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短編 親愛 友愛

俺の勇者

作者:守野 伊音
 


 俺には幼馴染がいる。
 幼馴染は勇者となり、世界を救った。



 俺達は小さな村で生まれた。その年に生まれたのは俺達二人だけだったし、隣の家だったし、母親同士も父親同士も親友で、俺達は二人とも男だったので、当然のように友達になった。
 纏めれば楽だと言わんばかりに、俺達は常に一緒だった。一緒に子守りをされて、一緒に飯食わされて、一緒に風呂入れられて、一緒に寝かされた。
 そして、一緒に遊んで、一緒に風邪ひいて、一緒に転んで、一緒に泣いて、一緒に笑った。
 それが当然だったし、別に不満もなかった。俺達はよく喧嘩もしたけれど気も合う、仲の良い友達だったからだ。
 しかし、成長するにつれて俺は思い知ることとなる。特に特出すべき特徴もない俺とは違い、あいつは凄い奴だったのだ。顔も綺麗だったし、背も高くなったから、村の女どころか町の女にも人気があった。本なんて一回読ませりゃ覚えるし、足も速いし、狩りもうまい。そりゃモテる。
 ちょっと悔しかったけれど、あいつはいい奴だったし、俺は俺だしなと思えるくらいにはあいつのことが好きだったので、ずっと親友だった。
 馬鹿やって怒られて、一緒に便所掃除しながらめんどくせーってさぼって遊びに行ってまた怒られて。納屋で寝ろと二人で放り出されたら、遅くまでぎゃあぎゃあ騒いで遊びほうけて手痛い拳骨を食らったりして、一緒に大きくなった。
 遠い遠い王都では、魔族があちこちで悪さをしているとか聞いたけど、俺達の村は田舎で自然がたくさん(それしかない)あったので、精霊の守護がまだ残っていて完全に他人事だった。



 そんなこんなでいつもみたいに町まで買い出しに出かけた十五のある日、俺達は驚いた。初めて来たときは腰を抜かしそうになった人の多い町に、いつもが俺達の村かと思えるほどの人が押し寄せていたのだ。
 なんでも、勇者を探しに王都から偉い人がやってきたのだそうだ。伝説の剣を鞘から抜いた者が勇者だそうで、腕に覚えのある者は身分年齢性別、何も問わずに挑戦してほしいと言われた。
 俺と幼馴染は、ちょっくらやってみるかとか、お前が勇者だったら、物凄くうまいけれど物凄く取りづらいところに自生している木の実を取ってきてやるとか、馬鹿なことを言い合い小突き合いながら列に並んだ。

 俺の番になって、ずしりと重い剣を当たり前みたいに引き抜けなかった俺は、でもちょっともしかしたらと思っていた気持ちを言わなくてよかったと安堵しつつ、俺に出来る訳ねーじゃんとへらへら笑いながら幼馴染に剣を渡す。
 そして俺は、溶接してるんじゃねぇかと疑うほどびくともしなかった剣が、俺が鞘を持っている状態で剣だけがするりと幼馴染の手に納まったのを見た。

 あれだけ煩かった歓声がぴたりとやんで、誰もが驚愕の眼差しで幼馴染を見つめる中、誰よりも驚愕した幼馴染の綺麗な目に、何故か、今しがた自分が引き抜いた伝説の剣ではなく、呆けた馬鹿面をした俺だけが映っていたのを今でも覚えている。



 その後は、上へ下へ、右へ左へ、前へ後ろへ大わらわ。
 勇者が現れたと世界中がてんやわんやの大喝采。王様や王子様、お姫様まで出てくる大騒動。
 魔王を倒してほしい、その為の旅に出てほしいと望まれた幼馴染は、承諾に条件を付けた。
 その旅に俺を同伴してほしいと、たった一つだけ。
 どうせなら一生遊んで暮らせる金を望んときゃいいのに、あいつはそれだけを望んだ。
 ついでにいうと、あいつの親もそれを望んだ。ついでのついでにいうと、俺の両親も絶対ついていけと俺を蹴りだした。もっとついでをいうと村中の人が、最初は怪訝な顔をしていた王様も、家臣の人も、魔法使いも、剣闘士も、なんかもうそこら中の人が望んだ。


