第6話◆非レンアイ主義者、思い出の温泉へ。
「福士〜、立ったついでにアサヒ4本持ってきてー」
荷物を置くために立ち上がった福士に、すかさず酒を頼む。本来なら幹事に頼むところだが、可哀想なくらい忙しくしているので、手近に居る福士に白羽の矢が立った、というわけだ。
「坂本―、こっちに酎ハイ頼むー」
「坂本君〜、こっちにもビールー」
「高城さーん、こっち来て飲みましょうよ〜」
毎度のことだが、社員旅行の酒盛りは、バスに乗り込んだ瞬間から始まる。
誰もが乗車と同時に詮を開け、全員揃って出発し、いざ乾杯という頃には、誰一人として酒気帯びでない者はいない。
今年からラフな服装での参加が承認されたので、ますます肩の力が抜けて、みんな幾分ネジが緩んでいるらしく、例年以上の盛り上がりを見せている。
企画部次長に至っては、バスに乗る前からすでに出来上がっておいでだ。彼は朝会社に着いてすぐに、幹事の坂本君にビールをねだったそうである。
昨年までは、行きがスーツで旅館では浴衣、帰りももちろんスーツ、という服装が、暗黙のうちに義務付けられていた。それは
『社員旅行は業務を円滑に進めるため、社員同士の親睦を図るのが云々かんぬん……』
端的に言えば、『羽目を外しすぎるなよ』という無言の圧力をかけるためらしかった。が、今年突然ラフな服装でざっくばらんにというお達しが出たのである。新しく就任した専務の働きかけかもしれない。
「ちょっと、何最初から飛ばしてんのよ。身の程を知れ」
すでに顔を真っ赤にしている裕也を小声で咎め、脇をコッソリ小突く。下戸のくせに、すでにカクテルを2本開けている。……といっても、カシスオレンジだけれど。
「シラフでいられるか! あの宿だぞ。酔ってれば赤面してもバレない」
「じゃあパスすればよかったじゃないの」
「そうしたらD班に入れられるじゃねーか」
この会社の社員旅行は、A〜Dまでの4つの班に分かれ、時期を見計らって細切れに決行される。
宣伝部などは一ヶ月後に控えたルラーシュのオープンイベントでてんてこ舞いなので、イベント終了後のD班となっている。私達はイベント企画に直接携わってはいないため、一部のグループを除いて事務方は目が回るほど忙しいわけではないのだ。
だからって、何もこんな時期に社員旅行なんて行かなくても、と思わないこともない。ここの経営陣は何を考えているのか、いまひとつよく分からないのである。まあそこがユニークで魅力的なのだけれど。
裕也は手で顔をぱたぱた扇ぎながら、ジャケットを脱いで手元に掛けた。
今日のコイツはストレートのジーンズに白いインナー、黒いジャケットという出で立ちだ。偏差値50という感じの、当たり障りのなさ。
さっき女性社員達が男共の私服の審査会を開いていたが、裕也のコレは何点になったのだろう。
「わ! チーフ、顔真っ赤ですよ!」
ビールを抱えて戻ってきた福士と坂本君が目を丸くする。私は不自然でない程度に驚きを見せ、
「あら、ホント! チーフ、大丈夫ですか?」
「……変わり身……イテッ!」
ぼそりとイケナイことを呟く『チーフ』のつま先を椅子の下で踏みつけたのだった。
坂本君は話す間もなくチーム団塊に呼ばれ、せかせかと酒を補充しに行く。幹事はお尻を椅子につけることさえ許されないのだ。
「チーフ、水でも持ってきましょうか」
福士の気遣わしげな言葉に、すかさず私が頷く。
「うんと冷たいのをお願い。頭からぶっ掛けて差し上げて」
「そうそう、其田はいつだって冷たいんだ。氷水だって其田に比べれば温泉みたいなもんさ」
「ほら、こんなに酔っ払っておいでよ」
私達のやりとりを傍観して、福士はやれやれといった顔で笑っている。
今日の福士は、私服といってもジェレゴリーではない。眼鏡を外していないし、エイプのパーカーにジーンズという幼い服装だ。高校生的な印象を逸脱しないようにとの配慮なのか、よくわからないが、とにかく女性社員からは『可愛い』と評判だった。
