ムムのユメ
私のテディベア、ムムくんはお喋りするの。
あ、今引いたでしょ。
キャラ作りに迷走し過ぎてえらいことなってるなコイツって呆れたでしょ。
違う違う、本当に喋るんだって、私のムムくん。
私の心の友、一番の親友だもん。
あ、また引いたでしょ。
可哀想な奴だって同情したでしょ。
違う違う、本当に喋るんだって私のムムくん。
小学生の頃、それをクラスで主張して私は孤立した。
クラスメイトの痛い子を見る目が辛い。
『泣かないで僕のユメ。ユメには僕がいるだろ?』
「うん……」
『いつか僕がユメをそこから救ってあげるから、待っててね』
「うん……」
ムムくんは愛らしい容姿とは逆にとても男前だ。
いつだって私の味方で優しく励ましてくれる。
『ユメ、大好きだよ』
つぶらな瞳で真っ直ぐに伝えてくれる好意に、私は口付けで返す。
このもふもふな感触がまぎれもなく私のキスの初体験だったりする。
そんなムムくんとのお別れは突然だった。
ある時、いつまで経っても友達が出来ずお気に入りのテディベアとばかりお喋りをする娘を危惧した両親にムムくんを取り上げられたのだ。
海外に住む叔父さんが送ってくれた耳に白いタグの付いたシリアルナンバー持ちの高級品だったにも関わらず、燃えるゴミの日に捨ててしまったらしい。
ムムくんの声は私にしか聴こえていない。
だからきっと私に沢山助けを求めただろうに、何も知らずに呑気に学校に居たなんて……。
両親の非人道的な行いに、ショックのあまり寝込んでしまったっけ。
しかしまぁ子供とは順応性の高い生き物である。
ムムくんを亡くして一ヶ月もすれば新たに友達を作っていた。
今度はちゃんと人間だ。
ムムくんの主張を止めた私をクラスメイトは生暖かく迎えてくれたのだ。
ファンタジーの世界からお帰りなさい、と。
現金な私はムムくんのことなどすぐに忘れ、ちょっと頭がお花畑な普通の子供として面白おかしく過ごしたとさ。おしまい。
………おしまい、に出来ればどんなに良かったことか。
成長した私は今現在、夢の中でウサギのぬいぐるみとなっている。
大きな耳はその重さに耐えられずにダランと垂れ下がり、白に近い薄いピンクの短い毛並みは最高にふわふわで、赤いクリクリの目はプラスチックではなく本物のルビーがはめ込まれているんだって。
大きさは一歳児ほどの比較的大きめの愛らしいウサギの身体に私は乗り移ってしまっている。
「ああ、僕のユメ。君はなんて愛らしいんだ」
『ちょ、頬ずりしないで!』
「愛らしい君に触らないなど僕には出来ないよ」
『いやいや、極力触ってくれるな。手垢で汚れたら嫌だし』
薄ピンクなんて汚れが目立つではないか。
このウサギの持ち主らしい男に向かい抗議の声をあげるが一向に聞いてはもらえず、頬ずりを繰り返してくる。
自分の意思では一切動けないのでされるがままだ。
「大好き、愛してるよユメ。僕のお嫁さんになってね」
『ぬいぐるみなんで無理ですごめんなさい』
「アハハ僕はそんなこと気にしないさ」
私が気にするっての。
サラサラのブロンドに海のような青い目。それはそれは息を飲むほど美しい青年。
だけど、毎晩ぬいぐるみとお話ししてキスして求婚する人だ。
ちょっと無理かな。
「さぁそろそろ寝んねしようね」
『はいはい、おやすみー』
私……というかウサギのぬいぐるみを丁寧に横にすると青年も隣へ寝そべり、それを胸の中へと閉じ込める。
そのまま穏やかな寝息が聴こえるのを垂れた耳で捉えて私も眠ることにする。
瞼がないので目を閉じることは出来ないが、意識をぬいぐるみの奥へやるイメージで眠りに就くことが出来る。
しかし此処は夢の中のはずなのに眠るってどういうことだろうか。
私がこの夢の中で生活してもう数日になる。
いつもと同じ時間に自分の部屋で眠った私は、ウサギのぬいぐるみになって美青年に可愛がられるという夢を見ている。
夢を夢だと自覚することって結構あるから不思議ではないのだが、しかしこの夢一向に終わらない。
多分目が覚めたらいつものようにささやかな日常が始まるのだろうが、夢の体感時間が長過ぎではなかろうか。
もしかして私、現実世界では三年寝太郎になってやしないだろうな。起きても灌漑なんて出来ないよ。