 理由は一つ。
 俺の幼馴染は、人類史上もっとも凄まじい方向音痴だからである。


 後ろを歩いてると思えば消え、前を歩けば瞬きの間に消え、隣を歩いていたのに笑って肩を叩いた瞬間いない。どんなホラーだと思った。
 生まれ育った村なのに、一人では家にも帰れない。目を離せば森に消え、沢に消え、山に消え、ついでに村長の家でも消えた。トイレに行ったら帰れない。風呂に行っても帰れない。ついでに一人じゃ行けない。
 モテるのに女と長続きしないのもそれだ。まず待ち合わせ場所に辿りつけない。辿りついても消える。手を繋いでいても消えるからどうすりゃいいんだよ。デートまでの送り迎えを俺がやる羽目になり、邪魔者扱いされるは、妙な噂立てられるは散々だった。泣ける。
 そんな幼馴染を見つける役目はいつも俺だった。兄弟みたいなものだからとその役目を押し付けられた感は否めないのだが、俺としても幼馴染と遊びたかったので必死に探したものだ。
 方向音痴ぶりは年々ひどくなり、下手すりゃ三日とか帰れなくなる幼馴染を探している内に、無駄に鍛えられた俺の脚力はちょっとした自慢である。
 その内、幼馴染を見つけられるのは俺だけになってしまった。幼馴染も足が速いし、さっきその背を見かけた角を曲がっても、もういないという状況で追いつけるのが俺しかいなくなったともいう。
 屈強の騎士や、国一番の魔法使いでもさじを投げた俺の幼馴染の捕獲の為、俺も魔王退治の旅に同行することになった。とんだとばっちりである。



 そんなこんなで俺達は魔王退治の旅に出た。
 出かける前には村総出で宴も開いてくれたものだ。村長なんか涙目で「お前は村の誇りだ」とか「世界の為に頑張ってきてくれ」と幼馴染に言っていた。俺にも「まあ頑張れ」とか「まあ死ぬなよ」とか言ってくれた。ちょっとそこに座れ、村長。



 旅は初っ端から難航した。何せ、魔法使い、双子の剣闘士、王子様、王子様の従者だけが旅のメンバーだったはずなのに、お姫様が船に紛れ込んでいたからだ。
 長い髪をばっさり切って樽から現れたお姫様に度肝抜かれたけど、船から行方不明になった幼馴染を追いかけて海に飛び込んでいてそれどころではなかった。

 山や森を駆け回ることには長けた俺達だったが、扱えるのは狩猟用の弓矢と、何かと便利なナイフと、薪割り用の斧だけだったので旅のメンバーが剣を教えてくれた。お姫様にまで習ってしまった。お姫様は、並の騎士では足元にも及ばない剣の達人だったのである。
 ぼっこぼこにされました。


 海を渡って何日か経った日、初めて魔物を見た。
 腐り落ちた皮膚から放つ異臭、落ちた体液が草花を枯らし、土地を穢す様は、ただただおぞましかった。こんなおぞましいものがこの世にあるのかと思うほどだったのに、生き物であることがもう駄目で、吐いた。
 習った事が全部吹っ飛んで、尻もちをついて震えるだけの俺の前で、あいつは伝説の剣を振るった。
 魔物を一振りで消し去り、仲間達はさすが勇者だと幼馴染を褒め称える。俺は吐いた場所に砂をかけながら、酸っぱい口の中を誤魔化そうと何度もつばを飲み込んだ。そうして笑おうとした。すげぇなお前って、さすが勇者様だって、俺も鼻が高いって言いたかったのに、胸の中で何かがつっかえたみたいに何も言えなかった。俺なんかダメダメでって、いつもみたいにヘラヘラ笑えばよかったのに、この時の俺はどうしても笑えなかったのだ。そんな顔を誰にも見せたくなくて俯いている間に、幼馴染を褒めていた仲間の声が困惑に変わった。
 そう、幼馴染はいなかった。
 なんでだよ!?

