191話
ブブブブブブブ……。
どこかから羽音が聞こえる。
「状況は!?」
急いで俺とアイルは世界樹に戻り、魔石灯を掲げているベルサと合流。社員も全員、戻ってきているところだ。
すでに日が傾いていて、薄っすらとしか明かりが届かない。
「世界樹の実がなった……」
サクラは自家受粉しにくいはずだが、プラナスは違ったのか?
「とりあえず、見て。こっち」
ベルサは世界樹の実は上層部の東側、青々と葉が茂っている場所に俺たちを連れて行った。
「妙にライトワームが集まっている場所があったから、下層部側から世界樹の葉を剥がしてみたんだ。そしたら見つけた。これは挿し木でもないし、茎を辿っていくと世界樹から伸びているでしょ?」
絵に描いたような二股に別れた茎に赤黒いサクランボが実っている。大きさはハンドボールのボールくらいあるだろうか。それをベルサの魔力の壁が覆っている。
「ナオキ、この場所に見覚えはないか?」
俺は周囲を見回して、すぐに気づいた。
「あ~、ここで神様と飲んだな。もしかして、神様がプラナスの花粉を持ってきちゃったか? そういえば、邪神に嵌められたって言ってたなぁ」
「それ早く言ってよ!」
ブブブブブ……。
「それで、この羽音は何?」
「下層部でトンボの魔物が大発生している」
「なんでそんなに成長早いんだよ! この前卵から孵ったばっかりじゃないか!」
アイルが叫んだ。
「世界樹だからな。なんでもありだろ?」
俺は諦めて言った。
状況の変化についていけないと世界樹では死ぬことだってある。まず現実を受け入れて対処してから考える。
「発光弾は?」
「使いきった。でも、こっちに向かってきてるんだよ」
ベルサが説明した。
「世界樹の実がバレてるってことか?」
俺はアイテム袋から閃光弾を渡しながら聞いた。
「わからない。でも、トンボの魔物の中に黒い個体もいたから、悪魔の残滓が異変に気づいてるかも」
「アイテム袋に隠しておけないかな」
「触るのも危険だと思うけど、やってみる?」
ベルサが世界樹の実を覆っている魔力の壁を切った。
俺はアイテム袋の口を広げて触らずに世界樹の実を入れようとしたのだが、入らない。世界樹の実って命としてカウントされているのか? それとも、アイテム袋の許容を超えてしまっているのか?
とにかく、アイテム袋に入れられないなら今は悪魔の残滓から守ることしかできない。
「ヤバくなったら、ナオキが食べればいい」
「こんな時まで毒味役かよ!」
「来るぞ!」
上層部と下層部の世界樹の葉がぶち破られ、トンボの魔物の群れが一斉に上層部に入ってきた。境界が破られたことで、発光スライムたちもふわふわと上層部に入ってきてしまう。
閃光弾を投げると、一斉にトンボの魔物が光に向かって墜落。発光スライムも光に殺到している。
「移動するか?」
「その暇はなさそうだ」
探知スキルで見ると、続々とトンボの魔物が上層部に入ってきている。
「2人ともマスク装着! 燻煙式の魔物除けの薬を使う」
「「了解」」
俺は燻煙式の魔物除けの薬を2つ作動させた。
辺りに深緑色の煙が立ち込め、トンボの魔物が煙を避けるように飛び回る。発光スライムたちはあまり関係ないようで、閃光弾の光に夢中だ。などと思っていたら、発光スライムの中に黒い個体が紛れているのが見えた。
「発光スライムの中に悪魔の残滓が紛れてるぞ!」
「ナオキ! 乾燥剤!」
俺は乾燥剤の小袋を取り出し、アイルに投げた。空中で受け取ったアイルはそのまま、発光スライムの中に突っ込んでいった。
「いや、やっぱりトンボの魔物にも黒い個体が!」
ベルサが叫ぶ。
黒いトンボの魔物は深緑色の煙の中をあざ笑うかのように飛び回り、俺の近くに停まって羽を擦り始めた。悪魔の残滓は2体いるのか。
『ブブブブ……久しぶりだな。冬の間は完全無視を決め込んでいたようだが、もう逃げられはしないぞ』
あのダンジョンの看板を無視したことを根に持っているらしい。
「仕事が忙しかったんだよ。世界樹の花を咲かせないといけなかったからね」
『神が来ていたようだな?』
「花見しに来てた」
『阿呆めが。神が花粉をつけているとも知らずに』
やっぱり神様が花粉を持ってきたのかよ。
