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科学棟のヒース
作:矢萩



37話


「そうだな。そして相手方の異種族は一族から追われ、籍を抹消される。おまえにとって信じがたいことだろうだが――それを喜びにするのが龍種だ」
「そいつはまた最低だな」
「それでもと思うのが龍種だ」
 しずかなことばが返ってくる。龍種が異種族の血を侵し、情報を書き換えるのにたいして、龍種を異種族の血が侵すことはおそらくない。それは必ずしも対等な関係とはいえないだろう。誇りを奪われるということ、そして居場所を奪われるということすべてが、異種族のカンに障るのだろう。双方納得ずくならまだい。だがいまの俺のように、龍種に一方的な誓約をかわされた場合は――。女史に憐れまれ、誓約と聞いただけで怒り狂った彼女の真意がおぼろげにだが見えてきた気がした。
 異種族が俺のような手段を講じられてきたのなら、同族同士はどんな手段を講じて誓約に持ちこまれていたのか気になった。やっぱり異種族と似通った方法だったんだろうか? もしもそうだった場合、龍種はどうやって許していたんだろうか。不本意な場合も多々あったろう。俺はそれを問いかけ、ものすごく問題のある答えをもらっちまった。
「……命がけではあったらしいぞ?」
 いいづらそうに目をそらして告げられたことばに数瞬思考が停止した。いのちがけ……? そうするに足る予測のいくつかが高速で頭蓋のなかを飛びかい、それからじわじわとある「最悪の予測」が俺のなかで組み立てられていく。つまり、それは。
 頭に浮かんだ二文字に思わず顔をしかめ、傍らの男を見あげた。嫌悪が胸にわいてくる。理由はわかる。力のない雄が雌を得る場合、自然界ではそうならざるをえないだろうこととは予測がついた。まるでカマキリの雄と雌だなと思いつき、隙をねらって交尾した雄を頭からむしゃむしゃと食べる雌が龍種に重なった。
 そうせざるをえなかったんだろうということは理解はできる。だが納得はできない。
すくなくとも龍種であるこいつらは、おのれの意志があり、それを他者に示すことは可能だ。話し合いじゃどうにもならないんだからそういう強攻策をとるんだとわかっても、どうにも受けいれたくないと感じるのは過去の出来事のせいもあるんだろう。
「感情論になるとは思うが、クロドーニス。さすがにそれは人間として最低の所行じゃねえのか」
「だから男は命をかける。望むのは生涯ひとりきりだ」
 俺は顔をしかめた。そういう考えは病的で嫌いだ。
「つぐないか」
「どうだろうかな、本能とやらをたたき起こした龍種なら否定するだろうが――ちなみに僕も否定する」
「いまもそうなのか?」
 語尾にかぶせるように聞く俺に、つかみ所のない笑みをくれる。
「さすがにそこまで極論には走らない。龍種の女も大人しくなったしな、いまなら和姦がせいぜいだろうさ。誓約じたいも龍種のなかでは廃れつつある。必要かと言われればそうではないが、不要かと言われれば否定するだろうな」
 種としての根本だとクロドーニスは言った。つがいを求めるこの尋常ではない執着を、種としての根本だと。反対に、強大であるところの代償じゃないのかと俺はふと思った。