今朝も目覚めたら麗しい青年の顔がドアップで、落胆の溜息を吐く。まだ起きないのか私よ。
「あ、起きたんだねユメ。おはよう」
『おはようムム』
この夢の始まり————動かない身体と見知らぬ巨大な美青年に激しく狼狽える私に向かい、彼は自分のことを“ムム”だと名乗った。
どこかで聞いた名だと思ったが思い出せない。
首を傾げる私に蕩けるような笑みで青年は「会いたかったよユメ」と口にした。
何故私の名を知っているのかと疑問に思ったが、ここは私の夢の中。
自分の名を呼ばれたとて不思議ではないだろう。
「さぁ仕事だ」
朝の支度を終えたムムはキリッとした顔を私へと向ける。
朝日を浴びた彼は一枚の美しい絵画のような完成度だ。
「執務室へ行こうユメ」
キリッとしたムムはモフッとした私を手に取る。
いや待ておかしい。絶対におかしい光景だ。
ムムは迷うことなく外へと繋がる扉を開ける。そこでは長い廊下が待っている。
朝早いというのに沢山の人間が既に働いており、しばらく歩くとすぐに他人とすれ違う。
ムムが通りすがると皆忙しそうにせかせか動かしていた足を止め、深々と頭を下げる。
「お早うございます王太子様」
そう、ムムは王子様だった。
その輝かしい美貌で王子様なんて、我が夢ながら出来過ぎだ。
「はぁ、なんて素敵なお方かしら」
「朝からお顔を拝見出来るなんてラッキーだわ」
ムムが通った後、メイドさん達が興奮したヒソヒソ声で囁く。
ぬいぐるみのはずなのに私の垂れ耳は聴覚がズバ抜けている。
しかしメイドさん達、ムムをちゃんと見ていたのだろうか。
よく見て、この人ピンクのうさぎ抱えて堂々と歩いてらっしゃるのよ!?
誰かツッコめよ!
夢時間にして数日、ムムは私を連れてこの城の中を動き回っているにも関わらず、私について誰もなにも言ってくれない。
半分はムムの顔に見惚れて気付かないパターンなのだが、もう半分は明らかに彼の腕の中の私を確認して怪訝な顔をする。
しかし絶対に指摘せずに、口元を引きつらせてヘラヘラと媚びた笑顔を作るのみだ。
「ユメ着いたよ。申し訳ないけど少しだけ待っててね。すぐ朝の分の仕事を片付けるから、そうしたら二人で朝食にしようね」
朝食……勿論ぬいぐるみの私は食べられないわけで。そもそも口ないし。
しかしそんなのお構いなしに毎回用意される二人分の料理。
首に小さなナフキンを巻かれ、ムムの膝の上で大人しくしていなければいけない。
お腹は空かないのだが、凄く美味しそうな料理を目の前にして食べられないってのは辛い。
しかもムムも食べるのは一人前だけ。
残りは私の視界を楽しませる為だけに用意されたもので手を付けられずに冷めていく。
後から誰かが食べるにしてももったいない。
私の分なんていらないし、食事中は私をどこか違うところに置いて欲しい。
『あのねムム』
「ん? なんだいユメ」
『その朝食なんだけど……』
「失礼します王太子様!」
ムムにどう切り出そうかと悩みながらゆっくり喋っていると、執務室に突然従者の男性が飛び込んできた。
その瞬間デレデレに崩れていたムムの表情が氷よりも冷たく固まった。
「私は今ユメと喋っていたのだが。それを遮る権利があると?」
振り向かずに背後の従者へと語りかける低い声はかなりの威圧感だ。
その証拠に従者の人からはムムの顔は見えないはずなのだが、彼は小さく悲鳴をあげてしまっている。
私の声はムム以外には聴こえない。
ぬいぐるみと喋っているのを邪魔されたと怒る王子……普通なら呆れてもよさそうだが、どうやらムムは皆から恐れられているらしい。
優秀な垂れ耳からキャッチする噂話によるとムムはとても厳しく、誰にも笑顔など見せないことからコッソリと氷の王子なんて呼ばれているようだ。
だから私のことも指摘したくとも恐くて聞けないみたい。
「で? 用件は」
「ご、ご滞在中の隣国のレイラ姫様が是非とも王太子様とご朝食を庭園でご一緒されたいと仰っておいでです」
「私とユメの愛の時間を裂いてまで一緒に居る価値など彼女にはない」
いやいや、その姫様がどんな人で隣国がどんな国力か知らないけど絶対に価値はあるよ。少なくともぬいぐるみとご飯食べるよりはある。
「い、いや、しかしレイラ姫様のとてもお強いご要望でして……」
