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修羅の時代  作者: 中仙堂
1/15

遷都

治承四年六月、京の六波羅界隈は戦乱の巷に似て、異常な煩雑さを醸していた。今の季節にすると七月初夏、京名物の暑い夏が到来し始める頃であった。

家財や大形の荷物が山のように、荷駄として馬車や牛車に積み込まれ、列をなしているのが見られた。

近畿一円から、膨大な数の馬匹や牛が集められたが、勿論そんな物では数が追い付かない。京の中心部を流れる河川では、多くの船や上流で組まれた筏を寄せ集めては、大量の輸送に充てていた。

街道の宿場では、事情の飲み込めない地方からの旅行者が、只不安げに旅籠の窓から見守っていた。

一般の旅行者は天下の一大行事の邪魔になるので、当面旅籠等に足留めを喰っていた。

「一体何事ですかい。」

「あれまあ、お客さんは御存知ない、遷都ですよ。」

「せんとう?」

「はい、京の都の大移動ですがな。」

「へぇ、此れがそうですかい。到頭始めましたかい。」

「えらい事ですなあ。」

「えらいなんて、もんじゃ有りません。困るんですよ、京中の食い物が無いんですよ今。」

客は相当深刻な表情で、「其れは困ったぞ。」

「たいそうお困りのご様子ですが、大変なのはお宅様だけじゃありませんぜ。」

「うん、仰せの通りじゃ。」

当時京の都には、食料だけでなく遷都計画に必要な牛馬の数や、人足、雑貨、新都建設の建材、簡易の宿舎等有りとあらゆる物が不足していた。

実際、京の民衆、いや賢き辺りから公家まで多くの人々が、たった一人の統治者の我が儘に、苦痛を飲んだのであった。

此処に王道と覇道の違いが如実に現れているが、誰もが此の僭越振りを窘められる者は居なかったのである。上も下も誠に大変な大忠臣振りであった。

「母上ーっ。」

「おや、迷子かい。いや、大変な御時世にまた、迷子になったものじゃ。此れはたいへんじゃ。童は名を何と申す。ん、父さんの名は何と申すかや。」

「こらっ、退け退け。六波羅様のお荷物じゃ、邪魔な奴は其の侭に踏み潰せ。」

直ぐ近くをお公家風の牛車が通って居たが、片輪が轍に嵌まってしまった。

「こら、そんな処に車を止めるんじゃない。」

役人がすっ飛んできた。

「これこれ、此の御車のお方を何方と心得るか。藤原の…。」

「六波羅様のお達しじゃ。」

けんもほろろの悪態に、牛車の使いは真っ青になった。すると御車の中より

「これこれ、もう良い。」平家ならでは全く話にならなかった。

秋も深まりゆく、ここ奥州牡鹿の里は見渡す限り実りの時節である。十重二十重と連なる山の尾根が紫色に澄み渡る頃、山あいに流れる北上の支流は穏やかに流れる。農家の縁側にはやがて訪れる冬の支度が、そろそろ始まるのが見て取れる。