『さあ、渡すがよい! 背に隠している世界樹の実をわた……』
話し終わる前に俺は思いっきり黒いトンボの魔物の頭を蹴飛ばした。くるんっと回った頭はそのままちぎれてどこかに飛んでいった。
「こっちの悪魔の残滓は終わったよ!」
俺が煙の中のアイルに声をかけた。
「こっちも今、溶けてるとこ!」
アイルから返事が来た。
はぁ、とりあえず危機は去ったか……。
「ナオキ、油断するな! 死体から黒い煙が出てる!」
ベルサの声で振り向くと、黒いトンボの魔物の死体から黒い煙が出て、飛び回っていたトンボの魔物や発光スライムにまとわりついた。
一瞬、ビクンッと痙攣した魔物たちの身体は黒に変色されていった。
「嘘だろ……」
周囲の魔物が全て悪魔の残滓に変わってしまったようだ。
ポツッポツッ。
雨まで降ってきた。駆除対象が増えて時間がかかりそうな上に、魔物除けの薬の煙が雨で消えてしまう。しかも、鬱蒼と生い茂る世界樹で雨が降るってことは世界樹の中に雨雲が発生したってことだ。雷雨にでもなれば、カミナリの魔物も現れるかもしれない。
「「社長ー!」」
「ナオキー!」
「みなさ~ん、無事ですか~!」
セスやボウたちも到着した。
「状況は最悪だ。全員、周囲にいる黒いトンボの魔物と発光スライムの駆除作業に入ってもらう。ご覧の通り、雨なので燻煙式の罠もポンプも使えない。耳栓、マスク装着の上、南半球で培った全てを出して、駆除にあたってくれ! 雨だから身体冷やさないようにな!」
「「「「了解」」」」
「じゃ、作業開始!」
社員たちは四方に散った。
すぐに音爆弾とゲンワクスズランの音が辺りに響いた。
こっちは耳栓をしているというのに、くらっと意識が飛びかける。
敵が経験したことのない攻撃で動きが止まっている間がチャンスだ。
目についた黒いトンボの魔物を魔力の壁に閉じ込め、空気を抜いてクシャッと圧縮。黒い発光スライムはナイフで切りつけて、乾燥剤を塗り込む。雨で乾燥剤の効果が薄いとわかれば、直接、吸魔剤をかけて駆除した。
セスとメルモは世界樹を冷やす時に使った氷魔法の魔法陣が描いてある布で黒い発光スライムを凍らせ、メイスで叩き割っていた。
ボウは黒いトンボの魔物の羽を魔力の手で毟っていたし、リタは魔力の壁に閉じ込めて魔物の身体から水分を抜いていた。恐ろしい方法を考えるものだ。
ベルサは魔物に寄生する菌と成長剤を入れた小瓶を投げつけ、いくつも巨大キノコを生やしていたし、アイルは追い込んで魔力の剣で切りまくっていた。
コムロカンパニーは、10分ほどで、周囲にいる全ての魔物の駆除を完了した。
死体はリタに水分を抜かれ、俺が魔力の壁で覆って焼いて処理した。
ゴロゴロゴロゴロ……。
雨は激しさを増し、雷雨へと変わった。
カミナリの魔物が現れる前に終わってよかった。
と、息をついた瞬間、目の前に閃光の柱が落ち、爆音とともにふっとばされた。
特大の雷が落ちたようだ。耳栓をしていなければ、鼓膜が破れてただろう。
『うまいなぁ……世界樹の実は……』
振り返ると、黒いトンボの魔物の頭が世界樹の実に齧りついていた。世界樹の実を覆っていたはずの魔力の壁が破られている。
再び世界樹の実ごと魔力の壁を覆い圧縮したが、いつの間にか、黒いトンボの魔物の頭は空中に浮かんでいた。
『ハハハハハ……無駄だ。我はすでに全知全能を手に入れたのだからなぁ……ハハハハハ』
悪魔の残滓は笑いながら、膨張と収縮を繰り返し、人の身体を構築していった。
「全員、退避ー!!!!」
俺の叫び声が聞こえたのか、俺以外の社員全員が悪魔の残滓から距離を取った。
『アポトーシスが起きて、人の形になるとは皮肉だなぁ。人に嫌われ、恐れさせた我が人の形が最良とはね。世は皮肉に満ちているぞ、コムロ』
悪魔の残滓はニヒルな笑みを浮かべた。
俺は悪魔の残滓を見ながら、どうすべきか必死に考えていた。世界樹の実を食べて全知全能を手に入れた悪魔の残滓がどうなるのかわからないが、自分も同じ力を手にしなければ対抗できない気はする。だからといって、もう一つの世界樹の実を食べて全知全能になりたいか、と言われれば、絶対に嫌だ。
自分の魔力の壁を操作すれば、今にでも食べられると思うのだが、まったく食べる気にはならない。全知全能によって人の心が失われそうで、怖いのかもしれない。
