表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異形の花嫁  作者: ルシア
1/6

第1章

 小さな頃、わたしはその丘陵地帯を『妖精ヶ丘』と呼んでいた。

 両親は田舎の農村で農業と酪農を営んでおり、家のまわりには二百ヘクタールほどの畑地と牧草地が広がっていて、そのなだらかな丘陵地帯はやがて見渡すかぎりの平野となり、緑したたる森へと繋がっていた。

 我が家と同じように農業を営んでいる隣家へいくだけでも五キロほどあったので、少し大袈裟にいえば、わたしは人界からやや隔絶された環境下で育てられたと言えるかもしれない。

 もちろん小学校にも中学校にもきちんと通ったし、高校は少し離れていたので下宿したけど、その後大学へ進学しひとり暮らしをはじめる頃には――至極平均的で平凡な女子大生に成長していたのではないかと思う。

 大学では稲の専門的な研究をし、卒論のテーマには<遺伝子組み換えによる環境への影響>を選んだ。その後、農協に就職し、同じ職場の真向かいの机に座っていた男と結婚することになり、わたしは専業主婦になったというわけだ。

 実家のほうは父の弟夫婦とまだ小さいその子供たちが継ぐことに決まっていたので――わたしはひとり娘だったが、なんの心おきなく夫の『鮎川』の姓を名乗ることができた。

 わたしの故郷は十勝平野で、札幌にある大学院を卒業してから地元へ帰ってきて農協に就職したのだったが、夫の鮎川徹もわたしと似たようなもので、彼もまた札幌の某大学の畜産科を卒業したのち、故郷へ戻ってきたのだった。

 徹の両親もわたしの父や母と同じく農業を営んでおり、三男の夫は実家を継ぐ必要はなかったが、それでも田植えの時期や収穫期には人手が足りないということで駆りだされたし、そういう時にはわたしも、鮎川家の嫁としてその勤めをないがしろにするわけにはいかなった。

 都会で暮らしている人はたぶん――旅行や、ちょっとしたドライブなどで十勝平野を通りすぎる時、こう思うのではないだろうか。

「なんて広々とした大地、もしかしたらこういうところでのびのびと農業をするのも悪くないかもしれないなあ」と。

 だが、農業というものは世間一般の人が抱いているそんな漠然としたイメージ以上に厳しい側面を持っているし、一見して、家族が仲良く共同作業に勤しんでいるように見えたとしても――一度その輪の中へ入るなり、それこそ色々な人間ドラマがあったりするわけである。そこのところは一般の会社の人間関係とそう変わるものではないとさえ思うことがあるくらいだ。

 農家におけるその閉塞性については、一度そこに属したことのある人間にしかわからないものだとわたしは思っているし、たとえば、わたしは大学院を卒業しているわけだけれど、ただそれだけでもうすでに――三男の嫁は<うちら>とは違うよそ者という扱いを受けたりすることがある。たとえわたしの両親が同じ十勝平野という大地に根ざし、同じように汗水流して農業を営んでいたとしても。

 もちろん、嫁姑問題や後継ぎの問題、夫の親族とのつきあいにまつわる悩み、というのは遥かな昔、人間が誕生した頃から連綿と続いていることなわけで、わたしにしても「まあ、誰と結婚しても避けて通ることはできない問題」として諦めてはいる。

 でもそれにも関わらず時々――何故わたしは今の夫と結婚したのだろう?と疑問に感じてしまうことがある。いや、他にもっといい結婚相手がいたはずだとか、わたしはそんなことを言いたいわけではない。

 夫は善良を絵に描いたようなとても良い人だし、生活面についても特に不満があるというわけではない。朝早起きしてお弁当を作り、夫を仕事に送りだしたあとは――平日はそのほとんどが毎日、悠々自適なプライヴェートタイムである。

 花壇や家庭菜園などの手入れをし、十時三十分にはお茶の時間を楽しみ、午後からは買物へいったり、ドラマを見たり好きな本を読んだりと――わたしはその静かな、とても満ち足りた生活を愛していた。にも関わらず、ただひとつだけ問題になるのは……わたしが夫のことを心から愛してはいないという、そのことだった。


 ――では、それならば何故結婚したのか?