因みに私はといえば、ライトブルーに申し訳程度のラメが入ったVネックのニットに、ストレートの黒いパンツ。はっきり言って薬にも毒にもならない、平々凡々人畜無害な格好だ。
だが、それだけに女性陣からのウケは上々。平凡ファッションを侮ってはいけないのだ。
逆セクハラ女王・葛西さんの背中丸出しファッションは、男性陣からはアレな視線が、女性陣からは厳しい視線が注がれているのだから。
「わぁ〜、綺麗ねぇ」
栞が感嘆の声を上げた。宿に着いた私達は、各自荷物を持ってぞろぞろと門をくぐる。
『椿閣』は、その名の通り色とりどりの椿が自慢の宿だ。樹齢百年だか二百年だかの柳もあるが、狂い咲く椿に圧倒されて霞んでいる。2月下旬の今は、椿がちょうど見頃を迎えたばかりで、開ききっていない若い花が視界を彩ってくれる。
濡れたように鮮やかな緑が、赤や白や桃色の丸い花びらを見事に引き立てて、圧倒されてしまうほどだ。
「なぁ清愛、いつかまた一緒に来ような。今度は花の時期に。約束だ」
露天風呂から見える青い葉を、花盛りの時期にはどれほど美しいだろうかとため息と共に見上げた事を思い出す。皮肉なことに、今まさにその約束通りになっているわけだ。
あの頃は、こんな形であの約束が果たされるなんて、爪の先ほども考えていなかった。いつか子供の一人や二人も連れてとさえ思っていたのだ。
思えば8年という歳月は、色んな物をあらゆる形に変えた。永遠に続くかに思えた幸せも、喜びも、やっぱり『時』には敵わなかったのだ。けれど、その代わり『時』は、苦しみや痛みを癒す力を持っている。時間とは、なんて残酷で、なんて優しいのか。
私は少なからずノスタルジックな気分で、列に続いてぼんやりと廊下を歩いた。
「清愛〜、どこ行くのぉ」
「あたしを置いてどこ行く気―? 他に女ができたのね!」
栞とケイちゃんが酔っ払い特有の間延びした声を出す。
「トイレで花子が待ってるのー。出すもん出さなきゃ酒だって入らない」
「あははは、いってらっしゃ〜い」
二次会の会場である、椿閣の二軒隣のスナックを後にする。私がいなくなっても、みんな酔っ払っているから気付かないだろう。
私は空を見上げながら暗くなった通りをぶらぶらと歩いた。駐在所を通り過ぎ、50メートルほど進むと、その先には昔裕也と行った縁結びの神社がある。確かそこはとても夜景が綺麗だった。
深い深い紺色の夜空に、明るい月がぽっかりと浮かんでいて、その周りにはうっすらと虹色の靄。またたく星までもが眩しいくらい、周囲は静けさと闇に包まれている。眼下に広がる夜景は、足下にまで星が広がっているみたいだ。
私はまるで夜空に抱かれているような錯覚に陥り、心地のよいその感覚に身を任せた。
「……清愛?」
不意に呼ばれて振り向く。境内のほうから歩いて来るのは――
「――裕也! あんた何してんの、こんなところで」
「いや、それはこっちの台詞だろう。こんな時間に、こんな所に一人で来るなんて、何考えてんだよ」
裕也は目を吊り上げて、少し尊大な言い方をした。
「うるさいわね、なんとなくよ。すぐそこに駐在所があるんだから、別に危なくなんてないでしょ」
何となく気に食わなくて憎まれ口で応戦する。
「お前は甘い!」
「あんたはしょっぱい!」
「しょっ……、さりげなく暴言を吐くな」
吊り上げた目を下ろして苦笑する幼馴染みを、だって本当のことじゃないのとぶった切る。裕也は、やっぱりカライなと可笑しげに笑った。
この程度でぺしゃんこになるような彼ではない。こんなやりとりにはお互いに慣れっこなのだ。
「ここの神様はインチキだったな」
石段を下り終え、裕也はおもむろに振り返って、神社を仰いだ。二人でお参りしたけれど、この縁結びの神様は聞き届けてはくれなかったことになる。
私はそうね、とも、そうじゃないわとも返せずに、聞こえないふりをした。これでよかったのよ、と言おうかと思ったけれど、言葉にはならなかった。
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