第2章
その日、夫はナイターの中継を見ながらわたしの話を聞くと、ビールを一缶飲み干したあとで、げっぷをしながら言った。
「そう気にすんなよ。子供なんて天からの授かりものじゃないか。おふくろたちだって、そこのところはよくわかってると思うよ」
「うん。それはそうなんだけど……」
アンチ巨人ファンの徹は、巨人の連敗をすこぶる喜んでいる様子で、「清原、三振しろよ」などと言いながら、空になったビールの缶をぐしゃりと潰している。
彼には特別応援している球団というのはなく、ただとにかくひたすら巨人以外の球団を応援するという、ちょっと変わった人だった。
「そろそろ不妊療法とか、考えはじめたほうがいいのかなって……」
「やった!三振!」
夫はスキヤキの鍋に伸ばした手をとめると、ガッツポーズを決めている。
わたしは軽く溜息を着きながら、もう不妊療法のことは一切口にしないことにした。もともと夫は、医者の決めた日にモルモットみたいに性交するのは嫌だと言っていたし、わたしにしてみたところで、そのために産婦人科にかかることを想像しただけでも――ずっしりと気が重かったからだ。
その夜、わたしは夫の寝息を闇の中で聞きながら、幼稚園の時、わたしの手をとろうとしてくれた男の子のことを考えた。彼もたぶん今ごろは結婚して、一児か二児、あるいは三児のパパになっているに違いない。
もし仮に街のどこかですれ違ったとしても――わたしには彼のことがわからないし、彼のほうでもわたしのことなんてすっかり忘れてしまっているだろう。
でももし何かのきっかけがあって、もう一度会うことが叶うとしたら――あの時のことをあやまりたいような気がした。本当はわたしもあの時、あなたの手をとって一緒に楽しく踊りたかったのよ、とそう言って……。
姑の言っていたとおり、確かにわたしは昔から、何を考えているのかわからない子だと、まわりの人間からはそう思われていたらしい。
そのことにはもしかしたら、わたしが四歳の時に死んだという、実の母のことが関係しているのかもしれなかった。
母はわたしが四歳の時、食糧を求めて人里まで下りてきた熊に襲われて亡くなった。
わたしにその記憶はまったくないが、父の話によると、母は子供のわたしを守ろうとして、熊に背後から何度も襲われたのだそうだ。でも母は死ぬまで、子供のわたしのことをぎゅっと抱きしめたまま、離そうとはしなかったのだという。
母の死後間もなく――東京から、母の姉と名乗る女性が現れ、父と再婚することになった。
わたしは自分の母親に姉がいることも知らなかったし、また母方の祖父母にも会ったことがなかったので、その人が突然天から降ってきたように感じたのを今もよく覚えている。しかも父にしてみたところで、東京へなど一度もいったことがなく、ふたりが交際している気配といったようなものもまったくなかったのだ。
わたしの今の母――弓野千帆は、母のお葬式で初めてわたしの父、阿川大介と出会い、その時神さまのお告げを聞いたのだという。
「この男と結婚しなさい」と。
わたしの伯母というか母は、敬虔なクリスチャンで、いわば神さまのお告げのとおりに父と結婚したわけなのだ。母のお葬式の数日後に、東京の義姉から電話がかかってきて「あなたと結婚したいのですが」と言われた時、父は不思議とまったく驚かなかったという。母の葬式でわたしには伯母にあたる女性に会った時、もしかしたらそうなるかもしれないという予感がしたというのだ。
かくしてふたりは世間の風評などまるで気にすることなく、すぐに役所へ婚姻届けを提出しにいったというわけだ。
この新しい母はわたしにとって、生みの母よりも近しい存在といってよく――事件のショックからかどうか、わたしには実の母の記憶といったものがまったくといっていいほどなかった――わたしは聖母マリアさまのような、理想的な母親に育ててもらったといっても過言ではないくらいだった。
血縁上は伯母にあたる彼女は、わたしのことを妹の忘れ形見として、決して過保護というのではなく、とても大切に慈しんで育ててくれた。父もそんな彼女のことを愛し尊敬していたし、わたしたち三人は本当の親子のように仲良く、幸福に暮らした。
それでも、父と母が喧嘩する出来事というのがひとつだけあって、唯一宗教面においてだけは、ふたりは対立しあっていたといっていい。
父は決して熱心な仏教徒というわけではなかったけれど、昔から何かと縁起を担ぐ人で、形式的な意味においてのみ敬虔な葬式仏教徒とでも言うのだろうか、そういう感じの人だったので、母の信じるキリスト教については理解できないものとして軽視していた。