「貴女の国が朝食のトーストのようにこんがりとなっても構わないのであれば同席すると伝えろ」
凍りついた表情のままボッと手のひらに小さな火の玉を浮かべるムム。
この夢の世界では魔法というものも存在する。
しかし誰でも魔法が使えるというわけではなく、才能を持って生まれた極々少数の限られた人間のみ使用可能らしい。
その中でもありとあらゆる魔法を自由自在に操るムムは大魔術師として世界に君臨しているとかいないとか。
やろうと思えば指先一つで世界を我が物に出来るとか出来ないとか。
この世はムムの為にあるとかないとか。
ムムファンのメイドさん達の噂話抜粋だから、正直どこまで本当なのかは分からないが。
しかし美青年で王子様で魔法使いって……設定盛り込み過ぎだよ私の夢よ。売れない少年漫画の主人公じゃないんだからさ、せめて欠点とか付けようよ。
あ、欠点ならあるか。うさぎのぬいぐるみを四六時中肌身離さず、しかもお喋りもしちゃうもんね。
どんな凄い厨二設定でもカバーしきれないよ、そんな欠点。
「お前もトーストになりたくなければ早く退席しろ」
「ひぃぃぃ! かしこまりましたっ!!」
顔を真っ青にして転がるように走り去る従者をムムは氷の眼差しで見送り、そうして改めて甘く蕩けるような目を私へと向ける。
「朝から物騒な会話を聴かせてごめんよ」
『あ、うん。でも本当にお姫様と朝ごはん食べなくていいの?』
「もちろんさ」
『今の人、困らないかなぁ?』
「ああ、彼はクビだから気にする必要はないよ」
『え!? なんでまた!?』
さらりと飛び出した言葉に驚く。
「僕とユメの時間を邪魔したのだから妥当だよ」
『んなご無体な! 可哀想じゃん!』
そんなくだらない理由とか勘弁してやって欲しい。労働局に訴えられるよ。
抗議する私にムムは興味なさげに首を横に振る。
「恐らく彼は隣国の姫に取り込まれている。買収か色仕掛けかは知らないが、この城で働く権利は既に彼にはないんだよ」
『……ああ、そうなんだ。大変そうだね』
なんだかきな臭い話になってきた。
国の陰謀とか、ぬいぐるみの私にはよくわからないよ。
適当に相槌を打つと、まったくだとムムは大きく頷く。
「面倒だから放置してたけど、そろそろ隣国の姫とやらをどうにかしないね。
きっぱり断ったのに婚約者気取りで随分横柄に振舞っているらしい。僕がユメ以外と結婚なんてする筈がないのに可笑しな女性だねぇ?」
可笑しいのはムムだよ。
クスクス楽しそうに笑うその後ろ頭を叩いてやりたいのに、動けないからジレンマだ。
****
「ムルティム様」
朝食も昼食も済みムムに抱えられての午後の散歩の時間に、背後から可愛らしい声が響いた。
「朝はご一緒出来ず、とても残念でしたわ」
ムムがいかにもダルそうに振り向いた先に居たのはとても愛らしく美しい女性で、目一杯着飾ったその姿は黙って立っていれば本物の人形のようだ。
後ろには沢山のメイドさんを付き従えている。
「何かご用事がおありだったのかしら」
そっと上目遣いで見上げる。
その仕草は女ならば誰しもあざとさを感じるだろうが、男ならば誰しも鼻の下を伸ばしそうな可愛らしいものだ。
しかし私を腕に抱く彼は一味違う。
「はい、とても大切な用事があったのです」
コラ、そんな胸張って嘘をつくんじゃない。
あんたはぬいぐるみとご飯食っただけでしょ。
「申し訳ありませんがレイラ姫、私も忙しい身。貴女とご一緒する時間はありません」
どうやら目の前の彼女は例のお姫様だったらしい。
確かに姫と呼ばれるに相応しい納得の美しさで、まるで王子様のムムと対のよう。
しかし肝心の王子様が変人だからなぁ。
彼女の背後のメイドさん達はあからさまに顔を歪め、お姫様も一瞬ムッとした。
しかしそこは流石にお姫様、すぐに笑顔へと作り変える。
「王太子にして大魔術師であられるムルティム様がお忙しいことは私も承知しております。そこまで理解のない女ではありませんわ」
「流石はレイラ姫様」
「なんと健気で素晴らしい」
「レイラ様こそ理想の花嫁ですわ」
メイドさん達に口々に褒めちぎられて恥ずかしそうに笑う姫様をぼんやりと見つめていると、ふと彼女と目が合った。
こてん、と首を傾げるお姫様。
「ところでムルティム様、そのお人形はどうされたのですか」
言ったぁぁぁ!
