押してはいけない縦書き表示RDF


押してはいけない
作:福岡真彩


 男はこの会社に勤めて1ヶ月も満たない新入社員だったが、何か大事な用があるらしく社長室に呼ばれた。この会社は有名な大企業であり、普通の社員は社長と顔をあわせることすら、まずないのだ。
 彼は社会人としても未熟で、いきなり社長に呼ばれるとなると緊張でがちがちに固まっている。もはや脳が正常に働いていなかった。
 彼が秘書に連れられドアを開けると、目の前に豪華なテーブルとそれに備え付けられた同じタイプのソファが二つ見えた。社長はすでにソファに腰掛けており、テーブルにはすでに二つのコーヒーが並べられていた。
「やぁ。芳川くん、だったね。まぁ入りたまえ」
 芳川は深く頭を下げ、社長の目の前のソファに座った。会社のトップと新入社員が、同じソファおなじ目線で喋るとなると、どこか居心地が悪く感じられた。
「君は入社試験の論文に戦争のことを書いてたね。しっかり拝見させていただいたよ」
 芳川は話がよく見えず、はぁと頷いた。
「そうなのだ。戦争なんてものは、数年前にこの世界から消えてしまっている。どこの国も平和で、どこの国も恵まれている。この世界で戦争の悲惨さ、苦しさを未だに親身に考えるものが何人いるのだろうか。ほとんどの人間は忘れてしまっている。――だが、君は違う。そこで私は君に頼みがあるのだ」
「頼みと言うのは?」
 社長は小さな入れ物を取り出し、蓋を開けた。中には鈍く緑色に光る黒い物体が入っていた。真ん中にはボタンのようなものが付いていて、芳川はそれが何かの機械だと言う事を推測した。
「これを君に持っていて欲しいのだ。壊れやすいから気をつけてくれ。」
 芳川はその機械を受け取り、いろんな方向から観察してみた。
「ちなみにそのボタンは、絶対に5秒間以上押してはいけないぞ。」
 それを聞いた芳川は恐ろしいものを感じて、そっとテーブルに置いた。
「押し続けると、どうなるのでしょうか?」
「戦争がおきるのだ」
 芳川は息を呑んだ。自分にとっては荷が重過ぎる代物である。
「物騒なものですね…… なぜそれを私に?」
「ふむ。私もよくわからないのだ。ただ規則として、これを同じ人間が持ち続ける事は許されていない。常に誰かの手をわたって、誰の所有物でもない存在なのだ。だから君も数週間だけ守ってくれているだけでいい。精神が滅入ってきたら私に返してくれ。また誰かにそれを渡さなくてはいけない」
 社長の話に頷きながら、芳川はその機械を眺めて考え事をしていた。
 芳川の母は戦争で亡くなっていた。当時、旅行に行った国の近くではまだ戦争をしている場所があり、それに巻き込まれてしまったのだ。皮肉にも、それから数ヵ月後に、世界中で突然平和条約が締結され世界から戦争が消えた。
 未だにそれを憎み、忘れないでいる理由はそれだったのだ。もう二度と起きてはいけない事であり、そして人は忘れることで繰り返してしまうと考えているのである。
 芳川の、機械を眺めながら考えていた事とはやはりその事であり、少しでもその要因が存在することは危険なことなのだ。そして突然、目の前のその機械が憎く見えてきた。
「社長は、戦争が起きない世界、このボタンを押さない世界がお望みなのですね?」
 社長は大きく頷いた。
 それとともに、芳川はその機械を掴みテーブルの端に打ち付けた。それは脆く、すぐに粉々になって砕けた。
 呆然としている社長に、芳川はにこりと微笑んだ。
「これが僕の答えです。戦争を憎むのならこんなもの存在してはいけません」
 社長は放心状態になりそうながらも、ゆっくりと口を開いた。
「――なんて事をしてくれたのだ。君は何かを勘違いしている。それは戦争を起こす機械ではなくて、抑制する機械だ…… さっき言っていたボタンとは、その装置の緊急解除ボタンだったのだ……」
 それを聞いた芳川はすぐに砕けた装置を見た。
 それは徐々に緑色の光を失い始めていた。














ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう