俺、室戸大智は今、世界で一番まったりとした時間を過ごしていると自負している。
どこから湧き出てくるのか分からない自信だが、本当にそんな気さえしてくるような昼下がりだ。
いつものように、昼休みが始まって持参した弁当を隅々まで食し、友人と適当に会話をしてから、この校舎で最も空に近い場所を目指す。
そして、今。俺の体はだらしなくごろりと屋上に転がっている。
ぽかぽかと照りつける陽気が気持ちよくて、思わず二つの瞼が仲良くくっついてしまいそうになってしまう。おかしいな、授業中にもウトウトして爆睡してしまったはずなのに。
退屈な授業に満ちた毎日の中で、唯一の憩いの時間。
それがこの時間だった。誰も居ない屋上で、何をする訳でもなく寝転がるだけ。
数学で黒板に示された数式をぼんやりと眺める退屈さとか、将来使う可能性がない化学式を書き写している時の怠惰な気分とか、すべてどうでも良くなってしまうほど、安息に浸れる時間だった。
しかし、俺の安息の時間は、数分しか続かないのだ。
ドタバタと、ワザとじゃないのかと疑いたくなるほどやかましい足音を立てて、何者かが近づいてくる。
そして力いっぱい屋上のドアを開ける音が聞こえる。
今更、振り向いて確認などしない。この時間、この場所に来るのは『あいつ』以外ありえないんだから。
「よっ!」
「……来た来た、騒音女が」
「むむ! それは聞き捨てならないよ大智君!」
寝転がる俺の顔を覗きこんできた女、兵藤夏帆。
二週間ほど前から、俺の静かな憩いの時間を、騒がしいモンに変えてしまった奴だ。
小柄で華奢に見える体つきに、大きくくりくりとした両の目は、小動物を連想させる。動く度にぴょこぴょこと揺れるポニーテールにした黒髪は、まるで尻尾みたいだ。
兵藤は腕を枕にして寝転がっている俺の隣に、当然のように寝転んだ。
「『そーおん女』ってのは聞き捨てならないよ大智君!」
さっきと同じセリフを、空に目を向けたまま言う。多分、むくれっ面をしてるんだろうな。
こいつは、やることなすことがいちいち騒がしい。
さっきのように階段一つ登るのだって、音をたてずにはいられないらしい。本人は無意識らしいんだが。
その上よく喋る。静寂をこよなく愛する俺にとって、こいつは『騒音女』なのだ。
「ならもうちょっと静かにしてくれないか」
「静かなのはつまんないもん」
「じゃあ、もっと五月蝿いとこ行けよ。教室とか」
「教室つまんないもん」
おいおい……。
何だかこれ以上無益な問答を続けるのも馬鹿らしくて、綿のような雲がゆっくりと流れている空を眺めることにした。
はたから見れば実に奇妙な光景に見えるだろうな。
ひっそりとした屋上で、一組の男女の生徒が寝転んでただぼんやりと空を見ているだけなんだから。
こいつと出会った……なんてロマンチックな物じゃないな、遭遇したのは二週間ほど前の事だった。
俺は、二週間前も現在と同じ生活を送っていた。授業を無気力全開で乗り切り、昼休みに突入したら屋上に来る。
情けないことに、俺の生活には進歩ってものがないようだ。まぁ、特に困るようなことはないから変えるつもりもないんだが。
まぁ、とにかく、いつものように屋上に寝転がっていた。
案外他の生徒たちはやることがあるのか、昼休みに屋上に上がってくる奴は殆ど居ない。それとも、何もないから行ってもつまらないと思っているのか。
どちらでも知ったことではないが、俺にとって屋上に来る人間が居ないのは都合がいいことだった。冒頭でも言ったが、俺にとってこの屋上はいわば聖域(というのは言いすぎか?)なのだから。
こいつが現れたのは、まさに晴天の霹靂って奴だった。
その時俺の後ろで、滅多に開かない扉が開く音がした。
驚いて飛び起きた俺は視界の中に、見覚えのある制服を着た見覚えのない女が立っているのを確認した。
――紛れもなく、兵藤夏帆その人だった。
あいつは俺に気がつくと、ドタバタと騒がしい足音を立てながら小走りで近づいてきた。
『よっ! いい場所だね!』
俺が兵藤夏帆と話したのは、その時がはじめてだった。
その時から、屋上の住民は一人増えた。
兵藤は、それから毎日……少なくとも、俺がいる日は毎日屋上に来るようになった。
俺は1組なのに対し、兵藤は8組。同じ学年でもクラスが端っこ同士だと、意外と顔を合わせないもんだ。俺は屋上以外で兵藤に会ったことがない。しかもこいつが現れた二週間前は、兵藤夏帆という存在をそもそも知らなかった。
――妙な縁を持ったもんだ。
毎日昼休みに、一緒に並んで屋上を眺める。
いつしか、当たり前になっていた。
「はー……最近つまんないなあー」
「何がだよ?」
「んー? ……何がと言われると、これだっていうのもないんだけどねぇ」
「なんだそりゃ……」
――空を見るのが好きだから。
以前、ここに通う理由を尋ねると、そう答えてきた。
青く広がる空を、ただただ何をするでもなく眺めているのが、好きだ、と。
ここは特等席だよねー、と嬉しそうに笑っていた。
「なんかねー、楽しいことが無いっていうかなんていうか」
兵藤の声はいつもと同じ明るさに包まれていたが、明らかに退屈だという内心が貼り付けられているような声だった。
その声に、俺はため息を返す。俺も同じような気持ちだからだ。
ただ、ゆったりとした時間を過ごすだけだった昼休み。
それに侵入してきた一人の女。
「でもね……」
こいつは、いつも眩しい青空みたいな笑顔を浮かべて、俺の隣に寝転がる。
「大智君と一緒は楽しいよ!」
そして、言うのだ。
この時間は、至福だと。
そしてそれは、いつしか俺にも伝染していった。
こいつのマシンガントークに付き合うのも、2人黙って空を見ているのも、時には眠っちまうのも。
「あぁ、俺もだよ」
結構認めるのは悔しい気がするけどな。
俺がそう言うと、兵藤は驚いたような顔をして俺を見てきた。
それもそうか。こんな事を言ったのは初めてだ。
明日も明後日も、俺達はここに来るだろう。
2人並んで、ただ空を眺める。
明日も来いよ? 兵藤。お前のいない屋上なんてのは、正直つまらないからな。
「もっちろん!」
元気よく答えてきた兵藤の声を聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
いつもの陽気より、暖かい気がした。 |