酒呑童子の手紙焼き
風涼しい昼下がりのこと。茨木童子はふらっと遊びに行った大江山で奇妙な光景を目にした。
人間や妖怪、八百万の神々が共存しているこの国の山の一つ大江山。そこには茨木童子の友人が住んでいた。
「な」
茨木童子は絶句した。目と鼻の先にはもくもくと立ちこめる煙。煙を辿って視線を下に落とすと、ぱちぱちと火の粉を飛ばす炎がたかれていた。
焚いているのは茨木童子の友人であり、このお山の実質ボスともいえる酒呑童子だった。
腰を下ろしてのんびりと火の中に何かを放り投げている酒呑童子は、間抜けた茨木童子の声で彼の存在に気づいた。
「あれ、茨木童子じゃないか。ここにくるなんて珍しいね」
「あ、あー……うん、ふもとの人間から桃を貰ってさ、良かったら一緒に、って思って」
「分けてくれるのか? ありがとう、一緒に食べようか」
酒呑童子は顔をほころばせる。
「おおよ。……っつーか、お前なにしてんの?」
「見ての通り、手紙を焼いてる」
「お前なにしてんの!?」
「さっき答えただろう」
「いや、俺が言いたいのはそういうこっちゃなくて……!」
茨木童子は頭を抱える。
「手紙って、お前宛の? だよな。誰からだ?」
「差出人は名前から察するに女だな。これもそれも、……うん、全部女のもんだろう。まあ、全員知らん名だ」
酒呑童子は山積みの手紙を一枚一枚、差出人を確かめるだけだ。封を開けることはしない。中身にはまるで興味がなさそうだ。
「この姿になる前から、毎日こうして手紙をいくつも貰っていたが……。鬼になってからは妙に増えたな、これ」
「そりゃ、なあ……」
うん? と酒呑童子は首をかしげる。
酒呑童子はもともと人間であった。絶世の美男子と噂された彼に熱愛の手紙を送る娘は数知れず。
そんな手紙を、酒呑童子は全て焼いた。手紙を焼いた際に発生した煙を浴びたことで鬼になったという。
鬼に成り果ててその顔が醜くなったといえばそんなことはなく。少なくとも、茨木童子は考える。
酒呑童子は鬼となった今でも美しい。
綺麗に切り揃えた薄紫の髪はさらさらとなびき。真っ赤な瞳は深く輝き、雪の様に白い肌と相まって目立つ。
細い指に尖った爪は形が整っており、装束から覗ける足はすらっと引き締まっている。
その唇が笑えば、誰もが落ちるにい違いない。
長いこと友人として付き合っている茨木童子も、酒呑童子のちょっとした仕草に時々戸惑わずにいられない。下手をすれば誰であろうと魅了するこの少年。
酒呑童子の心を欲したいと願う者は数多くあれど、それらのたった一つにでも応える気は、酒呑童子にはない。
「お前さぁ……、せめて、中身見ようとか思わんの?」
「どうして見る必要がある? 逆に気味が悪いよ。この娘たちは僕の顔も知らないのに、こうして手紙を送って来るなんてさ」
「うーん……そうかも知れんけどさあ……」
「きみはどうだ? 会ったこともなければ顔を見たことさえない人間に、こうして好意を振りまかれることに、何の恐怖も感じない?」
酒呑童子がまた手紙を火にくべた。
「んん……言われて見りゃぁなあ……」
「いらん噂を真に受けて、顔も知らない鬼に愛をささやくのはその者にとっても良くはない。仮にむすばれたとして、実際に顔を見て期待外れだったら、その者の心がこの上なくしずむぞ」
「いや、お前に限ってそれはねーんじゃねーの?」
「そうか? まるで女のようだと言われるから、男らしくなくて幻滅されるに違いないよ」
(女みてーに綺麗だから別の意味で逆に余計惚れられるんじゃ……って言わないようにしとこ)
「噂だけでこうして手紙を送って来る。鬼となった時分でもまだなお続いている。僕には人間というのがよくわからないよ」
(俺はお前のそういうとこがよくわかんねーよ……)
茨木童子は心中を隠して酒呑童子を引っぱり上げる。
「今日の手紙はあらかた焼いたんだろ? 食べようよ、桃」
「うん、そうだね。お茶を入れるから、お屋敷に上がって」
酒呑童子が手をふっと横に振ると、こうこうと燃えていた炎はあっという間に消え去った。
そこには焼かれた手紙の燃えかすだけが残った。
(あいつ、ほんとに手紙どころか贈り物には頓着しねーな)
茶の席から帰った後、茨木童子はしみじみ思った。
酒呑童子のお屋敷の中は殺風景だった。必要最低限の家具と寝具だけが置かれ、装束は小さな箪笥に仕舞われているだけ。
娯楽は何もなく、すごろくも札も賽子もない。将棋盤も見つからなかった。
物を大切にしないわけではない。執着心がないのだ。
それがずるずると繋がって、好意というものを理解していないし、好くことにも好かれることにも興味がない。
興味がないから理解もしない。
あれでこの世を楽しんでいるようには、茨木童子には思えなかった。
(……いや、でも笑う時は笑うし、俺と将棋をさすときは楽しそうなんだよな。別に無気力に生きてるワケでもないんだよ)
茨木童子はごろんと寝転がる。ぼろい天井から、星空が見えた。
「……うーん」
すっと起き上がる。道具箱の中から墨と筆を引っ張り出し、倉庫からできるだけ綺麗な紙をそっと取り出す。
やってみるか、と茨木童子は意気込む。
まずは、墨をするところから。
