34話
五年という月日が俺に与えた影響を、女史が帰り、クロドーニスが去った天幕のなかで大の字に寝てぼんやりと考える。あのころ俺は三十だった。夢も希望もあふれるくらいに持っていた……とまではいえないにしても、仕事に対する情熱はそれなりにあったはずだし、あっちに残してきた家族に対しての情とやらもたしかにもっていた。そういう俺がなんの因果かこんな異界にきて、龍種だの少数民族だのの間に挟まれなきゃならないんだろうか。
(理不尽な)
しかもそれがけしてひとごとではない。
俺もクロドーニスによって少数民族に位置づけされてしまっているわけなんだし、異界人というややこしいカテゴライズをされた身にしては、クロドーニスのしてくれた登録によってずいぶん楽をさせてもらっている。
すくなくとも異界人にありがちな迫害をまぬがれているわけだし、この五年間をふり返ってみれば苦労らしい苦労をしたこともない。俺は幸運だ。巡りあわせがよかったのだろう。たとえ――そう、たとえ、異界人ではなく少数民族として政府に登録されたことで降りかかるだろう厄災の数々がいま身近に迫っているとしても、その点だけはクロドーニスに感謝する。俺はきっと運がよかった。
額にふれる。先刻女史がせっぱ詰まった声でなじっていた誓約を顕していた印は消えた。女史は驚愕し、なかば憐れみ、しかしあきらかに喜んでいた。その姿に、龍種と他民族の対立の根深さを見た気がした。
あの男はいったいなにがしたかったんだろうか。この額に誓約とやらを刻んで、俺を束縛することを望んだクロドーニス。ヤツの思惑がさっぱり俺にはわからない。
誓約を交わされた直後の、この男からとにかく逃げだしたいというような激情もいまは凪いでいる。凪いではいるが気にくわない。気にくわないが嫌えない。それが正直な気持ちだ。俺を抱きしめ泣いた背中を、あの男の切望をすべて否定するには俺は弱い。ずるずると流されて、気がつけばこころの深いところまであいつに許してしまいそうな恐ろしさをいまじゃ感じてしまっている。重症だ。
(愛しているとあんたはいったな、クロドーニス)
だが俺はそのことばの重たさを知っている。軽々しくつかえば諸刃の剣になることも、かつて愛した女に味あわされてしまっているのだ。
だから。
(だから俺はだめなんだよ。それにあんたはきっと見つけるだろう、あんたのいうところの運命をさ。そのとき俺を手元においたことをあんたはきっと後悔する。それからじゃ遅いんだよ)
そのとき美船の二の舞にならないともかぎらない。俺はそれが怖いんだろうか?
「いやちがう。そうじゃない、そうじゃないだろ。っていうかほだされてやがるな俺。なに血迷ってやがるよ相手は男だろ、俺も男だろ! しっかりしろ俺ッ。的場皓市三十五歳、性的思考はノーマルだろ、ノーマルだよな。女の子にまふまふされたいか、されたいよな、されたいさ!」
机の脚にがつかつ額をぶつけ、ごろごろそこらへんの床を転げ回って強引に結論づけた。端から見れば奇怪な行動をとっている自覚がある。だがどうせだれの目もないんだ、好きにさせてもらおうじゃないかと開き直った。
(男のナニを見て喜ぶような感性は俺にはないはずだ、うん)
でもこの強引さが必要になってきたことにひしひしと危機感が募ってくる。だいじょぶかなー俺。ため息をつくと同時に腹が鳴った。
「……腹へったな」
そういや俺なんも食ってない。ぎゅうぎゅう鳴る腹をおさえてふらりと立ちあがる。飯ってどこで食えばいいんだろ。ってかその前に俺の苦悩の原因のクロドーニス少佐は飯にありついていやがるんだろうか。だったらちくしょー、うらやましいじゃねえかあの野郎。
(特権階級者め)
舌打ちひとつ、明かりとりのひとつを手にして天幕の入口をくぐると歩哨の兄ちゃん姉ちゃんと目があった。
「「あ、上官の思い人の!」」
「げ?」
ばさっと垂れ布をはらいのけると同時だ。おかっぱの姉ちゃんと彼女にそっくりな、髪型だけ短い兄ちゃんがユニゾンし、俺を両脇から凝視する。予期せずハモりましたみたいな顔でおたがい顔を見合わせ、それからしっかり肯きあうと意を決したように銀色の細長い筒状の物体をおしつけてきた。
「飲み物です」
「茶器です」
両脇からずずいと差しだされた物体を勢いに圧されて受けとらされて「はぁ」とか気のない声をだした俺に焦れたのか、兄ちゃんのほうが真剣な顔をして数歩の間合いを詰めてきた。
「どうか迎えに行ってやってくれませんか」
「打ちのめされたような顔してウチの上司がふらふら出て行ってしまったのです」
ぐい、と近づいてきた兄ちゃんに気圧され後じさると背後にひっそりとおかっぱの姉ちゃんが立っている。逃がさないぜとふたりの目が語っていて、違う意味で俺は胸が高鳴った。態度はともかく直球だぜこのふたり。
「制約を交わした仲ではありませんか」
「抱きあってちゅうするような仲ではないですか」
「ぐッ」
これをおなじ顔でふざけもせずにやられたのだからたまらない。たちまち俺は真ッ赤になって銀色の物体に顔を埋めて逃避した。後から聞いたがこれ保温器…つまりポットだったらしい。首まで赤くなってるのが自分でもわかって、俺はこの状況をつくりだした直接の原因を胸中声高く罵倒した。
(み、みみみ見られてんじゃねえかクソ少佐〜〜〜〜〜〜!!)