 双子の剣闘士に左右から肩を組まれて笑っていた幼馴染は、瞬きの間に迷子になっていた。
 捜索に三時間かかったわけだが、見つけた時、今更ながら俺は悟った。あ、駄目だこれ、と。俺なんていらないとか、こいつさえいればいいじゃんとか、どうせ俺なんかとか考えてたら、こいつ迷子になる。
 ちなみに、迷子を発見して仲間達の合流場所に連れていく間に、幼馴染はもう一回迷子になった。逃がさないように手を繋いで、目も離さないようにしていたにも拘らずだ。俺もう瞬きしない……。
 そして幼馴染よ、俺のシリアスを返せ。



 戦闘でも旅の過程でも、役立たずどころか足手まといな俺がここにいる理由はと聞かれたら、俺は迷わず迷子係と答えるようになった。自分の存在意義とかプライドとか考える暇もなかったともいう。だって今までは住み慣れた土地での迷子捜索だったのが、俺も幼馴染も土地勘も何もない場所だ。
 歩いてりゃ消える、走ってりゃ消える、笑ってりゃ消える、喋ってりゃ消える、飯食ってりゃ消える。終いには寝てても消える。
 俺はそんな幼馴染を探す。歩いて探して、走って探して、怒って探して、笑って探して、飯食いながら探して、眠い目を擦りながら探した。
 見つけたら拳骨入れて仲間達の元に戻るの繰り返しだ。
 そんな日々の中、やっぱり戦闘では逃げ回ってばかりの俺は、仲間にいつもごめんと謝った。そうしたら仲間達はきょとんと首を傾げたので、俺もきょとんとなる。
 仲間達は、お前がいなきゃ旅にすらならないと笑った。幼馴染も笑った。幼馴染は殴っておいた。


 旅の途中、俺は魔族に浚われたことがあった。
 俺がいないとあいつを連れ帰れる人間がいなくなるとか、そんなことを言われた気がする。あいつの方向音痴は魔族にまで知れ渡ってやがると、がっくり項垂れたものだ。
 幼馴染の方向音痴度合いから、俺らの故郷の特産品まで知っていた魔族だが、知らないこともあるのだなと、俺をぼこぼこにしてる魔族の後ろから、魔族も真っ青な凶悪顔で飛び出てきた幼馴染を見ながら思った。
 幼馴染はよく消えるし迷子になるし、縛っても手を繋いでも抱きかかえても迷子になるんだけど、不思議な事に俺がピンチの時はいつも助けに来てくれる。ちんぴらに絡まれたときもどこからともなく(何故か下水道から。臭かった)現れて、その臭いでちんぴらを追い払ったし、雪崩に遭った時もどこからともなく(何故か雪崩の中から)現れて、一緒に遭難した。でも、死に物狂いで見つけた洞穴で、俺達は自分以外の体温があったおかげで助かった。熊に襲われても、崖から落ちかけても、幼馴染は必ず俺を助けてくれた。絶対に見捨てたりしなかったし、俺を助けることに関して嫌な顔をしたことは一度もない。
 いつだって颯爽と現れて、行こうと手を伸ばしてくれる。

 幼馴染は、世界の勇者になる前から、俺の勇者だったのだ。


 まあ、照れ笑いしながらその手を掴もうとしたら迷子になってるんですけどね!
 一秒くらい待てよ!




 魔族の炎に焼かれた俺は、身の内に残った火に蝕まれて生死の境を彷徨っている間、昔の夢ばかり見ていた。
 魔法使いの必死の癒術の甲斐あって一命を取り留めた俺が、意識を取り戻して最初に見たものは、俺の手を両手で握りしめてぐしゃぐしゃに泣き崩れた幼馴染だった。俺が死ぬと思ったんだそうだ。うん、俺もそう思った。
 魔法使いもぼんろぼんろ泣いていてびっくりした。役に立たない男はタイプじゃないと散々俺に宣言していたのに、生きていてよかったと泣いて泣いて、殴られた。最後まで甘くはきてくれなかったのも、まあ、可愛かった。
 ただ、幼馴染が握っていた俺の右手の指は全部折れていた。このやろう。



 紆余曲折ありながらも魔王の城に辿りついた俺達を待ち受けていた困難は、筆舌に尽くしがたい。
 正門通って勇者が迷子、一本道で勇者が迷子、壁に向かって勇者が迷子、四天王を前に勇者が迷子。その後、魔王の首を取ってうろうろしてるところを俺が確保した。
 かくして世界は救われた。

 ちなみにこの部分は、吟遊詩人達がそれはもう素晴らしくかっこいい武勇伝に変えて歌ってくれた。ご迷惑をおかけしますと俺が頭を下げている間に勇者が迷子。見つけて拳骨入れた。


