赤の皇女
さてさて新章突入です。
これからの方針ですが、ノアにはまだまだ窓口をやってもらいます。
しかしそれだけでは物語は進められないので、城にいったりもします。
いろいろと感想を頂いて、改訂していきたい所もありますが、とりあえず更新を優先させていきたいと思います。
活動報告に書くべき事柄かもしれませんが、そこまで読むのは手間だと思うので、この場を借りてご報告させて頂きました。
5/30 10,000,000PV突破しました!ありがとうございます!!
ふと、自分という存在を思い出す。
ぼんやりして、よくわからない。物の輪郭が無い空間に、俺は浮かんでいた。
この感覚は知っている。
ああ、夢だ。
眠る前、何か大事な事があったような。
よく思い出せない。
世界が急に色付く。
真っ白なベッドに眠る俺が見える。
医療器具に繋がれて、少しも動かない。
側には父が座っていて、俺の顔を覗き込んでいた。
なんで父がいるのだろう。
俺の父は死んだはずだ。母の薬を求めた旅の途中で。
違う。
あれは、そうだ。俺が日本にいた頃の父だ。
ベッドで眠っているのは、日本人の俺だ。
もし、俺が生きていたとしたら?
事故にあった後、眠り続けていて、ノアである俺は、ただの夢なのか?
あの世界は、俺の想像が全て作り出したもの?
そんな訳が無い。
あの世界での両親、ナイジェル、おじさん、クリス、出会った人みんなに感情があって、苦しんで、笑っていた。
「ごめん、父さん」
病室と父の姿が歪んで消え、俺は再び何もない空間にいた。
病院のイメージは、俺に都合のいい夢だ。
電車に引かれた俺の体が、五体満足でいられる筈が無い。
日本での生活に戻れるわけでもない。
俺は転生した。だが、もう一度あの人生を生き直せはしないのだ。
死んだら、後悔も出来ない。
そうだ。俺は、スミス隊長に刺された。あの後一体、どうなったんだろうか。
おじさんは無事なのか。不意を突かれなければ、おじさんは強いから大丈夫だと思うが。
これが夢だと言うのなら、まだ俺は生きているのだと思う。
俺は、ずっと死ぬ事に怯えて生きてきた。
目が覚めたとしても、死の恐怖はずっと付きまとうだろう。
おじさんの前に飛び出したとき、俺は恐怖を瞬間的に忘れた。
危険だと分かっていても、それでも、おじさんを守りたかった。
でも、それではだめなんだ。俺がやった事は、勇気ある行動でもなんでも無い。無茶や無謀ってやつだ。
死ぬ恐怖を忘れてはいけない。
俺は死にたくないんじゃない。生きたいんだから。
生きたいんだ。
そうか、ずっと生きたかったんだな、俺。
逃げるだけでは、自分の身も大切な人も守れない。
守る為の力が欲しい。
俺は生まれてはじめて、力が欲しいと思った。
瞼越しに光を感じて、俺は目を開けた。
左右に顔を動かして、辺りを見回す。
そこが医療器具に囲まれた病室でない事に、少し安心した。
ノアである俺が、生きていると言う事にも。
「ノア……!」
おじさんが、隣の部屋から入ってきた。
俺が目覚めているのに気が付いて、おじさんが側に来る。
声を出そうと口を開けたが、かすれた呼吸音が漏れただけだった。
それに気がついたおじさんが、俺の体を支えながら、水差しを口にあててくれた。
「ここは……?」
「ああ、アルビオンの王城だよ」
おじさんは、俺が刺された後の話をしてくれた。
扉の前に控えていたバルドが、異変に気づいて突入。スミス隊長を取り押さえた。
刺された場所は肩で、傷は大きくはなかったが、とても深いものだった。
幸い出血は酷くなかったが、医療に関してそれほど発達していない世界なので、だいぶ重症のたぐいだ。
すぐに止血をして、一の郭へ運ばれる事となった。おじさんや俺の身の安全を考えての判断だ。
一の郭での移動中、王城に向かうロトス帝国の使節団と遭遇。
怪我人がいるなら、ぜひ我が帝国の医師団に任せて欲しいと言われたそうだ。
外国の使節団の親切を断るわけにもいかない。
ロトス帝国の使節団が連れていた医師によって、俺は治療され、そのまま王城に運ばれたそうだ。
