっちゃう。
とまあ、こんな感じで料理はほぼご主人がやるようになったのだが、花ちゃんはたまに「私専業主婦なのに、司さんに甘えてるよね」って申し訳なく思うらしく、「仕事で疲れている司さんに美味しいお料理を作ってあげよう」って張り切っちゃうにょだ。その気持ちは評価しよう。だが、花ちゃんの料理食べたらご主人身体壊しちゃうのでにゃ、あの……
いつもはお買い物に行こうとする花ちゃんを吾輩があの手この手で阻止してきたのだが(仮病を使ったり、脱走したり、悪戯をしたり)、迂闊であった……!!
吾輩が後悔に打ちのめされてから一時間後、近所の商店街で買い物をしてきた花ちゃんが帰って来た。吾輩はこっそり台所の棚の上に乗って、花ちゃんが買ってきた食材を見たのだが……
タイ丸ごと一匹(花ちゃん魚捌けないでしょ!)
アジのお刺身一パック。(これはマトモ……? このまま出してくれるならにゃ!)
ゴーヤ丸ごと一本。(何に使う気にゃ……?)
箱入りビスケット。(おやつ……?)
ウズラの卵。(……えっ……?)
冷凍のハンバーグ。(……レンジでチンするだけなら花ちゃんにもできる! ……よにゃ?)
……ええと、嫌な予感しかしないにゃあ……
吾輩は固唾を飲み、花ちゃんが鼻歌を歌いながら調理する様をじっと見守っていた。
「ええっと……」
花ちゃん、菜切り包丁を手にまな板の上のタイを見つめています! ひいい……、その包丁でどう捌くつも……いぎゃああああああああああ!!
花ちゃん、豪快にタイを真ん中から真っ二つに切り分けましたあああああああ!! 吾輩でもわかるよ!! それ違うって!! つか怖い!! 見てて怖い!!
「きゃっ」
さすがの花ちゃんもたじろぐ……、が。「私負けない!」と再チャレンジ。菜切り包丁で鯛をぶつ切りにしていきます。えっと、ちなみに内臓は出してません。な、何に使うつもりにゃ……? 当然のように、鱗もそのまんまだにゃ~……
せっかくのタイが見るも無残な姿になった所で、今度は刺し身用のアジをまな板の上にばっと出し、菜切り包丁で叩き始めました!! えええええ!?
アジはあっという間にミンチに。吾輩、マジでこれがどんな料理になるのか見当もつきません。そうしたら花ちゃんは、棚からボウルを取り出し、そこに冷凍のハンバーグを二個投入したではありませんか。
吾輩、さっきから疑問符が尽きません。冷凍カチカチのハンバーグをつんつんしながら、花ちゃんは何やら思案顔。そして徐に……
(ひいいいいいいいいいいいいいいいい!!)
ポットのお湯を、ボウルの中の冷凍ハンバーグにびしゃー!! って!! かけおった!! お湯のおかげで表面は溶けたけど、お湯のせいでハンバーグはぐずっと崩れて、でも中の方はまだ凍ったまま! マジでこれ何するつもりー!? しかもお湯多いし!! そしてそこにミンチにしたアジを投入っ!! ああああ、お湯のせいでアジに火が通って身が白く……。ええと、マジでこれなんなの!?
戦慄する吾輩を尻目に、花ちゃん的にはこれが順調な工程のようで、一度手を洗ってからボウルの中身を捏ねようとつっこんだ……のだが。
「あつっ」
そうだね。お湯いっぱいだし、熱いよね……
結局花ちゃんは今すぐどうこうするのを諦め、別の料理に取り掛かった。
お鍋に水を入れて、そこに先程ぶつ切りにしたタイをぶっ込んだのだ。ちなみにお頭も尻尾も投入である。ああああ……タイが……
それにお湯がタイの血と内臓で赤黒く染まっていくにゃあ……、コワっ!!
さらに味付けのつもりなのか、塩……と間違えて砂糖を投入!! しかも大量!! おうふ……。吾輩思わず顔を覆います。
さらにさらに、殻のままのウズラの卵を二つ投入!! ……なんで?
……と思ったら、花ちゃんは血まみれのまな板を洗い、今度はゴーヤを取り出した。そして硬いゴーヤを苦心しながらゴトッゴリッと切っていく。ええと、一応一口サイズ?
そしてそれを生のままサラダ用のお皿にどさっと盛った!! そこにイタリアンドレッシングをどばばー!! ええ!? 生ゴーヤオンリーサラダ!?
「冷やしておこうっと」
と言って花ちゃんがサラダを入れたのは冷蔵室ではなく冷凍室だった。お、おうふ……
そうこうやっているうちにボウルのお湯も冷め、花ちゃんはそこに残りのウズラの卵を全部割り入れる。(……殻の欠片も入っているのを吾輩は見逃さなかった!)さらにさらに、箱からビスケットを一袋取り出して……
「よいしょ……っと」
とか言いながら、ボウルの上でビスケットを握って粉々にし、それも投入!! ちなみに投入された割れビスケットは大きさもまちまちである。
「……ふふっ。美味しくできると良いなあ、特製ハンバーグ」
な、なんと……
冷凍ハンバーグ+お湯たっぷり+アジの刺身のミンチ+ウズラの卵と殻少々+粉々ビスケットは、花ちゃん特製ハンバーグに化けるらしい。ば、化けるかー!!
なんで素直に冷凍ハンバーグをチンしないにょだ!! あああ、もしかしてビスケットは繋ぎのつもりなにょか!? ひいいいい……
吾輩もうガクブルである。ちなみに花ちゃん、びっちょびちょのハンバーグ種をどうにか二つ分形にして、フライパンに乗せた。もう、元のハンバーグとアジとビスケットがあんまり混ざってないので色がまだら……。しかもフライパンに乗せた後で油を引いていなかったことに気付いたらしく、後から油を投入っ! が、量多い!! しかもハンバーグ種の水分多くて油跳ねる!!
