歌声は響き鳥は落ちる
「なぜなんだ、なぜ僕ではいけないんだ」
ササラのつぶやきは、誰にも聞かれることなく静寂の中へと溶けて行った。
この世界では神と人々の距離は近い。
この世界で神とは『創造の母神と父神』に作られた『古の神々』と、その古の神々から生まれた『天の神々』そして、地上で生まれた『地の神々』の事である。
神は時に人の近くに居を構え、気まぐれに祝福を与える。
国によっては神殿を作り特定の神を祀り、神に住まってもらい国を繁栄させている。
ミハスル国は歌の神カルヴォが祭られている国である。
カルヴォ様は、天の神々の一柱であらせられる。
カルヴォ様は歌の好きな神様で、その昔このミハスル国の山奥のを通りかかったとき、楽しそうな歌声が聞こえてきた。
歌声の主を探してみると、それは、近くのルートフという村からから響いてきたものだった。
歌っていたのはルートフ村に住む若者で、その楽しそうな歌声につられてカルヴォ様が一緒に歌いだすと、その歌声に村の者皆が集まり、大合唱が始まったのだそうだ。
自分と歌う楽しそうな村人達の様子を見て、カルヴォ様はこの村を住処とし、この地と人々に祝福を与えることにしたそうである。
それが、現在のミハスル国の聖地ルートフの始まりである。
現在、聖地ルートフの神殿では、選ばれた神官たちがカルヴォ神と共に暮らしている。
その神官は簡単になれるものではなく、選ばれることは大変誉れであり、特殊な権力を持っているという。
◆ ◆ ◆ ◆
聖地に行く前日、父上が僕に会いに来てくれた。
最後に会ったのは僕が孤児院に預けられた5歳の時だから、実に4年ぶりだ。
僕はこ孤児院の中で一番歌がうまい……ううん、この王都の中で一番歌がうまい子どもだ。
だから僕に聖地から声がかかった。
カルヴォ神殿の神官試験を受けてみないかと。
神官試験は聖地で行われ、どんなことをするのかは極秘で知られていないけれど、これさえ合格すれば神官になれる。
もし、将来大神官になったら、国王様にも頭を下げる必要が無くなるらしい。
父上は「さすが私の息子だ」と言い僕の頭を撫でてくれた。
父上の手は大きくて暖かくて、心の中がぽかぽかとした。
僕に期待している、頑張れと声をかけ、父上は帰って行った。
とても短い時間だったけれど、父上と会えてうれしかった。
カルヴォ様の神官になれれば、また父上が会いに来てくれるかもしれない。
きっと、よくやったと言ってまた頭を撫でてくれるに違いない。
聖地ルートフは山奥にあり、神殿とそのそばの小さな村以外は何もないところだった。
そこで僕はもう一人の神官候補のチャッパという少年に会った。
僕よりも年上で、背も大きかったけど、もしゃもしゃと伸びた髪を無造作に束ねていて、日に焼けた浅黒い肌をしていて、仕草や言葉は孤児院の小さな子供のようだ。
彼は僕に片手をあげて「やあ、はじめまして。おいらチャッパっていうんだ。お前は?」と、話しかけてきた。
僕は呆れながらも、しっかりとした挨拶を返した。
僕のかえした挨拶に驚いて、「大人みたいだ」なんて言っているけど、僕のいた孤児院では、僕よりも小さな子だってもっとましな挨拶をする。
まあ、僕のいた孤児院は特別な孤児院なんだ。
そのへんに捨てられた子や親も親戚もいない子が入る孤児院とは違って、ちゃんとした血筋の子どもしか入ることができない。
だから、行儀作法なんかをしっかり教えられる。
いずれ親が迎えに来るかもしれないから。
それに、大きい子たちが自慢してたのを聞いたことがある。
誰々は将来親が迎えに来る約束があるだとか、誰々の親は定期的に手紙や贈り物を送ってくるだとか、誰々の親は子どものためにこの孤児院に大量の寄付をしただとか。
僕たちは普通の孤児とは違うのだ。
チャッパはぺらぺらとよくしゃべる。
彼の家は、この神殿の近くにある小さな村で、畑を耕して暮らしいるらしい。
両親と兄が二人に弟と妹がいるらしい。
僕は知っている。
孤児院の大きい子たちが言っていた。
こういうやつを”平民”の”田舎者”って言うのだ。
神官の試験は歌を一人で歌ったり、みんなで歌ったり、それから、歌を聴いてその感想を答えたりした。
試験が終わると、僕とチャッパは別々の部屋へ連れて行かれ、試験の結果は明日発表するので、今日はもう自由に過ごしていいと言われた。
◆ ◆ ◆ ◆
それはたまたまだった。