怒りとか羞恥とかやりきれなさにわなわなふるえる俺をよそに、おそらく兄妹だろうふたりが深々と頭を下げた。
「上司はあちらに」
「どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
「いろいろとアレですが、見捨てないでやってください。わたしたち部下のためにも、ぜひ」
力のこもった訴えに、気圧されるまま肯くと満面の笑みをうかべられてしまった。ナチュラルにおしの強い笑顔は異論反論すべてを封じた。
「ありがとうございます。それでは夕飯の準備をいたしますので上司をお願いします」
「夕飯をかたづけていない上司はここだけです。かたづけのこともありますから、なるべくお早くお願いします」
「う、い、いやですお断りします勘弁してくださいよ」
ささやかな抵抗も笑顔を前にしては難しく。
「「それではいってらっしゃいませ」」
あざやかな兄弟の連係プレーに俺はあえなく敗北した。
「………………いってきます」
すごすご暗がりにむけて歩きだした背中がまあるくなっているのが自分でもよくわかった。なんていうかなあ、なんていうか。
俺は苦手だあの兄弟!
* * *
頭を冷やしてくると言ったっきりふらりと消えたクロドーニスを見つけたのは、村近くの焼け跡だった。しばらく声をかけるのをためらったが、背後をうろついているのを気取られて当然のように声をかけられたので遠慮はやめた。カンテラが見あたらなかったので室内用の明かりとりを手に近づくと、まぶしそうに目を細められてしまった。よく見ると瞳孔が縦に細まっている。猫のようなやつだなと思い、いや爬虫類かなと思いなおした。まあなんだ、龍だもんな。つきつめて考えるとまちがっている気もしないではないが、とりあえず強引に納得する。
なんだ、と聞かれたので「飯だってよ」と俺は持たされた保温器を掲げて見せた。
「飲むか?」
ちなみにこれはただの茶だ。届けられた夕飯も持っていこうとしたが例の兄ちゃんに止められた。飯は定められたところで食ってくれと言った顔を思いだす。やっぱりあれはクロドーニス直属の部下だろう。性格はアレだが、ていねいな物腰で、隊の教育が行き渡っていそうだった。彼ともうひとりの歩哨の姉ちゃんにおしつけられた保温器を置いてカップを取りだす。注いで渡すとため息をついて受けとった。
「気が利きすぎるところを見ると、アトバかオリガか」
「兄弟なのかな、アレ。瓜二つの顔の男子と、名前は聞かなかったけどおかっぱのかわいいひとだったよ。んーうまい」
性格はどうあれ女の子はみなかわいい。それが俺の信念だ。いましがたちょこっとぐらつきそうになったけどもな。
「おまえは、女を見るととにかくかわいいとかきれいだとかいちいちいわないと気がすまないのか」
「女の子がいたらくどくはともかく、とりあえず褒めるのは礼儀だろうが。かくいうあんたはどうなんだ、アッカドの種馬どの」
自分のも注いで飲んでいると冷ややかな一瞥がそそがれた。なんでか腹立たしそうだ。肩をすくめて逆襲すると、手応えを喜ぶまもなく盛大な舌打ちが返ってきた。機嫌はあんまりよくなさそうだ。
「あの女狐か。くだらんことを吹きこんでくれよって」
「そらあんたの普段の行いのせいでしょうが」
救護テントで再会したときから、女たらしなのはわかっている。ことばの端々に他人を見下している臭がぷんぷんしていた嫌味な男だ。そんなヤツがなぜか興味を持って近づいてきて、気づけばおっさんな俺に求婚している。悪夢か。
人生は驚きの連続だな。事実は小説より奇なりってかい。黄昏れていると銅の器がひょいと返された。受けとって聞く。
「ま、そんなことはどうでもいいか。で、飯食わねえの」
「飯、か。額はどうした。あの女狐がなにか黒獣の秘技でも授けたか」
「そんなことはどだい無理だってこと、俺よりあんたがわかってるんじゃないか。女史が言うには一生モンだって? あれ」
「印は」
「消えた」
足下に座りこんだ俺の前に膝をついたクロドーニスの額をなぞる指に目を閉じた。苦々しい表情が灯りの下にさらされて、深々としたため息が俺の額に落ちかかる。
「龍の印を消す、か。まさしく異界人だな。誓約は白紙にはならないが、正式に血の誓約を交わすのは不可能か」
「女史のいうには、仮制約くらいは働いているだろうからだってさ。なんだよ、消えたのにまだなんかあるのかよ、誓約ってやつはさ」 |