* * *

 しばらくしてクロドーニスが夕飯を食いに帰ろうといった。気まずい空気に耐えきれなくなったんだろう。それは俺も賛成だった。だがとっかかりを失ったままぐるぐると疑惑が胸の中で回っていたのはどうしょうもないことだ。たぶんごまかされた。すべてを語ったかに見えたクロドーニスだが、話の矛先を巧妙にそらされているのを後から俺は知った。
 こちらの不満を感じているのか、あれからクロドーニスは一言も口を利かなくなっちまったのだ。ヤツの胸の中にあるのが後悔なのかそうでないのかは疑問だが、硬い顔をして暗闇の一点を見つめて動かなくなった。その腕に抱かれて所在なく座らされた俺はえらい迷惑だったが、怒鳴ってもほおをつねってやっても相手にされなかったんだからしょうがない。しばらくしてなにを吹っ切ったのか、クロドーニスは俺を抱えて幕舎に戻った。
 そして俺たちはいまむかいあって飯を食っているわけだ。
 俺を強引に送りだした双子のきょうだいは、クロドーニスを連れ帰ったことに喜んだのもつかの間、機嫌悪げな上官に難癖つけられる前に無情にも俺を見捨て、そそくさと去っていった。俺はというと、先刻とはまたちがう空気の悪さにしっかり飯をたいらげながらも、ひりついた空気の発生源を横目でうかがい刺激しないように息を潜めていた。
 無理だ。食事を終えても眉間にしわ寄せて黒い空気を漂わせている相手に、先刻の不機のもとを蒸し返すわけにもいくまい。こりゃ女史かかなり気が進まないが医者にでも聞くべきかなと俺はため息をのみこんで、うながされるまま寝床に横たわった。さっきまでは身の危険を特大に感じたが、いまはそこまでひどくはなさそうだ。なにかを刺激しなけりゃ、泣くことにはならんだろうと楽観視したかったんだよして、妙に広い寝台におじゃました。簡易ベッドらしき寝床はふたつぶん。密かに恐れた同衾はかんべんしてくれるらしい。やれやれだ。脳裏にチシャ猫の笑みうかべた医者の姿がよぎったが、この際無視だ。
 クロドーニスはしばらく机仕事を片づけていたようだったが、夜も深まると使いっ走りにしていた双子になにかを言い含めて無言で寝台に転がった。ぎしり、とヤツが寝返りを打つたびこっちの寝台もかすかにきしむ。
 俺のはたぶん従卒なんかが使うんだろう小型ので、あるじのベッドの足下にわずかに接して据えおかれていた。同時にきしむのはたぶんそのせいだろう。そういえばここに寝るはずだった従卒のヤツとかどうなったんだろーか。俺が寝ることになった余波を食らって寒空の下に放りだされちゃいないよな? うっすら胸にわく後ろめたさをなだめつつ、頭だけ起こして時計をたしかめた。針の長短がそろって天井をむいている。午前零時だ。ただしかつての世界とは異なって、零時は十二時じゃなくて十三時だ。見慣れているようで見覚えのない、奇妙な文字盤の上にひとつ数字の多い十三が並ぶ。26時間あるこの世界にあわせてのことらしい。
 灯りが消され、真の夜闇が周囲を支配して(俺の感覚では)一時間ほど経ったころだ。クロドーニスの様子を全神経を注いでうかがっていた俺はゆっくりと半身を起こした。規則的な呼吸音がかすかに耳に届く。闇になれてきた目でも、光源のないこの場所では相手の顔どころか表情ひとつ探れなかったが、寝息で眠っているのだけはわかった。いつもの威圧的な雰囲気はすっかりなりを潜め、死んだようにしずかだ。もしかしたらこのきれいな面構えを目にしていたら、静謐とかいうことばが脳裏にわいてでたかもしれない。
 いや、いや。さすがにそれはどうだろうか、俺は即座に思いなおし失笑をこらえるために口元をおおった。だってクロドーニスだし。穏やかなという形容詞がでてこないのがヤツらしい。
 笑いの発作をなんとか収め、呼吸音の聞こえるあたりに目線を注いだ。全身黒ずくめに近い格好をしているから、盛りあがった人間のかたちをとらえるのがせいぜいだ。印象的な紫の目もいまは閉じられているから、俺は安心してクロドーニスを観察した。観察するほど見えないけど。