「おおーい。来ましたぞーっ。」

河原の土手道を栗毛の騎馬が駆けてくる。騎乗の男は十七、八であろうか。端正な顔形はどことなく田舎育ちとは見えず、雅びた面持ちである。

土手の下から一群れの男達が、わらわらと寄ってくる。

「若殿来ましたぞ。」

「来たか、白雁が。」

『白雁』とは野性馬の群れを率いる、大将馬の事らしい。答えた声の主はこの一団の若き主であった。

例の野性馬の事が非常に関心が有るらしい。一団の輪の中心に興奮覚めやらぬ体で、僧形の大男と身振り手ぶりで話している。

「今度こそ旨くお仕留めなされい。主殿。」「白雁も仲々手強い奴じゃ。はははっ。」

明るい澄んだ日差しの中で、若い主の健康そうな笑顔が輝いていた。

「見えたぞ。」ふと野太い声の主を探すと、道端の灌木の上に仲間の一人が、遥か彼方を指刺して叫んでいるのが見える。

北上の原野を潤す川。それに添った荒野を、雑木の林の合間から、白い砂煙が立ち込めはじめる。

「ほう。あれが“ナガレ”か。」

砂煙がもうもうと近づいてくると、野性馬と分かるその群れの先頭を駆けて来る、灰色の斑点の白い若駒が駆けて来る。一倍勘が鋭く決して人間に隙を見せそうもない馬だ。

しっかりした四肢と良く張り詰めた胴、馬ながら知性を感じさせる眼の光は名馬の資質を備えている感がある。

白雁は激流がほとばしる様に、また雁の群れが天駆ける様に、地上に素晴しい曲線を描いた。突然一人の若者が

「いやっ」とばかりに飛び出した。

一本の矢が放たれた様に彼等の若き主人が、白雁目指して直走りに駆けた。

驚いた野性の群れは、一つの意思を持った生命の様に、優雅に外敵を避けた。

一転、そして二転「白雁」は落ち着いて野性馬の大将振りを果たした。馬上の主は軽くかわされると、突然灌木の林を抜け、群れの死角を衝いて追い抜くと遥か背後を周り、そして反対側から又群れの先頭に飛び込んだ。

“ナガレ”の強力な支配者「白雁」は、やり過ごした筈の人間と突然の鉢合わせに思わず、ぎょっとしたらしい。

「ひひ〜ん」と後足で竿立ちになり、

(こいつはまずい。)とばかりに引き返しはじめた。

周囲の馬達は驚き蜘蛛の子を散らした様に、ばらばらと逃げ出した。回りには一頭の馬も無く、とり残された「白雁」と若者の勝負となった。若者は自分の手腕の発揮場所を自然にわきまえている。

荒野の中を右に左に、追つ追われつしていた。しかし長丁場になっては若者の不利である。乗っている馬の気力の抜ける前の一瞬、二者が近づいた。その隙に、馬上高く立ち上がった若者は

「それっと」とばかりに「白雁」の胴体に飛びついた。

再び「白雁」は初体験の恐怖に飛び上がった。こうなっては一頭の野性馬に戻るしかない。

やがて暫くすると「白雁」は勝負どころか、逃避をも諦めざる負えなくなったのだろう。

鋼の様な若者の四肢にしっかりと組つかれて、もう払落とすことも出来ずにうなだれてしまった。

武人と名馬との出会いは中々得難いものであり、良馬に巡り会う幸福は他に代えられぬ喜びであった。名剣名刀も然り、それらを求める機会を厭わない事が武人のたしなみの一つであろうか。

