地球を作ろう!
量子飛行が可能になってからさらに時は過ぎた。
星と星の物理的な距離は遠くなっても、心理的な距離は隣の家ほどのような感覚の差がある。
そんな不可能を可能にしてきた数々の科学者たちが、次の目標にしたのは、地球を作るということだった。
地球を作るとひとことで言っても、惑星を作ったことがあると公式に記録されているのは国家第2級勲章の名称になっているただ一人。
岡崎須磨氏は、惑星国家連合首都である惑星を作った人として記録されているが、詳しいことは一切分かっていない。
新しい惑星を作るというかなり昔のプロジェクトの会議室に突然現れ、呆然としている人々の目の前で設計図を一通り見回すと、舌打ちをしてあちこち修正をした。
最初に考えていたものよりもそちらのほうが安く、頑丈で、長年にわたりしようができるということで、そちらになったのだ。
だが、その本人は引き留めようとする当時の政府に応じず、再びふらふらとどこかへ消え去ってしまい、連合政府が必死になって探したが、それ以後消息は確認されていない。
その結果、その功績をたたえ、国家第2級勲章として、永久に名を残すことになった。
その人が残した惑星の設計図は、今では誰でも見られるように公開されている。
そんな設計図を手渡されて、連合政府が言ったのは、地球を作れてという指令だけだった。
むちゃを言うなって思ったが、これに成功すると、歴史に名が刻めるのは間違いない。
Teroを使う許可も取っているので、さっそく設計図を分析してみることにしてみた。
とりあえず、Teroがいる博物館へと向かうと、すでに玄関先に二人の人影がじっと待っていた。
「Teroですか」
Teroは一回うなづく。
マスターの一族以外の命には従う義務はない。
だからこのように議会からなにか命令があれば、Teroのすぐ横にはTeroのマスターが常にいることになっている。
「轟さんですね」
「はい、そうです」
その可憐な少女は、名前を確認してきた。
定められた手順によって、名前や社会情報などを確認した後、彼女は言った。
「話は、連合政府から聞いてます。立ち話も何ですので、どうぞ部屋へ入ってください」
Teroは、そう言ってすぐそばにあった研究室へ案内した。
中はそこそこ片付けられているが、床に段ボール箱にぎっしり詰まった学術書が無造作に置かれていた。
ちょっと前までは、また別の人の研究室だったらしいが、その人の後継者がいなかったためTeroに研究室として与えられたのだった。
「どこでも座ってください。散らかっていてすみません。与えられたばかりの部屋のなので」
「あ、大丈夫ですよ」
そういうと、安心したように笑顔を浮かべる。
この世界に複数いる量子コンピューターの元締めであるTeroは、約千年前から生きているといううわさがある。
その彼女は、さまざまな知識を持っているといわれている。
今回は、その知識の一部をもらいに来たのだ。
「えっと、惑星設計図についてですよね」
「そうです」
Teroにその設計図のデータが入ったHDを渡した。
彼女は首筋にあるUSB端子へ差し込むと、一気に読み込みを始めたようだ。
「読み込み開始……終了。この設計図を基にして、惑星を一つ作るっていうことですね」
「そういうことです。その時に、もっとも最適な材料、人員数、技術などを政府に報告することになっているんです」
「分かりました。では、それらの情報をプリントにして出しておきます」
すぐ横で、無造作に放置されているプリンターから紙が吐き出される。
「ええっと…いまのところ、新しい地球の骨格に最適な材質は、カーボンナノチューブとグラスファイバーですね。重力制御用の設備も必要ですし、それらを維持・管理するシステムも必要になります」
「どれほど必要なんでしょうか」
プリントを指でなぞりながら、Teroは答える。
「推定ですが、総合計40億トンになるでしょう。それを行うための技術者、労働者、その他必要な人材を集めるとしても、10年近くかかる計算になりますよ」
「それを、5カ年で行う計画なんだ。どうにかできないか……」
半ば愚痴のように、Teriに言う。
「ちょっと難しいのではないでしょうか。10カ年計画で、前期後期に分けて行うであれば、別問題だと思いますが…」
