失われた心 1
よく訓練された竜で助かった。
手綱を握っているだけの俺を振り落とさずに、竜は倒れ伏したケルベロスの上空をゆったりと旋回する。
『静かになった』『面白かった!』『またやりたいね~』
「ありがとう、助かったよ」
そよ風が、楽しげに耳元を撫でる。
精霊達が素直にのってくれて助かった。
ケルベロスの空気を震わす鳴き声が、風の精霊の気に触っていたようだ。
『まだ』『まだいるよ?』『ちっさいのがいる』『キューって鳴いてる』
「小さいの……?」
風が後ろから吹き付け、竜を押しやる。
そちらの方向にあるのは、先程までケルベロスが潜んでいた巣だろう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。友達と話すから、」
『ちょっと?』『ちょっとって何?』『ノア、はやく、はやく!』
地上で、トリスタン達がこちらを見上げている。
「ノア、左足で腹を蹴るんだ! 同じ方向に手綱を引っ張って! ゆっくり!」
アリスのアドバイス通りにすると、竜はゆっくり降下した。
風が戯れについて来て、着地点が少し離れたが、初心者なのだから許される範囲だろう。
あのまま風に流されたら、藪の中に突っ込む事になる。
他のモンスターに、ひとりで遭遇するハメになるのは、勘弁して欲しい。
「アリス、大丈夫か? みんなは?」
「ああ、怪我はない。騎士は、何名か負傷したが、いずれも軽傷だ」
「よう、空の旅はどうだった?」
クインシーが、泥だらけの姿で現れた。
「久しぶりに地平線を見たよ。傭兵達は?」
「ひとり足を折った。そいつ以外は、まあ大丈夫だろ」
ケルベロスの右首の縄が緩んだ時、その先端にいた傭兵が巻き込まれて、空中に持ち上げられたらしい。
地面に叩き付けられて、足の骨を折ってしまったようだ。
「六番隊の人に頼んで、怪我人を見てもらおう。アリス、手当てを頼んだ。俺はクインシーと一緒に、トリスタンの所へ行ってくる」
「分かった」
俺はクインシーと共に、ケルベロスを検分している、騎士団の元へ向かった。
「トリスタン、お疲れ様」
「ああ。ペイトン、後を頼む」
トリスタンは三番隊の隊長に後を任せ、副団長のバルドを伴って、こちらへ歩いて来た。
いつも騎士として、きっちりと身形を整えているトリスタンも、今は泥や汚れにまみれている。
クインシーが傭兵達の被害報告をすると、トリスタンは素早く団員に治療にあたるよう指示を出した。
「傭兵ごときに、随分優しいじゃねぇの」
クインシーが、わざわざ貴族を揶揄した言葉を吐く。
「当然の事だ」
「いいや、珍しいね。アンタも随分、ノアに毒されたな」
俺は、首を傾げてた。
トリスタンは、クインシーの挑発的な言葉に、何の反応もしなかった。
ピクリと反応したのは、バルドだったが、俺を見て表情を和らげた。
トリスタンは元から、地位や身分には寛容だと思う。
公爵家の出身だというのに、貴族が絶対的に偉いとは思っていないようだし。
トリスタンが何も言い返さないので、俺が口を開きかけたが、それを遮るように話しかけられた。
「ところで、何か用があったのではないのか?」
「あ、そうだった。ちょっと気になる事があって……」
俺は、精霊の事をぼかして、巣を一度調べた方がいいのではないかと伝えた。
「それは、いずれ調査隊が派遣されるだろう。我々の仕事は終わった」
「そうだなぁ。ケルベロスの死骸も、このまま放置するわけにはいかないが、いっぺんにゃあ運べない」
トリスタンとバルドが、もっともな事をいうので、俺は返答に困った。
クインシーは、巣のある方をじっと見ながら、俺に質問した。
「竜に乗って、巣の真上近くまで行こうとしてたな? なんか、見えたのか?」
クインシーがそういうと、トリスタン達も、そうなのかと俺の顔を見る。
「……鳴き声が聞こえたんだ」
「鳴き声?」
クインシーは、少しの沈黙の後、怪我してねぇーやつ、何人か連れて、ちょっと見てくるわと言った。
まるで散歩に行くような軽さで、そういうと、さっさと歩いて行ってしまった。
「……クインシーに任せるとしよう」
「ああ、うん」
三人ほど連れ立って、繁みへと消えて行くクインシーをトリスタンと共に黙って見送った。