しかし野性馬を直に射止めて愛馬とする奇人、いや貴人は少なくとも当時義経位であったろう。

「ひょ〜い」「うおー」

何とも獣じみた奇声と喝采に迎えられた義経であるが、帰途の馬上では得意話しに満面であったとか、想像するだに可笑しくも清々しい秋の日の座興であった。

遠く栗駒山から涼しい風が、ひょうと吹き付けて、汗にまみれた肌に心地良い。ふと見上げると夕暮れの白い月が、優しく主従を見下ろしていた。

夜露がしんと音もなく降りて来る。白く深い朝もやが無限に立ち込める中、突然烏が深い眠りを引き覚ます。

ほっと吐息を漏らし、戸の隙間から差し込む朝の薄明りを、弁慶は凝視していた。

さっと寝床を跳ね退け、隣に眠る主の部屋の戸口に控えると、引き戸はもう既に開いていた。

おお、もうお目覚めか。庭先に出て見ると、主は庭の踏石に立ち、一角をじっと見つめていた。

「如何なされた。」

気掛かりのまま、声をかける弁慶に。

「弁慶。」「はっ。」

「兄上は、つつがなくござろうか。」

「おお。御兄君様にござれば、きっと殿に劣らぬ立派なご家来衆が沢山居って、うん。きっとお健やかなれば…。」

「だまれっ。」

「先程、兄上の夢を見た。そうじゃ、確かに兄上じゃった。暗い中に兄上が一人で泣いて居られた。」

すると年長の弁慶は、

「若殿。殿程の御方がつまらぬ夢など、何の、お気に召されるか。」

未だ未だ少年の面持ちの主人だがやがて、きりりとした決意の程と弱気を恥た様子が見て取れた。義経は気を取り直すと、

「そうじゃな、兄上は三国一の弓取りじゃ。」如才無い弁慶は、

「殿。時に面白い話しが一つ…。」

忽ち機嫌を直した主は、

「何じゃ。云うて見よ。」

「殿は昨日奥州一の名馬を手に入れられた。」「うん。」

何事かと、その瞳は期待に溢れていた。

「次は奥州一の大鬼を生け捕り、家来にされてはと。」

「はっはっは。それは傑作じゃ。弁慶にはかなわん。それは楽しみが増えた。」

家来の佐藤政勝がやって来た。

「弁慶そ奴はそんな剛の者か。」

「近畿一円を恐れさせた赤鬼弁慶が申す程じゃ、きっと強いんじゃろう。相撲か、酒か。」

「殿、拙僧も仏弟子の端くれ。」

「まあ、般若湯は薬酒よのう。そうじゃ、そうじゃ健康第一じゃ。」

「お戯れをはははっ。」

「で、その鬼の肌色は白か赤か。」

「幡色なれば青鬼殿は白幡でござる」

「そうか、上々じゃ。」

「御意に。」

源氏の旗は勿論白である。白肌と白幡を掛けた訳である。こんな鄙びた土地でも平氏の諜報の手は侮れない訳である。

「殿。もう直、朝飯にござる。拙僧は出立つのご用金の為、吉次殿と石巻でお会い致します。ついでの事に、鬼をひっ捕えに暫時。」「分かった。吉次殿へ宜しく申し伝えよ。」

「はっ。では失礼を。」

陸前の北に石巻という郷がある。古より内陸米の陸揚げや豊かな海の幸に恵まれ、特に牡鹿半島の外れの鮎川まで行くと、鯨の水揚げも行われて居ると云う。

土地の者には云い古されている例え話しに、

『石巻では、箒と塵取りが有れば暮らせる。』と云うのがある。

詳しくは此処では書かない。興味が有れば、土地の者に聞かれたい。

この地方は広々とした、仙台平野の北東部に当り、町の中央部に小高い城跡が有る。

日和山と云い葛西氏の居城が有ったとかで展望の雄大さが有名であり、地元では唄にも唄われている桜の名所である。

左手には牡鹿半島が見え、前方には太平洋が広がる。背後には栗駒連峰、蔵王連峰、右手に遠く松島の島陰が続いている。山頂から下界を見下ろすと、穏やかな浦に海鴎の群れに似た小舟が無数に浮かんでいるのが見える。

「ザザーッ」と寄せては返す波音に弁慶は、思わず深く磯の香を吸い込んだ。弁慶は連れの安達重三と磯伝いを歩いていると、浜の老婆が木桶一杯の、何やら磯の獲物をさばいているのを見かけた。