「政府の方と調節してくるか…ありがとうござました。また来るかもしれませんので、その時まで……」
「わかりました。それまでは別の仕事でもしてます」
Teroは、笑顔で言いながら扉を開けた。
すぐ横に、マスターが立っていた。
「さようなら」
小さな手を、こちらを見ながら振っていた。
「また会いましょう」
この前の法改正で、彼女は、政府の顧問官としての地位がある。
ものすごい高地位なのだが、彼女はそのことを知っているのだろうか。
政府に提出するための報告書を仕上げて上司へ持っていくとき、上司は部屋の中で扉をあけっぱなしにしてどこかへ電話をかけていた。
「ああ…衛星を飛ばすのは決定事項だ。問題は誰を乗せるかだが……いや、政府はまだ決めていない。量子コンピューターを乗せるのは間違いない……」
「失礼します」
そこまで話を聞いた時、上司の部屋へと入っていった。
「轟君か」
電話の相手にちょっと待つように言ってから、受話器を手で覆い上司に言った。
「報告書を持って参りました。どこへおけば……」
「そのあたりの上に置いておいてくれ。ちょっと忙しいんだ」
「分かりました」
上司の机の上に適当に放置して、部屋から出て行った。
数日後、再び上司に呼ばれた。
「失礼します」
「轟君、紹介しよう。こちらは、惑星国家連合量子コンピューター指導監の「たいと せいてつ」氏だ」
名刺交換や互いの紹介など、一通りの社交辞令が終わってから、上司はさらっと言う。
「さて、今回轟君を呼んだのは、他でもない、地球を作るための計画の報告書を書いたからだ。その報告書は、直接私が連合政府へ持っていった。その結果、政府は地球を再建することに決定し、轟君を主任責任者と指定した」
指導監と上司に報告書のコピーを渡しながら、念押しをするように伝える。
「報告書の通りです。莫大な資金と人材、それに時間と場所が必要です」
「すべて準備しよう」
[たいと]は、さらっと言ってのけた。
「それは、連合政府が全責任を持って、準備をするっていうことですか」
「その通り。その代り、キミは現場の総責任者としての責任を負うことになる。その覚悟はありますかな」
すこしだけ考えて、結論を簡潔に述べる。
「はい、任せてください」
このときから、人工惑星"地球"作成プロジェクトは、発足した。
まず最初に、工事するに当たり、一旦地球の軌道上を見に行き、軌道上がどのような状況になっているかを確かめることにした。
Tero、マスターの少女が一緒に来てくれることになり、小型船を借りて現場へ向かった。
「約千年前より、あのブラックホールがそこに存在しています。いま、小惑星体のような状況になっている部分こそ、昔の地球があったところになります。あれから、かなり位置が移動していますが…」
言ってから気付いたとみえる。
約千年という長い間は、軌道を変えるのに十分だったようだ。
だからこそ、彼らが見つかったのだろう。
「あれ、何でしょう」
Teroが指さした時、すでにレーダーには感知されていた。
「この周辺のものは、ブラックホール[縮退炉]に吸い込まれたか、軌道が変わったはずですから、彗星状態になって楕円軌道を回っているのでしょう」
話している間にも、その物体は近づいてくる。
「とりあえず、近接回収をしましょう」
Teroは船を動かして、回収へ向かう。
ゆっくりと近づいてくるその物体の速度と同じにして、徐々にこちらから近づく。
その物体がはっきりと見えてくるにつれて、一つの回答が見えてきた。
「あの人は、もしかして……」
その答えは、それほどにまで長い間浮かんでいること自体がありえないことであり、すでに死んだものとして処理されているものであった。
「回収します」
マスターの方を見て、Teroは許可を求めた。
何も言わず、一回だけうなづくと、Teroも同じように返した。
ロボットハンドを使い、その物体を格納庫へ収容する。
「収容完了。増圧します」
格納庫のランプが、ふたが完全に閉まり空気が漏れないことを示す緑色に変わったのを確認してから、Teroは言った。
さらに1時間ほどかけて増圧を行ってから格納庫へ入ると、少しひやっとしていた。
その中に、冷凍睡眠装置らしきものが安座していた。
周りには何かがへばりついているが、霜が降りていて何か分からない。
「今わかるのは、霜だらけの物体……」
「それだけですね」
マスターはそれだけ言うと、Teroの後ろに隠れながら見ていた。
まだまだ怖いのだろう。
そんな光景を見ながら、それに近付いた。
霜が降りており、何かがへばりついているために中は見ることができない。
ただ、誰かがいるような気がする。
「お湯か何かで溶かせるかな…」
「それは、避けた方がよろしいかと思いますね。急速解凍は、その物質を破損する恐れがあります」
「そうか……ならば帰るとしよう。ほかに気になるような障害は見つかったか」
Teroはすこしデータを照合しているようだった。
「いえ、観測されている限りは存在しません。新たなる地球を作る際に障害となるであろう事象は観測できませんでした」
「了解した。それでは、連合中央政府惑星へ向かって発進しよう。報告書にはそのように書かせてもらう」
それだけ話しておけば、大体のことは片付く。
そう確信して、船を星へ戻した。
「これが報告書です」
上司と[たいと]が同席しているところで、上司に報告書を提出した。
「ご苦労だったな。すこし休みでも取るか?」
親切心から言っているのであろう。
だが、休みは仕事が終わってから取るべきである。
「いえ、休暇は後々とります。有給はどれだけたまっていますか」
「2ヶ月分はあるだろう。早く使ってくれないと、上から色々言われているんだ。どうして休暇を消化させないのかって」
「はぁ、分かりました。しかし、先にこの仕事をすべて終わらしてから、まとめて取ります。それでよろしいでしょうか」
上司はちょっと悩んでから、ため息交じりに行った。
「……働き過ぎは体に悪いから、ほどほどにしとけよ」
「了解です」
そう言って、上司の部屋から出て行った。
あの浮遊物は、1週間かけて霜をとかされた。
千年以上回っていたらしく、製造年月日はよく読めなかった。
判読したのは、3ケタだということだけだった。
どういうことだろうか。
記録をたどっていけば、598年に実験をしていることは分かっている。
だとすれば、最高でその前後のものだということになる……
今は1671年3月12日だから、1000年前のものが彗星としてぐるぐる回っていたということになる。
それほどまでに昔のものは頑丈だったということだ。
「素晴らしいが、これからが問題だな…」
Teroがいる研究室に戻り、彼女と色々話している間に、いつの間にかぼやいていた。
「どうしたんですか」
よくわからないというふうに、顔をのぞいてくる。
「ああ、気にしないでください。ちょっと考え事してたんで」
「あの人たちのことですか」
すでに見抜かれているようだ。
「ええ、598年5月8日前後に出発していることになっています」
「つまり、本当に1000年以上前のものっていうことになるな」
「これが本物だったらの話ですよ」
Teroはそういうのも忘れなかった。
「そういえば、マスターの少女が見えないが…」
研究室の中は、Teroと二人きりだった。
「今日は小学校に行ってます。さすがに義務教育なので…」
「行かないわけにはいかないと、そういうことですね」
「そういうことです。ただ、今回の件は、連合政府が後ろになっていますので、マスターより許可を得て、単独で行動することになっています。もちろん、マスターが来れる際には、そちらの方を優先することになります」
そう言われて、少し考えてからTeroに聞く。
「じゃあ、少し打ち合わせというかそんな感じの話を…」
それから1時間ほど、Teroと話した。
設置の計画やら、建設計画やら、これからの地球建造に対しての必要な報告書を作るための手伝いをしてもらった。
「ありがとうございます。これで、連合政府にどうにか出すための書類が整いました」
「いえいえ、このようなことしかできなくて、申し訳ありません」
その時、マスターが入ってきた。
ランドセルを背負ったままだった。
「こんにちは、轟さん」
「やあ、こんにちは」
腰よりも少し高い所ぐらいの背丈で、一生懸命にお辞儀をしている姿は、どうも胸に来るものがある……
いや、決して変態ではないことを、ここに言っておこう。
そんなことよりも、早めに報告書を仕上げる必要がある。
Teroに一言言ってから、研究室を後にした。
翌月の1日。
連合議会本会議では、上司に提出した報告書に従って採決されていた。
「本報告書に従い、新たに人類の聖地たる地球を建造することに賛同の諸君は、賛成ボタンを押してください」
パパッとボタンを押す音が響いてくる。
そのデータは同時に議長席にも送られる。
「総員7129名。賛成6812人、反対317人。よって、本案は可決されました。これにより、今年度予算案は承認されたものとします。地球作成執行責任者は内閣総理大臣とし、現場総責任者を轟和也を指名する。本議案に賛同の方は、起立を」
議場のそこらじゅうから賛成という声とともに、立ち上がる議員の姿があった。
「賛成多数。本議案は可決されました」
その時点で議場を後にし、Teroの研究室へ向かう。
「……ということで、協力を要請したいんですが」
Teroの研究室にて、地球建造の件の交渉に来ていた。
「私の方も、ここ最近色々と忙しいので、代役を立てましょう。私だと思って接してあげてください」
そう言って、ちょっと待っててとだけ言い残し、研究室の奥へと入っていった。
1分ほどして手を握って連れてきたのは、小学生のような少女だった。
「"Science"と言います。Scって、私は呼んでますけど」
彼女は、Teroの足元にしがみついてじっと見ている。
様子をうかがっているようにも見える。
「よろしく。轟和也っていうんだ」
「トドロキ、カズヤ?」
なんとなく片言に聞こえる。
「私が暇を見つけて育てていたの。量子コンピュータとしては、最先端の子よ」
しかし、少女趣味はどうにもならないらしい。
Teroのマスターは、直系一族がつくことになっているが、条件は、女子の末子であること。
なぜそうなったかは、色々なうわさがある。
だが、真相はいまだに闇の中だ。
「では、Sc借りていきます」
「大事に育ててあげてね。私もいつまでもつか…」
最後の言葉は、消え入るようになったので、よく聞き取れなかった。
だが、気にすることなく、Scの手を引いて作業の場所へ向かった。
本予算がついたことによって、これまで報告書や机上の段階だったものが、一気に実際へと向かって進みだした。
地球の核の部分を最初に作ることになるのだが、その材料はすでに到着しており、人が住めるような小惑星も設置されていた。
量子移動用の臨時装置も小惑星の表面上に置かれており、誰でもすぐに派遣したり来ることが可能だった。
「では、これより、会議を始めます」
Scや、各セクションの責任者を集めての会議を開いた。
これからの予定などを一気に確認をするためである。
大体の情報は、すでにScに知らせているので、大まかには大丈夫のはずだ。
細かいことや質疑などは、その場で相談して答えることにしている。
それから1か月以内に、核の部分の大部分は完成した。
Scも仕事に慣れてきたようで、事務所の中で、いろいろと歩き回っている。
外に出すには、小さすぎてまだ駄目なような気がするが、一緒に出ている時もある。
だが、今日は地球の作成現場にはいなかった。
二人一緒にTeroの研究室で、ある人たちと会っていた。
「ようこそ」
「ただいまー!」
Scは、1か月ぶりにあった生みの親に思いっきりだきついて行った。
見た目は小学生だから、お姉さんに抱きつくような感覚だ。
その部屋は、いつものようになっていたが、違っていたのは、見慣れない二人の人が経ってたことだ。
「起きてからというもの、連合政府の方から色々と聞かれるから、今になってしまった。助けてくれて、ありがとう」
40歳ぐらいと20歳ぐらいの歳の差コンビ。
さらに、そのセリフから思い浮かぶのは、二人しか思い浮かばない。
「豊谷金次教授と突山蓉子さんとお見受けします」
「名前を覚えていましたか」
「歴史の書物には色々書かれています。何があったんですか」
「よくわからないんですよ。気づいたらここにいたという話ですよ」
彼らには、分からないことらしい。
詳しく聞けば、途中で離脱不可能と判明した時点で、冷凍睡眠に入ることに決定したということだった。
それでは分からなかったというのも仕方がないだろう。
「たしか、あなた方には、勲章が授与されていたはずですね」
豊谷は片眉をあげて、怪訝そうな顔を向けてくる。
「そのはずですよね、Teroさん」
Teroに視線を向けると、一瞬そらされてから言った。
「そうですね、死亡宣言を出されてから、追贈という形で贈られていますね」
「ちなみに、どの勲章でしょうか」
「国家1級勲章のツァンテ・イヴァンフ勲章です」
その時の驚いた顔は、受勲が決定されたときに誰もが見せる顔だった。
「なんででしょうか」
「世界で初めて時間を超えることができた人ですからではないでしょうか。政治的意図はないと思いますよ」
Teroは、とりあえずそういった。
Scが袖を引っ張ってくるので見てみると、時間を気にしているようだ。
「大丈夫さ。彼らがしっかりしてくれているからね。でも、そろそろ限界かな……」
それだけ言うと、Teroたちにひとこと言ってから、建造現場に戻ることにした。
建造現場に戻ると、核は仕上がっていた。
「轟さん、核が仕上がりましたよ。これから下層の建造を始めるところです」
実際の惑星では下部マントルに当たるところになる。
他に、中層として上部マントル、上層としてプレート部分が存在することになる。
ただ、プレートは完全に1枚のみであり、内部の熱対流も起きないからプレートの移動も起きない。
地磁気などは核の中にある巨大な発電装置によって発生させる手はずになっている。
同時に重力も生み出すことができ、一石二鳥というわけだ。
それをするために、莫大な資金が投じられている。
だが、そのすべては、地球を作るという、長年の願いの結晶だった。
ここで問題が起きた。
その問題は、作った惑星をどうやって地球軌道上へ投入するかだった。
最初っから地球軌道上で作るにしては、材料の種類が多すぎて現実的な話ではないと判断し、地球が属している大区画の首都惑星の近郊で建造が進んでいた。
そこから地球までの直線距離にして約6500光年の間どうやって移動するかということだ。
とりあえずの解決策として、その大きさを上回る大きさの建屋を作り、量子移動を行うというものが提案された。
先に地表まで作っておき、残りの物を地球軌道上で換装すれば、すべて終わると思っていたが、その建屋のための材料を集めることが、さらなる問題だった。
議会へそのことを申し出ると、議会ではすでに織り込み済みの問題であったらしく、対案がすでに用意されていた。
「この方法で行えばいいという、Teroからの助言もある。すでに、このための艦隊も準備済みだ」
連合議会議長が示した解決策とは、艦隊を組織し、それらに引っ張ってもらうという方法であった。
そのためのヒモに対しては相当な強度が要求されるが、すでに実験では600tの物体を、直径2mmのヒモでぶら下げることが可能だったという。
どのようなヒモなのかを、是非ともこの目で見てみたい。
そういうと、議長は首を横に振ってこたえた。
「実は、研究所での実験段階なんだ。今は部外者に見せることは避けたい」
「それでは、仕方ありませんね。引っ張る時にでも見せていただきましょう」
議長にはそれだけ言うと、一礼してから議長室から出た。
「お帰りー」
Scが、出迎えてくれる。
「ああ、ただいま」
いつの間にかこんな生活になった。
実際の娘のように、彼女は接してくれる。
モデルは小学5年生だと聞いたことがあるが、すでにその年代以上の知識を持っている。それは当然ではあるが、精神面では、まだまだ子供のようだ。
そのことで、父性本能がくすぐられてくる。
下層部の3分の1ほどができたころ、作業責任者全員を交えての定例会議の中で、議長から言われたことを全員に通達した。
「……ということだ。そのために設計図を描きなおす必要はないようだが、引っ張るためのヒモを見せてくれなかった以上、どのようなものが来ても対応できるように、作業を行ってほしい」
「了解しました」
一同、同意してくれたようだ。
それからは、進捗状況の確認を行うことになる。
「それで、作業はどこまで行きましたか」
「今は、予定通り進んでいます。下層3分の1完成し、その面積のうち4分の1で中層を着工しました」
すでに中層にたどりついている部分もあるようだ。
将来の量子移動用の機械を設置する場所になる予定の場所だろう。
後々重要になる場所だから、強固に作ることになる。
それは、ここにいる全員が知っており、すでにそう設計されている。
それから2年の月日が過ぎ去った。
議会へと呼ばれたり、TeroやScと話し合ったりしているうちに、地球は表層までの建造作業のすべてを終了した。
「とりあえず、地鎮祭して、お酒ふるまって、議会に報告して……」
会議室の椅子の一つに腰掛け、指折り数えていると、Scが唐突に膝の上に座った。
「どうした?」
「これでお別れなのかなって思って…」
数えるのを中断し、Scの髪を梳いた。
「お別れじゃないさ」
不思議そうな顔を見せてくるScにつづけて言う。
「思い出があるだろ。君の頭の中にも、一緒にいたときの思い出が詰まってるはずさ。ちゃんと互いに覚えていれば、また会える」
頭を軽くなでてやると、不思議とScは泣きそうになっていた。
必死にこらえているようだが、とめどなく流れる涙は、隠しようがないようだ。
だが、それを見ないふりをし、さらに続ける。
「それに、会いたくなったら、会いに来ればいい。いつでも待っていてあげるよ」
そう言ってScを横の椅子に座らせると、ノート型パソコンを立ち上げると、議会へ提出するための報告書を書き始める。
「報告書です」
上司、連合議会議長、[たいと]と、なぜかTeroが同席している中で、報告書を提出した。
「ふむ……」
上司が一通り目を通している間、Teroがいった。
「ところで轟さん、Scはどうしてますか」
「離れたくないって、ずっと言ってます。それでも、離れないといけませんよね」
正直な話、Scと同じ気持ちである。
数年間、実の娘のように接してきて、量子コンピューターのロボットであることを忘れることも、しょっちゅうあった。
実際の人間のように、彼女は呼吸し、食事し、眠る。
言わなければ、気づくことはないだろう。
それは、結婚せず、子供もいない一人の若者の心をいやすには十分だった。
彼女も、これまでひとりきりで、ずっと過ごしてきた。
そのことの反動であろうか、ずっと甘えてくるのだが、それがさらに子供っぽさを増す原因にもなっている。
その影響もあるのだろうが、父性本能が限界値を突破しているのだ。
「……これは、両名ともが賛成し、議会が認めないといけないのですが、二人が一緒にいられることも可能ですよ」
「どうするんですか」
聞いてみると、議会からの許可と、両名の承諾さえあれば、家族として認められることができるそうだ。
養子制度の特例枠扱いになるということになるらしい。
詳しいことは知らないが、これまではそのようなことをした人たちはいないが、制度上は可能らしい。
「相談が必要ですね……とりあえず、Scを呼んでこないことには…」
「ここにいるよ」
扉のほうからの声で見てみると、いつの間にかScがいた。
「いつの間に来たんだ。いや、それよりも……」
「私は構わないよ。ずっと一緒にいたい」
「って、轟さん言われていますが」
「…そうですね。一緒に暮らせるのなら、とても喜ばしいことです」
「ならば、議会に諮る必要がありますね。何せ初めてのことですから。量子コンピューターと人間が一緒になるということですし」
そこまで話したとき、上司が報告書から顔をあげた。
「わかった。じゃあ、これから宇宙軍第1師団艦隊へ連絡し、動かしてもらえるように言ってくる」
それから、扉の所まで行くと、最後に一言だけいった。
「Scと轟が一緒になるときの新居は、夫婦用がいいか、それとも家族用がいいのかの書類を後で提出しろよ」
「了解です……」
上司は聞いていたようだ。
報告書を見ながらあの話をすべて聞いていた上司には、真似できないと正直思った。
1週間後、作業員全員撤収し、その代りに宇宙軍の艦隊が来た。
1つの艦隊だけでは出力が不足するというので、近隣の艦隊と合わせ、連合艦隊として持っていくことになるようだ。
総勢32隻、総出力は7憶6千万馬力になるそうだが、それが本当の数値かは誰も知らない。
「ヒモかけろー」
連合艦隊総司令官が座乗している旗艦からそのような指示が出ると同時に、惑星を包み込むような網状のものを出した。
「あれが、言ってたものですね」
「ええ、轟さんの言う通りです。前お話ししたものが、あの網状に編みこまれたものになります。あれで包み込み、地球までは超光速移動を行います。実験及び実動試験ではちゃんと動きましたので、大丈夫でしょう」
議長がすぐ横に立って、いろいろと説明をしてくれる。
Teroは、Scと一緒にいて、何か話しているようだ。
議会からは、Scと養子縁組の許可が下り、こうやって一緒にいることができる。
彼女の新しい名前は、轟科学とした。
「科学、いくよ」
「あ、まってー」
