誘拐 1
薄暗い部屋だ。
小さな灯りがひとつ、見上げた先のテーブルの上で光っている。
カーペットに放り出された体をのろのろと動かす。
後ろ手に縛られていて、うまく起き上がれない。
俺は膝を付いて、なんとか上体を起こした。
そこまでして、やっと頭が回り始める。
ソーンに会って、ギルドが火事に巻き込まれて、馬車に乗って、それで?そうだ、ユージンは?
「――ワープ、何故コイツを連れてきたんです。計画にない事はしないで下さい」
「堅苦しいわねぇ。いいじゃない、何かの役に立つわよ」
テーブルの向こうから、声が聞こえて来る。
最初の声は、ソーンに似ている。
次に聞こえてきたのは、女っぽいシナのある言葉使い。しかし、ワープの声はどう考えても野太い男のものだ。
「おやめ、ソーン。――それで? 彼のスキルは、本物に間違いないのね」
「はい、メアリー様」
また新しい声だ。
多分、若い女だろう。
命令する事に慣れている話し方だ。
情報は少ないが、分かった事がいくつかある。
俺はこいつらに誘拐されたらしい。
ソーンに誘導されて、まんまと馬車に乗ってしまった。
何故誘拐したのか分からないが、話からして、俺のスキルが目当てだろう。
少なくとも、この部屋には三人の誘拐犯がいる。
コーディ卿の姿は見え無ないので、判断は保留するしかない。
俺は声の方に目を凝らした。
灯りが小さすぎて、光は部屋の隅まで届かない。
「そろそろ目が覚めるんじゃないかしら?」
ワープの不気味な低い声が、楽しげに響く。
「ふふ、ではさっそく用事をすませましょ?」
「仰せのままに」
メアリーの声に、ソーンが動き出す気配がした。
足音もなく、暗闇からソーンが現れる。
半分だけ照らされた顔は、能面のように無機質だ。
「おや、わざわざ起こす必要もなかったですね。さあ、メアリー様がお待ちです。立ちなさい」
縛る縄ごと持ち上げられて、俺は無理やり立たされる。
今は無駄な抵抗はやめておこう。
大人しくした方が、隙を突けるかもしれない。
ソーンは俺をテーブルの近くまで歩かせ、肩を押さえ付けた。
俺はよろめいて、地面に膝を付く。
肩に手を置いたまま、ソーンが耳元で囁く。
「素直ですねぇ。馬鹿な事は考えない方がいいですよ? ――アナタのお友達のためにもね」
「ユージン……!」
「ンフ。この子かわいいわねぇ……。ずっと震えてるわ」
こいつが、ワープか。
ワープは、不気味に体をくねらせながら言った。
ソーンより実用的ではあるが、同じ系統の民族系統を着ている。
むき出しの二の腕が、ユージンの首を盛り上がった筋肉で圧迫していた。
反対の手は、ユージンの口をふさいでいる。
ユージンの目が、恐怖からだろう、瞬きを繰り返していた。
「ノア・エセックス。お友達を失いたくなかったら、私の質問にみっつ、答えなさい?」
メアリーと呼ばれた女の声が、正面から聞こえてきた。
微かに見えるのは、彼女のドレスに包まれた足だけだ。
椅子に腰掛け組んだ足先で、ピンヒールが鈍く光りを反射している。
「ひとつ。アナタのアビリティースコアと呼ばれるスキルの習得条件は?」
「――知りません」
これは本当の事だ。
条件が全て分かっているならば、誰か適任者を見付けて伝えている。
「分かっている事だけでも、言いなさい」
メアリーの口調は柔らかいが、拒否を許さない響きを持っていた。
口を開いたものの、俺が何も話さないでいると、ユージンから苦しそうな呻き声が聞こえた。
「やめろ……!」
「早く答えるんですね」
前に出ようとしても、ソーンがそれを許さない。
「鑑定士のスキルを持っている事ぐらいしか、心当たりがありません! 本当です!」
レベルの高さが関係しているのかは、自分のレベルが分からないので、条件だとは言い切れない。
おじさん達に報告しているのは、その位である。
「そ、残念ね。 アナタがあと二・三人いれば、私好みの兵隊を作るのに、とっても役立ったでしょうに」
メアリーの声は、本当に残念そうだったが、その考えに俺は冷や汗が止まらなかった。