「おい重三」「なんじゃ」

「あれは何だろう。」

「あ〜っ、弁慶殿はあれを御存知無い。」

「わしは西国の海育ち。漁師の家の生まれじゃ。あれが食い物と云う事は分かるが。そうじゃろう。」

「あれは“ほや”と申す立派な食い物じゃ。」

「なんじゃ、気色悪いのぉ。」

「ほら、皮を剥き終わった奴は奇麗なもんじゃろ。」

「お前さん達、食うてみるかい。」

すると潮風に枯れ切った白髪の老婆が、すっとんきょうな声に、愛敬のある顔で差し出した。

「ほう、是がそうか。えらく磯臭いのう。」「それが好い処よ。」

一口頬張る弁慶は、思わず。「これは、好い肴じゃ。」

「はははっ。」

遂に酒呑みの本音が出てしまった。急に酒が恋しくなったらしい。

「今夜の泊りは吉次殿の隠れ宿じゃ。出るかいのう。」

すかさず重三が「化け物がかい。」

「カッハハ重三奴も人が悪いの。」

「ほーやっ。弁慶の本に呑み助じゃ。」

二人は戯れ合いながら大門崎の方へ向かった。半時もすると牧山への入口に差し掛かった。

ここからは延々と登り坂である。一気に登る山は、きついものである。弁慶といえど、しっとりと大汗をかいてしまう。

杉木立の合間から海が見え、爽やかな風が吹き抜ける。

「好い眺めよのう。」

生まれ育った田舎を思い出して居るのかも知れない。時々間の抜けた烏の声や、重苦しい山鳥の声が聞こえる。「吉次殿は陸前で黄金も、たんまり溜め込んだそうな。」

「しっ。黄金の事に我々は余り詮索せんのが良い。」弁慶が云った。

「しかし有難いことではある。若殿の出立つに大変な後ろ楯があるものよ。」

「あのお方は先代の殿に仕えておっての、殿亡き後に武士を辞められたが、この乱世故、若殿の技量に期待を賭けておわすのじゃ。」

「鎌倉の大殿はどうであろうか。」

「あのお方は中々見識がお高い。武人の当主として兄殿の力量は非常に高い。

しかし我々の御大将としては切れ者過ぎる。皆々の期待としては弟君の方へ、なびく事は成り行きとして仕様が無い。人は大概のところ力より情に惚れるものよ。」

秋の陽は釣瓶落としとか。すっかり暗くなった山中の、木立の間に石巻の町家の灯りが蛍火の様に無数に見えてきた。

「ご免下され。」

吉次のかくれ宿は山中の“庵”であった。

“庵”と云っても宿房もあり、客の七〜八人は泊れる事が出来る程の山寺である。

「おお、弁慶殿か。若君はつつが無くおいでですかな。」

「お陰様をもちまして、お健やかにお暮らししてござれば…。」

「そうか、そうか。」

「まあ、ごゆるりといたせい。」

吉次は先に立って案内をした。玄関をぬけ庵の主に挨拶もそこそこに、弁慶達は奥の離れに案内をされた。

さすがに庵と云う事で、大っぴらの酒宴は遠慮しようという吉次の心使いである。

八帖程の質素な部屋に通されると、弁慶は思わず

「例のものでござるな。」

「然り、例のものでござる。」

「酒呑み弁慶殿が、ご執心だと聞いての。」

「えっ、何と素早い。地獄耳の吉次殿ですな。」

「それを申すなら早耳の吉次と云って欲しいもんですな。」

「本当だ。ははっは。」

「昼頃浜で弁慶殿が食したいと申しておったと聞いての。」

「辱い。では、遠慮無く頂く事に…。」“ほや”を二口放り込むが早いか。

「はぁ〜。こりゃ、思った通り般若湯に合い申す。」「喜んで頂いて私も嬉しい。」

「時に殿のお発ちは。」

「そう年明け頃ですかな。」

「吉次も殿の御旗揚げには相当気を入れて、ご準備承りますとお伝え頂きたい。」弁慶が突然真顔になり、

「時にあの青鬼殿は如何致しておられるかな。」

「弁慶殿のご威光に恐れをなして、近頃はとんと出て来られん。」

思わず一同大笑いをした。

「冗談でござる、時折山から降りて来もうす。」

「青鬼どのは漁の盛りで、港が賑わう晩によく、出て来ますな。恐ろしく強い。やはり鬼は鬼故。」

「どうしたら会えるじゃろ。」

「はははっ。やはり若殿に申し上げましたな。」

「わしも豪傑好きよ、しかし強過ぎる奴と矢鱈に戦場では、かち会いたく無いものよ。」「弁慶殿も大分、弱気になられたか。」

「いいや、とんでも無い。疲れるだけじゃ。無駄な争いより、そいつが手中の駒ともなれば、もう我が陣中の宝じゃ。」

突然表が騒がしくなった。

「何事じゃ。」若衆の一人が出てきた。

「はい、今表で見かけぬ者がうろうろ致して居りました故、問い質した処。旅人が不慣れな山中で道に迷ったそうな。」

「こちらの素性は大丈夫であろうな。」

「それは些かもお気づかいご無用。」

「そうか、よしなに。」

「ご覧の様に、最近ではここ陸前の僻地へも怪しげな者が出入りし居る様でございます。」

「若殿の泰平への願い。そして鎌倉殿への主上の御期待を、平家方の悪辣な陰謀から守護せねばなるまい。」

「それはそれとして。青鬼殿の生け捕り。」