小学校に通うことはないが、それでも楽しんでいるようだ。
まるで、一緒にいること自体を楽しんでいるような、そんな感覚すら覚える。
「移動します」
船内放送とともに、ゆっくりと動いているのがわかる。
「動き始めましたね」
上司が言わなくてもわかる。
新しい惑星は、無事に移動できるようにと神々へと祈りを捧げる言葉を詠われながら移動を始めた。
目的地までは、約3時間。
それまで持ってくれれば、いうことはない。
すでに地球軌道上にあった細かい破片などは、新しい地球の表面上に再利用されるために回収されている。
考えうる限りの用意はしつくした。
あとは、無事に行くのを黙ってみているだけだ。
超光速航行中は、外を見ることができない。
光の帯が、外を流れており、目が焼き切れる可能性があるからだ。
だから、外を見るためのすべての窓には、すべての電磁波を遮断するための膜が張られている。
超光速航行が終わるとすぐに引き上げられるという仕組みになっているらしい。
量子移動は、大きすぎるという理由で却下されての代案ということだが、議会はすでに現状を把握しているようだった。
「うまくいくかね」
上司が後ろで手を組みながらすぐ横を歩いている。
超光速航行の時は、宇宙軍の人たちの独壇場であり、科学陣の人々が入る隙間はない。
「うまくいかないと、数兆単位で資金が吹っ飛びますよ。それだけは避けたいですね」
「そうか、議会が動くほどの金額だからな……」
船内にある休憩スペースへ着くと、Scが真っ先にソファーに飛び込んだ。
周りの人たちは、なんとなくホンワリとした雰囲気と、小学生がいるという不思議な光景を見て少し考えているかのどちらかだった。
「科学、飛び込んじゃダメだろ」
なだめるように言い聞かせる。
Scもここ最近は言うことを聞くときと聞かない時がある。
今回はちゃんと聞いてくれたようだが、ペロッと舌を出して、上目遣いは卑怯だと思う。
それでも、ソファーからは離れようとはしない。
「はいはい、分かったよ」
意図を理解した時、Scのすぐ横に座った。
「ほら」
上司は、オレンジジュースの缶と缶コーヒーを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとー」
Scと同時に返事をする。
一瞬だけ互いに目を合わせてから、一気に飲んだ。
Teroと上司は、何か話し合っていた。
何を話しているかは、ここからは聞こえない。
ソファーのすぐ横では、Scがジュースの缶の底を見ている。
「どうしたんだ」
「缶の底に残ったジュースが、もったいなくて……」
Teroの方へ目くばせを送ると、上司がストローを持ってきてくれた。
「これか」
「よくわかりましたね」
「そりゃ、部下の状況を知らないわけにはいかないからな」
それから、上司はカッカッカッと笑いながら、Teroの元へ戻っていった。
周りは、微妙な空気が流れていたが、殆ど気にするほどでもなかった。
3時間ほど、その場でまったりと過ごしてから、休憩スペースを出た。
「始めますよ」
すでに超光速航行の状態からは脱していた。
目の前には、ブラックホール化した太陽が見える。
正確ではない表現なのだが、そういうのが一番しっくりくる。
「では、お願いします」
ブラックホールの重力圏は、太陽の時とほとんど変わらないのが、せめてもの救いか。
上司が総司令官に何事かぼそぼそと耳打ちしてから、総司令官が宇宙軍側の係に指示を出し始める。
「これより、地球設置を開始する」
このときの動画は、様々なチャンネルを通して全人類へとどけられることになっている。どれだけの人がこの光景を見ているのか、想像がつかない。
「最外機、離脱」
「第1陣、エンジン停止確認。順次停止を進めます」
あちこちの艦隊の寄せ集めであるこの連合艦隊ではあるが、それでもひとまとまりになって動いているのはさすがとしか言いようがない。
チームワークは、どの部隊でも引けを取らないだろう。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、地球の公転軌道へ到着した。
「懐かしぃ……」
すぐ横に、いつの間に来たのかTeroがいた。
「そうか、Teroの生まれ故郷の場所だもんな」
上司がTeroの肩に手をかけながらいう。