このスキルを乱用すれば、欲しい能力を持つ者を簡単に選別する事が出来る。
また、短期間で集中して強い兵を鍛えるアドバイスも出来るだろう。
ただし、能力がすぐに開花しない者や、体力の無い者は切り捨てて行く必要がある。
出来上がるのは、強力で恐ろしい精鋭の軍隊だ。
「ふたつ。ダリア皇女に会ったわね? 彼女のスキルを教えなさい」
「知りません! 俺は何も見なかった」
メアリーの質問は、難題ばかりだ。
チラリとユージンを見るが、依然としてワープに拘束されたままである。
「何も見ないなんて、変だわ。アナタの身を危うくさせるような秘密を知った人でしょう? アナタだって知らなきゃ、フェアじゃないわ」
メアリーは、ロトス帝国に雇われたのだろうか。
ダリア皇女に秘密があったとして、それを俺が知っているか確かめたくて、こんな質問をされているのか。
だが、俺の答えは変わらない。
「余計な事は知らない方がいい。身を守るためです」
「あら、賢明だこと。でも、知っていなければ、困る事もあるわ」
どう言ったら信じてもらえるのだろう。
ダリア皇女は、俺がアビリティースコアのスキルを持っていると、どこからか知ったようだが、それが彼女の秘密に繋がるのか。
「かわいそうに。アナタ、何も知らないのね。先王やアナタの養父は、アナタの秘密を皇女に漏らした人をすでに知っているのよ?」
「……それが本当だとして、俺が知らなくてもいいことだと先王陛下が判断されたなら、それまでです」
ここで初めて、俺は嘘を付いた。その人物が誰か、気にならないはずがない。
言葉にしたのは、建て前であり、諦めでもあった。
ここがどこか見当も付かないが、気絶していた時間はそう長くない。
そう思いたいだけかもしれない。
それでも、きっとクインシーやルークが見付けてくれるはずだ。
俺はその時を待つしか無かった。
「もう、知らないって答えには飽き飽きしたわ。そろそろ本当の事を話しなさい」
メアリーは足を組み替えて、冷たく言い放つ。
ワープがユージンを持ち上げた。
上背のあるワープが真っ直ぐに立ち上がれば、首を絞められたままのユージンは、当然宙吊りになる。
「ぐっ……!」
「ユージン! 止めて下さい! 俺は……!」
知らない、と言うフレーズをギリギリで飲み込む。
同じ言い方をしても、メアリーは納得しない。
「早く言ってしまいなさい。アビリティースコアについてでも、ダリア皇女についてでもいいんですよ?」
前のめりになる俺に、ソーンがうっそりと言った。
軍隊が作りたければ、ソーンのスキルを使えばいいじゃないか。
俺とは少し違うようだが、スキルを見抜く力はあったはずだ。
「エセックス卿に報告していない事のひとつやふたつ、あるでしょう?」
ソーンの言葉は俺を誘導しているようだ。
だが、分かっていても、ユージンの苦しむ顔を見ていれば、何か話さなければと考えてしまう。
「痛い! ちょっと、この子私の手を噛んだわよ!」
ワープがわざとらしく裏声で言った。
締め技から解放されたユージンが、ワープに腕をとられながらも息を思いっきり吸い込んでいる。
「……ゲホッ、ノアさん! ソーンの言葉に耳を貸したらダメです!」
「お黙りなさい、坊や」
メアリーの声は、震える程優しく、それ故に恐ろしかった。
「ユージン、口を閉じるんだ」
メアリーは、人を傷付ける事に何の抵抗も持たないだろう。
話せば、ユージンの命が危ない。
「こいつのスキルは、心を読む力がある!」
「……おや、やっと気がつきましたか」
ソーンは大して動揺せずに、目を細めて肯定した。
「私が言いたかったのに。アナタ、もう要らないわ」
メアリーの細い腕が、暗闇から伸びる。
指先に光が集まり、圧縮されて小さな弾になる。
やばい。
どうすればいい。
クインシーは来ない。
「バイバイ」
メアリーの口元の笑みが見えるようだった。
小さな光の弾は、瞬く間にユージンの胸に向かって吸い込まれていった。
2015/01/12 修正