脱・非レンアイ主義のススメ(39/41)縦書き表示RDF


脱・非レンアイ主義のススメ
作:南田朱夏



第39話◆非レンアイ主義者、グレゴリーのお宅訪問。2


「――そういえば」
 
 突如として思い出して、私はそれまでの話題をちょん切った。
 
 見せ付けるように残りのスコッチを飲み干して、物凄い勢いで――そろりとグラスをテーブルに置く。矛盾しているが、グラスがバカラなのだからしょうがない。
 
「電話で若い女の声が聞こえたわ。ハル、早くしてって。おかげで1万円もかけてお風呂に入ったのよ」
 
 春樹はわずかに片眉を上げて、熱燗の入ったお猪口を置いた。立ち昇る湯気が間を漂う。

「若い女?」

 彼は記憶を辿るように数度またたいて――直後、弾けるように笑った。
 
「――ああ、直美のことか。一万円のお風呂って、温泉の取り寄せでもしたのか?」

「温泉の取り寄せ? なにそれ」

「温泉のお湯を家のバスタブまで配達して貰うんだよ。知らないのか?」

「知らないわよ。世のセレブはそんなことしてるわけ?」
 
 呆れた、と笑ってソファの背もたれにひっくり返る。良い感じにスコッチが回ってきて、私はフワフワとムカムカの中間を漂っていた。
 
「オヤジは時々やってたけど……セレブは関係ないだろ。別にそこまで高くな……」

「そうだった。――そうよ、関係ないのよ、温泉は!」
 
 酔っ払えば話がしょっちゅうあちこちに寄り道するからいけない。私はテーブルに片肘を着いて、バカラに手酌で酒を注ぐ、という柄の悪い体勢で春樹を睨んだ。
 
「直美さんて誰?」
 
 春樹はニヤリとエロ狡猾な笑い方をして、お猪口を口に運ぶ。
 
「誰だと思う?」
「萌え系メイド」
「本気?」
「嘘」
 
 意味のないやり取りは前菜みたいなものだ。

 私はふうっとため息をつき、俯く口実を探すように、手の中で揺れるスコッチに目を落とした。それはどこか挑戦的で、尖った光を湛えている。
 
「……すごくショックだった、って言ったらどうする?」
 
 攻撃的に煌く酒とは対照的に、私の声は思いの外弱々しく掠れてしまった。まずったな、と思えどもう遅い。

 言葉にしてみると、抑えていた心の震えがいちどきに湧き上がって、ああ、本当に私はすごくショックだったんだなと、少し不思議な気分になる。

 俯いているから、春樹の表情はさっぱり見えない。だけど、とてもじゃないが顔を上げる気にはなれなかった。今の自分がどんな表情をしているのか、このジンに映してみなくても、容易に想像がつく。
 
 不意に空気が動いて、ソファがお尻の下で右側に少し傾いだ。そして、隣に春樹が座ったのだと頭が理解するより早く、大きな手が素早く、だけど優しくグラスを取り去っていく。

 抗議しようと顔を上げた時、私を待ち受けていたのは、そのまま衝突するようなキスだった。
 

「直美」さんのことも。多分春樹の思惑通りに自分が動いてしまったことも。

 凄まじく不公平な気分である。だから、キスが終わっても、胸はムカムカと燻ったままで。
 
「ごめん……」
 
 それでも今大人しくしているのは、血が出るくらい頬っぺたを抓ってやろうか、とか、髪を鷲掴みにして引っこ抜いてやろうか、とか。怒りを表明する手段を決めあぐねているせいなのだ。
 
「そんな顔するなよ……」
 
 そっちの方こそ、と言いたくなるような情けない顔をしたって、免除してやるつもりなどない。
 
「私は怒ってるのよ」
「……うん」
 
 そんな多少切ない声を出したって、腹立たしさは治まらないわけで。
 
「ムカついてるの」
「……うん」
 
 春樹は私の言葉を噛み締めて、そのくせさっぱり聞いていないかのように、ゆっくりと胸に引き寄せた。
 
「直美は俺の従姉妹だよ。あの時は一緒に買い出しに行って、病院に戻るとこだったんだ。不安にさせてごめん」
 
 大きな手が、髪の上を滑る。何度も、何度も、それは傷つきやすい花を愛でるみたいに優しくて。
 
「若い女の人っていうから、一体誰のことかと思った。直美は39で子供だって中学せ――」
「もういなくならないで」
 
 口をついて出た言葉に、自分でも驚いて口をつぐむ。

 春樹はいなくなったわけではなかった。

 けれど、自分が本当の彼を知らないのだと知った時、待ちぼうけをした時、待ちぼうけを食らわせた時。私にのしかかったのは、ゾッとするような――あれは孤独だった。
 
 春樹は静かに頷いて、再びちょっと切ない穏やかな声でごめんと詫びた。
 
 昔から、二人でいるのは楽しかった。春樹とのやりとりは、酒の肴であり、暇つぶしの言葉遊びであり、いっとき厄介ごとから逃れるためのゲームだった。

 それが、いつの間に、「いると楽しい」から「いないと淋しい」に変わったのだろう。

 わからないけれど、春樹が私にとって、なくてはならない人になりつつある。それだけは確かだった。
 
「さやこそ。離れるなよ」

「……さあ。それは分からないわね。世にも素敵なジョージが現れるかもしれないし?」
 
 気を取り直して、彼の胸をパンチで押しやって、ニヤリと笑う。このくらいの逆襲、許されて然るべきである。
 
「全く……猫みたいな奴だな」
 
 春樹は笑って、さっき奪ったスコッチを私に握らせた。

 私は、それでよろしい、と尊大に頷いて、波立つ酒を口に運んだ。









.


お読みいただきありがとうございます。

次話からクライマックスにむけて話が展開します。

私生活が多忙のため、ゆっくりになるかもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。

よろしくお願い致します!


※「はじめてのxxx。」企画参加作品、「桜色プロローグ」連載開始しました。
よろしければ読んでやってくださいませ!






よろしければクリックお願いします
ネット小説ランキング

↓番外編です↓
◆入道雲◆





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(1) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう