第34話 エピローグ
転移門を潜るとそこは100階だった。
「……できるなら最初からこうしろよ」
100階までの道のりを思い出し、渋面になるのを抑えられない。
素知らぬ顔で煙草を吹かすロイを睨む。
「それは言いがかりだ、オウリ。俺が正体を隠していたこともあるが、そうでなくても一階ずつ進むハメになったさ」
その通りだ。しかし、掌で転がされた感じが拭えない。ロイが意図的に情報を伏せ、誘導していたのは明らかだ。
「あれ? 兄さん? 早かったね」
「む? オウリが戻ってきたのか」
境界門から伸びる《魔力》の糸が消えたことで、俺が勝利したことに気付いていたのだろう。心配の色はなかった。駆け寄ってくるセティを抱き留める。その隙にシュシュは俺の肩を登る。む、血の匂いが酷いな、とシュシュが《清浄》をかける。
「地上でロイと合流できたからな。転移門が使えた」
ロイはヤーズヴァルに転移の楔を渡した後、地上の転移門を見張っていたらしい。すると、突然、町の上で激しい戦闘が起こった。俺の仕業だと察し、合流してきたのだ。そして、厳戒態勢を敷く騎士をかき分け、地上の転移門から転移してきたのだ。本来、100階の転移門は地上への一方通行なのだが、空間の神はルールを弄るのはお手の物のようだ。
セティを撫でて癒されていると、短刀を構えたヨミがいた。
「テンカ様はどうした」
「《魔力》切れで気絶してるだけだ」
テンカを差し出す。ヨミは慌てて短刀を仕舞い、テンカを受け取る。彼女の吐息を確認し、ようやくヨミは一息ついた。
「ご先祖様。早くこの門を閉じてくれないかしら。向こうから変異体が……魔物が現れてくるの」
「ロイでいい、子孫。俺は過去の人間だ。境界門に入ったか?」
「わたし達は入ってない。やはり、これは危険なの?」
「危険と言えば危険かも知れんな」
「出てくるのは普通の魔物ばかり。変異体はいないのよ。おかしいと思うでしょう」
「慧眼だ。異世界に適応した魔物。それが変異体の正体だ」
如何に近しい世界でも世界の理――OSは微妙に違ってくるらしい。今回繋がっている異世界はOSのバージョン違いの差しかない。だから、世界を渡っても即座に死に至ることはない。しかし、完全に一致しているわけでもないので、魔物は世界に適応しようとして――変異体となる。そういうことのようだ。
うさんくせぇ。
「バグってるだけじゃねぇのか。そう考えると変異体が馬鹿みたいな経験値を持ってるのも納得できるんだが」
「ほう。俺はレベルがカンストしているからな。それは気づかなかった。境界門は七大神に止められていた。研究が進んでいないのさ。変異体が元の世界に戻った形跡もない。適応なら行き来はできるはずだ。確かにバグっているのかも知れんな」
「考察は後回しにして、取り敢えず閉じようぜ。できるんだろ?」
「感傷を介さない男だな。待て、向こうを見てくる」
「おい、バグるんじゃねぇのかよ」
「短時間なら平気だ。オウリも来るか?」
「……行きたくないが……付き合ってやるよ」
セティとシュシュを引き剥がす。
「向こうでロイに何かあったら、境界門を閉じれる人がいなくなる。まぁ、異世界に興味がないってワケでもないしな」
「異世界か。がっかりするなよ」
「行ったことあるのか」
「ないが、予想はつく。行けば分かるだろう」
そう言ってロイは境界門を潜る。覚悟を決め、俺も後に続く。
「……これが異世界?」
何の変哲もない土造りの通路だった。
拍子抜けしてしまう。世界を渡る。その言葉から想像するような、劇的な何かは起こらなかった。転移門で転移したのと変わらない。
「……ふむ。迷宮か?」
振り返るとシュシュがいた。セティとアリシアも。
「お前達も着いてきたのか」
「兄さん一人だけ行かせられないよ」
「……そうか。悪いな」
彼女達までリスクを背負わせるつもりはなかった。しかし、少し考えれば付いてくると分かったはずだ。異世界に行けると浮かれていたのか。
「魔物がいるね。行くよ、アリシア」
「はい、師匠!」
鉱石喰らいがいた。白くはない。変異体になると色が白くなるらしい。境界門から出てきたと言う魔物は、倒すと死骸が消えたと言うので、色を確認できていなかったのだ。
二人の戦いを見守っていたが、心配はいらないようである。
異世界の魔物が強いのではなく、変異したから強かったようだ。
その間、シュシュは眉間に皺を寄せ、考え込んでいた。
「ロイよ。ここはソシエの奈落か?」
「そのようだ」
「異世界じゃないのか?」
思わず口を挟むと、ロイが薄笑いを浮かべた。
「異世界のソシエの奈落だ」
「……は?」
「気付いてなかったようだな。くくく、やはりな。変異体は色が変わるだけ。元々あの姿だったのだ。ならば、境界門が繋がったのは、ソシエの奈落と推測が付く」
「……だから、がっかりするなよ、って言ったのか」
「並行世界。そう言った方がお前には分かりやすいか」
「……オメガなんとかっつー神様に会うために境界門を開いたんじゃなかったのか。それが何で並行世界に繋がってるんだよ」
「……未練だろうな」
ロイは寂しげな顔で煙草に火を点けた。
「正直に言えばこれは俺にとっても想定外だ。境界門を地球に繋げたつもりだった。理由を知れば馬鹿馬鹿しいとオウリは思うだろうな」
「勿体つけるな」
「……お前は本当に感傷を介さない」
「長居したらマズいんだろ」
「……ふぅ。ハーチェだ。彼女に俺の“故郷”を見せてやりたかった。おい、その顔は何だ」
「……いや、呆れて。ツメが甘すぎじゃねぇか。俺だってセティやシュシュに……地球を見せてやりたい、とは思う。手段があったらやるかもな。でも、そのためにハーチェの故郷を潰しかけるんじゃ本末転倒だろ。言いたくはないが……ハーチェはもういない。彼女のためだけにあったのなら、境界門は閉じておくべきだった」
「……くくく、その通りだ。返す言葉もない。最初から分かっていた。ハーチェが生きているうちに境界門が開かないことは。俺は無意識にハーチェの居る世界を求めていた。だから、彼女がいるかも知れない並行世界に繋がった。未練というのはそういうことだ」
「……ハーチェに会いに行くか?」
「やめておこう。この世界の俺に悪い」
「俺達が邪魔なら……」
「いてくれ。会ってしまえば、俺はきっと……」
「……お前は戻ってくると思うけどな」
「喪うのは一度でいい」
「……分かった」
ロイに付き合う気か、とシュシュが小声で俺を咎める。
早く戻るべきだとは分かっている。変異の兆しが出てからでは遅いのだ。しかし、ロイの心はふらふらと揺れている。ロイを力づくで連れ帰すのが難しい以上、俺が飛んでいかないよう重しになるしかない。
「……お主は本当に甘い。嫌いではないがな」
「……そう時間はかからないさ」
と、その時だった。
「おや、こんなところで珍しい顔に会った」
背後からそんな声が聞こえたのは。
涼やかな声。声だけで笑っていることが分かる。
……まさか。ありえない。彼はもう死んだ。
だが、それはハーチェだって同じ。この場所の特異性を思い出す。そうだ。ここは並行世界。全く同じ歴史を辿ったとは限らない。だから、彼がいることもあり得るのだ。
振り返る。
涼しい顔をした青年がいた。
「……スニヤ」
「はい、スニヤです」
莞爾とスニヤが笑った。
***
矢継ぎ早にスニヤに話を聞いた。
結論から言うとデスゲームが起こらず、円満に異世界化したのがこの並行世界らしい。
「また、会えて嬉しいよ、スニヤ。すげぇ月並みだけどさ」
俺が破顔しているとセティとシュシュがコソコソ話をしていた。
「……兄さんのあんな顔はじめて見るね」
「……スニヤが女であったら勝てぬところであったな」
「……テンカみたいに女になるかも知れないよ」
「……ううむ、願いの泉を破壊しておくべきか」
……感動の再会に水を差すんじゃ……あれ? スニヤがあんまり嬉しそうでもないな。
「君のスニヤは懸命に生きて、死んだ。だから、これは初めまして、だよ」
俺の笑みが強張る。
「……厳しいな。あー、分かるよ。言いたいことは。でも……ズルい」
「誠実に言ったつもりだけど」
「だからだよ」
「……うん?」
「……俺の知ってるスニヤもさ。同じこと言ったと思う。それなのに別人だって言うんだぜ。なんだかなぁ。スニヤの遺志を曲げたら、友人って呼べなくなるし。だから、初めましてであってるんだろう。嬉しいやら、悲しいやら、複雑な気分だよ」
「……僕と桜理が友人だったのか? 疑ってるわけじゃないんだ」
「こっちの世界じゃ違うのか?」
「クガの息子だからね。知ってはいるよ。でも、そこまで……」
「……そうか。デスゲームがなかったから……」
俺がスニヤと出会い、親交を深めたのは、デスゲームの時期だ。この世界の桜理はスニヤと接点がなかったのだ。ようやくこのスニヤが別人であると納得できた。
スニヤと同じ魂を持っているのかも知れない。
だが、共にデスゲームを戦い抜いた戦友ではない。
俺の知るスニヤはもういない――
「……あぁ、ロイ。二度、喪うのは辛い。本当にそうだった」
項垂れているとロイが「もういいのか?」と言うので頷く。なまじ似ている……同じなだけに、期待してしまう。向こうもただの顔見知りに、友人面されても困るだけだろう。
……長居できないで助かったな。
そうでもなければ語らいたい気持ちを抑えることはできなかった。
「スニヤはなぜここに?」
「その前に君は空間の神のパストロイでいい?」
「今はロイと名乗っている」
「その境界門を開いたのは?」
「俺だ」
「良かった。禁を破り、異世界への扉を開いたパストロイを消滅させろ、ってクガが息巻いててね。これで弁明……できるかな? あれで子煩悩だからなぁ」
「世界が変わってもクガは子煩悩か。だが、それがなぜ、パストロイの消滅に繋がる?」
「境界門に子供を奪われたからだね。そっちの世界へ行ってしまったらしい。あれを愛せるのだからクガの業は深い」
輪廻の神のスニヤは魂の循環を司る。一週間前、不意に魂が一つ消息を絶った。まさか、世界の崩壊の兆しか、とスニヤは原因を探る。すると、その魂の痕跡はソシエの奈落で断たれていた。この時、境界門が開いていることに気付いた。親父が《過去視》で見たところ、怪しげな人物が息子を連れ去っていた。事情を知っているであろうパストロイを探し、ソシエの奈落をウロウロしていたら、俺たちに出会った――と言うことらしい。
俺は眉間を揉む。
「……怪しげな人物って……多分、ノェンデッドだろ。この世界の俺はアホなのか。ノェンデッドについていくとか……」
スニヤがこめかみをトントンと叩いていた。考え事をするときのスニヤのクセだ。
胸が締め付けられるように痛く――
「ノェンデッドとは誰かな?」
「……は? 何言ってるんだよ、スニヤ。ノェンデッドだよ。七大神で……闘争の神の」
「六大神だよ。時間の神クガ、空間の神パストロイ、輪廻の神スニヤ――」
そうして挙げられた名前は七大神と合致していた。ただ、闘争の神ノェンデッドの名だけがなかった。
「もう一つ」
これが本題だ、とスニヤが言う。
「連れ去られたのは桜理じゃない。史上、最悪の殺戮者。久我御剣。君の弟だ」
お疲れ様です。
第三章も終わりです。
評価、感想お待ちしております。
また、暫く書き溜めに入ります。