僕は待つだけの退屈な時間に飽きて、部屋を抜け出していた。
廊下の向こうから人の話し声が聞こえてきて、その話し声の中に僕の名前が聞こえたので、あわてて近くの部屋に入り隠れた。
「チャッパは数百年に一度の逸材と言えるでしょう」
「さすがはルートフ村の末裔です」
「ササラは聖地には向きますまい」
「左様、早々と聖地から出すのが得策じゃ」
大神官と数人の神官たちのは僕がこっそり聞いているとも知らず、そんな事を話しながら廊下を歩いて行った。
「なぜなんだ、なぜ僕ではいけないんだ」
確かにチャッパの歌は上手だった。
でも、僕だって負けないくらい歌の技術がある。
いや、チャッパより絶対に僕の歌の方が上だ。
チャッパは途中で少しリズムが乱れたし、一か所音程も外した。
僕の方が絶対に絶対に上手なはずだ。
部屋へ帰った僕は部屋中を歩き回りながらどうして僕ではなくチャッパが選ばれるのかを考えたけれど、答えは見つからなかった。
ふと、窓の外から、聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。
歌声に導かれ、窓を乗り越え外へ出てみると、チャッパが洗濯物を干しながら歌っていた。
それは普段僕ら神官が歌うような洗練された歌ではなく、子どもが歌うようなたわいもない遊び歌だった。
体を動かしているせいか、リズムは乱れるし、音程もたまに変だ。
でも、楽しそうに歌う彼の歌は、聞いていてとても心地よかった。
なぜだろう、チャッパの歌を聴いていると、父上に頭を撫でられた時みたいに、心がぽかぽかするんだ。
僕にはこんな歌うたえない。
音やリズムを外しても、こんなに心に響いてくるなんて。
美しいだけじゃなく、暖かい歌。
いつの間にか、僕の瞳から涙があふれ出していた。
急にチャッパの歌が止まった。
彼が僕に気が付いたようだ。
「お前っなんで泣いてるんだ!?」
チャッパは干しかけていた洗濯物を籠の中に放り込んで、僕の元までかけてきた。
「なに……して」
泣いてるせいで、僕の言葉はとぎれとぎれになってしまう。
「ん?これ?洗濯物干してる。これってさー、カルヴォ様の普段着ていらっしゃる服なんだって」
「なんで」
「ん?」
「なんで、そんな、うれしそうに、歌」
チャッパは、少し照れたように頬を軽く掻いて答えた。
「えっとな、おいら、カルヴォ様に仕えることが夢だったんだ。ここの神官になれればよかったんだけれど、なんか、お前の歌聞いちゃったら、おいらの歌なんてまだまだでさ。ちょっと神官になるの無理かもなーって、思ってた時に、カルヴォ様の洗濯物干してる神官に出会ってよ」
僕は、まだみっともなく流れる涙をえぐえぐと拭いながらチャッパの話を聞いた。
「頼んで仕事を変わってもらって、神官になったつもりで洗濯物干してたんだ。真似事だけれど、それがなんか楽しくなってつい歌が出ちまったんだ」
「それで、お前は何で泣いてるんだよ」
チャッパの問いになぜかますます涙があふれて、ひくりひくりとしゃくりあげながら僕は答えた。
「歌……聞いて、父上みたいで……心が」
「あー、親が恋しくなったのか。まだ小さいもんな。でもお前、神官になってここに住ようになったら、なかなか家へ帰れなくなるんだぞ」
「ここにいたら会いに来てくれるかもしれない」
「ん?」
「聖地の神官候補になったら父上4年ぶりに会った」
「頑張れって、頭撫でて」
「だからここの神官になればまた会いに来てくれるかもしれない」
「親と一緒に住んではないのか?」
「僕、普段は孤児院にいる」
「親がいるんだろ?なんで孤児院に」
「母上が死んだから」
「……そうか、なんだかいろいろあるんだな。お前が神官になったら村に遊びに来いよ。うちの家は兄弟が多いから寂しさなんて吹き飛ぶぞ」
そういってチャッパは僕の頭をくしゃりと撫でた。
その手は父上のように大きくはなかったし、力加減もひどいもので髪の毛がぐちゃぐちゃになったけれど、父上の時と同じくらい暖かかった。
◆ ◆ ◆ ◆
僕の涙が止まった後、二人で残りの洗濯物を干した。
試験の結果、僕は神官にはなれないだろう。
チャッパともっと一緒に過ごしたかった。
僕も、暖かい歌を歌えるようになりたい。
神官たちが言っていた「さすがルートフ村の末裔」という言葉。チャッパの村の人々はみんなこんな暖かい歌が歌えるのだろうか?