 なんだかんだと俺らは英雄になり、幼馴染は王女様と結婚した。俺は魔法使いと結婚した。
 城に残るあいつの補佐官という役職を貰った迷子係の俺は、ただ戦っているだけでよかった時代を懐かしみながら雑務に追われながら迷子を探し、勇者の腰巾着と笑われながら勇者を探し、英雄様だと子ども達のきらきらした瞳にむず痒い思いをしながら親友を探し、生まれた子どもを追いかけながら幼馴染を探した。
 幼馴染にも子どもは生まれたけれど、幸いにも幼馴染以外に似てくれたようで、方向音痴の気配はなく、誰もが胸を撫で下ろしたものだ。誰より顕著だったのは幼馴染で、体中の力が抜けるほどほっとしていて、俺に全力で伸し掛かりやがった。重いと文句を言いながらその背をぽんぽんと叩こうとしたらいなかった。
 このやろう。


 そんなこんなで俺らは今日も元気にやっている。
 幼馴染は今日も迷子で、仲間達も、王女様も、あいつの部下も、あいつの息子も、みんなあいつを探してる。
 俺も、もうおっさんになった今も変わらず、うおおおお! と韋駄天走りで、俺の勇者を探す毎日だ。




 俺には幼馴染がいる。
 幼馴染は勇者となり世界を救いがてら、俺の勇者もやっている。

 俺の勇者は、今日も元気に迷子です。

















 俺には幼馴染がいる。


 俺は、物心ついた頃からそれが見えた。それらが見えた。そして聞こえた。
 俺を呼ぶ声はそこかしこに溢れている。俺を招く手はそこら中に生えている。

【お前は我らの王となる】
【お前は人として生まれてはならなかった】
【お前はその世の生き物であってはならぬ】

 声は、手は、俺の前で揺れて俺を誘う。
 気が付いたら俺はいつも一人だった。さっきまで温かい暖炉の前で甘い菓子を食べていたはずなのに、気づけば裸足で沢を歩いている。しかし、足は止まらない。今や何百本、何千本にも膨れ上がった手が招くままに、霞みがかった頭で歩き続ける。
 戻らなければと思うのに、頭の中で鐘を打ち鳴らすように反響する声で思考が埋まっていく。戻らなければ、帰られなければと思えば思うほど、声は言う。

【そうだ、戻れ】
【我らの住まう世に戻れ】
【あるべき場所に帰るのだ】
【その時より、お前は貴方様となるのだ】

 声が、手が、空を埋める。風を閉ざす。そうして土が消える。
 落ちていく。落ちて、落ちて、堕ちていく。



「見つけた!」



 声が、手が、霧散する。
 俺に世界が帰ってくる。
 幼馴染は沢へと滑り降りてきて、俺の頭を殴る。
「この馬鹿! 帰るぞ!」
 そして、俺の手を握ってずんずん歩く。同じ日、同じ時に生まれた幼馴染は、沢にいた俺の所に来た所為で靴がびしょびしょになったことは怒らず、おやつが中断させられたことを延々と怒っている。
 俺が一人でいると、幼馴染は必ず俺を見つけた。俺自身もどこにいるか分からないのに、幼馴染は絶対に俺を見つけるのだ。
 酷い時は一日何度もいなくなる俺を、探さないことは一度もなかった。喧嘩をしていても、俺が酷いことを言ってしまった時でも、幼馴染は俺を探して連れ戻す。
 一度、どうして探してくれるのだと聞いたら、幼馴染は「はあ?」と鬱陶しそうに耳を穿りながら答えた。

「お前がいなきゃつまんねぇだろ」

 そうか。俺がいないと幼馴染はつまらないのか。
 じゃあ、帰らなきゃなと思った。漠然とした何かはいつだって俺に纏わりついていたし、それは年々厚く覆ってきたけれど、何が何でも帰らなきゃなと、俺はその時初めて強く思った。



 幼馴染とふざけて英雄の剣を抜き合いっこしたら、抜けてしまって俺は勇者になった。
 魔物も魔族も怖くはなかったけれど、住み慣れた土地を離れ魔族の領域に入ったら、漠然としたそれは更に酷くなった。時には前が見えないほどの手が世界を埋め尽くす。
 けれど、その手は何故か幼馴染だけは遮らなかった。
 いつだって幼馴染の姿は見えた。幼馴染の声は聞こえた。
 だから俺は帰ってきた。


