第5話◆非レンアイ主義者の簡単クッキング。
「ミカコ キトク スグ カエレ」
電報ではない。その列記とした現代日本のメールが私の携帯を震わせたのは、ちょうど定時退社の群れがエレベーターホールに吸い込まれていく頃だった。
メールを送信できる程度の重篤患者の元に向かうべく、1段飛ばしで階段を駆け下りる。美香子は私の一番の親友で、この文面は体調不良で看病して貰いたい時の暗号なのだ。
暗号にする意味などどこにもないのだけれど。
アパートに辿り着きチャイムを押すと、勝手に入ってとガラガラに掠れた声がした。
同じアパートの201号室と202号室に陣取っている私達は、当たり前のようにお互いの部屋の合鍵を持っている。
「大丈夫〜? ほら、メロン!」
「大丈夫じゃない! 38・4! 高熱! とりあえずオムライス食べたい」
美香子はベッドの中から下手くそなバイオリンみたいな声を張り上げた。案外元気そうだ。
「オムライス〜? 病人にはお粥とメロンって昔から決まってるのよ」
「嫌! 何が何でもオムライスが食べたい」
「……しょうがないわね〜。ちょっと大人しく待ってなさい」
渋々冷蔵庫を開け、材料の物色を始める。
私も去年、高級ランジェリーショップに勤める美香子に店を早退させてまで、看病して貰った恩があるのだ。
――そういえば、あの日暗号メールを送った記憶がない。朦朧としながらも打ったのだろうか? いや、送信メールにそんなものは入っていなかったような気がする。
首を捻りながら、鶏肉、玉ねぎ、ピーマンを切る。
「ねぇ美香子、去年の私の誕生日覚えてる?」
「あー、裕也が車にはねられて、あんたが寝込んだ日?」
「……なんか言い回しが気に食わないけど、そうよ。私キトクメール送ったっけ?」
美香子はどっこいしょと起き上がり、ベッドの端に腰掛けた。威勢がよくないせいか、ミサイルのような胸も、いつもより迫力がないようだ。
「そんなもん寄越さなかったわよ、薄情者め」
苦りきった顔をして、唾を吐くように言い捨てる。けれど、それがひどく温かく胸に響くのは、彼女の優しさを知っているからだ。
「じゃあ、どうしてわかったの? 私が熱出してること」
「ああ、グレゴリーがウチの店に来たのよ」
「ぶっ!」
色とりどりの雅なパンツに囲まれた福士を想像して吹き出す。
「――福士が?」
――気まずかっただろうに。
私は嬉しいような苦しいような、何とも言えない不思議な気分になって、ことさら細かくピーマンを刻む。
「で、ここまで送ってくれたの。車の中で色々話してくれた」
「本当? なんでそんな……」
「無理してるあんたを見ていられなかったんだって。おまけに熱があるからって、メロンだのヨーグルトだのどっさり持たせてくれたわよ」
あの日美香子が置いていったパンパンの大きな買い物袋を思い出す。
「グレゴリー、あいつ相当アンタに惚れてるね」
何故か疾風の彼女の顔が頭に浮かんだ。焦がれていたものをようやく見出し、けれどそれに触れることはできない……そんな潤んだ瞳。ぎこちない笑みを浮かべたその口元に見えた八重歯は、いつか福士が好きだったと言っていたものだろう。
あの女性が『福士ではないモノが好きだった』なんて、疑う余地もない。福士の目は、フシアナだ。
「そんなんじゃないわよ」
「はぁ? 告白されたこと、忘れたの?」
「告白なんて。一昨年の話でしょ」
これ以上この話をしたくなくて、強火でジュージュー音を立てながら具材を炒める。
いくらこうして気を揉んでも仕方がない。疾風の彼女と福士のことは、私には関係のないことなのだ。だけど……
――いっちょ背中でも押してやろうか?
私は晴れない気分を払拭するように、努めて明るく考えながら、親友に捧げるチキンライスを炒めた。
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