母は仏教式のお葬式やお墓参りなどには父と一緒に参列したが、それでも家の神棚には決して手を合わせようとしなかったのを、わたしは覚えている。そして日曜日には教会の礼拝に出席するので、父は毎週休みになると、朝は必ずといってもいいくらい、機嫌が悪くなった。他でもないこのキリスト教の神が、自分と今の妻との結婚を導いたにも関わらず。
でも、父にとっては父なりに理想的な家族の休日の過ごし方というものがあり――もちろん、いくら日曜とはいえ家畜の世話やら色々、すべき仕事はあるのだけれど――母が礼拝にわたしのことを連れていこうとすると「おまえひとりでいけばいいじゃないか」とか「千砂のことは今日は置いていけ」などとよく言ったものだった。
わたし自身についていえば、キリスト教の日曜礼拝というのは、子供心にもなかなか楽しいものだったと記憶している。といっても、小さな頃は幼児祝福の意味も、賛美歌の歌詞の意味も、牧師さんのお説教の意味も、何もわからなくはあったのだけれど――それでも礼拝が終わり、牧師さんの祝福を受けて荘厳なオルガンの音とともに礼拝堂をあとにする時、自分が心の底から魂を清められたような、そんな気持ちのすることが多かった。
もっとも、わたしは今は教会に通っていないし、実際のところ、再び教会へいきはじめて日曜日の午前中毎週家を留守にするということになると――徹がどんな顔をするかはわからなかった。
朝ごはんの支度だけしておけば、快く「いっておいで」と言ってくれるかもしれないし、それでもそれが毎週のことになると、彼も父のように「今日は家にいろ」とか、そんなふうに機嫌悪く言うようになるのかもしれない。
なんにしても、キリスト教という元は異文化の宗教を知ったことは、わたしにとって精神的にプラスに作用することが多かった。クラシック音楽やオペラを聴くにしても、また海外の文学作品を読むにしても、聖書に対する基礎的理解があるのとないのとでは大きな違いが生じてくるからだ。それと美術館に本物の絵画を観にいく機会のある時でも――西洋絵画の場合、その絵の描かれた背景を知るためには、キリスト教の知識が必要になることが多かったためだ。
思えば、夫と親しくなったきっかけも、そうした芸術的教養を通してだったような気がする。徹は大のクラシックファンなのだけれど、彼はキリスト教的な理解を抜きにしてその音楽に深く傾倒していたわけで、とにかく自らの感性が命じるままにバッハの『マタイ受難曲』やモーツァルトの『レクイエム』などを「素晴らしい!」と感じていたらしい。そしてわたしはそういう彼の芸術に対する理解の仕方をとても好きになったのだ。
シルヴィ・ギエムの『ボレロ』を観にいった時、彼は憧れのプリマドンナに花束を渡すと、その帰り道で子供みたいに頬を紅潮させていたっけ……そうした少年のような純粋さ、変に知識をひけらかして蘊蓄を語ったりするでもなく、「よくわかんないけど、ここのところがいいよな」とクラシックの大好きな曲を聞きながら指揮棒を振る真似をしたりするところ……そうした彼の感受性の豊かさや性格の素直さといったものにおそらくわたしは惹かれたのだろう。そうした心の美しさはわたしの内側にはないものだったから、彼の中にあるそうした人間らしい強い情熱――もしかしたらわたしはそれを、分けて欲しいと願ったのかもしれない。あるいは、彼と結婚したら自分もそうなれるかのように一時的に錯覚してしまったのかもしれなかった。
こんなにお人好しで優しい、純粋で素直な愛すべき夫を、本当には愛することができないだなんて、わたしは自分でも時々、自分のことが不思議になって仕方がない。
徹のほうに<愛>という名の強い情熱があったことだけは間違えようがなく、それであればこそわたしは彼と結婚したのだけれど――わたし自身はといえば、打算的で冷静な理性によって彼と結婚したようなものだった。
そして時々、こんなふうに考えることがある。わたしが夫の子供を妊娠しないのは、わたしが彼のことを本当は愛していないからに他ならないのではないかと。
だから夫が出張で、帯広から北見へ行く途中、土砂災害に巻きこまれて死んだという話を聞いた時も――わたしは涙一粒零さずに、まるでアメリカかヨーロッパで遠い親戚が死んだという知らせを受けとったとでもいうように、警察からの電話を冷静に聞いていた。
『昨夜零時五十五分頃、土砂災害に巻きこまれて亡くなった鮎川徹さん(二十九歳、農協職員)は、帯広から北見へ向かう途中で事故に遭ったと見られ、現在警察では災害の起きた原因などを調査中です』