とうとう言ってくれたぁぁ!!
明らかに違和感しかないのに誰もツッコミ入れなくてモヤモヤしてたから凄くスッキリした。
あなたは姫ではなく勇者ではあるまいか。
「ああ、紹介します。彼女は私のフィアンセ、ユメです」
こっちも言ったぁぁぁ!
言っちゃったよこの人!
確実に頭を疑われる発言しちゃったよ。
大丈夫かな、王太子廃嫡とかにならないのかな。
物凄いドヤ顔で頬に私を押し当て紹介するムムにメイドさん達もドン引きです。
お姫様は渋いお顔で私を睨みつけていたが、少しすると何かに気付いたようにハッとした。
「目の宝石はもしや」
「はい、我が国の王族の婚姻の証であるルビーです。どうです、ユメにぴったりでしょう?」
もうこんな変人止めときなって。
お姫様に親切なアドバイスを贈りたいが、残念ながら私の声はムムにしか届かない。
「まぁ! ではそのお人形は私にくださる物なのですわね!」
急に弾むお姫様の声。
周囲も苦々しい空気が撒布して一気に明るくなる。
「人形を大切にされている王太子様のお噂はお伺いしておりましたが、まさかレイラ様への贈り物でしたなんて」
「よろしゅうございましたねレイラ様!」
キャピキャピと姦しく騒ぎ立てるメイドさん達。
というかやっぱりムムのこの奇行は噂になっていたよね。
「私に贈ろうと肌身離さず持ち歩くなんて、ムルティム様は情熱的な方なのですね」
お姫様は頬を赤らめてうっとりする。
「でもルビーを二つともお人形の目に付けてしまってはムルティム様との婚姻が成り立ちません。互いに一つずつ所持しなくては」
『………?』
「一つは抉って下さいまし」
『ひぃぃぃぃ! なにこの人!?』
抉るって、明らかに私の目のことだよね!?
そんないい笑顔で嬉々として言われたら怖いんだけど。
「ユメの目を……抉る………?」
「そうだわ。どうせならば二つとも抉って人形はもう捨てましょう。人形なんて子供っぽいです。せっかくのルビーですもの。どうせ身につけるならば私は指輪がいいわ」
捨てられるぅぅ抉られるぅぅ!