 一度、幼馴染が魔族に連れ去られたことがあった。
 幼馴染が死ぬ。
 そう思った瞬間、世界の音は何も聞こえなくなった。帰れ帰れと響く声と、視界を埋め尽くす真白いのっぺりとした手だけが見える。
 このまま帰れなくなると思ったが、怖くはなかった。それは困ると思っただけだ。怖かったのは、本当に怖かったのは、魔族の炎に身体の半分を焼かれた幼馴染の手を握りながら目覚めを祈っていた時だ。
 何故か、この手を放したら二度と戻らないと思った。戻らないのは俺なのか幼馴染なのか分からなかったけれど、離してはならないことだけは分かったから死に物狂いでしがみつく。
 俺がいなくなるのは仕方がないことだと、どこかで思っていた。けれど、幼馴染が世界からいなくなることだけは、どうしても、嫌だった。



 魔王の城に辿りついたと言われたけれど、俺には何も見えなかった。何重にも白い手が生え、まるで波のようにうねっていたからだ。
 気がつけば目の前に魔王がいた。
 魔王は言った。
 俺は本当はこの世の人間ではないのだと。今いる魔王は俺の代わりだと。俺は魔王となるはずだったのに、色々あって偶然その時山にいた母の腹に宿ったのだそうだ。
 成程、生まれる前から人じゃなかったのかと妙に納得した。俺に縋るように誘う白い手は、俺がいるはずだった世界の住人で、俺は本当は、今いる世界を滅ぼすはずだったのだ。
 魔王は俺を返さないこの世界を滅ぼしにきたと言った。
【私と帰りましょう】
 魔王はそう言って、優しく微笑みながら手を伸ばしている。視界中の真白い手が歓喜に揺れ、全ての声が狂喜に泣き叫んだ。
 魔王の手と笑顔に幼馴染が重なった瞬間、俺は魔王の首を刎ね飛ばした。



 魔王を俺が殺したことにより、手と声は少しだけ鳴りを潜めた。
 これが俺の意思だと示したことと、魔王というあの世界との繋がりが断たれたことも大きいだろう。
 俺は、ちゃんと恋をして、短い髪で丸見えな首筋まで真っ赤に染め上げ、幸せそうに笑った女と結婚した。幼馴染と同じ年に子どもも出来た。
 慣れない日々は煩わしいものもあったけれど、投げ出したいと思うものは何一つない。
 手と声は未だに俺を誘う。少し気を抜けば俺は一人だ。
 けれど、俺はもう選んでいる。
 どれだけ誘われても、どれほど世界を覆われても、俺はこの世界で人として生き、人として死ぬのだ。
 気がつけば崖の上で一人立っていたけれど、響く声は幼馴染が俺を呼ぶ声で、繋がる手は俺への拳骨だ。
 そうして、今日も日々は過ぎていく。





 最近、声と手が酷く数を増している。
 俺はぎいぎいと椅子を鳴らして静かに目を閉じた。
 幼馴染は半年前、風邪をこじらせてあっさり逝った。溺愛している子どもに、孫に、曾孫に見守られて、毎日干されたシーツがいい匂いのするベッドで、気持ちよさそうに逝ったそうだ。
 俺の妻も一昨年逝った。曾孫は先月結婚した。
 もういいかと、思う。
 俺の視界を埋め尽くす真白い手が、誘いながら揺れる。声はもはや遠慮はしないと言わんばかりに頭の中でわんわんと鳴り響いていた。もう、この世界の何も見えない。何も聞こえない。
 この魂を連れ戻しに、手ぐすね引いて待ち構えているのが分かる。

 けれど、俺はあまり心配していない。
 いま俺が死んで、あいつらが俺の魂を誘っても、俺に伸ばされる手はあいつらの物ではない気がするのだ。


『この馬鹿! ほら、帰るぞ!』


 俺を探さなかったことは終ぞなかった幼馴染は、そう言って俺の頭に拳骨を落とし、【方向音痴】の俺を、自分達と同じ場所に連れ帰ってくれると思っている。




 俺には幼馴染がいる。
 幼馴染は俺を世界に繋ぎとめて俺を救った、俺の勇者だ。



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