傷は今の所、痛くない。俺は王城に運び込まれ、三日間意識を失っていたそうだ。
何と言うか、とんでもない事に巻き込まれかけている気がする。
おじさんの視線を感じながら、俺はこれからどう立ちまわるべきか考えていた。
「失礼するよ」
滑り込むように、ユース様、いや、先王陛下が入ってきた。
俺が驚きながらも体を起こしかけると、先王陛下はそれを手で制した。
「怪我の具合はどうだい?」
「せ、先王陛下……」
「ユースと呼んでくれて構わないのだよ。今回の事、ノアくんには感謝しているんだ。ランドルフの友人としてね。彼を助けてくれてありがとう」
そう言って、ユース様はゆっくりと頭を下げた。
「私が真っ先に言わなければならなかった。ノア、ありがとう」
「は、はい……。あの、俺は余計な事をしてしまったのでは……」
おじさんなら、俺が何かしなくても、自分の身を守れたかもしれない。
俺が怪我をしたせいで、外国の使節団の手を煩わせてしまった。
「ノア、お前はまたそうやって。自分の価値を少しは認めなさい」
おじさんが怒ったような、困ったような顔でそう言った。
「感謝は素直に受け止めるべきだ。君はそれだけの事をした。ランドルフの命を救ったんだ。使節団に関しては、君が責任を感じる必要はないんだよ」
「……はい」
おじさんが、俺の怪我の状態について話し、今は痛みもない事を伝えると、ユース様はよかったと笑った。
「それにしても、耳が早すぎるな」
「ああ、私もそう思う」
耳が早いとは、使節団の事だろう。
なぜ使節団の人達は、騎士団内でおこった事件を知っていたのか。
何らかの事で騒ぎを聞きつけたとして、おじさんが怪我人ならば、アルビオン王国に対して、ロトス帝国は恩が売れる。
しかし、リスクが高い方法だと俺は思う。
おじさんが思っていたより重症で、治療中に死んでしまう様な事があったら、真実は別にして外交問題になる。
しかし、最初から貴族でもなんでもない、俺が怪我人と分かっていて助けたとしたら。
使節団は、とんでもなく耳が早い事になる。
スミス隊長は、ロトス帝国と縁の深い、盲信的なフラテル教信者だった。
フラテル教の信者がエセックス辺境伯を殺そうとした。これはフラテル教にとってはイメージダウンだ。
しかし、発祥の国である帝国の使節団がこれを助けたら、この事件に帝国は関係していないと言う、いいアピールになる。
スミス隊長の単独犯。国内の問題であり、フラテル教への考えも、一部の過激派の仕業と世間は見て、イメージダウンも最低限防げる。
ここまでくると、スミス隊長とロトス帝国が全く関係ないと思えない。
だが、スミス隊長は立派なアルビオン貴族の家系のはずだ。
俺はベッドに深く沈みこんで、溜息を吐いた。
「失礼! 患者を見に参りましたわ!」
扉の方がなにやら騒がしい。首だけでそちらを向いた瞬間、大きな音をたてて扉が開かれた。
赤い髪の女性が、これまた大きな声を上げてずかずかと室内に入ってきた。
その後ろには、白い服の男と、女騎士、侍女が続く。
さらに後ろに、こちらはアルビオンの近衛兵と、先王陛下の騎士が見えた。
「先王陛下! それにエセックス卿、ご機嫌麗しゅう」
「申し訳ありません、先王陛下……!」
赤い髪の女性は、固まった俺達など気にもせず、ユース様に挨拶している。
どうやらロトス帝国の使節団の面々のようだが、なんと言うか、すさまじい迫力である。
「これは……ダリア皇女。御機嫌よう」
皇女。確かに威厳と優雅さを感じる。とっても美人であるし。
扉を守る近衛兵達は、他国の皇女に開けろと言われて断りきれなかったようだ。それでいいんだろうか。
おじさんは、厳しい顔をしつつも、ユース様の横に控えるように立った。
「あらあらあら、目が覚めましたのね! さぁ、経過を見させて頂いてもよくって?」
迫力美人がこちらをみた。俺は頷くので精一杯だ。
あれ、感謝の言葉とか言った方が良いんだろうか。いや待て、皇女に直接話しかけてもいいのか?