『ムム! スプラッタ反対! そんな大切なルビーなら、なんで私の目なんかに使ったのさ!』
まぁムムがこの場で目のルビーを抉ってしまうとは考えにくいが、今の私は所詮“物”だから。
いつの日か突然私に飽きて処分する日が来るかもしれない。
その時に目を抉られるって嫌すぎ、そんな夢のエンドはごめんだ。
『……どうせ抉るなら私が寝ているうちにしてよね。代わりにボタンでもなんでも付けといてくれればいいから』
しかしボタンの目は機能を果たしてくれるだろうか。
今だって聴覚と視覚しか私には許されていないのに、視覚を失ってしまえばどうなるんだろう。
「さぁムルティム様、そのお人形をくださいな」
『………早速寝るから。目、抉るなら好きにすれば』
花が咲いたような笑顔で迫るお姫様に無神経さを感じてイラッとしてしまう。
まぁ“物”の気持ちを考えろなんて言えないけどさ。
「違っ、誤解だよユメッ!」
『もうムムなんて知らない』
焦っているムムに悪いとは思いつつ、八つ当たりしてしまう。
もういい加減目覚めてくれと念じつつ、唯一の癒しである睡眠へと旅立った。
次に起きた時も、やはり現実世界へは戻れなかった。
あったのはムムの泣き顔のドアップ。
綺麗な顔から色んな液が垂れてて大層怖かった。
『どうしたのムム?』
「目覚めたんだね。ユメの目を抉るなんてするわけないから、誤解だよ」
どうやら目もルビーのままらしい。
そのルビーの目で確認する限り、ここはムムの自室でお姫様達は居なくなっている。
「どうか嫌いにならないで」
『でもさ、ムムは王太子なんだから、いつかこの婚姻の証? のルビーがどうしても必要になるでしょ』
「もちろんそのルビーは結婚の時に必要になるけど、ユメは何も心配しなくてもいいんだよ」
ずびびっと鼻を啜り酷い顔で微笑むムムは、それでも美しさはちっとも損なわれていないのだから世の中って不公平。
『しかしお姫様はなんで私のことを自分への贈り物と思っちゃったのかなぁ。あれ? もしかして本当にそうだったりする?』
「まさか! ユメは僕だけのもので僕はユメだけのもの、誰にも譲ったりするものか! 」
それは良かった。この上なく気持ち悪い持ち主ではあるが、ぞんざいに扱われることはないもん。
「どうやら、僕には内密でレイラ姫との結婚話がかなり進められていたらしいんだ」
「へぇ」
それは知らなかった。
壁越しの声も聴こえる地獄耳を持つぬいぐるみとしては、知らなかったことがなんだか悔しい。
しかしそれほどムムの耳に入れないように徹底されていたということか。
「一般的に家督を継ぐ者はその家に代々伝わる宝石を相手に贈る習慣があるんだけど、王家の場合の宝石はユメの目なんだ」
だから何故にそんな貴重な宝石をぬいぐるみの目なんかに使った。
「相手に贈る前に、想いが届くように宝石に長時間願いをかける。時間をかければかけるだけ相手を想う気持ちが強いとされてるんだ。だからいつもユメと共に過ごす僕を見て、姫はユメの目に僕が願掛けをしているのだと勘違いしたらしい」
宝石に願掛けなんてロマンチックな習慣だなぁ。
確かにそれはお姫様も勘違いしてしまうかもしれない。
「まったく、内密で婚約を進めるなんて舐めた真似をしてくれる。時たま僕とユメ以外の全てを消し去ってやりたくなるよ」
可愛らしいと女性に評されそうな膨れっ面で、なにやら空恐ろしいことを語るムム。
「でも今回のことで、決めたよ。僕はレイラ姫と婚約しようと思う」
『へ? 結局婚約するの!?』
てっきり私と結婚するって言い張るのかと思ってた。
「誰を婚約者にするか迷ったけど、彼女なら問題ない身分だ。それに本性はどうあれ彼女は外面がいいから周囲の評判も悪くない」
『へーいいんじゃない?』
少なくとも私と結婚するより健全だ。
突然のことに驚いたけど、今のムムを思うと大変に喜ばしい。
そうなればますます私の目が必要となってくるだろうが、冷静に考えると私には痛覚もないんだから平気だ。……多分。
秘密裏に進めていた婚約を突然嫌がっていた本人が容認したのだから、この機を逃さんとばかりにとんとん拍子に話は進んで行った。
その間、有頂天なお姫様は自国から連れて来たあの取り巻きのメイド達と城を闊歩している。
それに関しての噂話は大きな垂れ耳に随分と沢山入ってくる。
この城付けでドレスを買い漁ったり、気に入らない城のメイドを毎日くどくどいたぶり続けたり。
結構好きなことやってるらしい。
しかもその事件一つ一つをムムがご丁寧に箝口令を敷いていっているとか。
ぬいぐるみにこれだけ愛情を示す人だから、婚約者ともなるとその溺愛度も半端ないのだろう。
今だってムムの愛情に溺れて死にそうなのに、婚約者とか考えただけでも恐ろしい。
しかし毎日どころか毎時間逢いに来るお姫様をすげなく追い返しているのは何故か。
姫の来訪を告げにきた従者の言葉に対して、あの氷のような眼差しは絶対おかしい。
ムムの執務室へ通ることも許されず顔も見れずに追い返されたお姫様は余計に周囲に当たり散らし、買い物で鬱憤を発散させるという悪循環に嵌っている。
いくら私の夢の世界の話でも、今の精神が未発達な彼女が将来の王妃となるのは不安だらけだ。
『ムム……本当に婚約して良かったの?』
「もしやっ、ヤキモチかいユメッ! 僕はうれしいよっ!」
『ムグググ、あ、あつ苦しい』
ムムの気持ちを確かめようにも、話にならない。
そもそもこの人が将来の王様とか大丈夫だろうか。
******
今日は大規模なナンチャラ式典があるらしい。
ムムから詳しく説明は聞いたけどよく分かんなかった。
本来脳みそがなくてはならない部分にも綿が詰まっているせいだと信じたい。
元々お姫様もこの式典に国の使者としてやって来たらしく、ついでに式典の後に二人の婚約発表を大々的にするとか。
私は現在、ムムの部屋で一人お留守番。
初めはおんぶ紐で私を背負い式典に臨もうとしたのだが、流石に周囲も決死の反対をした。
泣きながら止めてくれと縋る重臣達に絶対零度の睨みを利かせるムム。
反対する全員をカエルにしてしまおうとするのをなんとか私が宥めすかして今に至る。
この夢を見始めて初めての独りという空間に感動しながらボーッとしている時であった。
ドカドカと煩い足音が聴こえると思えば、扉が乱暴に開け放たれた。
「やっぱり此処にあったわね」
入って来たのはいつもより更に煌びやかに着飾ったお姫様。
その大きな瞳に私を捉えると、真っ直ぐにこちらへやって来る。
「フフフフなんて忌々しい人形なのかしら」
自慢の垂れ耳を遠慮なくむんずと掴みふんっと悪態をつくお姫様。
我儘なのはお姫様の特権ってことでギリギリ理解も出来るが、その態度は幻滅です。
「ムルティム様ったらこんな人形をあのように大切になさって! どうせどこかの女との思い出の品とかでしょっ!」
うぉぉぉぉ、ゆ、ゆ、揺れるぅぅ。
お姫様は垂れ耳を掴んだまま酷く乱暴に私をブンブン振り回す。
床にガンガン激しくぶつかり視界は不規則に揺れる。
「こんな人形、こうよっ!」
うぉぉぉぉ、の、の、伸びるぅぅ。
振り回すのをやめたかと思えば、今度は垂れ耳と足を左右におもっくそ引っ張られた。
「はぁはぁはぁ」
ようやく八つ当たりが治まった時にはお姫様も肩で息をしていた。
余程ストレスが溜まってるんだね。
おかげで私もどことなく身長が伸びた気がするよ。
「それじゃあそのルビーを返してもらうわよ。やっぱり婚約発表にはこれがなくちゃ始まらないもの」
再び垂れ耳を掴んで私を眼前に持ってきたお姫様は歪んだ笑顔で語りかける。
その手にあるのはキラリと光る鋭そうなナイフ。
「あんたには相応しくないのよ」
息つく間もなく私は顔面をグサリと一突きされた。
その瞬間、辺りは真っ暗。
視界が閉ざされてしまったようだ。
ブチブチと何かもぎ取る音が響く。
恐らく目のルビーを引きちぎられてしまったらしい。
うん、痛くはないけど凄く怖いよムム。
ルビーを取った後もお姫様の苛立ちは収まらないらしく、気が狂ったように何度もナイフで私の身体を突き刺しているらしい。
まるで拷問のような時間の中で、段々と意識が薄まる。
最後に聴いたのはお姫様の甲高い笑い声と、私の首がもげる音。
そして————
「ユメッ」
ムムの焦る声だった。
「どわっはっ! はぁはぁはぁ………?」
飛び跳ねるようにベットから上半身を起こす。
慌てて周囲を見回すと、そこは慣れ親しんだ自分の部屋。
なんだか懐かしい……って、私動けるっ!
きちんと五本指が揃っている手をグーパーさせて確認する。
ほっ、良かった。夢から醒めたんだ。
激しい安堵感に再びベッドへと崩れ落ち、寝そべったまま充電器に差しっぱなしの携帯を手に取る。
時刻はまだ深夜。
日付はきちんと寝る前の通り。
三年寝太郎状態は免れたようだ。
ということは、今までのはやはり全部夢?