 答えは簡潔にして極めて明瞭だ。夫はわたしに交際を申しこんだ生まれて初めての男性であり、二年もつきあううちに自然と「そろそろ結婚しようか」ということになったという、ただそれだけである。

 昔からわたしは人見知りをする質で、おそらく今の夫と結婚していなければ、婚期を逃してオールドミスになっていた可能性が高い。また夫のほうでも「もし千砂と結婚していなかったら、いまだに独身だったと思う」と言っているとおり――いわばわたしたちふたりは、似た者夫婦といってよかった。

 育った環境も同じだし、卒業した大学も同じなら、年齢も二十九歳で一緒だった。そして趣味は読書と音楽鑑賞その他といったところで、ふたりともインドア派だった。

 徹は童顔で、眼鏡をかけており、どことなく田舎風のお坊っちゃまといった雰囲気の、ほのぼのとした純朴な青年である。わたしたち夫婦の関係は結婚前の交際当時から、めくるめく愛のときめきとか情熱とかなんとか、そんなものとはほとんど無縁だったといっていい。知りあってから今日に至るまで、一度も喧嘩らしい喧嘩すらしたことがないし、夫婦間の夜の生活に、特別何か強い刺激があるというわけでもない。それでもまあ、友達のように仲がいいし、お互いにたぶん、二十年後や三十年後も同じような感じだろうなあ、という話を庭いじりをしながらしたりするという、そんなカップルだ。

 経済的な基盤も大体安定しているし、将来にも特に不安はない。ただ結婚して二年以上にもなるのに、子供ができないということだけが――悩みの種といえば悩みの種かもしれなかった。

 徹はのんびりとした穏やかな性格の人なので、「そのうちコウノトリが……」などと、メルヘンチックなことをいつも言っている。わたし自身も体のどこにも特に異常がない以上、三十五歳くらいまでになんとかひとり出産できたらな、とゆったり構えてはいるつもりなのだ。

 しかし、夫婦間ではそのように意見が一致しているにも関わらず――夫の実家へいくたびに「千砂さんももう二十九なんだし」とか「そろそろひとりくらい生んでおかないと」と必ず一度はせっつかれてしまう。夫は三男で、長男の稔さんが実家の農業を継いでいるのだけれど、すでに四人の子供がいる。男の子がふたりに、女の子がふたりだ。姑はしょっちゅう口癖みたいに「早穂子さんはうまいこと産みわけたなあ」と褒めているが、それはわたしが実家へいった時だけの話で、嫁と姑の関係は、実はそううまくいっているとは言い難いらしい。

 ちなみに次男の直人さんは現在、東京のほうでひとり暮らしをしており、三十一歳の今も独身だという話だった。

 実をいうと、徹は三男とはいえ、姑と舅にとっては秘蔵っ子のような存在で、義兄自身でさえ、三人の兄弟の中で両親から一番可愛がられて育ったのではないかと認めているくらいなのだ。であるからして、ぜひ徹の子供の顔を一日でも早く見たい――と姑と舅はそう強く望んでいるというわけなのだ。

 前に一度、田植えを手伝いにいった時、こんなことがあった。姑と舅は苗を運び終わったビニールハウスの後片付けをしており、わたしがたまたま、ふたりを手伝おうと思ってそばへ近づいていった時のことだ。

「徹も、早くわしらに孫の顔を見せてくれるといいんだがなあ。稔の孫は確かにみな可愛いが、わしはあの嫁が好かん。直人は年に一度も帰ってこないどころか、便りひとつ寄こさんし、結婚したとしても住まいが東京では赤の他人と大して変わらんじゃろ。そこいくと徹んとこには期待が持てる。いわゆるスープの冷めない距離っちゅうやつで、互いの間を行き来しとるし、千砂さんは控え目ないい嫁っ子だしな」

「オラはあまりそう思わんがね」と、もんぺ姿の姑が言った。姑は自分のことをいつも、オラというのだ。「確かに千砂さんは控え目で大人しいかもしれんが、ちょっと何考えとるんだか、わからんところがあるからね。その点、早穂子さんはハッキリ物を言う分、スッキリするところもあるよ。なんというのかねえ、千砂さんはインテリだから、夜のほうはあんまし積極的じゃないんじゃないかね」

