第37話◆非レンアイ主義者の結婚論。
「玉の輿! 玉の輿だよ! 一刻も早く結婚に持ち込め!」
美香子の反応は、予想通りのものだった。本当に期待を裏切らない奴だ。
空になったビール瓶をドンと叩きつけるようにテーブルに置いて、行けー! なんて叫んでいる。お気に入りのテーブルが傷付くのでよしていただきたい。
「何よ。給料3か月分のダイヤの指輪買って、結婚して下さいとでも言って跪けばいいわけ? 私が」
「馬っ鹿だな。色々方法はあるでしょうが。ブライダル雑誌をさりげなく部屋に置くとか、プロポーズの定番スポットをデートコースに組み入れ……」
「下品」
美香子の言葉を一太刀で遮る。
彼女はどっこいしょとわざわざ立ち上がって、仁王立ちになった。
拳を握って、今にも「人民の、人民による……」とか何とか、大演説を始めてしまいそうな気迫だ。酒で足元がおぼつかない辺りが実にまぬけである。
「なりふり構うな! お金があればなんでもできる! 危ぶむなかれ、あやぶべばその先にセレブ道はなし」
「アンタ飲み過ぎ。大体ねぇ、別にすぐに結婚したいなんて思ってないし、がっつくもんじゃない。それ以前に、お父さんが亡くなったばかりなのに不謹慎よ」
思いっきり眉をしかめて咎めると、美香子はフラフラしたままこちらににじり寄って来て、私の両手をしっかと握った。
「じゃ、せめて婚約だけでも……! てかあんたさー、お金持ちになりたくないわけ?」
「まさか。お金と地位ならいくらあってもいいわよ」
「だったら!」
「だけど、それに行動を左右されたくはないの。結婚するにしても、しないにしても。理由に『お金』とか『地位』が絡むなんてごめんだわ」
彼女は驚いたように目をまん丸にして、口を開けた。おでこに横皺が刻まれて、ひょっとこみたいな顔になっている。
「……清愛がそんな青臭いこと言うと、無性に背中が痒くなる」
「なにがよ」
ジョージを振り回したり、床に叩きつけたりしながら悶える美香子に、垂直チョップを食らわせ、我が浮気相手を没収する。
「だって、それって『愛がすべて!』ってことでしょ。イヤー! いつもの清愛じゃなーい」
「違うわよ。愛でお腹は膨れないもの。人格も生活力も、結婚するなら冷静な分析が必要。その人の欠点が、一生我慢できるものかどうか、とかね。惚れた腫れただけで決めるもんじゃないわ」
でしょ? と、私はジョージを胸に抱き、多少冷ややかな流し目を親友に送った。
人生を共に歩む伴侶を決める時、刹那的な恋心だけに頼るべきではないと思う。恋は、60年も持続する類の感情ではないのだから。
「ただ、その判断を下す時、贅沢できるお金に重きを置きたくないってだけ」
うまくいけば恋は愛に昇華するのだろう。
けれど、逆ならば、何も残らない。残るのは、浮気、無関心、喧嘩……不の要素しか思い浮かばないのだ。
例えば、このちょっとくすんだ低い天井が、吹き抜けみたいに高い真っ白なものになっても。
例えばこの9畳ばかりのリビングの小ぢんまりとした眺めが、見渡すほど広くなっても。
そんなもので、心は温かくなったりしない。
それは多分、いくらお金があっても、どうにもならない感情で。
春樹がお金を持っていようといまいと、私は曇りのない目で彼を見たいし……願わくは、その末に、『この人となら』と自信を持って判を押したいと思う。
恐らくそうなるだろうと感じていることは、今はまだ秘密にしておくけれど。
「ま、そうやって決断して、お金も付いてきたら言うことはないけどね」
そう締め括って、ソファにもたれかかる。
キッとスプリングが軋んだ。その音に反応したのか、私の言葉に反応したのかは分からないけれど。美香子は空瓶の隣に頬杖を付いて、上目遣いで笑う。
「ふ〜ん。清愛らしいっつーか、何ていうか。つまり、なんだかんだ言って結局グレゴリー一筋ってわけ」
「さあ。そんなことまだまだ分からないでしょ」
春樹との未来。それは、今まで密かに思い描いていたものとは随分と違うものになりそうだ。
けれど、それは状況が予想とは違っただけ。春樹が単なるサラリーマンだって、社長だって、はたまた宇宙飛行士だって。彼を支えて行きたいと思った心に差異はないのだから。
「で? 家にはもう行ったの!? 豪邸!?」
「明日行くけど……豪邸かしら?」
「どうする、美術館みたいのだったら!」
「ま、方向音痴の春樹が、これまで生きて来られた程度の広さってことは確かよ」
美香子には涼しい顔をして見せながら、心の中では焦りまくっている。
一体どんな家なのだろう。お線香を上げるのがメインなのに、頭の中が家のことでいっぱいとは情けない話だ。
「ちょっと〜、つまずいて高価な壺とか割って来ないでよ?」
「……足の裏に滑り止めがついた靴下履いて行くわよ」
春樹に会うのに緊張するとは、前代未聞だ。
期待3割、6割ビビッて、残りの一割で、早く彼に会いたいと思っている。
そんな小者丸出しの自分をどうにかしたくて、私はビール瓶を手に取った。
「それよりアンタはどうなのよ。姫とはどうなってるの」
新しい瓶の栓を抜きながら、話題変更に挑む。こういう時、ちょうど使えるのが姫、もとい圭吾のことだ。
「あ〜、圭吾? アイツね、なんかまだ言い寄ってくる」
「付き合えばいいじゃないの。ファンだったんでしょ」
「だって馬鹿なんだもん」
「それは会わせる前に断っといたでしょうが」
あの仲直りカラオケで、圭吾はすっかり美香子に参ってしまったようで、あれからかれこれ半年近く、未だめげずに擦り寄っているらしい。
「うん、ホントは付き合ってもいいんだけど、反応が面白くてつい……」
一方の美香子は、ファンだったくせに、やりとりをしているうちに圭吾の天然っぷりに気付き、ぶっちゃけ、面白がって弄んでいる。
「悪女」
「(笑)」が付きそうな口調で茶化す。かく言う私も楽しんでいるわけだけれど……圭吾は必死だ。
きっとこうしておちゃらけながらも、美香子はきちんと考えているのだと思う。
芸能人と付き合うこと。一見憧れるようなシチュエーションだが、真面目に考えた時、それは相当な覚悟の要ることだ。
真剣であれば、あるだけ。リスクやデメリットは計り知れない。
「ま、頑張ってよ。アンタなら大丈夫よ。恋愛の亡者だもんね」
「ハァ〜? 頑張ってたまるか」
美香子は酔っ払った手つきでマイジョッキにビールを注いだ。溢れた泡を唇で追いかけて……泡の付いた口元から、ぼそりとアリガト、と不器用なお礼の言葉を紡ぐ。
そんな親友が、物凄く可愛く思えて。思わずニンマリと笑ってしまう。
「美香子〜、初いヤツ〜」
「やかましい! 悪代官!」
「よいではないか。近う寄れ〜」
「あっち行け、越後屋」
それっきり、話題は『時代劇の陳腐な濡れ場についての考察』に移り変わっていった。
美香子も、私も、今転機を迎えようとしているのかもしれない。どうか、二人そろって良い結末が待っていますように……。
そう願いながら、私たちは飲み続けた。
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