気を付けろなんて言葉は、クインシーには余計な心配かもしれないが、そんな暇もなかった。
クインシーを待つ間、俺達は事態の収拾を行った。
負傷者は、とりあえずの手当てをされ休んでいる。
動ける者は、ケルベロスの双頭を沼から引っ張り上げたり、縄や杭を回収している。
「ノア、来てくれ」
トリスタンに呼ばれ、俺はケルベロスの素材になりそうな部分を鑑定していた。
モンスターの遺体は仕事柄見慣れているが、切り口が新しく生々しい。
牙や眼、爪や毛皮など、素材の塊なのだが、全てが大きいので、順番に解体していくしかない。
しかも、ほとんど討伐された事のないケルベロスだ。かなり貴重である。
このまま放置すれば、全ての素材を剥ぎ取る前に、他のモンスターに食べられて無残な姿になってしまうだろう。
首は討伐の証として、馬車に乗せて先に王都へと運ぶ事になっている。
それ以外の部分は、剥ぎ取れる部分だけ運んで、一応魔物よけの結界を張っておくらしい。
「ノアさーん!」
「ルーク!」
十番隊から、討伐成功の知らせを受けてたルークは、馬車を率いて近場まで迎えに来てくれた。
「どうもどうも! いやぁ、怪我がなくて何よりです! さあ、アリスと竜に乗って下さい! 沼地の入り口で、馬車が待ってますよ」
ルークは、ぱっと俺の無事を確かめると背中を押した。
「ルーク、待ってくれ。先に負傷者を運ぼう」
「ああ、そうですね。大丈夫です、馬車はひとつじゃありません。団長様、首級を載せるための荷馬車も用意してありますよ」
さすがルーク。
陽も沈みかけ、沼の水に浸かった体は、容赦なく冷えていく。
精神的な疲れもあるし、正直すぐに馬車に乗って座り込んでしまいたい。
しかし、まだクインシー達が帰っていない。
『『――グルルル』』 『キューン』
茂みの奥から、獣の唸り声が聞こえる。
俺達がいっせいに、そちらを振り向くと、木々を掻き分けてクインシーが顔を覗かせた。
「おい、魔術ぶっ放すなよ。 おいノア、当たりだぜぇ」
警戒する騎士達に、クインシーは手を上げてけん制しつつ、手に持っていた縄を力強く引っ張った。
そこにいたのは、まだ子供のケルベロスだった。
子供といっても、大型犬をゆうに超える大きさだ。
クインシーと傭兵三人がかりで、縄をかけ押さえつけている。
精霊達が言っていたのは、ケルベロスの子供の事だったのか。
ケルベロスが、なかなか巣から離れたがらなかったのも、この子供がいたからかもしれない。
「いっちょまえに、三ツ首だぜ。さて、どうするかね?」
どうするって、どうするんだ?
ケルベロスは珍しいモンスターだ。
冒険者や傭兵が、こうしてケルベロスを捕まえられれば、金欲しさに見せ物として金持ちの好事家に売り払う事だろう。
親がいれば、アルブスの街で卵を追いかけてきたワイバーンのように、大変な事になるだろう。その親も、今回は倒している。
だが、それは甘い考えだ。
モンスターの成長速度は、人とは比べ物にならないぐらい早い。
金に目が眩んだ者は、いずれ自分達の手に負えなくなるというのを、すっかり忘れているのだ。
「――まあ、普通なら殺しちまうだろう。巣には他に何もなかったし、父か母かわからねぇが、この沼地にもう一匹ケルベロスがいるとは思えない」
クインシーがそういうのには、ちゃんと根拠がある。
モンスターが長く子育てをするというのは、珍しいケースだ。
それも両親そろって子育てをするようなモンスターは、今のところ見つかっていない。
そして、この沼地はそう広くない。
食料となる生き物の量も限られてくる。
今回のケルベロスは、首をひとつ失って、元いた場所では子育てできないと、この沼地に逃げてきたのだろう。
「だが、かなり珍しい個体であるのも確かだ。すぐに死んじまうかもしれねぇが、研究の材料にするには、かなり役に立つだろうよ」
モンスターの生態研究は、あまり進んでいないらしい。それに、各地で起きている異変を解く鍵になるかもしれない。
静かに考えていたトリスタンは、ケルベロスの子供を檻に入れて運ぶと決断した。
「一度、王都付近の村まで運ぼう。陛下の許可が下り次第、王都へと運び込む」
2015/01/12 修正