なんて壮大で恐ろしい悪夢だったのだろうか。
本当のこというと、あれは現実ではないのかと今まで疑っていた。
このまま元に戻れず、身動き出来ずにムムの愛に溺れ死ぬのかと密かに恐怖していた。
でもそう考えると気が狂いそうなほど恐ろしくて頑なに夢だと思い込もうとしていたのだ。
でも、本当に夢だった。
ああ………良かったぁぁぁ。
私は安心に身を委ね、ゆっくりと目を閉じる。
明日も平凡な日常がやってくる。おやすみなさい。
*******
「ユメ、僕を置いて、行ってしまったんだね……ごめんよ。さぞ怖かっただろうね」
最早ぬいぐるみとは言えない綿の塊を掻き集め、聞いているだけで胸が詰まるような切ない声で喋りかけるムム。
「僕はもうあの時のように未熟ではない、待っていてねユメ。約束通りすぐに迎えに行くから」
海のような美しい瞳を更に輝かせながら一人決意する。
「あ、あのムルティム様、これは、その……」
こっそり誰にも知られずに抜け出してきた筈のレイラ姫は突然現れたムムに狼狽える。
そんな彼女に静かに視線だけをやるムム。
「レイラ姫、貴女を選んだ私の目に狂いはありませんでした」
「ま、まぁ」
あんなに大切にしていたぬいぐるみを無残にしたのだから怒りを買ったのは確実だと怯えていた彼女だが、意外にもその口から飛び出したのは甘い言葉。
なにかおかしいと違和感を感じながらもウットリとしてしまう。
「私、あの、お人形……」
「いいのです、そんなことは」
滅多に見られないと言われるムムの笑みにレイラは更に舞い上がり、彼の愛を得たのだと確信する。
「貴女は今から消えるのですから、居なくなる者に怒っても仕方ないでしょう?」
「………え?」
綺麗な笑顔のまま告げるムムの言葉の意味が理解出来ずに首を傾げる。
「貴女の存在はユメに成り代わってもらうので安心して下さい。どうです、光栄でしょう?」
「………え?」
「ああ、大丈夫。ユメはすぐに僕と結婚してこの国で洗礼を受けてもらいますから、“レイラ”なんて名前ではなく“ユメ”のままです」
「…………」
「よく分からないという顔をしていますね。いいでしょう説明してあげます」
何か良くないことを聞かされそうな予感がして小さく後ずさるレイラ姫を笑顔で追い詰めムムは語る。
まだ少年だった彼は異界渡りに成功していたこと。
だが渡れるのは意識のみで、更に自由に動けない等のあらゆる代償がついてくること。
最近ようやく生身の身体ごと異世界から渡らせる術を見つけたこと。
それにもやはり代償は必要で、この世界の秩序を守るために人間を一人呼び寄せる為には代わりに一人消えなくてはならないこと。
渡ってきた人間は代償として消えた人間に成り代わってしまうこと。
周囲がそう認識するだけで渡った人間が変化するわけではないこと。
それはそれは楽しそうに喋り続けるムム。
専門的な魔術用語も含まれたその内容に頭を捻りつつ真っ青になりながら聞くお姫様。
「ユメのご両親には悪いとは思いますが、元々僕と彼女を引き離したのは彼等だ。まぁ貴女がユメの代わりにそちらの世界にいくとかではないので、マシだと諦めてもらうしかありませんね」
—————貴女は消滅するんですから
気付くとレイラ姫の足元には複雑な魔法陣が描かれていた。
ハッと見上げたムムの表情は相変わらず美しく、それでいてすごく冷たい。
「ユメが待っているので、それでは」
優しく歪む表情は魂が抜かれるほど綺麗だが、レイラ姫は腰を抜かしてそれに怯えた。
とある異世界の同時刻、私は自分の部屋の自分のベッドの上で幸せな夢の世界にいた。
次目覚める時には周囲からレイラ姫と呼ばれムムと結婚することとなる。
永遠を誓わされ、それは強制的に守られる。
そんな悪夢をずっとずっと見るのだろう。
ああ、夢から醒めなければいいのに。