* What I Long For
私はまたも朝からたまり場に行った。リビングは無人で、いつもの部屋にアゼルが眠っているだけだった。でも起こさなかった。
リビングのコンポを使ってひとり、音楽を聴いた。パンクだとわかると音楽を停め、ハード・ロックを探した。あっても気に入るものがなかった。私は音楽に対しては、こだわりが人一倍強い。
女性ボーカルのポップスには、いくつか知っているアーティストのものがあった。ほとんど好みではなかったが。
それでも、あらためてわかった。音楽が恋しくてたまらなかった。携帯電話で音楽が聴けることはわかっている。だがそんなものでは足りない。そんな音ではなく、大音量で鳴らすのがいい。全身で音を感じるのがいい。そうでなければ、プレーヤーにヘッドフォンをつけて、鼓膜が破れるほどの大音量で聴く。
そしてなにより、うたうこと。カラオケとはまた違う。私はCDの声に合わせてうたうのが好きだ。ひとりじゃないと感じられる。アーティストと声を揃えてうたうのが好きで、真似るようにその曲に入り込むのが好きで、曲のリズムに合わせて身体を揺らすことが、歌詞の意味を考えることが、感情移入し、物語を想像するのが、私のなにより好きなことだ。
あの人たちのことを、現実をもう少し受け入れられれば、また音楽をそばに置けるかもしれない。でも音楽をそばに置くと、あの人たちをそばに置くことになる気がする。音楽を恋しがることは、あの人たちを恋しがることにつながる気がする。
いちばん好きなものを教えたのは、いちばん憎んでるヒトたちだ。いちばん好きなものに、いちばん憎んでるものが関わっている。滑稽な話。
音楽を停めた。CDを片づけ、アゼルが眠っている部屋へと向かう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
隣に寝転ぶと、アゼルはすぐに気づいた。私をシーツの中に入れて腕枕をし、右手を腰にまわした。ふと、いつも自分が壁側にいることに気づいた。
「夜這いじゃなくて朝這いか」目を閉じたままアゼルが言った。
そんな言葉はない。「そんなことしない」
「お前、寝てんの?」
「軽く夜更かしして、朝はわりといつもどおりに起きる。シャワー浴びて、七時くらいにリビングに行く。おばあちゃんがそのくらいに朝食食べるから」
「わざわざつきあうわけ?」
ほんとにわざわざ。「どうすればいいかわかんない」
「寝ろ」
「お昼頃までは眠くならない」
目を開けて視線を合わせると、彼は微笑んだ。
「疲れさせてやる」
キスをしながら、私の身体をまさぐりはじめる。
アゼルは、私がなににどういう反応を示すかを、徐々に知っていった。私も同時に知ることになる。
彼に触れられると、自分のカラダが自分のものではなくなったような気になる。
それどころか、自分が自分でなくなるような気にさえなる。
ひとつにつながると、ひとりじゃないのだと思える。
肌の上にアゼルの汗の雫が落ち、私の汗とひとつになった。瞬時に溶け合って私の身体をつたい、私の肌に滲みながら消えていく。その感覚に気づいた時、どうしようもなくせつなくなる。
“疲れさせてやる”という言葉は嘘ではなかったらしく、したことのない体勢になった。すぐに快感が恥ずかしさを上回った。だけど顔が見えないと言うと、アゼルは笑ってまた元の体勢に戻った。そっちのほうがキスができる。
はじめて自分から彼の首に腕をまわし、私から彼にキスをした。
すると、また体勢が変わった。つながったままでベッドの上に座り、当然私が上で、支えるよう私の腰に手をあてた彼に動くよう促された。難しかったけれど、徐々に慣れてきて、だけどそれだけでは足りないとかで、アゼルも動きはじめた。
いつもと違う感覚が全身を駆け抜け、その快感に、いつもとは違う声をあげて、身体を震わせた。
すっかり疲れきったあと、眠った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昼すぎに起きてリビングに行くと、マスティとブルがテレビゲームをしていた。適当なランチを買ってきてくれていて、それをもらった。
そしてコーナーソファに座っている私に、マスティは信じられないとでも言いたそうな視線を向けた。
「は? コンポがない? プレーヤーも?」
「ない」と、私は答えた。「なんならCDもない」
ブルとアゼルはテレビゲームをしている。
「いや、CDだけあってもしかたねえけど」一度言葉を切ると、彼は右手に持っているビールを飲んだ。「あんだけロックがどうこう語ってたのに?」
「捨てた。禁音? 違うか。どれくらい音楽なしで生きられるんだろうと思って」
「そんな話聞いたことねえよ。わざわざそんなことする意味がわかんねえ。気づけばいつも歌口ずさんでるくせに、歌流して気に入ったらすぐに覚えて楽しげにうたうくせに、音楽聴くのやめるって」
歌を覚えるのが早いのは、数少ない私の才能のひとつだ。頭がいいわけではない。記憶力がいいわけではない。歌だけだ。それも、気に入ったものだけ。
「音楽はわりとどこにだってあるんだから、完全に遮断するんじゃなきゃ意味ねえだろ」
マスティはビールを飲み干した。缶を振って中身がなくなったことを確認すると、身を乗り出して缶をテーブルに置いた。
わかっている。「だから今悩み中」
音楽はすべての感情を増幅させ、和らげて、共鳴してくれる。
音楽から離れれば、もっとストレスが溜まると思っていた。だが実際は、ストレスが溜まるというより、なにかが抜け落ちたような感覚だ。捨てきれなくて、気づけば口ずさむ。それは捨てたということにならないのか。未練か。
彼は灰皿を自分の傍らに置き、煙草を一本出して火をつけると、ライターをテーブルに放り置いた。
「センター街キライなんだっけ」
「キライってわけじゃない。ただ、遠いじゃん。バスだと二十分くらい? それにあそこに行くと、いろんな奴がジロジロ見てくるんだもん」
彼の口元がゆるむ。「そのタイプの赤毛はなかなかないからな」
そのとおり。「しかも六年の時にはナンパまでされたわよ。中学生か高校生くらいの男に。小学生だっつって逃げたけど」
彼は天を仰いで笑った。
「買いに行くか? 金あんならの話だけど」
ああ、欲しい。「せめてプレーヤーだけでも欲しい。お金は平気」
「あと中古のCDショップ」
「だね」と、私は同意した。
ハード・ロックやポップ・ロックあたり。なんでもいいから、古くてもいいから、とにかく聴きたい。
「っていうか今から?」
「暇人だからいつでもいいけど」彼はアゼルたちに訊いた。「お前ら、センター街に行く元気ある?」
必至にコントローラーを操作しながらブルが答える。「どっちでも」
答えになっていない。
「ヒト殴ってもいいなら」と、アゼル。
なにを言っている。
マスティは結論を出した。「行ける」
なぜ今ので結論が出せるのか。「姉様たちに電話してみる」
リーズとニコラと待ち合わせてバスに乗り、六人でセンター街へと向かった。