(クロドーニスよ、あんたははほんとうに変なヤツだよ。本気で俺を閉じこめたいのなら、なにも知らせなければよかったんだよ。耳を塞ぎ目をふさぎ、おまえの望む情報だけを俺の耳に注ぎこみ、あんたの望むかたちで、俺の望むように話をつくり替えてしまえばよかったんだ。そうすればもしかしたらあんたは、俺をとらえる籠を完成させられたのかもしれないのに。だがあんたは不器用にも、俺の前に逃げ場を用意した。追いつめすぎて逃げられることを恐れたか? それとも…あんたのなかの良心がわずかながらにうずいたのかい。なあクロドーニス。あんたは信じないかもしれないが、俺は騙されたがってもいたんだぜ。いま現実のすべてを受けいれられるだけの容量が俺にはない。だからあんたが本気で俺を「誓約者」として束縛するなら、たぶんあのときが絶好の機会だったんだろう。混乱、おそれ、後悔、絶望。そのどれもがあわさった恐慌状態のなかで、俺はあんたを受けいれつつあった。この数年、美船以外にこころに食いこんできた人間はすくない。そしてこの数日、美船にちかしい場所にあんたはいたよ)
 もし、の仮定が無意味だってことは知りすぎるほど知っちゃいるが、クロドーニスがもうちょっと器用で、俺がもうわずかだけ正気に返るのが遅かったなら、たぶん俺は捕まっていただろう。現実から目をそらす最高の機会を彼はあたえようとしていたから。
 それはけして、クロードニスの願うような情ではなかった。けれど俺の望む逃げのの一種にはなっただろう。
 ふっと苦笑し、爪先を絨毯にしずめた。体重の差だろう。立ちあがった弾みに感じられたのは聞こえるか聞こえないかのわずかなきしみだけだった。
 正直なのかずる賢いのか。つかみきれないところのある男を残して立ちあがる。逃げるわけじゃない。行くべき場所を思いだしたのだ。
(あんたは不本意かもしれないが、俺はあんたのおかげで踏ん切りがついた気がするよ)
 龍種であり、一隊を任されたこの男があの場所にむかう俺を止めないはずがないことを、すでに俺は知っていた。もし仮に、この男が俺のわがままを聞いたとしても、彼らには当日の面会は許されまい。霊安置所には龍種の死後数日間は厳しく立ち入りを禁じられるからだ。死者の静寂を守るために。
 だが会いたかった。
 俺は会いたかったのだ。会ってなにをしようというのではない。たぶん俺はきっかけを欲しているのだろう。この先を進むための、なんらかの後押しを、俺はふたりに求めていたのだ。機能を停止した彼らと会うことで、なんらかの決着をつけていきたいと強く思った。埋葬もしてやれず、冥福を祈ってやるだけのことさえまともにできていない、利用するだけの俺の望みは強欲に過ぎると自覚していたが、どうしても取り下げようという気にはなれなかった。
 もちろんおそれはある。俺の望みは龍種の常識からすると、彼らを侮辱することになりかねない。とんでもないことをやらかそうとしている自覚もあった。だが俺は俺の家族に会いたかったのだ。物言わぬ肉に成りはてた、かけがえのないふたりの家族へと。
(歌を、)
 だれかへの言い訳のように浮かんだことばが俺の口を動かした。
(歌を歌ってやりたいんだ、ふたりに)
 あのふたりは歌を聞きたいのだといっていた。自分たちが死んだら、墓にむかって俺の歌を歌ってくれと。おまえの歌はなによりの慰めになるだろうと、やわらかく笑ったじいさんとばあさんの顔が脳裏にあざやかによみがえる。
 せめて、ふたりの尊厳を傷つけるのなら願いを叶えてやりたかった。俺のできるせいいっぱいで、あのふたりの望みに添うてやりたい。
 そうすれば諦めることがきっとできる。この世に俺の居場所はなくなってしまったのだと。そうすれば強く生きられるはずだ。無条件に受けいれてくれた居場所を失ったことをわが目で確かめることができさえすれば。
 そっとぬけだした後ろ姿を薄目が追っていたことなんか、もちろん鈍いこの俺さまは気づいちゃいなかったけど。












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