俺はちらりとおじさんを見た。おじさんが首を横に振る。余計な事はしなくていいと言う事だろうか。
白い服の男が、どうやら医師のようだ。
いくつか質問に答え、傷を触診され、包帯を巻きなおされて俺は解放された。
「大きな傷は魔術で塞ぎました。ですが、内部の傷のダメージは残っています。こまめに包帯を変えて、一週間は安静にして過ごして下さい」
「はい、ありがとうございます」
どうやらしばらく右肩は動かせないようだ。
それなりに大きな怪我をしたのに、それだけですんだのだから、喜ぶべきだろう。
「よかったですわ。確かお名前は、ノアさんでしたわね。そうお呼びしても?」
「はい、皇女様」
皇女が顔を近づけて聞いてくるので、声がうわずりそうになるのを必死で我慢して俺は返事をする。
「あら、ダリアと呼んで下さらないのね。残念」
無理です。
この部屋の空気は、完全に皇女のペースに染まっていった。
誰も彼女を止める事ができない。
「ノアさん、あなたはエセックス卿の養子とお聞きしましたが、なぜギルド職員なんてしていらっしゃるの?」
「あ、あの……」
俺が養子では無い事を訂正する暇もなく、皇女は話し続ける。
「養子とは言え、貴族なのですから、それ相応の地位に立てばよろしいのではなくて? わたくし、もったいないと思いますの。せっかくの才能をお持ちなのに、ギルド職員なんて!」
なんて高慢な物言いだろう。これまで俺がやってきた事が全否定されている気がする。
一体何様だ。いや、皇女様だ。
この芝居がかった振る舞いは、素なのだろうか。
「そして自己犠牲を持ち合わせるその勇気! ノアさんは英雄の才覚もお持ちなのね。ああ、そうですわ!」
皇女はこれまでより、いっそう深く笑って言った。
「ぜひ、ロトス帝国においで下さいな。そうすれば、ノアさんの才能を余すことなく発揮できる場所をご用意できますわ」
この発言には、これまで傍観していたユース様も反応した。
おじさんの方は見たくない。そちらを向かずとも、ピリッとした威圧感を感じる。
「ダリア皇女、彼は確かにエセックス辺境伯が保護していますが、貴族ではありません」
ユース様がやんわりと言うが、皇女の表情は微細も変わらなかった。
「あら、そうは見えませんでしたわ。だって、先王陛下が直々にお見舞いにいらしておりますもの。貴族でないのでしたら、ロトス帝国の貴族になりませんこと? 歓迎いたしますわ!」
「本人が、貴族になる事を望んでいないのです。ただのギルド職員でありたいと」
皇女は俺の内心を弁解してくれたおじさんの言葉をまるっと無視して続けた。
「それに、わたくし知っていましてよ。ノアさんのお持ちになっているスキルについて」
「な、なんで……!」
俺だけでなく、これにはユース様もおじさんも目に見えて動揺した。
「ふふ、それは女の秘密ですわ」
こちらの反応が楽しいとでも言うような顔で、皇女は微笑んだ。
「そのスキルがあれば、才能のある者を探し出すのにも、強者の弱点を突く事も簡単にできてしまいますもの。素晴らしいスキルですわ。エセックス卿を魔の手から救ったのも、そのスキルのおかげではなくて?」
図星である。
スミス隊長が、刺突系のスキルを持っているのを知っていた。だからこそ、あの瞬間俺は動けたのかもしれない。
実際、そんな風に考える時間は無かったが、相手の行動や能力を事前に知っている事で対策できる場合もたくさんあるだろう。
「ノアさんさえよければ、すぐにでも、わが国にお招きしようと思ったのですけれど。わたくしったら急ぎすぎたようですわ。でも、何も嘘は言っておりませんのよ。気が変わったら、いつでもおいでくださいね」
皇女の白い手が、俺の頬を撫でた。
皇女の目が、まっすぐこちらをのぞき込んでいる。
目は髪と同じ赤い色で、誰もが、とても美しいと褒め称えるだろう。
しかし、俺にはなんとも毒々しい色に思えた。
「それでは皆さま、御機嫌よう」
皇女は最後にそう締めくくり、従者を引き連れて扉から出て行った。
俺はただ、それを呆然と見送る事しか出来なかった。
2015/01/12 修正