一枚の手紙を書き終えるのに、結局夜明けまでかかってしまった。こういったやり取りをまるでしたことのない茨木童子には少しの文を書くのさえ困難だった。
ただ単に、面と向かって会って話をするだけなら簡単だった。というかそちらの方が、酒呑童子よりは得意だと自負していた。
それでも書こうと思ったのは、ちょっと試してみたいことがあったから。
(女の思いに興味がないのか、それとも手紙そのものに興味がないのか)
自意識過剰ゆえの自信と言えなくもないが、茨木童子は酒呑童子とお互いに信頼し合った親友だと思っている。そんな親友の鬼から送られてきた手紙を、あの美少年は焼いて捨てるだろうか。
細かいことは気にしない性格であるが、焼き捨てられたらさすがの茨木童子もへこむ。
(ま、そん時はそん時で)
自分をそう奮い立たせ、茨木童子は妖怪烏にその手紙を持たせ、酒呑童子のもとへと飛ばした。
次に酒呑童子のいる大江山へ茨木童子が赴いたのは、手紙を出してひと月経った後だった。
茨木童子はしばらく自分のねぐらを留守にしていた。子分の妖怪たちの要請により、小さなお山に蔓延る賊を退治していた。
しかもその賊というのがやたらと知恵のつく妖怪たちで、策略や戦略をまるで考えない茨木童子には相性の悪い相手だった。
偶然お山を通りかかった顔見知りの人間がいなければ、茨木童子の方が返り討ちに遭っていた。
ぎりぎりではあったものの妖怪を退治した後、茨木童子は人間たちによかったらと半ば強制的に酒の席に招かれた。席を設けた人間たちはいずれも酒豪で、酒に強い部類の茨木童子がぐらつくまで飲み明かしていた。
その後は人間たちに連れられてお山の話や酒呑童子の話をせがまれ、その後はまた別のこと、またその後はさらに別のことを人間たちにせがまれ、ひと月ちかく時間を費やしていたというわけだった。
(いい歳した男どもがあんなに目をキラキラさせて鬼に話をせがむって……。アホか)
半ば呆れてはいたが、茨木童子はその顔見知りの人間たちが嫌いではなかった。
(思い出して来たらもっとアホらしくなってきた……。帰ろ)
茨木童子はお山へ帰り、その翌日、大江山へ再び向かった。
手紙の内容というのは大したことではない。単に、少しの間お山を留守にすることと、たまにはふもとに降りて遊びに行こうと言う、会って口で伝えればいいだけのものだった。
手紙だから気の利いたことくらい書けばよかったのだが、茨木童子にはそれすら困難だった。
さて、その大江山で、酒呑童子は今日も今日とて手紙を焼いている。
「よう」
そう声をかけると、酒呑童子が微笑んで茨木童子を迎える。
「御機嫌よう、茨木。一か月ぶりだね」
「ああ、どうも。ほんの一か月なのに、何か久しぶりに思える」
「僕もだ。気が合うね」
「……で、今日も手紙を焼くわけか。もっと鬼になるんじゃないのか」
「これ以上どう鬼になれというのだ? 角が天に届くくらい長くなるとか?」
「それはそれで生活が不便になりそーだな……。あれ?」
茨木童子は酒呑童子の手紙の山から、そのうち一通を手に取った。赤い封筒にお世辞にもうまいとは言えない字で、酒呑童子にあてられている。
「どうした?」
「いや、これだけ何だかちょっと雰囲気違ったから……差出人は……えっと、やまたの、おろち……?」
差出人の名を茨木童子が言い切る前に、酒呑童子はそれを奪い取って中身も確認せず、躊躇なく火中に放り込んだ。
「おいおいおい!? 何してんの!!」
「見ての通り。手紙を焼いてる」
「そういうこっちゃねー! 八岐大蛇さまって……お前の親父さんじゃねーか!!」
「どうせ大したことは書いてない。あの絶倫蛇が僕に手紙にしたためて話したいことなどろくでもないことさ」
「せめて中身見るとかしねえの?」
「確認する価値もない」
酒呑童子はすっぱり切った。
「……さて、これで終わりだ。お茶にしよう。今日は子鬼が菓子を持ってきてくれてね、一緒に食おう」
「あれ? 一通残ってないか、それ……?」
酒呑童子が指をすいっと泳がせて火を消した直後、茨木童子は酒呑童子の両手にしっかりと握られた一通の手紙をしっかりと見た。しかも妙に見覚えがある。
「ああ、これは燃やさないよ。きみが僕に書いてくれたものだからね」
嬉しそうに酒呑童子は言った。
――ああ、俺が書いた、もの。
「手紙には興味ないんじゃなかったのか」
「興味はあるよ。知らん者の手紙は気味が悪いというだけだ。
だけどこれはきみがくれた手紙だ。焼いてはいけないね」
さあ、と酒呑童子が手招きする。
――俺の、送ったものは、焼かないんだ。
それは当たり前のことだけど、と茨木童子の理性が邪魔をする。
だがその事実がわかっただけで、彼の心はこの上なく弾んだ。
「茨木?」
「……なんでもないっ。菓子、分けてくれるんだろ? どんなのだ?」
「なんでも、異国のものらしいよ。カステラに似てるってさ」
手紙ひとつと鬼二人、お屋敷に戻って菓子をつまんだ。
酒呑童子は女性からの手紙を焼きまくって、その時の煙を浴びて鬼になったという逸話があるそうです。うちの酒呑童子君は鬼になった今でも手紙を焼いているという何とも天然でひどい鬼っこでありました。