「どんな気分だ?」
悪魔の残滓に聞いてみた。
『神になった気分だ。いや、神々の正体を知れば、それ以上か……正体を知ったら笑えるぞ。ハハハハ……我はあんなものに恐怖していたとはね。お前も食べてみるといい。次世代の神々になろうではないか』
突然、悪魔の残滓は自分の手や脚を確認し始めた。
『ああ、すごい! すごいぞ! コムロ! 全てのスキルを手に入れたなんて……そうか、コムロがこれに貢献しているのだな。お前はいったい何者なんだ? んん? いや、待て、どういうことだ?』
悪魔の残滓は俺の目の前まで飛んできて、じっくりと顔を覗き込んできた。俺の身体はコンクリートで固められたように、ガチガチになって動かない。いつの間にか、何かのスキルをかけられたようだ。こんな者になってしまうとは。
『イレギュラーか? なんだ? お前の存在は? 何者だ?』
「ただの清掃・駆除業者だ。たまたまこちらの世界に転生してきただけさ」
『お前は全知全能になった我が怖くはないのか?』
そう聞かれて、俺は悪魔の残滓をあまり怖いと思っていないことに気づいた。精霊を相手にしていたせいなのか、一度死んでいるせいなのか、腹が据わってしまっている。むしろ、怖いのは世界樹の実の方だ。
『なぜ怖くない? コムロ!』
「聞かれてもわからないよ。怖くないものは怖くないんだから」
『お前を殺す力を持っているのだぞ? お前の仲間も、全員だ』
「そんなことばっかりしてるから、邪神にぶっ飛ばされて滓しか残ってないんだろ? いい加減、学べよ。こっちは神と邪神から依頼を受けて仕事している業者だよ? 俺たち殺したら、依頼主の神と邪神が飛んでくるぞ。その神々を相手にできるのかよ?」
後ろ盾の名前は使ったほうがいい。
「だいたい全知全能になったからっていいことあるのか? 予知スキルで自分の未来を見て不安になるのはお前だろ? どうすんだよ急に自爆スキルが止まらなくなったら」
『待て! やめろ! 名付けるな! 何だそのスキルは!』
ボグフッ!
突然、悪魔の残滓の身体が膨らみ、爆発音が聞こえてきた。
『グホッ! なんてスキルを考え出してやがる!』
回復魔法をかけながら悪魔の残滓が俺を睨んできた。
もしかして、今、神様がスキルを作っている最中なのかもしれない。自動自爆スキルとか。
ボグフッ! ボグフッ!
『再生スキルが間に合わない! ゴボッ! 防御スキルの中から爆発するなんて!』
悪魔の残滓は耐えきれなくなったのか肉体を捨て、煙と化した。
「煙になっても、炭素とか水蒸気みたいになってるだけで実体がないわけじゃないしなぁ。より苦痛を感じる苦痛スキルだってあるかもしれないし」
そう言うと、煙が燃え始めた。空間魔法や転移魔法で逃げようにも、スキルを行使しているのは悪魔の残滓自身だ。
『やめロ! 破壊と再生が繰り返サレ……ル……』
俺は燃えている煙を魔力の壁に閉じ込め、圧縮。世界樹の実と同じ大きさにした。
『コムロ、お前は、いい死に方しなイゾ』
悪魔の残滓は念波ですら、覚束なくなってきた。
「死ぬ方法を教えてほしいか?」
『あア、教えてくレ』
「言葉を捨てればいい。お前ら、精霊や悪魔は元々、力だったんだろ? それに言葉を与えられただけの存在だ。違うか?」
『そうカ、ハハハ……ワレは悪魔なリ。無償とは言わん。代わりにコムロにいいことを教えておいてやル。お前を予知スキルで見たガ、必ズお前は全てを失って1人になル。どんナ未来でもダ……言葉を捨てルか……そんナ単純な方法も思いつかズに全知全能とは聞いテ呆れル。邪神が作ったモノなどコンなモノか』
悪魔の残滓はバリバリっと雷になって魔力の壁の中から消えた。雷の悪魔だったのだろう。
「これで終わりか……? あれだけ残っちまったな」
俺は齧られていない世界樹の実を見ながら言った。
雨はいつの間にか止んでいた。周囲に魔物の気配はない。
「終了。全員、回復薬入りの風呂に入って身を清めてくれ。服も一緒に洗濯して、診察する。一旦、ドワーフの洞窟に戻ろう!」
俺は通信シールに話しかけた。
『『『『『了解』』』』』
俺は自分の魔力の壁に入った世界樹の実を抱えて、箒で空に向かって飛んだ。