ただいま
魔法ギルドからの帰り。
ルークと別れた俺は、クインシーと共に馬車に揺られ、トリスタンの屋敷に向かっていた。御者はトムさんだ。
俺が屋敷に帰ると知って、トリスタンがよこしてくれたらしい。
トムさんは、魔法ギルドの前で会うなり俺の手を握って、心配しましたと言ってくれた。
「シュテルン公爵家の坊ちゃまが、騎士団のダンチョーやってんだっけ」
「トリスタンは良い団長ですよ。優しいし」
俺が思ったままの事を言うと、クインシーが鼻で笑った。
「ハッ。初めて聞いたな。メンシス騎士団長は、怖いだの冷徹だのと言われているらしいが」
「誰がそんな事を?」
「知らねえよ。ただの噂だ。ま、それが一般的なイメージってやつなんじゃねぇの。金持ちへのやっかみもあるだろうけどな」
確かに、トリスタンのあの鉄仮面は周囲に誤解を与えるのかもしれない。
「イメージか……」
一般的と言うのは、王都の民の感覚の話だ。
クインシー曰わく、王都の騎士のイメージとは、あまり良くないものらしい。
「別にメンシス騎士団に限った事じゃねぇ。王都の民は、壁に守られてるからな」
辺境の騎士団は、周辺の街や村の人々にとって、モンスターから守ってくれる重要な存在だ。
しかし、壁に守られた王都の民にとって騎士の重要度は低いのだ。
中には、騎士は威張り散らすだけで役立たずだ。税金の無駄使いだと言う者達もいるらしい。
そう言えば、王都に来てからギルドと騎士団を往復する毎日だった。
クインシーに言われて、騎士達がどう思われているのか改めて分かった。
確かに、中にはマロースのようなやつもいる。だが、多くの騎士達は、国の為を思って日々鍛錬をしている。みんな良い人達だ。
これから先、ギルドとの連携を取る機会が増えれば、きっとそのイメージも改善されるだろう。
「……頑張ろう」
「ま、悪いイメージってのは中々変わらないもんだ。気長にやんな」
クインシーがニヒルに笑った。
軽く放たれたその言葉には、何だか重みがある気がした。
俺は小さく頷いた。
屋敷に着くと、トリスタンとアリスが出迎えてくれた。
「ただいま」
自然と口から出た言葉に、自分で驚いた。
「ああ、よく帰った」
トリスタンがそう答えた。あのトリスタンが。しかも笑った、気がした。
「お帰り、ノア」
「お帰りなさいませ、ノア様」
ポカンとした俺を見て、アリスが笑いながら言った。
トリスタンの後ろに控えた執事とメイド達も、静かに頭を下げて挨拶してくれた。
俺はもう一度、笑ってただいまを言った。
「えっと。先王陛下から話があったと思うんだけど、」
「護衛のクインシー・キューだ。世話になる」
いつもの鉄仮面に戻ったトリスタンが、ああ、と頷いて執事をチラリと見る。
「クインシー様のお部屋は、ノア様のお隣の部屋をご用意しております。後程ご案内致します」
「護衛する側にとっちゃ、そりゃ助かるが。随分扱いが良いんだな、こんなチンピラ相手によ」
トリスタンは首を振った。
「ノアをよろしく頼む」
短い言葉だったが、クインシーにはそれで充分だったらしい。
「フッ。任せろ」
次いで、クインシーがアリスに目線を向けた。
「そんで、このお嬢さんは誰だ?」
「私はアリス・ルルー。ノアを守るためにここにいる」
「アンタ、ノアの為に命捨てる覚悟があんのか?」
鋭い目つきで、クインシーがアリスに問いかけた。
俺は首を振る。アリスに命を捨てる覚悟などして欲しくなかった。
アリスはチラリと俺を見た後、すぐにクインシーに向き直った。
「それはノアが望んでいない。生きてノアを守る。それが私の覚悟だ」
アリスは一切迷わずに、そう言い切った。
クインシーが溜め息をついて俺を見る。
「おいノア。お前どんだけ甘やかされて生きてんだよ」
「う……」
生きて他人を守る。
それがどんなに難しい事なのか、俺には分からない。
俺の我が儘や傲慢で、アリスを縛ってしまっているんだろうか。
「ま、別に何人いようが構わない。俺は俺で動く。邪魔はすんなよ」
「分かった」
クインシーはそれ以上、深く突っ込んでこなかった。
アリスとも折り合いをつけたようで、俺はホッと息をついた。
「明日っから魔術の訓練も始める。じゃあな」
「お休み、ノア」
アリスやクインシーと別れ、俺はトリスタンと共に静かな屋敷を歩いていた。
「……すまなかった」
突然、トリスタンが囁くように言うものだから、一瞬何を言われたか分からなかった。
言葉に詰まった俺を見て、どう思ったのか、眉間にシワを寄せたトリスタンが歩くのを止めた。
「本当に、すまなかった」
「うわわ、聞こえたから、分かったから頭上げてくれ!」
俺が慌ててそう言うと、トリスタンはゆっくりと顔を上げた。
「何か間違っていたか?」
首を傾げるトリスタンに、俺は頭を抱えた。
アルビオンの貴族って、人に頭なんか下げないんじゃなかったっけ?
「バルドに聞いた」
つまり、副団長に庶民の謝罪の仕方を聞いたと言う事だろうか。
「団長として、友人として、だ」
「トリスタン……。分かったよ。ちゃんと考えて謝ってくれて、ありがとう」
そう言うと、少し考えてからトリスタンが言った。
「それは、謝罪を受け入れてくれると言うことか?」
「そうだよ。許す。仲直りだ」
トリスタンの眉間のシワが無くなった。
あれは困った顔だったのか。
別に怒ってもいないし、喧嘩した覚えもないが、言って正解だったようだ。
「仲直り……」
心なしか、トリスタンの声が柔らかい気がする。俺はなんだか小さい子供を相手にしている様な気分になった。
静かに側に控えていた執事と目が合った。
彼は嬉しそうに笑っていた。
「実は、イズーにノアの事を話したのだ」
「俺の怪我の事を?」
トリスタンが頷く。
箱入りのお嬢様に、血なまぐさい話を聞かせてしまったな。
「……お前に怪我をさせた事をイズーに責められてな」
愛する妹に言われたのが、よっぽど堪えたらしい。トリスタンの眉間にシワが戻っている。
「ご、ごめん」
「いや」
そんな話をしている内に、イズーの待つ部屋に着いた。
部屋に入ると、俺を見たイズーが、ソファーから立ち上がった。
「ノア!」
「は、はいっ」
イズーは俺の真正面、すぐ側まで来ると、ピタッと止まった。
「し、心配、心配しました!」
「あ、」
イズーはその大きな緑色の瞳から、ボロボロと涙を流した。
それでも、無事を確かめるように、その目はじっと俺を見上げている。
ネコ耳はぺたりと伏せられ、薄い肩は小さく震えている。
「無事に、戻りました」
「はいっ」
どうしよう。
更に泣いてしまった。
無条件に抱きしめてしまいたくなる気持ちを押さえる。
「……心配してくれて、ありがとう」
胸の前で祈るように合わせられたイズーの両手に、俺の両手を重ねた。
「怪我は、もう大丈夫なのですね?」
「はい、治りました」
そう言うと、やっと安心したのかイズーが笑ってくれた。
良かった、本当に良かったと嬉しそうに繰り返すイズーに、俺も嬉しくなって笑った。
2015/01/12 修正