「きゃっ!」
びっくりした花ちゃん、慌てて火を止める!! ……そして、「余熱調理しよう」と言い出し、そっとフライパンに蓋をした。火は止まったままである。ちなみにハンバーグはまだ裏返していない。よ、余熱って……
その日の食卓には、花ちゃん特製のディナーが並んだ。
塩と間違えた大量の砂糖で茹でただけのタイのぶつ切りお頭尻尾付きに、一緒に煮たウズラの卵をトッピングした物……と。
カチカチに凍った生のゴーヤオンリーサラダイタリアンドレッシング掛け、と。
花ちゃん特製、恐怖の生焼けハンバーグ……である。ちなみにご飯はご主人が炊いていたもので、お味噌汁もご主人が朝作っておいたものだからこの二つだけは安全にゃ。
しかし……
テーブルの下にいる吾輩の鼻にも届くこの生臭さ……
タイもハンバーグも生臭いにゃあ……。おえっ!
ゴミを漁るカラスだってこれはさすがに食べないんじゃ……というレベルだ。
こんなの食べたらご主人も花ちゃんも身体を壊してしまう! ここは……吾輩が……!!
吾輩が腹を決めた頃、ご主人が「ただいま~」と帰って来た。
「お帰りなさい!」
花ちゃんが意気揚々と玄関まで出迎える。吾輩はそっと、玄関でラブラブする二人を伺った。
「遅くなってごめんね。夕飯の買い物してきたんだ」
「あっ、ごめんなさい司さん。今日は私が作ったの!」
「え……?」
ご主人の笑顔が固まる。だよにゃあ……
そして、ダイニングから漂う不穏な匂いに気付いたようだ。見る見る顔色が悪くなる。
「ええと……」
「いつも司さんによくしてもらってるから、たまには私が……って。栄養のある物をね、用意したの!」
栄養のあるもの……かあ。それって生ゴーヤ? ああ、もしかして冷凍ハンバーグだけじゃ栄養が! って思ったから、アジも追加したにょか?
花ちゃんは満面の笑みだ。そう、花ちゃんに悪気はない。あるのはご主人に対する純粋な好意なにょだ。だからご主人は拒めない。だからこそ、吾輩が……
吾輩はすっと歩きだし、部屋の隅に転がっていた吾輩用のオモチャ――ネズミのオモチャを咥えた。そしてそれを、食卓に向かって勢いよく……ッポーイ!!
ポーンと吹っ飛んだネズミのオモチャ、予定通りテーブルのど真ん中に落下ぁ!!
「にゃにゃにゃ~!!」
そしてその飛んだネズミのオモチャを追いかけるフリして、食卓の上にスライディーング!!
ガッシャーン!!
「にゃにゃにゃにゃにゃ~!!」
なりきるのだ玉三郎!! 今だけは、ネズミのオモチャに夢中になるあまりテーブルの上で暴れるおバカな猫に!!
「きゃあああああ!! タマちゃん!!」
「玉三郎!?」
ネズミとじゃれるふりをして、マズメシを床に落したりして見事食べられない状態に!!
犠牲になった食材達よ。許してくれ……!! そして花ちゃん、ごめんよ!!
「にゃっにゃにゃー!!」
ふう……。吾輩、やったぜ……
夕飯を全部おじゃんにしたところで、泣きじゃくった花ちゃんに捕獲され「馬鹿っ!!」って叱られ頭を叩かれたけど、これも覚悟の上なにょだ。
ご主人だけは吾輩の意図をわかってくれたのか、こっそり「ありがとうな」って口を動かして微笑んでくれたので満足である。それから、「玉三郎は俺がきつく叱っておくよ」って花ちゃんの腕から俺を抱き上げて、別室で叱る振りをして「助かったよ。玉三郎」って言ってくれた。
いいってことよ。二人が夫婦仲良くいてくれることが、吾輩の喜びでもあるにょだから。
それから花ちゃんにも、「ごめんよ~」って言うように「にゃあ~」って鳴いてスリスリしたら、「さっきは叩いてごめんね、タマちゃん」って言ってくれた。吾輩はそんな花ちゃんの涙でぬれたほっぺををぺろっと舐めた。
うん。本当にごめんな、花ちゃん。マズメシだけど、ご主人のために一生懸命作ってくれたんだもんにゃ。
それからも吾輩は、花ちゃんが料理しようとするのを阻止し続けた。
仮病を使ったせいで動物病院に運ばれ、健康なのに体温計を尻に突っ込まれたり注射をされたりと散々だったけれど、頑張った!!
やがてご主人は花ちゃんと「一緒に」料理を作るようになり、手とり足とり懇切丁寧に料理を教え込むようになった。それからは長く厳しい道のりだったけれど、その努力の甲斐あって花ちゃんがメシマズを卒業し、暮林家に平穏な日々が訪れることになる。
ご主人と花ちゃんは相変わらずラッブラブだ。一緒に料理をしているのだって、いちゃいちゃの一環である。
今だって、ご主人がスープをスプーンですくって花ちゃんに……
「味見してみて? はい、アーン」
「アーン」
「美味しい?」
「とっても美味しい!」
「も~、花実は可愛いなぁ」
も~、ご主人ったらデレデレである。
ちなみにそれまでの功績から、ご主人が吾輩のご飯をモンプチにグレードアップしてくれた。大変美味である。モンプチマジうめえ。
めでたし、めでたし。