Teroはその手をあっさりと払い落して、上司を挟んだところに再び立つ。
「でも、あの時の判断は今でも正しかったと思います。あの時は、あれが最良の判断だと思っていました」
「そんなものだろう」
今度はそのままの位置で立ったままの上司が、Teroに言う。
「公転周期を一致させます」
船内AIが、船内放送で現状を逐一伝えてくれる。
別に現状は目の前で起こっていることだから大体分かるのだが、ありがたいことである。
「公転軌道、乗りました」
「周期固定」
「第6陣、エンジン停止確認。分離しました」
残りの船は、今けん引しているこの1隻のみ。
すべては操縦士と切り離しのタイミングにかかっている。
コックピットでは、船に搭載されているAIや司令官たちが固唾をのんで画面を見守っていた。
徐々に離れていく船たちは、離れたところからこちらをじっと見ている。
「公転周期固定確認。本船はこれより分離に取り掛かります」
分離担当士官の声が、緊張感高まる船内を駆け抜ける。
「分離士よりの報告、了解。操縦士より、全船に連絡。分離シーケンスを開始する。総員持ち場につけ。繰り返す、分離シーケンス開始、総員持ち場につけ」
総司令官の声に、嫌でも緊張はさらに高まっていく。
「いよいよだな」
だれともなく一言つぶやく声が聞こえる。
「切り離しまで、10秒」
カウントダウンの生身の声に、震えが走っている。
失敗しないことを、どこかにいる神に祈るしかない。
「5秒前」
急に、手が暖かいものに包まれた。
見ると、Scがぎゅっと握っている。
「3」
緊張の度合いは最高潮になる。
目の前が見えないほどだ。
「2」
ほほを汗が伝うのがわかる。
もう少しで、この苦労が報われるのか、それとも……
「1」
最後の瞬間、息をとめたかのような静寂が全身を包む。
「分離シーケンス起動。分離完了。安全確認開始」
操縦士は矢継ぎ早に伝えてくる。
分離は成功した。
その後の記憶は、わずかにしか残っていない。
ドサッと言う体が落ちるような音が、うっすらと覚えている最後の場面だった。
「う…ん……」
起きると、医務室に担ぎ込まれているようだった。
カーテンが開けられており、白を基調としている部屋全体が見回せる。
「あ、轟さんが起きた」
Teroがベッドのすぐ横の椅子に座っている。
読んでいた文庫本にしおりをはさみ、膝の上に閉じて置く。
「科学は…」
「あの子なら、あなたの上司と遊んでいますよ。呼んできましょうか」
「……そうですか」
ふぅーっと、長く細いため息みたいなものをついてから、再び尋ねる。
「新しい地球はどうなってますか」
「無事に分離が終わりました。量子移動用の設備が真っ先に設置されています。安心してください。公転周期、公転面、地軸、地磁気その他の種々雑多なもの。すべて順調に進んでいます」
「そうですか」
やっと安心することができる。
「それよりも、大丈夫なんですか。急に倒れたんでびっくりしましたよ」
「極端な緊張状態に置かれたからだと思います。ご心配をかけたのなら、詫びないといけませんね」
反身を起こそうとするが、思うように動かない。
「……すいませんが、やっぱり上司と科学を呼んでくれますか」
「そういうと思って、すでに呼んでますよ」
医務室の扉をあけるように手を動かすと、音もなく開いた。
とたんに、二人が転げこんでくるように入ってくる。
「大丈夫か」
まっさきにScにつぶされている格好になっている上司が聞いてくる。
「休暇願、受理してくれますか」
すぐにこたえる。
「ようやくか。ああ、いいとも。3か月と半月分。しっかりと休め」
いつの間にかそこまでたまっていたようだ。
さて、どこに遊びに行こうか。
そんなこと考えている間に、Scが足の上に乗ってくる。
「…心配した」
「ごめんな」
ただそれだけの会話。
しかし、伝えたいことは、すべて伝わる言葉。
ありがたい存在だ。
「それで、有給をとったから、どこに遊びに行きたい?」
Scに聞いてみた。
「どこでもいい。和也と一緒なら」
それから、Scは猫のように丸くなって、寝始めた。
「さて、あとはゆっくりとしてくれ。これで君の仕事はいったん終わりだ。あとは、どうなるか。それは誰にもわからないがな」
上司の一言は、しっかりと聞こえていた。
だが、意図的に無視して、ゆっくりとベッドに体を沈めた。