「明日の晩にでも若い衆に案内させましょう。」「うん、お願いつかまつる。」

「今夜は弁慶殿の破戒次いでに四つ足でもご馳走致しますかな。」

「破戒とは人聞きの悪い。そもそもですな、拙僧の持論では有りますが。」

「ほら、弁慶殿は弓矢も上手、詭弁も上手。」

「黙らっしゃい。」

少々赤い顔になってきた弁慶が、

「拙僧も生き物、肴も生き物、四つ足の猪も同類。一つ兄弟じゃ。

その同根の“いのち”が拙僧の“いのち”と一体となって、世の為、忠義の為、大きな働きを成す。

もう一つの“いのち”が、わしの腹の中で貢献致すのじゃ。

拙僧が武道、仏道に精進すれば、奴らの“いのち”も無駄には成らん。猪の“いのち”も成仏すると云う訳じゃ。

この世は輪廻。回り回りて出来ておるのじゃ。」

「あっはは。出たな大きく。」

当然の如くの表情で頬張る弁慶であった。

「御意、もっともじゃ。ささ、もちっと召されよ。」「おおっ、辱い。」

「弁慶殿には一杯精をつけて、殿の御為一働きも、二働きもして貰わにゃならん。これからは猪汁が旨い季節じゃ。体も温まるし、精も付く。」

この鄙びた庵には珍しい盛り上がりだった。

弁慶は吉次から若殿出立つの為、軍資金を預かり、予て約束した十五名の屈強の男達と待ち合わせると、三つの組に分け、目立たぬ身なりをさせて搬送の役目を命じた。

男達を送り出した弁慶、日中は街中を見物しながら夜を待った。

街の中でも歓楽街は陽も暮れる前から賑わっている。鄙びた田舎街だが、更に奥の村々から、米を含めた作物、水揚げされた魚介類を含めた様々な商品を売り買いする商人や、一日漁場で働いた漁師、船頭等が日々の疲れを癒しに集まって来る。

あちこちの呑屋から、だみ声の混じった笑い声や、ざわめきが魚を焼く匂いと共に外へもれてくる。

「おーい、三次。今日の獲物は大したもんじゃそうな。」

「うるせーっ。なあ、あんな雑魚ばっかりじゃ、俺達もおまんまの食いあげよ。」

「俺はよーっ。鰯をいっぺー揚げたぜ。よっ、馬どのは今の季節は秋刀魚が専門よな。」

「これからが最高よっ。」漁師仲間が入口付近で語っていれば、米や雑貨品を運ぶ荷駄舟の船頭も奥の囲炉裏で宴を張っている。

その内に何かの弾みで、漁師仲間と船頭の組で諍いが始まる。いつもの事で、良く有る単純な喧嘩騒ぎであった。

「やっちまえー。」「うおーっ。」騒動が始まったと思うと、店の外で数人のどやどや駆け去る足音がした。

路地で別の騒ぎが起きてるらしい。二人の若者が船頭風の荒くれ七、八人組に因縁を吹きかけられて居るらしい。さんざん追い回され、なぶり物にされていると突然。

「喧しい。」

一軒の店から人影が、ぬっと現われた。

「なんじゃ、おまえは。」「すっこんでいろ。」

「折角楽しんで居るのに喧しくて叶わん。」

荒くれの一人が「お前にゃ関係ねーだろ。」逆に矛先が変わって来たかと思うと。中の一人が気付いたらしく。

「ちょっとまずいぞ。」頻りに仲間の裾を引いている。

「まずいっ鬼だぞ。」

とその耳打ちに、相手は急に顔色を変えはじめた。一瞬緊張した空気が張りつめた。

「やろうっ」荒くれ達は逃げ出したが、狭い路地の退路を何時の間にか別の大男が塞いでいた。

僧形の大男は中々通してくれない。荒くれ八人と青鬼の戦いが始まった。さて青鬼は、立ち向かう髭面の大男をなぎ倒し、背後から羽交い締めをする男を、後ろ向きに蹴り上げて、それはもう三面六臂の活躍振りであった。やがて叶わぬと見た荒くれ共は、脱兎のように逃げ去った。

「いやー、強い。」

流石の弁慶も唸った。青鬼は赤鬼に黙礼をすると、スタスタと去って行った。

しかし赤鬼が後から執拗に追いて来るのが気になった。やがて地元では羽黒山と呼ばれる小さな社の前に着いた。

突然青鬼は歩きを止めた。空には白い半月が昇って梢の間から二匹の鬼を見下ろしている。青鬼はじりっと踵を返すと。

「何のご用か。」

「奥州の青鬼殿は、肌色が白いとか。」

一瞬、狐に摘まれた様な青鬼の顔は、やがて判ったとばかりに、可笑しげに笑った。

「かっ、ははは。」

「鬼狩りでござるか。」「左様。」じっと二匹の鬼は、見つめ合った。

身動きもせずに半時も経ったであろうか。目覚めた烏がバサバサッとはばたいた。

「ムー。」「フー。」互いに深くため息を吐いた。

「奥州の青鬼は白いが青くはない。」

「はっはっは。存じて居りまする。先ず私から名乗ろう。失礼つかまつった。拙僧の名は武蔵坊弁慶。」

「ん、聞き覚えが有るぞ。」にたっと笑う弁慶。

「知っているぞ。平氏ではないが、相当な悪鬼だそうな。」

「貴殿程ではござるまい。」

双方共ここで真面目な顔つきに成ると「何を隠そう拙僧偽り無く申す。我が主人は、先の源家の御大将義朝公の忘れ形見、源九郎義経様。弁慶は一の家来でござる。仔細は後程として。」