チャッパの村に住むことはできないだろうか?父上にお願いしてみようかな。
空になった洗濯籠を抱え帰る途中の道で僕たちの足は止まった。
「カルヴォ神様だ」
そうつぶやいたチャッパと僕の視線の先には、巷で売られているカルヴォ神の姿絵よりも、もっと美しく、もっと神々しいお姿をしたカルヴォ神様がいた。
カルヴォ様は数人の神官を連れ、神殿の広場におられた。
カルヴォ様をこの目で見たという事実に感動して打ち震えてた僕の耳に衝撃が走った。
鼓膜が破れたかと思った。
これは、音の暴力だ。
鼓膜への一撃が終わったと思うと、続くのは信じられない音の羅列。
高く、低く、低く、高く、音程は体の内側を素手でぞろりと撫でられたような不快感と恐怖感を掻きたてる。
こんな歌、今まで聞いたことがない。
気が付けば僕の歯はカタカタと音を立てており、両腕は震える体を力一杯抱きしめていた。
「カルヴォ様、楽しそうにで歌ってるな~」
のんきな声が耳に入った。
声の方を見ると、チャッパがのほほんといった様子でカルヴォ様の歌を聴いている。
「チャ……ッパ?」
なぜ? どうしてそんなに普通にしていられるんだ?
この恐怖の歌が聞こえていないの?
「おいら、もう少し近くで聴いてくる!」
チャッパは爽やかな笑顔でそう告げると、カルヴォ様の隣へと行き、しばらくすると、一緒に歌いだした。
僕はその場から一歩も動けなかった。
コツン
何かが僕の頭に当たった。
それは、ぽとりと地面に落ちる。
……小鳥だった。
気絶しているのか、ピクリとも動かない。
「ササラ!大丈夫か!?」
「神官長様!?」
「はやく、はやくこちらへ避難するんじゃ!」
神官長様に手を引かれ、僕は生まれたての仔馬のような足取りで神殿の中へと避難した。
体の震えがやっと止まった僕に、神官長様はぽつりぽつりと語りだした。
「カルヴォ様は、実は……ちょっと音痴であらせられてなぁ」
音痴とか、そんな次元じゃないと思う。
「カルヴォ様の本殿の神官には、歌がうまく信仰心がある事はもちろんじゃが、カルヴォ様の歌声に耐えられる者が選ばれているのじゃ」
「歌の神様なのに……」
「ササラよ、カルヴォ様は歌がうまいから歌の神ではないのだぞ」
「え?」
「歌が好きだから歌の神なのだ!」
「えええええ!」
僕は神官長の言葉に驚きの声を上げた。
「で、でも、世間一般では、カルヴォ様は美声で知られているはず」
「確かに、カルヴォ様は美しい声をしておられる」
「え?」
「だが、声が美しい=歌がうまい と思ったら大間違えじゃ!」
「えええええ!」
衝撃の事実に、僕は気が遠くなりかけた。
「カルヴォ様に直に仕えるものは、誰一人としてカルヴォ様の歌の良し悪しのことは口にせぬし、教義にも書いていないはずじゃ。ササラよ、カルヴォ神はなぜこの聖地に留まったとされている?」
「それは……ルートフ村で村人と歌を歌ったから……あっ!?」
まさか、ルートフ村の人しか一緒に歌を歌ってくれなかったんじゃ。
「カルヴォ様は自分の歌を喜んで聴いてくれて、さらに一緒に歌ってくれる村人にいたく感動したそうじゃ。神生で初めての出来事だったらしい」
「……」
「ササラよ、お主の歌は素晴らしい。しかし、お主は神官は向いておらぬ」
「……無理なんでしょうか……」
「ん?何がじゃ?」
「カルヴォ様の歌を改善するのは無理なのでしょうか? 僕が神官になれないのはカルヴォ様の歌に耐性がないからなだけですよね? カルヴォ様と話をさせてください! あれが歌の神の歌声だなんて! 」
「馬鹿者! 神の歌に人間が口を出すなどとはなんと恐れ多いことを」
「私の音痴は治るのでしょうか? 」
神官長の怒鳴り声の後に聞こえてきたのは体の芯までしびれて震えるほどの美声たっだ。
「……カルヴォ様」
いつの間にかそこには、先ほどまで広場で歌っておられたカルヴォ様とチャッパがいた。
「ここの皆は私が歌っても笑っていて、一緒に歌ってもくれます……」
そう言うと、カルヴォ様は悲しげに眉根を寄せた。
そんな姿も美しい。
「しかし、歌うたびに、鳥が落ちてくるのは嫌なのです」
カルヴォ様の言葉に、僕は力強く答えた。
「頑張りましょう! カルヴォ様! 小鳥の落ちない歌を歌えるようにしましょう! 」
後にカルヴォ神の歌声を聴いた数多の神から賞賛と祝福を受けた大賢者ササラは語る。
神官となってからの自分は忙しく過酷な日々により、寂しさを感じる余裕もなく、血筋だ生まれだ等というちっぽけな事に囚われることもなくなった。
カルヴォ様に歌の指導をするだけで、冥府の女神様や治癒の女神様とお近づきになれた事は誠に素晴らしいことだ。
ただ、あの日の自分に言葉をかけれるのなら、ぜひ忠告したい「平穏な人生を送りたくば、今すぐ聖地から立ち去れ」と。