「かもしれんなあ」と、舅はビニールハウスのビニールを骨組みからとり外して、姑と一緒に畳みながら言った。「わしらの若い頃は今みたいにTVゲームに熱中することもなかったし、田舎の村の娯楽なんてたかが知れとったから、夜に夫婦ふたりっきりになれば、布団の中でする以外、特に楽しみもなかったもんだけどなあ」

 ここでふたりが声を揃えて豪快に笑いだしたので、わたしは半分裸になったようなビニールハウスの中へ、入るに入れなくなってしまった。トラックに乗って苗を水田まで運んでいた早穂子さんに、お義父さんたちを手伝うよう言われてきたのだけれど――結局わたしはそのまま歩いて水田にまで引き返し、田植え機を運転していた稔さんに「急に具合が悪くなったので帰ります」と一言告げて、家まで帰ることにしたのだった。

 べつに、義理の父と母の本音の会話がショックだったというわけではない。わたしはこれと似たような経験を、それまでの人生の中で何度となく繰り返していたから――「ああ、まただ」と思って急に心と体に力が入らなくなってしまったという、それだけのことではあった。


 わたしは六歳になって幼稚園に入学するまで、同じくらいの年の友達と遊んだという経験がなかった。今でも思いだすのは、初めて人と手と手を繋いでお遊戯した時の違和感と、いつも隣に座っていた女の子の、意地の悪い顔つきだった。

 その子は何かにつけ「ああしなさい、こうしなさい」とわたしに命令し、大人しい素直な子だったわたしは、いつも黙ってただ言うなりになっていた。ところがある時それを<いじめ>だと思ったおせっかいな男の子が――先生にそのことを報告し、わたしのことを彼女の席の隣から移動させるべきだと言ったのだ。

 その子は女の子のグループのリーダー的存在だったから、たちまちわたしはのけ者となり、聞こえよがしの意地悪な言葉の数々を浴びせられる結果となった。

 男女がペアになって踊るということになった時――例のおせっかいな男の子は真っ先にわたしのところへやってきたけれど、わたしはただ泣きじゃくることしかできなかった。

 正直いって、子供ながらにも、その男の子の気持ちが嬉しくもあった。でもここで彼と手と手を繋いで踊ってしまったら、あとからまた他の女の子たちに何を言われるかわからないと思い、わたしはただめそめそと泣くことしかできなかったのだ。

「千砂ちゃん、泣いてるじゃない。きっとあんたと一緒に踊るのが嫌なのよ。あっちにいって他の子を探したら?」

 例の意地悪な、目のつり上がった女の子は、どん、と彼の肩を押しのけると、水玉模様のハンカチを貸してくれた。そしてわたしはその日からもう一度、女の子のグループの仲間入りを果たし、なんでもリーダーの彼女の言うなりになるという役目を演じることになったのだった。

 それから小学生の時も中学生になってからも、また高校生の時にも――集団生活におけるわたしの役割は、大体似たり寄ったりだった。支配欲の強いリーダー的存在の女の子が近寄ってきて、まず仲間に入れてくれる。そしてわたしが都合のいい存在である間はさんざん利用し、何かちょっと不都合が生じてくると――一時的に仲間外れにされたり、集団無視にあったりした。

 自分ではそんな思春期の時代をとっくに卒業したつもりでいたけれど、結婚した今でも本質的には何も変わってはいないのだと、わたしはそんな気がして、少しばかり落ちこんだ。

 幼稚園の時、あの男の子の手をとってダンスしたいと思ったように――本当は自分はこうしたいという欲求を、わたしはこれまでの人生の中で、いつも押し殺してきたような気がする。そしてただ、人々の間の思惑の中で、「あの人はこうすべきだ」という位置づけに置かれるがまま、なんとなくその言うなりになって生きてきたのだ。

 夫と結婚した時だって、特別「どうしてもこの人でなければ」という理由や衝動があったわけではない。ただなんとなくこれまでの人生の経緯からして――人生なんてこんなものという感じで結婚してしまったに過ぎない。

(人生なんて、どうせこんなもの)

 わたしはまだ六つか七つだった時から、もしかしたらそんな諦観を身に着けてしまったのかもしれない。そしてもしあの時、あの男の子の手をとって踊っていたとしたら――その後の人生もまるで違っていたかもしれないだなんて、これまで一度として考えてみたことはなかったのだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