弁慶は鋭い表情で周囲を見渡した。

「今宵は月も風情が有り申すな。」と弁慶は腰から徳利を外した。

「肴は無いが、一献差し上げたい。」どっかと切り株に腰を掛けた。

「ほう。辱い。」「じつは、この地で広く商をしている、さるお方」

「吉次殿か。」

「おう、ご存じで。」「いや、面識はござらん。」「あのお方に鬼。いや、逸材がござるとお聞きしての。」

「いや、それは光栄ですな。」

「それで……。」

「私がこの地にくすぶって居るのは、己の志が定まっておらんからでござる。」

「今の乱世、確かに源平きら星の武者が居ざろう。しかし己が主と定める人物が又、居らん。いや、判らんのじゃ。」

悲痛な嘆きを漏らした。

「人の噂に源氏の若殿の事は聞いたが、どんな方やら。まして、田舎の鬼侍を推挙する変わり者も、居る筈もござらん。

曲がった事は嫌いなもので、退屈凌ぎに田舎街のドブさらいをしていたまででござる。」

「しかし、青鬼殿、我が主どのに召し抱えられたとして、その人物はご存じあるまい。」

ここで青鬼は、にんまりと笑った。

「青鬼は赤鬼と組とうなった。鬼の主は、鬼であろう。きっと。ははははっ。」

「ははっ。違い無い本当にそうじゃ。」

緑の馬場に荒馬を巧みに操る若者がいた。強情な馬と天才的な乗り手は、互いに激しく競り合っている。遠く柵に繋がれた馬達も興味深げに見つめている。

「殿の稽古は馬共も興味があるらしい。はははっ。」

馬丁達も、滅多に見られない見物に仕事もそこそこに、人垣を作っている。

「おうっ、仕事仕事。皆いいか。これは見世物ではない。自分の持ち場に戻る様に。」

呆れ果てた佐々木秀元が改めて指図をする。ここは平泉藤原秀衡の別邸の一つ。

向かいに岩手山がそびえ、目前にせまる豊かな台地である。近くを北上が流れ、田畑を潤している美しい田園風景が広がる。

この邸宅は秀衡の夏用の別邸であったが、今は源氏の御曹司の仮住まいとして、使用されている。

秀衡に天性を愛され、吉次に次代を担う力量の人物として期待され、義経は今一番の青春を謳歌しているであろうか。

「ようし、今日は仕舞いじゃ。」佐々木秀元が屋敷内から出てきて、

「殿如何でござりますか。白雁の具合は。」

「うん、やっと気を許してくれた。どっちが主人か、やっと納得したんだろう。」

「それは良うございました。それで殿、石巻より客がありまして。」

「ほう、誰じゃ。」

「弁慶が連れて参って…。何でも青鬼とか弁慶殿が。」

「そうか、参ったか。そうか、合うぞ。」

「はっ、こちらへ。」別邸の母屋は広かった。

間もなく屋敷の広間で、この若い主人は珍客を待った。

「まだか、青鬼は。」展望の良い広い庭先の戸を開け放すと、外には十数名の若者が畏まっていた。

「殿、鬼でござる。」

「ははははっ、皆面を上げて良い。」中でも一際大がらで、七尺に余りある赤ら顔の大男がいた。

「小鬼も、連れて参ったか。」

「はっ、大場政太郎にございます。」

「青鬼めは、白肌とか聞いた。」

「はっ、私めは、先祖代々源氏に加勢をしております。父は…。」

「そなたの事で良い。何が得手か。」

「二元流柔術でございます。」

「如何なるものか、見せよ。」大場某は小鬼二〜三人相手に早速格闘術を披露しはじめた。

「む、強いのう、さすが青鬼じゃ。で酒はどうじゃ。」

すかさず弁慶は、

「拙僧の上を行く者はござらん。」

「はっはっはっは。そうじゃろうな。」

「早々に、わしの配下として仕えよ。」

「はっ。」

「之からは生死を賭けた乱戦に成るやも知れんぞ。」

「覚悟の上にござります。」

「酒をとらそう。酒を持て。」主従固めの杯である。義経主従いよいよ、鎌倉方面へ向かう準備が始まった。





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