そんなTVのニュースを見ていても、徹の死がいまひとつ実感できず、わたしは葬式の間中も、やはり泣くことはできなかった。
桐の棺に納められた、土気色の彼の顔を見ても、まるで遠い他人のように思え、自分はもしかしたら夫の死のショックのあまり、それを現実として認識できていないのではないかとさえ思ったほどだ。
しかし、やはりわたしは病気などではなく正気だった。それに悲しくもないのに悲しいふりだけするということもできなかったので、終始無表情だった。
そして姑が「何を考えているのかわからない」と言った、あの不透明な態度と無表情な顔とで弔問客に挨拶したりしたものだから、当然といえば当然のことながら、わたしは夫側の親族たちに大変な不評を買った。さらにそんな状況下にありながらも頭の隅のほうでは――子供もいない以上、いずれ向こうとの関係も希薄となり、三回忌を迎える頃には義理だけのおつきあいになっているだろうと冷静に分析している自分がいる……わたしはあまりにも冷たい、そんな理性の人間である自分が、ほとほと嫌になって自己嫌悪に陥った。
そんなこんなで珍しく一致団結した姑と早穂子さんに何やかやと陰口を叩かれつつもとりあえず葬儀のほうは無事に終わり、その後二週間が過ぎた。でもやはりわたしはその頃になっても――依然として徹のために泣けないままだった。
(どうしてわたしは、彼のために泣くことができないのだろう?)
自分でもそのことがとても不思議だった。せめて嘘でもいいから、涙を流すことができたらどんなに楽だろうとも思った。
「ごめんね、徹」
わたしは仏壇の上の彼の遺影に手を合わせてあやまった。黒枠の写真の中には、スーツ姿のはにかんだような笑顔の青年の姿が収まっている。
「どうして泣くことができないのか、自分でもよくわからないけど……心の中に喪失感のようなものは確かにあるの。あなたがいなくなって寂しいとも思う。でもね、どうしてなのか泣くっていうことができないの。他の人たちみたいに大声でわあわあ泣き喚くことができたらどんなにすっきりするだろうって、自分でも本当にそう思うのに……」
『――千砂がもしそうできていたら、おふくろたちの受けもよかっただろうにね』
それは空耳のようなものだったかもしれないけれど、わたしにはその言葉が夫の肉声として、すぐ耳のそばで囁かれたもののように聴こえた。
「トオル……?」
もちろん仏壇から後ろの居間を振り返ってみても、なんの気配もありはしなかった。それでもわたしがその声に小さな慰めを見出そうとしていると――ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
一体誰だろうと思いつつ、紫檀の仏壇の前から立ち上がり、わたしは玄関へ向かった。お義母さんや早穂子でないことを、心の中で手を合わせながら祈りつつ……。
「やあ、どうも」
ドアの前には夫の二番目の兄、鮎川直人の姿があった。二年前、彼は仕事の都合でどうしても結婚式には出席できないという返事をしていたので――実は会うのは、徹のこのお葬式が初めてだった。
黒の礼服を脱いだ、トレーナーにジーパンというラフな格好をした彼は、どこか人懐こそうな微笑みを浮かべており、子供みたいに「入ってもいい?」と、わたしに聞いた。
「ええ、もちろん」
童顔なのは鮎川家の血筋なのだろうか?彼もまた徹と同じく、実際の年齢よりも五つは若く見えた。また雰囲気的にも彼には徹と似たところがあり――人懐こい子犬のような、どことなく憎めない感じの表情をいつも顔に浮かべている。ただ顔立ちのほうはいくら似ていても、背丈は彼のほうが二十センチばかりも高く、徹が昔よく「俺の背が低いのは兄貴がその分を持っていったからだ」と言っていたのが思いだされて、なんだかおかしかった。
「直人さんは身長、おいくつなんですか?」
ソファに座る彼の前でお茶を入れつつ、わたしは聞いた。徹はお茶にうるさい男だったので、普段家で飲むのもいつも、高級の玉露ばかりだった。
「百八十五センチくらいかな。といってもまあこれは、高校生の時に計った身長だけどね。今はもしかしたらもう二、三センチ伸びているかもしれない」
「徹がつきあいはじめた頃、よく言ってたんです。自分の背が低いのは、兄貴が本来の自分のとり分を持っていったからだって。その時兄弟三人が写った写真を見せてもらったりして、ああなるほどなあって頷いたりしてたんですけど」
「もしかしてそれ、畑の耕耘機の前で撮ったやつじゃない?うわ、だせえ」
彼は十年前にもなる記憶の青写真を頭の中からとりだしたみたいで、暫くの間、ひとりで笑っていた。三人の兄弟が手に熊手や鍬を持ってふざけたポーズをとっているその写真は、確かにわたしも最初に見た時、声にだして笑った記憶のある代物だった。
「悪かったね、結婚した時に会いにこれなくて……親父やおふくろは俺が東京で何やってるか実はあまりよく知らないんだけどさ、当時は友達と小さな会社を起こしたばかりの時だったから、色々忙しくてね。金銭的にもあの頃が一番苦しい時でもあったから……正直、北海道まで帰ってくる旅費にも困ってたくらいなんだ」
「あの、お義母さんからは、IT企業で働いてるって、そう伺ってたんですけど?」
「うん、そう」と言って彼はわたしからお茶を受けとり、少しの間お茶の香りをかいでから、それを一口すすった。「そういう会社の、代表取締役をしてるってわけ。友達が社長のね。でも親父やおふくろにそんなふうに言うと、何かと心配するだろ。だから普通の会社で平社員みたいに働いてるって、そう言ってあるんだ」
「凄いですね。仕事のほうは大変そうだけど……でもやり甲斐はあるでしょう?責任のほうは重大でも、自分で方針を決めてある程度それに沿った仕事ができるわけだから」
わたしがお盆を手にしたまま向かい側の肘掛椅子に座ると、直人さんは何故かわたしの顔をじっと見た。まるで顔のどこかに何かのしるしがついている、とでもいうように。
「……?何か……」
「いや、流石は徹が選んだだけのことはある嫁さんだなと思ってね。あいつ、ハネムーンにいった時の写真と一緒に、物凄くノロけた手紙を送ってきたんだぜ。『いくら兄さんが俺より男前で背が高くても、こんな可愛い嫁さんを手に入れることはできないだろう』ってね。あいつ、よっぽど背の高さにこだわってたんだな」
義兄はわたしの肩越しに、仏壇の前の弟の遺影を見つめていた。小さな頃の思い出を懐かしむような、優しい眼差しで。そしてわたしはそういえば、と思った。彼もまたわたしと同じように、葬式の間中、一度として号泣したり嗚咽を洩らしたりすることはなかったと。
「おふくろや早穂子さんが親戚連中と色々言ったみたいだけど……気にしないほうがいいよ。変な話、日本人はみんな勘違いしてるからな。葬式で泣くことのできる人間はみな善人で、そうできない人間は人非人みたいに。泣きたくても泣けないほうがどんなにつらいかなんて、そんふうに考える思考能力がないんだ」
その時、わたしの頬を一筋の涙がつたっていった。自分でもまったく予期していない、突然の涙だった。でもそれは、夫の存在の喪失を嘆く未亡人の涙ではなく――自分の本当の心を理解してもらえたことに対する、半分嬉しい気持ちの入り混じった、複雑な涙だった。
「……ごめんなさい。わたし……」
「いや、気にすることはないよ。弟は本当に君のことを愛していた。俺は上の兄貴と昔から折り合いが悪くてね、それが家を出た一因でもあったんだけど……徹の奴はしょっちゅう手紙やら何やら、色々と気遣ってくれた。俺の心の中で家族と呼べるのは、今でもあいつひとりだけなんだ。こんな三十にもなる大の男が大人気ないって思うかもしれないけど……俺は親父のこともおふくろのことも、心の中では離縁してる。たとえ死に目に会えなくても、後悔することはないだろう。でも徹にだけは、ああもしてやりたかったしこうもしてやりたかったって、本当にそう思うんだ。だから君が……千砂さんがあいつのことを幸せにしてくれたことを、俺は心から感謝している。本当に、ありがとう」
直人さんは鮎川家の親戚一同を代表するみたいに、わたしに向かって頭を下げた。彼らがわたしに色々聞こえよがしにひどいことを言ったのを、代わりにあやまるみたいに。
「そんな、わたし……わたしは徹に何もしていません。むしろ、わたしのほうこそ……」
(――愛のないひどい女だったのに、彼には幸せにしてもらいました)
まるでその心の呟きが聞こえたみたいに、直人さんとわたしはそのあと暫くの間ずっと、互いに見つめあったままでいた。徹が果たして、手紙の中でわたしのことをどんなふうに兄に語っていたのかはわからない。でも今、お互いを理解しあうのに――わたしたちは言葉による説明を必要としなかった。
彼はそのあと、「それじゃあ」と言ってソファから腰を上げ、何もなかったように帰っていったけれど、翌日空港へ向こう前にもう一度わたしの家へ立ち寄った。そしてわたしたちはその時、互いに我を忘れるくらい激しく抱きあったのだった。